
遅ればせながら四国行脚記なんぞ書いてみる。思えば3年前、イラク戦争での人間の盾活動から帰国直後の2003年5月、高松での講演に呼ばれたのをきっかけに、四国学院大、そして徳島と、次から次へと参加者が次の講演を主催されて、おかげ様で四国講演行脚も今年で四度目。これも弘法大師空海の御利益かしらん。(写真は高知の最御崎寺)
6月8日、雨の高松空港に到着するとザルカウィ殺害を伝えるTVニュース。四国学院大の山本先生、中村先生、ムアンギ先生3人総出で迎えに来てくださって、繁雨に霞む讃岐の山に分け入り怪しげな中華料理屋で餃子をご馳走になる。山本先生は怪しくて美味しい店を良くご存知だ。昨年は打ち上げで確か四軒ははしごしただろうか。
9日、四国学院大学で講演。ケニア出身ムアンギ先生の平和学の講義でのゲストだが、一般からも何人か参加してくださった。内容は、イラクでの戦場体験、そして支援活動を通して考えた憲法9条。昨年は機材の調子が悪くビデオが写らなかったので、今年はせっかくだからといろいろ欲張りすぎてしまい後半話が押してしまった。終了後の打ち上げはいつもの焼肉屋で韓国人留学生も交えて談笑。酒豪揃いだったが昨年深夜3時頃までの深酒を反省してか今回ははしごせず解散。
10日、朝飯に恒例の宮武うどん店で讃岐うどん。まんが日本昔話に出てきそうな讃岐の山々を周囲に抱く長閑な田園のど真ん中、外観は普通の民家で、ひっそりと街道の奥にあるのだが、観光バスからもぞろぞろと客が訪れるほどの人気の店で、確かに美味い。書入れ時のはずのゴールデンウィークなどは、客があふれ近隣に迷惑をかけるからと休みにすることもあるという。余裕だ。
高松への出発前、昨年は空海が拵えたという満濃池を逍遥したが、今年は空海生誕の地「善通寺」に寄る。ちょうど創建千二百年祭の真っ最中の土曜日だったので、お遍路さんのみならず在俗の人でごった返していた。おかげで、漆黒の闇体験「戒壇巡り」は、本来一人静かに廻れれば闇を忘れた文明の光に倦んだ心を鎮め、胎内回帰的な絶好の瞑想の機会になると思い楽しみにしていたのだが、前後におばさんたちの嬉嬉としてまた奇奇怪怪な黄色い声がこだまして、いらん妄想が踊りどうにも興醒めだった。
しかしちょうど宝物館で催されていた「密教のほとけ」展に感動。香川を中心に四国、岡山各地から集められた曼荼羅、仏像、仏画約30点。ほとんどが平安、鎌倉時代につくられたもので、時空を超えて各々の仏の内面から迸るかような作者の魂魄に完全に圧倒された。
お昼頃電車で高松に移動。思えばこの四国行脚も、今回の講演主催者でもある香川県議会議員の渡辺さと子さんに3年前講演に呼んでくださったことから始まっている。今回も決して大勢の参加者ではなかったが、話を聞くのが初めての方と何度目かの方、また老若男女のバランスもよく、昨年同様質疑応答では憲法9条について活発な議論になり、自分自身も大いに刺激になった。講演の内容ではイラクの現状について昨日より深く話した。アフガン支援NGOの方も参加されていて、打ち上げでもいろいろと話したのだが、イラク同様アフガンの治安もやはり相当悪化しているということを聞いた。
終了後高速バスで徳島に移動。PEACE ON会員でもある吉見千代ちゃんが迎えにきてくれる。彼女は今回この徳島講演の主催者であるだけでなく、同時期に開催されるイラクアート展「LAN TO IRAQ」から、他この四国行脚全体のコーディネーターとして奔走してくれた。渡辺さと子さん、山本先生、そして千代ちゃんと、各講演会での出会いがこうして結び付けてきたご縁に改めて感謝。そういえば昨今はこうして各地の会員が企画してくれることが増えていてありがたい。園瀬川では2年ぶりに蛍が出迎えてくれた。そっと手をさしだすと、いつの間にか掌に乗ってきて、一期一会の幻灯を明滅させていた。
11日、午前中は四国放送ラジオ「サンデーウェーブ」に出演。イラクの現状、またイラクアートについてなど話す。コメンテイター、徳島大総合科学部助教授の饗場和彦さんの舌鋒が小気味好い。LAN TO IRAQ展開最中のカフェ、グリグリで昼食を済ませ、午後から講演。取材に来ていた若い新聞記者が偶然自分と同じ気仙沼出身で驚いた。高松講演同様少人数だったが参加者のバランスもよく、後半の議論も有意義なものだった。打ち上げには先日イラクアート展に関する渾身の紹介記事を書いてくれた朝日新聞の若手女性記者も参加してくれて、阿波に集う若き熱気で酒も美味かった。

