December 03, 2007

イラクアート展&四国講演御礼

更新遅れていて大変申し訳ありません。
銀座の中和ギャラリーにて開催されていた「イラク・アートの先駆者たち」展、無事終了しましたのでお知らせします。今回は、新聞、雑誌などの各メディアにこれまで以上にとりあげられたおかげで、割と新しい層のお客さんにも観に来ていただけたようです。全体の入場者数はいまひとつでしたが、こうして規模は小さくても、これからも、「イラクにアートあり」と、伝え続けていこうと思います。ご来場していただいたみなさま、どうもありがとうございました。
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また、展示期間後半には講演会と勉強会で香川県丸亀市&徳島吉野川市まで行ってきましたが、四国のNGOのネットワークの強さと、熱い若者たちの反応、そして地域社会にしっかりと根を張って、国際社会との関わりを10年以上継続されているという主催団体TICOにはこちらも大きな刺激を受けました。ここまでイラクの関心が薄れている中、四国だけは蛍の季節の講演行脚も毎年続いているうえに、こうしてさらに増えているのです。決して大きい規模ではないのですが、やはりこうして継続していくことの大切さを改めて考えました。お世話になったみなさん、どうもありがとうございました。
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April 05, 2007

カーシム講演@東京、ありがとうございました!

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4月2日のイベント、「イラクの空には何が見える?」にきてくださった皆様、どうもありがとうございました。参加者数は100名弱でした。2月のイラク人女医を招いての講演のとき同様、多くの外国人の方々の参加もあってよかったです。

PEACE ONの高瀬による司会の後、はじめ高遠さんからイラクの全体状況についての解説があり、続いてカーシムの報告に入りました。

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*グーグルアースを使って、ラマーディの状況を話すカーシム

イラク戦争から4年。現在では「テロとの戦い」の最大拠点と名指しされ、米軍に包囲され続けているふるさとラマーディの町の様子を、ひとつひとつ丁寧に話してくれました。地図をクローズアップして、「かつて」そこにあった学校や病院などを指差しながら、人々がどのように爆撃され、狙撃され、誘拐され、そして殺されていったかを。彼は自らを、「ラマーディで最もラッキーな男」と紹介して報告を始めました。それはこうして今も生きてここに来て話ができているからなのでしょう。「話を聞いている皆さんにとっては信じがたいことかもしれませんが、あたりまえのように人が殺されていくのが私の町の現実であり日常なのです」と。

やがてその異常が日常と化したラマーディに暮す住民の一人である自身の体験を語ってくれました。彼がいかにして米軍に拘束され、囚人としてどのように扱われたのか、また、町の様子を綴った自身のブログによって、再度米軍に拘束されたときの様子はどうだったのか、そして、包囲攻撃の影響で交通事故にあった兄が、米軍の検問のせいで病院に間に合わず命を落としてしまったときのことまで、ふるさとの空が恐怖に染まってからの4年間の出来事を、詳しく説明してくれました。

増えていく死者数とその遺族達に比例して、周囲の多くが報復を誓い武装抵抗勢力に参加していくなか、高遠さんと立ち上げたファルージャ再建プロジェクトのことも話してくれました。「破壊ではなく再建を!」をモットーに、爆撃による被害を受けた学校再建に着手し、その雇用を生み出すことで報復への怒りを脱して「心の再建」をしていくというプロジェクト。家族が殺され、怒りの渦に支配されている友人達に、こうした非暴力のプロジェクトに参加してもらうことがいかに困難だったか、そして、同じように家族が殺されている自分自身にとっても、その意志を貫き通して、ここまで活動を続けることが、いかに艱難に満ちた闘いだったのか、これまでの苦悩や葛藤も含めて話してくれました。いまだ混乱のなかにある現状を見れば、成果はとても限られたものかもしれない、それでも、高遠さんをはじめ多くの仲間の励ましのおかげでここまで続けてきて、実際に武器を捨てて再建に汗を流してくるようになった友人もいるし、暴力による解決は決してなにも生み出せないと学ぶことが出来たと、プロジェクトの意義と活動によって生まれた信念を、力強く語ってくれました。

