December 23, 2007

イラク治安改善?

ここ最近イラク国内の治安が改善されてきたと、いくつかのメディアで報道されている。主に米国防総省の発表を基に、米軍の増派作戦が著しく効果を上げているというもので、例えば、首都バグダードでの米軍やイラク民間人に対する攻撃が今年6月から68%減り、イラク民間人の死者数は、今年1月の2500人から、11月は600人まで減少したという。(参考記事)イラク政策が国民に酷評され支持が落ちる一方だったブッシュ政権としては、数字を見る限り政策の成功を誇示できる嬉しい発表だろうが、これはあくまでも米政府機関の報告である。実際のところ現地ではどうなんだろうか。

イラク現地にいる友人たち数人から聞いたところ、治安が改善されてきているのは間違いなさそうだ。

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November 06, 2007

共に歩いて

絶望しかけていた友から、「おかげで何とか持ち直してきた。ありがとう」と返事がきた。

「誰かを激しく愛していればいるほど、裏切られたときその事実を受け入れることはとても困難なこと。俺にとってのイラクは、まさに教育、歴史、文化の全てであり、誠実で美しい人々が住むところ、そしていつまでもここで暮らしたいと夢見ていた故郷・・・。しかしあれから、君が言うように、この戦争と占領のせいで、全てが変わっていった。もちろん俺だって、この戦争と占領が全てを変えたって事はしっている。でも、こんなにも早く悪く変わってしまうことが、どうしても信じられなかったんだ。」

「とにかく、君に自分の思いと苦しみの全てを話してから、怒りは少しずつ収まっていったよ。決してイラクそのものが間違いだったわけではない。イラクはその名と歴史によって、誇り高くあるだろう。そして子どもたちには何の罪もないんだから。これまでよりイラクの人々には気をつけなければいけないけど、支援はもちろん続けるよ。とにかく、俺はイラクを愛し続ける。たとえ何があっても、俺はチグリスとバビロンの息子なんだ。大きな支えをありがとう・・・」


こんな感傷的なやり取りは、ただ私たちの活動の未熟さを醜く曝け出しているだけであり、紹介などするべきではないのかもしれない。しかし、これもまたイラクの現実のひとかけらであり、これまでイラクの友と共に歩んでこなければ決して見えてこなかった現実のひとつだと思い、あえて紹介した。

たとえナイーブだと呆れられても、あの戦火の下から彼と共に希望を持って歩んできた私にとっては、そして私たちにとっての希望である友の絶望は、どんな凄惨な遺体の写真を送られるよりも、一度に何百人も殺されたなどと伝えられるよりも、遥かに重く心に圧し掛かる。彼にとっての希望であるイラクの絶望は、どれだけ重いものだろうか。

イラク人が絶望したら、イラクを支配したい輩の思う壺だとは、まさにその通りではある。しかし、今の彼らの絶望に深く加担してきた一味である私たち日本人から、絶望してはいけないなどとどうして言えるだろうか。彼らの絶望は、私たちの責任である。彼らが希望を抱けないのは、私たちの支える力が足りないからだ。絶望するなと言う前に、私たちが彼らと共に希望を見出せるように、力を出し合っていかなければならない。

絶望を乗り越えていく希望を見出すためには、その絶望の深さをしらなければならない。彼らがたたずむその深淵の闇に共に身を沈め、その震える魂の鼓動を感じるまで寄り添うほど近づいて、彼らの身になり考えていくことが、どこまで出来るのだろうか。しかし、彼らと共に絶望を乗り越えていく、真の希望を見出していくということは、そういうことではないだろうか。

彼らの絶望は、私たちの想像ではとても見渡せないほど深い。今の私がかけられる言葉などでは、とてもその深淵を照らすことなどできやしない。それでも、たとえ刹那の気休めにしかならないとしても、友の目の前の闇を照らす一滴の光にだけでもなれないものだろうか。その一心で私は、友に言葉をかけ続けようと思う。共に絶望の淵を歩いていこうと思う。