12日、午前中は千代ちゃんの友人、池田オーナーが経営するアジア雑貨とタイ古式整体のお店、「瑳り沙り」にてタイ古式マッサージをしてもらい行脚の疲れをとる。そのまま眠れたらどれほど幸せだろうと至福感に恍惚としながらカフェ・グリグリへ。午後2時からギャラリートーク。展示作品を解説しながら、その背景に浮かび上がってくるイラクの文化、歴史、風土、そして現状まで話を膨らませた。高松でチラリとお店を覗いたセカンドハンド代表の新田さんともお会いできた。(写真は朝日新聞松谷記者提供)

その後徳島大学の饗場先生の授業で恒例のゲスト講義。一年生なので、戦争の実態と現地でのNGO活動についてやってほしいとのことで、遺体収容作業のビデオも含めイラク戦争時の写真と映像を中心に見せながら話した。ちょうど自己責任論についても取り上げていたそうなので、実際に現場を見て活動してきた人の話を聞かせたかったそうだ。約1時間半、水を打ったように皆静かに話を聞いてくれてありがたかった。終了後の食事会でも学生が数人参加してじっくりと話し込んだ。講義中は周りを気にしてかなかなか質問できない学生たちも、こうした場になるとずいぶんしゃべるし、しっかりとした考えを持っていて嬉しくなる。

13日、作夜のW杯サッカー日本対オーストラリア戦まさかの逆転劇のせいか夢見が悪い。朝早くから千代ちゃんと池田さんと旦那さんと4人で高知へむけ出発。四国行脚とは言っても、これまでは讃岐と阿波の国のみだったので、初めての土佐に心は躍る。梅雨だというのにありがたいことに天気は好く、突き抜ける空と碧い海は眩しくでっかい。宍喰温泉で身を清め、風を切って一路室戸岬へ。念願の御厨人窟(みくろど)に入りしばし瞑想。ここは若き修行僧時代の空海が「虚空蔵求聞持法」を会得、つまり悟りを開いた場所としてしられている。洞穴の奥から外界を見つめると、確かに「空」と「海」だけが燦然と輝いていて、凝視していると洞穴入口が己の意識と外界とを繋ぐ唯一の閾にも見えてくる。このまま夜を徹してみれば、明けの明星が口から入って身体を貫いたという空海の感激が追体験できるのではないかという罰当たりな邪念に掻き乱されて瞑想は終了。

最御崎寺、室戸岬などを拝みて、今度は海から山へと駆け上がる。千代ちゃんの友人、Kさん夫妻がきりもりする山の上のレストランでうまい空気とコーヒーをご馳走になり、Kさんとこの犬も二匹増えて、美しい棚田を横目に香美市の山を分け入った末に現れた手作りログハウスにお邪魔する。オーナーは手作り竹細工師のTさん。ランプの灯りの下に次々と集うひとびとは皆土佐に流れ着いたよそ者ばかり。世知辛い文明の光を厭い、共に陰翳礼讃の杯を酌みかわす。馥郁たるジャスミン風呂で汗を流して、ふと窓の外を眺めると、闇にとける湯気に誘われてか迷い蛍が風にたゆたう。山にこぼれるカリンバの音色、合わせて虫たちの奏でる夜想曲に包まれて、土佐の夜が更けてゆく。

翌朝、目覚めのチャイを飲み干すと、カリンバや竹笛やジャンベなど手作り楽器のセッションが始まる。無心に魂を大空に解き放てば、リズムは山の鼓動と共鳴し、風が生命を海まで運んでいくだろう。ところで皆さんさすが自然派だけあって、ひょうたん三線で有名なふるさと気仙沼が誇るミュージシャン「熊谷もん」さんのことをよく知っていた。名曲「あかるいきざし」を久しぶりに聴いて心地よかった。(写真は吉見千代さん提供)

午後、山の上のレストランに戻りうまいスパゲティを食べ、高知市まで下り、はりまや橋、高知城など訪ねた後、坂本龍馬ゆかりの桂浜で海を眺めながら幕末の志士に想いを馳せる。生まれ育った三陸の海と同じ太平洋なのに、やはり高知の海はでかい。空もでかい。波の表情も潮風の薫りも違う。これまで日本の夜明けを導いてきた空海や龍馬の思想や行動から放出されるあの突き抜けた大らかさは、やはりこの土佐の風土が育んだのだろう。ここまでちっぽけな自分というものを思い知らされると、むしろさばさばしてくるから不思議だ。今、日本のみならず世界は新たな無明の闇に覆われているようだが、終わらない夜はないし、あかるいきざしを見つけていくのは、いつの時代もやはりちっぽけなはずの人間なのだから。巡り巡ってここまで連れてきてくれた、すべての出会いに感謝して、四度目の四国行脚を終える。
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