23日に来日してから、休む間もない全国講演行脚だったので、再会したときには表情に疲れも見えたようで少し心配しましたが、さすが連日の講演で鍛えられたのか実に要領よく話していて安心しました。後半にはずいぶんと熱も入り、とても時間が足りない様子でした。報告を終えて、会場からの質問にもひとつひとつ丁寧に答えてくれました。実は東京に来る直前、広島でラマーディから身内の訃報が届いたそうです。16歳になる従兄弟がイラク軍に連れ去られ、つい先日ゴミ捨て場で遺体が発見されたというのです。その直後にあって、重く悲しい事実を全身で受け止めたまま、彼は私たち周囲のスタッフへの気配りすら怠らず、自らの体験をしっかりと伝えるという使命を全うしてくれたのです。
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イラクの希望が根こそぎにされていくなかでも、私にとっては、こんなイラクの友がいるということ自体が大いなる希望です。今回、一度は諦めかけたものの、多くの人々の協力によって、彼を日本に招きそして話しを聞くことが出来たことは、イラク復活を願う私たちにとって大いなる悦びです。彼の来日、全国の講演に協力してくださったみなさま、そしてカーシム、本当にありがとう。イラクの空を恐怖に染める手を引き離し、一歩一歩、たとえ小さな歩みでも、イラクの空に新しい虹をかけるため、明日からもまた共に歩んでいこうと思います。

*カーシム来日記念として彼のブログを編集したブックレットは、こちらから購入できます。

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March 22, 2007

彼方の空を見上げて歩く & ■イラク人青年招聘イベント「イラクの空には何が見える?」のおしらせ

3月19日のアラブ現代作家展のオープニングに来ていただいたみなさま、どうもありがとうございます。おかげ様で無事に開催することができました。(サウジからの作品がまだ届いていませんが・・・)展覧会は31日までやっていますので、まだの方はこれからでもぜひ観にいってください。また、オープニングに間に合わなかった記念図録(¥800)も今はギャラリーにて販売していますのでよろしくお願いします!


さて、昨日21日は少し遅刻してワールドピースナウの集会&デモ行進に参加。イラク開戦からもう4年。「忘れないように」と、節目節目にこうしたイベントをすること自体は大切なことだと思う。これまでも可能な限り参加してきた。しかし、今回ほど歩いていて自分の一歩一歩が惨めに重く感じられることはなかった。歩く前からそうなることはわかっていたので、いっそ行かないでいようかとも思っていた。毎日のようにイラクの友人から現場の地獄を聞かされている自分にとって、なにも地球が太陽の周りを一周したという節目に思い出さなくても、地球が一回自転する間に何度もイラクのことは考えている。あの日は別に特別な日ではなく、日常の一部なのだ。そのイラクで地獄と変わり果てた日常を営む人々にとっても、きっと特別な日でもないと思う。それでも、そうじゃない人々に向けて、「忘れないように」と訴えることは大切だし、何事もそうだが、たとえそれがつまらないと思っていても、自分は行かないでおいて外からつまらないと批判するのはずるいと思うので、たとえ批判するにもそこに自らの身を置いてから批判しようと思い参加した。

歩いてみたら、やっぱりつまらなかった。一歩、一歩を踏みしめながら、ビルの谷間の彼方の青く晴れ渡った空を見つめ、4年前に初めてデモに参加したときの自分を思い出した。イラク戦争がどうしても許せなく、一人悶々としていた職場を飛び出して、生まれて初めてデモというものに参加したのは2003年の1月18日、やはりこのワールドピースナウだった。自分と同じように、何か団体に所属しているわけではなく、ただ戦争に反対する個人としてたったひとりでやってきて歩いている人がずいぶんと多かったので、ああ、自分だけじゃないんだ、と嬉しくなった。一歩、一歩、空を見上げて「戦争反対」と唱えていると、己の無力さに打ちひしがれていた自分の心に光が差し込んできて、「何か出来るはずだ、動き出そう」という気持ちになった。つまりデモは私のハートに火をつけたのだ。

一度そうなると、爆弾を落とされるかもしれない空の彼方が気になって気になってどうしようもなくなってしまい、気が付くとその空の下、イラクまで行ってしまったのだ。本気で戦争をとめたいという自分の気持ちと、東京でデモをして歩いているだけという現実の自分とのギャップが、耐えられないほど大きくなってしまったからだ。本気で戦争に反対しているというのを、身体をかけて訴えたかったのだ。

実際にイラクに行ってみて、そのギャップは大いに縮まった。しかし結局戦争は止められず、人間の盾としてバグダード陥落まで残っていても、出来たことなんて、空襲下でイラクの人々と同じ釜の飯を食って友達になったことくらいか。盾がいたからライフラインの空爆が防げたというのも、いなかったらどうだったかとは試せないので確証がないし、本当に役に立ったことなんて、おそらくイラク人立ち入り禁止区域の遺体収容を手伝ったことくらいだろう。戦争を止めるにも、人々の命を救うにも、結局はなにひとつ役に立たず、これまでに感じたことのない新たなギャップに苛まれた。