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November 03, 2007

友への返信

先に今日イベントの宣伝から。

ライブ&トークイベント「カフェスロージャッ9」
時間:18:30(開場18:00)~21:00
場所:カフェスロー(東京都府中市栄町1-20-17/042-314-2833)
http://www.cafeslow.com/
参加費:予約1800円/当日2000円(ともにワンドリンクつき)
※予約先:042-314-2833(カフェスロー)
トーク:相澤恭行(PEACE ON)/松村真澄(ピースボート)
ライブ:ピースフルベジタリアンズ/櫛田寒平/風義/幸
主催:9LOVE(クラブ)
http://www.9love.org/

(友の絶望の続き)

「あまりの衝撃に混乱して、なんて書いていいかわからず、すぐに返事が出せなかった。家族に起こった事については、僕も本当に驚いたし、君の衝撃はさらに大きかっただろう。あんなことを聞いた後なら、君の気持ちも理解できる。僕だって、君の立場なら同じように感じたかもしれない。

しかし友よ。心して言うからどうか聞いてくれ。僕は本当に君の気持ちは理解するけど、イラク人が良くない人間だなんて意見には決して同意できない。少なくとも、君と、君の家族が、僕にとって素敵な人間でいる限りは。

君はどうなんだい?君は自分の家族すら、そして自分自身すら信じられないって言うのかい?たとえ君がイラク人を信じることができなくなったとしても、君の家族と、君自身を信じることができる限りは、イラク人が良くない人間だなんてことは言えないだろう。

確かに、このイラクの現実を見れば、そんな風に考えてしまうことは無理もないかもしれない。でも、そんな考えは、ただイラクを支配したい輩を利するだけじゃないか。

僕の考えでは、今、イラクで起こっている全ての悪い事は、この戦争のせいであって、決してイラク人の人間性によるものなんかじゃない。戦争は、ただ建物を破壊したり、人々を殺したりするだけじゃなく、どんな人間でも持っているはずの良心そのものを破壊するんだ。

人間は、善も悪も併せ持っている。完全に善な人間もいないし、完全な悪なんて人間もいない。人間には、国や民族、宗教などによって、様々な違いが見られるとしても、決してそんな範疇で善と悪が分けられるわけじゃない。

いっそのこと、「イラク人」なんて範疇は忘れようよ。そもそも、イラク人って誰?イラクって何?その昔、アラブ世界を引き裂いたあと、イラクなんて国を作ったのは誰?

友よ。僕だってイラクプロジェクトなんてやっているけど、「イラク人」なんて別に気にしていない。彼らが「イラク人」だからイラクの人々を支援しているなんて、決して言わないよ。「イラク人」だからじゃなく、イラクの支援が必要な人々のことを心配しているんだよ。

君が良く知っている通り、初めて戦争を体験したイラクは僕にとって特別なところ。だから、まずはイラクでのプロジェクトから始めたんだ。空襲下を共に過ごした特別な親友である君といっしょにね。あの戦争の前、イラクに行こうと決めたのは、全ての戦争を憎み、今始まらんとしているイラクへの攻撃をどうしてもやめさせたかったから。「イラク人」だからって理由じゃない。他の場所が狙われていたら、そこに行ってたかもしれない。

イラクで僕は多くの素敵な人々に出会った。そして、たくさんのことを学んだ。生きるために大切なことを。それは日本では忘れかけられているように感じた。やがて彼らのことが大好きになって、イラクのことをもっともっと知りたくなってきた。そしてこのご縁を大切にして、出来る限りの手助けをしたくなったんだ。

親愛なる友よ。今、イラクで起こっている全ての悪い事は決してイラク人の人間性によるものなんかじゃない。人間である限り、誰もがそうした悪い性質を持っている。普段はそうしたものを抑制することが出来ても、一度戦争がやってくれば、そうした悪い性質はいとも簡単に暴れだしてしまう。イラク人ではなく、この戦争を責めるべきなんだ。全ての悪は戦争から生まれる。今イラクで起こっていることもそうだ。そして、こうした悪は人々の間に不信の悪循環をつくりだし、それはやがて世界中に拡がっていく。これは大変危険な流れであり、今まさに我々が直面していることなんだ。