結局誰も戦争を止められなかったのだから、人間の盾をはじめ、すべての反戦運動は失敗したのだ。同じことを繰り返しても、戦争は決して止められないだろう。ではどうすればいいのか。NO WARと反対しているだけでは、例え一度成功して止められたとしても、また次の戦争は止められないだろう。経済から政治まで、戦争が繰り返される社会の構造そのものを変えていかなければいけない。これは一度何か気の利いたイベントをやれば出来るという類のものではなく、日々の不断の努力の継続として、まさに一生をかけて、いや、むしろ全人類的な課題として、次の世代はもちろん末代まで引き継いで取り組んでいくべき問題だろう。つまり日常の生活そのものが問われているのだ。どんな仕事をするか、何を買うか、どんな発言をするか、誰に投票するか、等等。これら我々末端一人ひとりの行動が、積み重なって、複層的に絡み合い、この得体の知れない社会が生まれている。一握りの人間が全てをコントロールしているなどいうどこかで聞いた陰謀論で片付けられるほど単純な構造ならば、その一握りの人間さえいなくなれば世界は平和になるのだろうが、そうした発想は善悪二元論で対テロ戦争を喧伝する輩と何ら変わらない。問われているのは、得体の知れないこの社会の一部でもある自分自身はどうするのかということだ。

「There is no way to peace, peace is the way」という大好きな言葉がある。あるアメリカの平和活動家の言葉だそうで、私がイラクに行く前に流した決意表明を読んだアメリカ人が激励のメールをくれて、その中でおしえてくれた。平和を目的として考えると、「平和のために」などと言って戦争をやらかす輩がいる。だから目的は共に生きることにして、平和はあくまでもそのための道、不断の手段として考え、むしろ動詞として使っていこうと考え、新たなギャップを埋めるための第一歩として立ち上げたNGOを「PEACE ON」と名づけてみた。

NPO法人になってからもう少しで3年になる。イラクの人々に喜んでもらえることを、少しは出来たのかもしれない。たった一人でも喜んでくれる人がいれば、何もしなかったよりはましだし、その一人の喜びによって私も今日まで生かされてきた。しかし、イラク戦争から4年、これまで自分がやってきたことと、現実に起きていることの深刻さのギャップはますます広がっていくばかりだ。

一歩、一歩を踏みしめながら、あの4年前に見上げた空を思い出し、はるか彼方の空を想い、4年前と今のイラクとのあまりの違いに押しつぶされそうになった。一歩、一歩、踏みしめるごとに、今この刹那もイラクで殺されていく命を想像し、その重さに耐え切れなくなる。一歩、一歩、これまでの自分の歩みを振り返り、結局またここ東京から、さらに遠くなってしまったイラクの空をビルの谷間から仰いでいる自分に気付き、惨めさに足が震えてしまう。それでも、生かされて命がある限り、一歩、一歩、今日も歩いていくしかないのだ。

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以下、イラク人青年エイドワーカー来日企画のお知らせです。PEACE ONもビザ申請に協力しました。一時は無理かと思っていましたが、イラクホープネットワークの皆さんと在ヨルダン日本大使館の協力によって急遽来日が実現しました。期間があまりありませんが、宣伝&ご来場よろしくお願いします。この機会に一人でも多くの人にイラクの人の声を聴いてもらい、彼方の空の下で何が起こっているのか、しってもらいたいと思います。おお、もう明日には来日して家に来るのでこれから掃除せねば!

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February 27, 2007

棗椰子漬けの至福

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すっかり更新をサボっておりました。遅ればせながら、18日のらくだのトークイベント、「いま、文学と芸術に何がなしえるか」に来てくださった皆様、どうもありがとうございました。京都から来てくださった岡真理さんとは前日の打合せから話が尽きず、当日も次から次へと話題が展開していって、とても一時間半では足りませんでしたが実に刺激的な時を過ごすことが出来ました。真理さんは、始めに上映したバレスチナ映画レインボーの話から、ご自身のパレスチナ滞在時の人々との出会いに触れ、破壊されていく生の細部、一人ひとりの命の物語を伝えることが出来る文学の力、可能性へと展開し、私はイラクとイラク現代アートとの出会いから、七千年もの時を滔々と流れる大河のほとり、天と地を繋ぐ棗椰子(ナツメヤシ)の胎内で育まれてきた文化などのイラクの素顔や、自分がこれまでイラクの友人達から学んできたことなどを中心に話しました。途中、真理さん差し入れの棗椰子の実を皆さんと一緒に頬張りながら、「棗椰子の木陰で」の著者、岡真理さんと、さらには棗椰子の木陰が描かれたイラクアートをバックに話すというまさに棗椰子漬けの一日。今では再び遥かなる都になってしまったバグダードの棗椰子の木陰で、優しい木漏れ日と戯れながら、フォゥゲンナハル(棗椰子の樹のはるか頭上に)という古い愛の唄を、皆で輪になって口ずさんだ至福の時を思い出しました。今度はぜひ京都でもやりたいです。

そしていつもアート関連イベントで大変お世話になっている会場の「らくだ」のみなさんに、今回も作品を購入していただきました。ありがとうございます!自分も大好きな作品だったので少し寂しいですけど、いつでも「らくだ」に行けば会えるわけですからね。皆さんもぜひ、おいしいランチと一緒にイラクアートはいかがでしょうか。

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February 13, 2007

イラク人女性医師と東京を歩く

なんやかんやと忙しく、すっかり報告遅れてしまいました。イラク人女性医師、アンサムさん、グフランさん(はじめガフランさんと紹介されましたが正式にはグフランさんだそうです)を招いての講演会、ならびに東京滞在アテンド、おかげ様で無事終了いたしましたので簡単ですがお知らせします。

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2月3日札幌から無事到着。六本木ヒルズ展望台にて。バスラ育ちのお二人にとって、研修先の札幌の気温はやはり相当骨身に凍みるようで、東京は暖かい暖かいとご満悦そう。

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イラク大使公邸にて。

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2月4日、渋谷での能観劇の前に原宿でゴスロリと文化交流?

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講演会はおかげ様で参加者120名と盛況でした。外国人からの質問も多く飛び交い、実に国際的なイベントになりました。

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とても印象的だったのは、「宗派も民族も関係なく、イラクはひとつ」というメッセージでした。報道では残念ながらその反対の動きばかりを取り上げますが、イラクの一般市民の願いは、やはり以前も今も変わらない。

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イランイラク戦争、湾岸戦争、経済制裁、そしてこの度の戦争と占領でも、いつも真っ先に犠牲になるのは、イラクの人口の半数以上を占める子ども達です。小児科医のお二人は、そうした子ども達の生死を目の当たりにする現場で闘ってきたのです。(友人が詳しくブログで報告してくれています)そして、「たとえ小さな小さな支援でも、私たちが世界から忘れ去られていないということを知ることは大きな希望だ」と語ってくれたことに、私たちも強く励まされ、これからもお互い支えあって生きていこうという決意を新たにすることが出来ました。

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2月5日、お待ちかねのオフ。お二人ともすっかり少女にかえってはしゃぎまくっていました。(私どももですが)

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最終日、浅草にて。浅草寺のおみくじで凶と出て憮然とする二人。(写真は同行のフリーライター木村嘉代子さん撮影)イスラームでよかったじゃあないかと、励ましておきました。

お二人はあと一ヶ月ほど札幌に滞在して、故郷バスラに帰るそうです。昨年の9月からもう5ヵ月もふるさとを離れているので、もう家族が恋しくて恋しくてどうしようもなく、毎日2時間はPCのメッセンジャーで話しているとのこと。さすがイラク人は家族の絆が強いなあと感心。つかの間ではありましたが、この東京滞在が少しでも息抜きになったようで私も嬉しかったです。また、滞在中お二人にはアラビア語の専属教師になってもらい、特別短期集中講義をしてくれたのですが、調子に乗って友人のイラク人画家達から覚えた言葉を使うと、「それにしてもずいぶんと汚い言葉を知っているのね。誰から習ったの?悪い友人だわ」と呆れられました。とにかくすっかり打ち解けて、私どもも愉快で有意義な時間を過ごすことが出来ました。次に会うときはぜひバスラで!