お互いに信じあうこと。こうした悪循環を乗り越えていくためにはそれしかない。「人間の盾」の理念を思い出そうよ。イラク人のことも、アメリカ人のことも信じることが出来なければ、とてもあんな危険な活動はできなかった。この信念から、人生の中で最も信頼できる友である君と共に、僕はPEACE ONを始めたんだ。そしてイラクにとっても、僕たちにとっても苦しい状況が続いているけど、今も活動を続けていられるんだ。

君はきっと、そんなことが言えるのはイラク人じゃないからだって言うだろう。その通り、こんなことが言えるのは、僕がイラク人じゃないからだよ。この点で、僕は君の「イラク人であるという鎖を解く」という考えには賛成なんだ。たとえ君がイラク人でなくなってしまっても、僕らは一緒に活動できると信じている。まずは、僕らにとって縁のあるイラクで助けが必要な人たちから、そして、どこだって出来るところから助けに行こうじゃないか。」


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October 31, 2007

友の絶望

もう2週間ほど前の話になるが、フランスに戻ったサラマッドから、これまでにないほど悲痛なメールを受け取った。

曰く、「もうイラクやイラク人のことなんかどうでもよく思えてきた。イラク人同士、盗み、殺し合うような日常を散々聞かされてきて、神がなぜ我々にこのような罰を与えるのかということがわかってきた。盗み、殺しあうような機会を与えられて、それをそのまま実行しているってことは、つまり、われわれは良くない人間ってことだよ」

「どうしてこの俺の口からそんなこと言えるのかって?確かに、これまではそんな犯罪者はイラク人ではないと思っていたし、たとえイラク人だとしても、それは一部のろくでもない連中や、外国からカネをもらって動いているグループだけだと考えていた。だけど、昨日バグダードの実家から避難先のモースルに戻ってきたばかりのお母さんから、こんな話を聞いてしまったんだ」

「お母さんは、僕らの家族にとって15年来の友人であった隣人Kのことを話してくれた。彼らは、サッダーム時代にはごみ収集の仕事をしていて、我々とは家族ぐるみの付き合いをしていたんだ。何でも困ったことがあればお互いに助け合ってきた。Kのお母さんが病気で歩けなくなったときも、完治するまで3ヶ月も一家総出で面倒を見てあげたこともあったんだ。とても純朴で、本当に素敵な家族だったけど、ここ数年はムカーワマ、いわゆる抵抗戦士としての仕事に加わるようになっていたそうだ」

「そのKの家族がお母さんのところに来て、『親戚が避難してくるから、空いている家を使わせて欲しい』と言ってきた。僕らの家族がモースルに避難している間は、別の友人に留守中の管理を頼んでいたので、お母さんはKの家族にその旨を伝え丁寧に断った。するとKの家族はその頼んでいた友人の所を訪ね、なんと『家を譲らなければお前たちをバラバラに切り刻んでやる』と脅したという。友人は怖くなり、留守中の管理を断った。そしてKの家族はお母さんにも、『一週間以内に戻ってこなければ、この家は私たちのものだからね』って脅したんだって」

「さらに驚いたことには、これまではまた別の友人に家の管理をお願いしていたんだけど、今回家に戻ったら冷蔵庫が壊されていて、二人の妹と義妹の服が全てその友人に盗まれていたんだ。お母さんと10年来の友人なのに、だよ」

「さらに、3軒の商店のオーナーでもある父は、やはり友人たちにお店を貸していたのだが、彼らは賃料を1割程度しか払わず、『もしこれ以上払えというのならまったく払わない。今俺たちが抵抗戦士と共に働いていることを忘れるな』とお母さんを脅してきたらしい。この人たちもかつては何から何まで面倒を見てあげていた友人で、長年同じモスクで礼拝していただけに、両親共に衝撃を受けているんだ」

「俺はお母さんに、『友人なのに、どうしてそんなことができるんだい?』と訪ねてみた。お母さんは、『いま、イラクには友人も兄弟もいないのよ。全てがお金、そして盗みと人殺しよ』だってさ・・・。」