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October 15, 2006

イラク人画家招聘企画終了御礼&引き続き賛同のお願い

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*京都、等持院にて修学旅行の女子中学生に囲まれ御機嫌のハニ&シルワン

パソコンが完全にいかれてしまいしばらく更新が滞っていました。9月29日から始まったイラク人画家招聘企画の怒涛の10日間もあっという間に過ぎ去り、二人の友人、ハニ&シルワンは無事ヨルダンのアンマンに到着しております。日本でお世話になったみなさんにくれぐれもよろしく、そして本当にありがとうと伝えてほしいとのことです。

滞在中の詳しい報告は次回会報で、また事務局高瀬のブログなどで少しずつ発表いたしますが、取り急ぎこの度の来日企画にご協力してくださったみなさま、本当にお疲れ様、そしてありがとうございました。いろいろ大変なこともありましたが、おかげさまで振り返ればとても愉快で素敵なときを過ごすことができました。

Imga00041日東京での初日イベントは、私ども事務局の準備不足がもろに出てしまいましたが、手伝ってくださった皆さんのおかげで何とか形にはなりました。そして2日展覧会初日も昨年ほどではないにしても後半はずいぶん人も集まり、イラク大使も駆けつけてくれて、賑やかで温かいパーティーを迎えることが出来ました。

Imgp6592そして3日京都のイベントでも、やはり準備に時間がなかったにもかかわらず、京都&大阪の会員のみなさんが実行メンバーとして尽力してくださったおかげで、平日にしてはずいぶんと人も集まり、取材も多く、天気にも恵まれたので夜は鴨川ほとりでもほっこりできて、ハニ&シルワン二人とも大変ご満悦な様子でした。(京都でのイベントの関連記事

Imgp6692翌日は高瀬のお父さんの案内で京都観光。妙心寺、仁和寺、金閣寺、そして比叡山とまわり、京都の歴史と文化、そして美に酔いしれていました。あいにくの雨も彼らにとっては珍しいようで、水墨画のような風景に驚嘆し子どものようにはしゃぎまくっていました。今回の滞在は彼らの創作意欲も大いに刺激したようで、和紙なども買い込んでいました。今後の作品がまた楽しみです。

Imgp6593_15日に東京に戻り、7日は銀座の展覧会最終日。6日までは大雨が続きギャラリーへの客足も遠のいていたのですが、最終日は天気もよく、多くの人が訪れてくれて、おかげさまで作品も合計4点売れました。また、京都のイベントで出会った現代アラブ文学研究者の岡真理さんも来てくれて独占インタビュー。イラク人の原風景となっている生命の樹ナツメヤシの話を中心に、彼らのアートの哲学をさらに奥深いところまで聞くことができました。「イラクで今もなお多くの人間の生が破壊されているこのときに、文学にいったいなにができるのか?」という根源的な問いをテーマに現在アラブ文学に携われている岡さんと、芸術とは証言記録であり、また歴史そのものだと語るハニ&シルワンとの対話は、実に刺激的で示唆に富み、これまで私の活動の中で通奏低音のように鳴り響き続けている問いとも深く共鳴するものでした。

結果的には二人とも今回の滞在に大変満足してくれて帰国の途に着きましたが、さて心配なのは決算です。今回の企画諸事情からイラク&周辺地域での活動直後に重なってしまったので、はじめから困難は予想していたのですが、一段落して恐る恐る算出してみればなんと賛同金は目標の50万円には遥かに及ばず13万円弱と、およそ35万円の大赤字となってしまいました。絵の売り上げでいくらかまかなえても、20万円以上は不足していたので、現在事務局運営費で補填している状態です。よって、引き続き賛同金のご協力は大歓迎です。なんとか越冬できますように、どうかみなさまの温かいご支援をよろしくお願いします。

賛同金:個人一口1000円~/団体一口3000円~
賛同金振込先:郵便振替 00160-2-647637 
口座名:PEACE ON
備考欄:「イラク人来日企画賛同」とご記入ください。

イラクの情況はますます悪くなる一方ですが、こうしてたとえ小さくとも文化の架け橋を共に作り上げていけるということは、お互いの未来にとって大いなる希望だと、この度の企画を通して改めて気づかされました。いにしえからの美を継承する屈せざる芸術家たちと、彼ら、彼女らを支える全てのみなさまとの出会いに深く感謝いたします。

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June 29, 2006

四国行脚記

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遅ればせながら四国行脚記なんぞ書いてみる。思えば3年前、イラク戦争での人間の盾活動から帰国直後の2003年5月、高松での講演に呼ばれたのをきっかけに、四国学院大、そして徳島と、次から次へと参加者が次の講演を主催されて、おかげ様で四国講演行脚も今年で四度目。これも弘法大師空海の御利益かしらん。(写真は高知の最御崎寺)

6月8日、雨の高松空港に到着するとザルカウィ殺害を伝えるTVニュース。四国学院大の山本先生、中村先生、ムアンギ先生3人総出で迎えに来てくださって、繁雨に霞む讃岐の山に分け入り怪しげな中華料理屋で餃子をご馳走になる。山本先生は怪しくて美味しい店を良くご存知だ。昨年は打ち上げで確か四軒ははしごしただろうか。

9日、四国学院大学で講演。ケニア出身ムアンギ先生の平和学の講義でのゲストだが、一般からも何人か参加してくださった。内容は、イラクでの戦場体験、そして支援活動を通して考えた憲法9条。昨年は機材の調子が悪くビデオが写らなかったので、今年はせっかくだからといろいろ欲張りすぎてしまい後半話が押してしまった。終了後の打ち上げはいつもの焼肉屋で韓国人留学生も交えて談笑。酒豪揃いだったが昨年深夜3時頃までの深酒を反省してか今回ははしごせず解散。

10日、朝飯に恒例の宮武うどん店で讃岐うどん。まんが日本昔話に出てきそうな讃岐の山々を周囲に抱く長閑な田園のど真ん中、外観は普通の民家で、ひっそりと街道の奥にあるのだが、観光バスからもぞろぞろと客が訪れるほどの人気の店で、確かに美味い。書入れ時のはずのゴールデンウィークなどは、客があふれ近隣に迷惑をかけるからと休みにすることもあるという。余裕だ。

高松への出発前、昨年は空海が拵えたという満濃池を逍遥したが、今年は空海生誕の地「善通寺」に寄る。ちょうど創建千二百年祭の真っ最中の土曜日だったので、お遍路さんのみならず在俗の人でごった返していた。おかげで、漆黒の闇体験「戒壇巡り」は、本来一人静かに廻れれば闇を忘れた文明の光に倦んだ心を鎮め、胎内回帰的な絶好の瞑想の機会になると思い楽しみにしていたのだが、前後におばさんたちの嬉嬉としてまた奇奇怪怪な黄色い声がこだまして、いらん妄想が踊りどうにも興醒めだった。

しかしちょうど宝物館で催されていた「密教のほとけ」展に感動。香川を中心に四国、岡山各地から集められた曼荼羅、仏像、仏画約30点。ほとんどが平安、鎌倉時代につくられたもので、時空を超えて各々の仏の内面から迸るかような作者の魂魄に完全に圧倒された。

お昼頃電車で高松に移動。思えばこの四国行脚も、今回の講演主催者でもある香川県議会議員の渡辺さと子さんに3年前講演に呼んでくださったことから始まっている。今回も決して大勢の参加者ではなかったが、話を聞くのが初めての方と何度目かの方、また老若男女のバランスもよく、昨年同様質疑応答では憲法9条について活発な議論になり、自分自身も大いに刺激になった。講演の内容ではイラクの現状について昨日より深く話した。アフガン支援NGOの方も参加されていて、打ち上げでもいろいろと話したのだが、イラク同様アフガンの治安もやはり相当悪化しているということを聞いた。

終了後高速バスで徳島に移動。PEACE ON会員でもある吉見千代ちゃんが迎えにきてくれる。彼女は今回この徳島講演の主催者であるだけでなく、同時期に開催されるイラクアート展「LAN TO IRAQ」から、他この四国行脚全体のコーディネーターとして奔走してくれた。渡辺さと子さん、山本先生、そして千代ちゃんと、各講演会での出会いがこうして結び付けてきたご縁に改めて感謝。そういえば昨今はこうして各地の会員が企画してくれることが増えていてありがたい。園瀬川では2年ぶりに蛍が出迎えてくれた。そっと手をさしだすと、いつの間にか掌に乗ってきて、一期一会の幻灯を明滅させていた。

11日、午前中は四国放送ラジオ「サンデーウェーブ」に出演。イラクの現状、またイラクアートについてなど話す。コメンテイター、徳島大総合科学部助教授の饗場和彦さんの舌鋒が小気味好い。LAN TO IRAQ展開最中のカフェ、グリグリで昼食を済ませ、午後から講演。取材に来ていた若い新聞記者が偶然自分と同じ気仙沼出身で驚いた。高松講演同様少人数だったが参加者のバランスもよく、後半の議論も有意義なものだった。打ち上げには先日イラクアート展に関する渾身の紹介記事を書いてくれた朝日新聞の若手女性記者も参加してくれて、阿波に集う若き熱気で酒も美味かった。