「これでわかったよ。何でこんなに問題が続くのか。我々は良くない人間なんだよ。カネでお互いを簡単に売り渡せるから、イランもアル・カーイダも容易く増長しイラク人を殺していくんだ。その昔、イマーム・アリーと息子のフセインがイラク人に騙されて殺された話を思い出した。そして預言者ムハンマドが『全ての嘘と問題はイラクから来る』なんて言ったと知ったとき、はじめは文字通りに受け取れなかったけど、今ではまさにその通りだと確信しているよ」

「だから、俺は今イラク人を救う気分になんかとてもなれないし、我々に起こっていることは、全て当然の報いだと感じている。もう、イラクのことなんかどうでもよくなってきた。心も精神も空っぽで、今どこにいるのかもわからないよ。自分がイラク人であることが呪わしい。俺は、これまで身につけていたイラクの地図が刻まれたこの鎖の服を脱ぎ捨てるよ。そして今、フランス人になろうと決めたんだ・・・」

私は、しばらく返信することができなかった。これまでも、誰々が撃たれた、誘拐された、殺された、死体で見つかった、などという情報とともに、「バグダードは終わった」だの、「イラクは死んだ」など、深い絶望が滲み出た言葉を聞くたびに、一体どんな言葉をかければいいのかわからなくなってきていた。何を言っても、中空で漫ろに霧散してしまいそうで、迷いを重ねた言の葉が、胸の辺りに積もりに積もって苦しくなっていた。そして今回は、特に誰か殺されたとかいう話ではないのだが、これまでにないほど友の絶望の深淵が行間から垣間見え、その闇の奥底に胸に溜めていた言葉が全て吸い込まれてしまったかのようだった。

どんなに絶望的な状況にあっても、そこで希望を失わずに生きている友がいるということ、それが私にとっての希望だった。私たちにとって、彼は希望の星なのだ。その彼が、希望を失いかけている。そこまでイラクを覆う闇は深い。破壊と殺戮による死の恐怖と共に、誰も信じることができないという疑いの連鎖が、疫病のように拡がって友の精神を蝕んでいるようだ。どんなに死傷者数を積み重ねてみても、どんなにたくさんの凄惨な写真を突きつけられても、決して見えてこない地獄がある。

友の言葉を受けて、今のイラクの絶望と同時に、私は自分の心の脆さにも気づいた。私はこれまで、どれだけイラクの友に頼っていたことだろう。戦時下でも笑みを絶やさず、おもてなしの心を失わなかったイラクの人々によって、どれだけ支えられてきたことだろう。「生きる」ということについて、彼らからどれだけ学んできたことだろう。そして、空襲下の死の恐怖も、生の喜びも、共に分かちあってきた親友の絶望は、私の精神をかつて見たこともない地平に放り込んだ。

一週間ほど悩んだ末に、私は友に返事を出した。「イラク人なんかやめちまえ」と。(続く)

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September 18, 2007

壊された日常のかけら~モースルの写真2~

およそ一年ぶりに家族との再会を果たし、約一ヶ月間イラク北部のモースルで過ごしてきたスタッフのサラマッドとアマラは、おかげさまで先日無事フランスに戻りましたのでお知らせします。引き続き届いた写真をいくつか紹介しながら、現地の様子を見ていきます。(最後の方に、小さいですが遺体が写っている写真もあるのでご注意ください)

Track
バグダードからトラックに家財道具を積み込んで避難してきた家族。今やバグダード行きのバスはがらがらで、乗客がいたとしても女性ばかりだという。男性のほとんどが道中狙われてしまうからだ。

Play_park
かつては子どもたちの歓声で溢れていた遊園地も今は寂れて空っぽ。

Wire
一日数時間通電という劣悪な電気事情のせいで、発電機からあちこちに配線するため町中電線が無秩序に張り巡らされている。整備する人間もいない。

Cleaning
清掃員として働く若者。多くが15、16歳で、学校には行けずに働いている。

Orphan
父親が殺され孤児になった3人の兄弟に新しい服などを買っているサラマッド。3人とも野菜を売って生計を立てているが、朝6時から夜10時まで丸一日働いても1.5ドルしか稼げない。

Saddam
サッダーム懐古気分がここにも。通常「アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)」と記されているイラク国旗に、「サッダーム・フセイン」と落書きされている。

Clouths
マネキンの顔が全て覆われた女性服売り場。モースルで勢力を拡大している過激派アル・カーイダは、なんと人形ですら女性の顔が出ているのはハラーム(禁忌)だという。

Bullet
両親の寝室。夜、付近で激しい戦闘があり、目が覚めたらベッドの間に銃弾が突き刺さっていた。

Dead
銃殺され路上に放置されていた遺体と遭遇。バグダードよりはましとはいえ、モースルでの生活も常に死と隣りあわせだ。

Border
シリアへの国境。シリアはこれまでイラク人を無条件で受け入れてきたのに、これからはビザが必要になると聞いて、慌てて殺到するイラク人で溢れていたという。今はラマダーン(断食月)ということでまだ入国制限はされていないようだが、これからはヨルダン同様厳しくなるのかもしれない。すでにシリアのイラク人難民は150万人を超えているというから、受け入れの限界に達しているのは間違いない。しかし本当にシリアにも行けなくなってしまったら、命からがら逃れてきたイラク人はどこに行けばいいのだろう。そもそもこうした難民が生まれないようにしなければいけないのだが、だからといってすでに400万人以上とも言われる故郷から引き剥がされている人々を放っておくわけにもいかない。

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September 09, 2007

壊された日常のかけら~モースルの写真~

9・11に迫った引越し準備に忙殺されてなかなかブログを書く時間がとれません。せめて少しだけでも現地の様子を紹介しようと、スタッフのサラマッドが送ってきた写真を載せます。

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孤児院の子どもたち

26
一人ずつ洋服を受け取ります

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みんな着替えて記念撮影

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サッダームを慕う落書き

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母親が殺されて父子家庭になっている聾唖者家族の家。建築途中だった物件で、11歳の長女が台所用に組む石を洗っている

69
フランスからのサダカ(貧しいムスリムへの自発的喜捨)で洗濯機も届けました

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行政のゴミ処理サービスがひどいので、町中いたるところにゴミが散乱していて、やがて動物達が漁りにくる。通りには蝿などの虫が大量に発生し、病気も増えている

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スレイマニヤなどではコレラが発生したようだが大丈夫かと訊くと、今のところモースルでは発生していないようだが、衛生環境は非常に悪く多くの人々が心配しているという。モスクに礼拝に行くたびに、野菜はしっかりと水で洗ってから食べるようにと注意を受けているそうだ。特に150キロしか離れていないキルクークでもコレラが発生したことには皆戦々恐々としているという。

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September 02, 2007

壊された日常のかけら~モースルでの生活~

引き続きサラマッドのメールからイラク現地情報。今日はモースルの日常生活について少し。

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働く子どもたち

ここしばらくは灯油探しで忙しかったそうだ。安い今のうちに手に入れておかないと冬が大変らしい。通常一冬一家族660リットル必要で、今なら450ドルで手に入るが、冬になると1250ドルにもなるという。月給は以前より上がっているとはいえ一般市民は100ドルから良くても500ドル程度だから、これじゃあ人によっては年間給料はたいても一冬も越せない。ちなみにサッダーム旧政権時代はなんと同じ量でたったの3ドルだったそうな。当時は月給もそのくらい安かったとはいえ、今の物価高はあまりにひどい。

ガソリン価格も、今ではブラックマーケットで1リットル約1ドルと日本とほぼ変わらない。公式価格は1リットル36円前後なのだが、一人二日で25リットルのみと給油が制限されている。そして普通にガソリンスタンドに並んでいたのでは、一日中並ばないと手に入らないそうだ。産油国なのに精製が追いつかずガソリンを輸入しているからこんなことになるわけだ。昔は1リットル約2円だったのに。

政府からの食糧配給は5ヶ月前から止まったまま。これまでも何度も中断してきたそうで、復活しても中断分が再配給されることはない。なので通常配給分は買わなきゃ食えないわけだ。しかしミルクがハーフキロで32円だったのが360円に、調理オイルボトル36円が160円に、そして米が1キロ48円から100円にとそれぞれ値上げしているので家計は火の車だと言う。