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12日、午前中は千代ちゃんの友人、池田オーナーが経営するアジア雑貨とタイ古式整体のお店、「瑳り沙り」にてタイ古式マッサージをしてもらい行脚の疲れをとる。そのまま眠れたらどれほど幸せだろうと至福感に恍惚としながらカフェ・グリグリへ。午後2時からギャラリートーク。展示作品を解説しながら、その背景に浮かび上がってくるイラクの文化、歴史、風土、そして現状まで話を膨らませた。高松でチラリとお店を覗いたセカンドハンド代表の新田さんともお会いできた。(写真は朝日新聞松谷記者提供)

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その後徳島大学の饗場先生の授業で恒例のゲスト講義。一年生なので、戦争の実態と現地でのNGO活動についてやってほしいとのことで、遺体収容作業のビデオも含めイラク戦争時の写真と映像を中心に見せながら話した。ちょうど自己責任論についても取り上げていたそうなので、実際に現場を見て活動してきた人の話を聞かせたかったそうだ。約1時間半、水を打ったように皆静かに話を聞いてくれてありがたかった。終了後の食事会でも学生が数人参加してじっくりと話し込んだ。講義中は周りを気にしてかなかなか質問できない学生たちも、こうした場になるとずいぶんしゃべるし、しっかりとした考えを持っていて嬉しくなる。

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13日、作夜のW杯サッカー日本対オーストラリア戦まさかの逆転劇のせいか夢見が悪い。朝早くから千代ちゃんと池田さんと旦那さんと4人で高知へむけ出発。四国行脚とは言っても、これまでは讃岐と阿波の国のみだったので、初めての土佐に心は躍る。梅雨だというのにありがたいことに天気は好く、突き抜ける空と碧い海は眩しくでっかい。宍喰温泉で身を清め、風を切って一路室戸岬へ。念願の御厨人窟(みくろど)に入りしばし瞑想。ここは若き修行僧時代の空海が「虚空蔵求聞持法」を会得、つまり悟りを開いた場所としてしられている。洞穴の奥から外界を見つめると、確かに「空」と「海」だけが燦然と輝いていて、凝視していると洞穴入口が己の意識と外界とを繋ぐ唯一の閾にも見えてくる。このまま夜を徹してみれば、明けの明星が口から入って身体を貫いたという空海の感激が追体験できるのではないかという罰当たりな邪念に掻き乱されて瞑想は終了。

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最御崎寺、室戸岬などを拝みて、今度は海から山へと駆け上がる。千代ちゃんの友人、Kさん夫妻がきりもりする山の上のレストランでうまい空気とコーヒーをご馳走になり、Kさんとこの犬も二匹増えて、美しい棚田を横目に香美市の山を分け入った末に現れた手作りログハウスにお邪魔する。オーナーは手作り竹細工師のTさん。ランプの灯りの下に次々と集うひとびとは皆土佐に流れ着いたよそ者ばかり。世知辛い文明の光を厭い、共に陰翳礼讃の杯を酌みかわす。馥郁たるジャスミン風呂で汗を流して、ふと窓の外を眺めると、闇にとける湯気に誘われてか迷い蛍が風にたゆたう。山にこぼれるカリンバの音色、合わせて虫たちの奏でる夜想曲に包まれて、土佐の夜が更けてゆく。

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翌朝、目覚めのチャイを飲み干すと、カリンバや竹笛やジャンベなど手作り楽器のセッションが始まる。無心に魂を大空に解き放てば、リズムは山の鼓動と共鳴し、風が生命を海まで運んでいくだろう。ところで皆さんさすが自然派だけあって、ひょうたん三線で有名なふるさと気仙沼が誇るミュージシャン「熊谷もん」さんのことをよく知っていた。名曲「あかるいきざし」を久しぶりに聴いて心地よかった。(写真は吉見千代さん提供)

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午後、山の上のレストランに戻りうまいスパゲティを食べ、高知市まで下り、はりまや橋、高知城など訪ねた後、坂本龍馬ゆかりの桂浜で海を眺めながら幕末の志士に想いを馳せる。生まれ育った三陸の海と同じ太平洋なのに、やはり高知の海はでかい。空もでかい。波の表情も潮風の薫りも違う。これまで日本の夜明けを導いてきた空海や龍馬の思想や行動から放出されるあの突き抜けた大らかさは、やはりこの土佐の風土が育んだのだろう。ここまでちっぽけな自分というものを思い知らされると、むしろさばさばしてくるから不思議だ。今、日本のみならず世界は新たな無明の闇に覆われているようだが、終わらない夜はないし、あかるいきざしを見つけていくのは、いつの時代もやはりちっぽけなはずの人間なのだから。巡り巡ってここまで連れてきてくれた、すべての出会いに感謝して、四度目の四国行脚を終える。