そんな中、フランスのムスリム(イスラーム教徒)から預ってきたサダカ(貧しいムスリムへの自発的喜捨)でわずかながらも個人的支援を続けるサラマッドとアマラ。4人子どもが一日1ドル未満で働いている聾唖者の父子家庭と、狭い一部屋に13人もの大家族で暮らすシンジャールから逃れてきたヤズィディー教徒に、いくつか生活用品を届けてきたそうだ。ところでその大家族の最年少、生後3ヶ月の子どもの名前は今モースルで大人気の「サッダーム」だったそうな。

PEACE ONとしては、昨年に引続き孤児院への支援を行った。ベッドシーツ、掃除用器具、衣類などの生活支援、そしてパンクして動けなくなっていたスクールバスのタイヤを交換した。バグダードと違ってバス自体は足りているようだが、政府からの支援が届かず困っていたところだったそうで、今回はタイヤが最も喜ばれたという。状況悪化からバグダードでのバスプロジェクト中断中の僕らにとっても、バスで関われたのは嬉しい。
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August 26, 2007

壊された日常のかけら~モースル情勢について~

引き続きサラマッドのメールからイラク現地情勢について。

北部モースルの治安状況もひどいようだが、宗派主義暴力の吹き荒れるバグダードとはまるで違うという。スンナ派が中心のモースルでは、宗派間暴力は非常に少なく、米軍、イラク軍、警察、クルド人民兵ペシュメルガに対する攻撃がほとんどのようだ。

そして反米抵抗勢力ではアル・カーイダの勢力が増しているようだ。高等教育を受けた人ですら今では公然と支持を表明してはばからず、モースルの3人に1人は支持者ではないかという。かつてはアル・カーイダに反対していた一般市民の多くも、今ではニュースで現政府のひどい仕打ちが報道されるたびにアル・カーイダ支持に傾いてきているようだ。

アル・カーイダを名乗る数人から聞いた話によると、周辺国から来ているメンバーもいるが、多くはイラク人で構成されている。主に金銭面で支援しているというそのうちの一人は55歳の元イラク軍の幹部で、現政府と米軍とペシュメルガを憎んでおり、彼らを殺害するのは当然だと言い放っていた。またその彼は厳格なイスラーム法による国家が必要だと説き、世俗的な人間は容赦しないと言って、今は息子達に自爆攻撃をさせることすら厭わず訓練に励んでいるという。

アル・カーイダと言っても、国際テロ組織として世界的にブランド化した名前を騙っているだけかもしれないし、その3人に1人と言う数字も根拠はよくわからない。ただ少なくともアル・カーイダを名乗るものが多くなっていて、彼らを支持している市民が急増していると言うのは間違いないようだ。

その背景の一つとして、状況の悪化からモースルの市民の多くが心のよりどころをイスラームの教えに求めていることを挙げている。女性の多くが頭髪を隠すヒジャーブを被り、顔も手も全て隠す人も増えていて、とにかく規律を厳密に守る人が急増しているというのだ。もちろんイスラームでは殺し合えと教えているわけではないので、以前はアル・カーイダなどむしろイスラームの印象を悪くすると嫌われてすらいた。しかし今では、市民の多くが米軍とそれに追随する者たちを激しく憎むようになってしまい、結果的にアル・カーイダはとてもいい場所を見つけてしまったようだという。彼が行くモスクにも礼拝のある金曜日になると宣伝ビラを配る男が立っているという。

以前はとても世俗的な国家で、アル・カーイダなどとは無縁だったイラク。対テロ戦争の結果がこれだから、全く皮肉としか言いようがない。

また、サッダーム人気も凄まじく、彼は殺されてからむしろここでは殉教者として称えられているそうだ。多くの壁には彼を英雄として賞賛する落書きで溢れ、現イラク政府側の警察官からすら彼を懐かしむ声をよく聞くという。