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December 02, 2005

怒涛の講演ツアー真っ最中

すさまじいィ忙しさでさっぱり更新できずすみません。世田谷のレストラン、らくだでのライブペインティング、事務所となり、お寺のホールでの講演会、
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*撮影わったん
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*ザクロでのパーティー

ハニさん念願のヒロシマでのライブペインティング、そして札幌と、イラク人来日組みとの珍道中は何とか無事に続いています!観光などほとんど出来ていなかったので悪いなあと思っていましたが、昨日講演の間に小樽で温泉を堪能。初めての裸の付き合いにはじめは困惑気味だったイラキーも露天に入って大はしゃぎでした。
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今日はハニさんは札幌の展覧会会場でアートトーク、僕とサラマッド&アマラは函館で話してきます。いよいよツアーも佳境です。

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November 23, 2005

ハニさん個展はじまる

昨日(21日)からハニさんの個展が開催されています。オープニング当日にはたくさんの方に来ていただいて、ハニさん共々大変感謝しております。個展は12月3日までやってますので、まだの方はどうかハニさんが抱えてきた新作22点を観に来てほしいと思います。今回の個展のために他の仕事をほとんどキャンセルし、「買いたい」という申し出を全て断ってきたという渾身の作品群、本当にすばらしいのです。煌きをました「イラク 混沌からの光」を感じてください。
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さて、これからも関連イベントが続きますので、みなさんどうかどこかで彼らに会いにきていただけると嬉しいです。(急遽広島でのイベントも決定しました!)現地スタッフのサラマッド&アマラ夫妻は24日に来日します。直接イラクの市民からお話が聞ける大変貴重な機会です。

また、賛同金のご協力も是非によろしくお願いします。
(目標額80万円中、現在まだ455,000円です!)

イベントスケジュールはPEACE ONのHP

*ところで先日ブログにアンマンホテル爆破事件の直後ハニさんが事実上解雇されたと書きましたが、3日後には戻ってきてくれと言われたそうで安心しました。なんでもアンマンには不法就労のイラク人も多いので事件の直後は当局の調査が厳しくなり、イラク人がいやな思いをするのを避けるために会社が一時的に「来なくていい」と言ったそうです。つまりはイラク人のことを考慮した結果だったそうです。

今夜はハニさんがイラク料理を作ってご馳走してくれました。去年夏バグダードで食べた味を思い出し感動!

ああ、いろいろ書きたいのだがあまりに忙しくてろくに書けずすんません。詳しくは髙瀬のブログで!

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August 14, 2005

いもほり

IMGP4887先日PEACE ONのちょっとした夏休みレクリエーション企画で、岩手県は秋田の県境に近い湯田町まで行って会員さんが大切に育ててきた畑の芋を掘らせてもらった。ちびっ子の頃よくさつま芋は掘ったものだが、じゃが芋掘りは初めて。

8月というのに紫陽花が美しく池に映え、アメンボがほどよく水面のパレットをかき回し、葉陰で涼むイモリが赤い腹をちらりちらりと誘うように泳ぐ東北の涼しい夏。しかし日中スコップ握ってざくざくやるものだから畑に汗を撒き散らし、ミミズだのオケラだの土中の住人達を脅かしながら、またアブの襲撃をかわしながらの熱い芋ほりとなった。ひとつの種芋から10個ほどの芋が鈴なりに。掘りたての芋のいくつかは農薬を使わないため内部まで幼虫に侵略されているものもあったが、素手で握ると土中の熱と羞恥のためか仄かに火照り、育んだ季節の記憶が体温と混ざり合い生命が共鳴する。ああ大地に繋がる仕事の美しさ!そして焼いた芋のあの美味さ!透きとおった岩手の空の下、全身の細胞が歓喜した。

収穫だけの体験ではおこがましいかもしれないが、ご指導を受けながらの作業の端々にその手間隙や労苦が窺える。やはり何事も現場で学ぶのが一番だ。晩年の夢は自給自足、そろそろ農も学ばなくてはと思っていたのでちょうどいい企画となった。有り難く生かされてここにある感謝と共に、ごちそうさまでした!

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