ところでモースルではここ最近外出禁止令が出ているという。8月14日、シンジャールという140km離れた町で起きた大規模自爆攻撃のせいだ。500人以上殺されたとの報道もある。(関連記事)イラクの少数宗派のひとつ、ヤズィディー教徒が標的になったという。イラクにはこうした少数宗派が数多く存在していて、これまでは平和裏に共存していた。そういえば昨年9月にアルビルを訪れたとき、道を案内してくれたおじさんから、「私はイスラーム教徒ではない。ヤズィディー教を知っているか?太陽に礼拝するんだ」と言われてこの宗教の存在を知った。ゾロアスター教にルーツを持ち、イスラームやキリスト教の神秘主義の思想などが混ざり合っているともいわれる。

米軍とイラク政府はいつものようにアル・カーイダの犯行だと言う。報道も相変わらずろくな検証なしにそれをなぞるだけである。しかし友人によると、シンジャールの人々の多くはイラク政府の仕業だと言っているようだ。事実はわからないが、モースル周辺では政府発表など信じられていないということはわかる。

故郷イラクの変わり果てた状況に絶望していたサラマッド。「ただ、ここモースルではバグダードと違って盗みなどは珍しく、一般市民同士はとても誠実にやりとりしている」と付け加えていたのがせめてもの救いだった。

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August 22, 2007

前回記事の補足とお詫び

引き続きサラマッドのメールからイラク現地情勢について書こうと思ったのですが、前回の記事に対してコメント欄で指摘があったように、現地の声をそのまま載せただけでは、どうしても偏ったイメージを与えてしまう危険があるので、ここで少し補足しておきます。

友人でありイラク人現地スタッフのサラマッドの家族はイスラーム教スンナ派です。以前はスンナ派もシーア派も一般市民は特に大きな問題もなく共存していたバグダードですが、占領後政治的対立が激化して宗派間暴力に発展し一般市民も巻き込まれてしまった現状では、悲しくも両派の棲み分けが進んでいます。よって彼の周囲から聞ける話は、基本的にはスンナ派イラク人から見た現状のほんの一部、まさに壊された日常の「かけら」です。

同じスンナ派イラク人でも、地域によっては全く別の意見もあるでしょうし、シーア派イラク人ならなおさらでしょう。また、特にバグダードに関しては、住んでいる地域によって状況はかなり変わりますし、他地域への外出も困難なため、隣の地区で何が起きているのかもわからない状態です。乱立しているメディアも宗派主義に偏ったものが多いので、どのメディアを見るかによっても意見は大きく変わってくると聞きます。ですから今回は直接体験した声を大切にして紹介してみました。

今はイラク人というだけで、宗派民族国内外問わず多かれ少なかれ困難な状況に置かれているのは間違いありません。これまでシーア派イラク人からの意見も何度か取り上げてきました。ただ、私の友人にはスンナ派イラク人のほうが多いので、どうしても全体的にはスンナ派イラク人の見方に偏っているところはあると思います。

しかしまた、前記事のコメントレスにも書きましたが、一般報道で取り上げられるのは派手な事件ばかりで、しかもいつも枕詞のように「スンナ派武装勢力の犯行とみられる・・・」という憶測がついてまわるので、どうしても一般的にはスンナ派のイメージが悪くなってしまっています。実際には、バグダードではスンナ派狩りなどが横行して、まるで民族浄化のようなスンナ派受難が続いているのですが、そういう事実はあまり報道されていません。

友人の憤りはよくわかりますし、私としても、友人の「伝えてほしい」という声を無視することはできません。しかし指摘された通り、前回の記事のままでは背景の説明が足りないので、特に初めてこのブログを読んだ方には偏ったイメージを与えてしまう危険があるのは間違いありません。疲れていたからといって、あのような紹介をするべきではありませんでした。ここに補足のうえお詫びします。

本当はこのブログでこうした記事はあまり書きたくないし、活動に関する記事だけを書いていたいものですが、こうした現状が活動を妨げている現実もあるわけですから、決して避けて通ることはできないと考えています。それにしても、こうしてスンナ、シーアと補足しなければならないこと自体、このイラク戦争と占領がもたらした最大の悲劇のひとつなのかもしれません。

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壊された日常のかけら~バグダードからモースル~

ここ最近はかおりんにまかせっきりだったので、久しぶりにこちらでもイラクからの声を少し紹介。先だって日本に来てくれたカーシムのいるラマーディーなどアンバール州ではかなり状況が好転しているようで、(高遠さんのブログ参照)本当に嬉しい限りだが、こちらに届く便りによると、バグダード、モースルをはじめ他地域ではまだまだ厳しい。こうしてブログに書くのも正直しんどいけど、「このままでは何もないことになってしまうので、せめて僕の話だけでも伝えてほしい」という友の切なる声を、できるだけ伝えてみようと思う。

フランスから妻アマラと共にイラク北部モースルに帰ったサラマッド。ついに家族全員がバグダードからモースルに避難したのだ。まずは彼の親族や友人などから聞いたバグダードの様子から。

「特にチグリス河から東のラサファ地区はイランの手に落ちた。多くのイラン人が家族とともに移り住み、ペルシャ語が公然と飛び交っている」

「友人がイランの革命防衛隊の特殊部隊クドゥス軍に捕まった。収容所では、元イラク軍パイロットとしてかつてイランとの戦争で戦っていた人間ばかり400家族が3年も拘束されていて、連日のように拷問、強姦を受け一日に一人か二人は殺されているという。友人は元パイロットではないのに拘束されていて、何とか疑いが晴れて数日で解放されたものの、決め手は彼の母親がシーア派だったからだそうだ。友人が拘束中尋問されていたとき、担当員に『この男のことを知らないか』と写真を見せられたが、それが元パイロットである私の写真だったと言う。私は恐ろしくなって、偽のIDカードをつくりシーア派に変装してバグダードから脱出した」

「7人の従業員が職場に向うバスに乗っていると、突然ドライバーが7人に銃を突きつけシーア派地区に連れて行って、その先で7人の顔に硫酸をかけて殺してしまった。家族が遺体を発見したとき、IDカードがなければ身元確認すらできない状態だった」

他の話はかおりんが訳してくれたのでご覧ください

以上は今のバグダードの日常のごく一部に過ぎないそうで、避難してきた家族は「もはや選択肢などない」と言う。サラマッドも、今回バグダードでの活動は不可能だと諦めている。

さてモースル。

「全てが困難だ。電話も深夜12時過ぎないとかからないし、電気は3時間きて6時間停電、ひどい時は一日で3時間しかこない。この50度の暑さでどうやって生活できるのか、どうやって微笑むことができるのか、どうやって愛し合うことができるのか、なぜこんな状況で人々が生きようと思うのか理解できない。ここで生きるとはどういう意味をもっているんだろう?

一年前と比べて、ここモースルも劇的にひどくなっている。僕の家族も、他の家族にとってもここでは生活どころではない。電気もなくあまりの暑さに夜も眠れず、全ての物価が騰がっていて満足に食事もできない。

アマラも僕もひどい風邪をひいてしまった。四日前から注射を打っている。50度の暑さでどうやって風邪をひくかって?毎晩電気が来ない間は眠れずにベッドで泳げるほど汗びっしょりになってしまうんだ。そして電気がくる1,2時間で、耐え切れずにエアコンの前で眠ってしまうから汗が冷えて風邪をひいてしまう。ここの夜は本当に悪夢だよ。

そして昼も悪夢なんだ。今日はうちの隣で4人の若者がガソリンを売っていただけでクルド人民兵ペシュメルガに殺されたんだ。なぜって?販売禁止だって言ったのに、売るのを止めなかったからだって!僕らは彼らの靴とガソリン缶が血だらけになって通りに放置されていたのを見たよ。ここでは命がとても安くなっている。犬の命、羊の命のほうがむしろイラク人の命より高くなっているんだ。

今のイラクは完全に変わってしまったと言わなければならない。今日のイラクは君がかつて訪れたイラクのようではないんだ。今のイラクは人間のための国ではない。人殺し、ろくでなし、盗賊のための国だ。今のイラクでいい人なんかほとんど見つけられない。ごくわずか、一握りしかいない。今のイラク人は殺人者であり悪魔の息子と言わなければならない。こんなイラクを見ることになるとは、決して思っていなかった。イラクは死んでしまった・・・」

取り急ぎ今日はここまで。サラマッドの絶望はかつてなく深い。

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