もう2週間ほど前の話になるが、フランスに戻ったサラマッドから、これまでにないほど悲痛なメールを受け取った。
曰く、「もうイラクやイラク人のことなんかどうでもよく思えてきた。イラク人同士、盗み、殺し合うような日常を散々聞かされてきて、神がなぜ我々にこのような罰を与えるのかということがわかってきた。盗み、殺しあうような機会を与えられて、それをそのまま実行しているってことは、つまり、われわれは良くない人間ってことだよ」
「どうしてこの俺の口からそんなこと言えるのかって?確かに、これまではそんな犯罪者はイラク人ではないと思っていたし、たとえイラク人だとしても、それは一部のろくでもない連中や、外国からカネをもらって動いているグループだけだと考えていた。だけど、昨日バグダードの実家から避難先のモースルに戻ってきたばかりのお母さんから、こんな話を聞いてしまったんだ」
「お母さんは、僕らの家族にとって15年来の友人であった隣人Kのことを話してくれた。彼らは、サッダーム時代にはごみ収集の仕事をしていて、我々とは家族ぐるみの付き合いをしていたんだ。何でも困ったことがあればお互いに助け合ってきた。Kのお母さんが病気で歩けなくなったときも、完治するまで3ヶ月も一家総出で面倒を見てあげたこともあったんだ。とても純朴で、本当に素敵な家族だったけど、ここ数年はムカーワマ、いわゆる抵抗戦士としての仕事に加わるようになっていたそうだ」
「そのKの家族がお母さんのところに来て、『親戚が避難してくるから、空いている家を使わせて欲しい』と言ってきた。僕らの家族がモースルに避難している間は、別の友人に留守中の管理を頼んでいたので、お母さんはKの家族にその旨を伝え丁寧に断った。するとKの家族はその頼んでいた友人の所を訪ね、なんと『家を譲らなければお前たちをバラバラに切り刻んでやる』と脅したという。友人は怖くなり、留守中の管理を断った。そしてKの家族はお母さんにも、『一週間以内に戻ってこなければ、この家は私たちのものだからね』って脅したんだって」
「さらに驚いたことには、これまではまた別の友人に家の管理をお願いしていたんだけど、今回家に戻ったら冷蔵庫が壊されていて、二人の妹と義妹の服が全てその友人に盗まれていたんだ。お母さんと10年来の友人なのに、だよ」
「さらに、3軒の商店のオーナーでもある父は、やはり友人たちにお店を貸していたのだが、彼らは賃料を1割程度しか払わず、『もしこれ以上払えというのならまったく払わない。今俺たちが抵抗戦士と共に働いていることを忘れるな』とお母さんを脅してきたらしい。この人たちもかつては何から何まで面倒を見てあげていた友人で、長年同じモスクで礼拝していただけに、両親共に衝撃を受けているんだ」
「俺はお母さんに、『友人なのに、どうしてそんなことができるんだい?』と訪ねてみた。お母さんは、『いま、イラクには友人も兄弟もいないのよ。全てがお金、そして盗みと人殺しよ』だってさ・・・。」
「これでわかったよ。何でこんなに問題が続くのか。我々は良くない人間なんだよ。カネでお互いを簡単に売り渡せるから、イランもアル・カーイダも容易く増長しイラク人を殺していくんだ。その昔、イマーム・アリーと息子のフセインがイラク人に騙されて殺された話を思い出した。そして預言者ムハンマドが『全ての嘘と問題はイラクから来る』なんて言ったと知ったとき、はじめは文字通りに受け取れなかったけど、今ではまさにその通りだと確信しているよ」
「だから、俺は今イラク人を救う気分になんかとてもなれないし、我々に起こっていることは、全て当然の報いだと感じている。もう、イラクのことなんかどうでもよくなってきた。心も精神も空っぽで、今どこにいるのかもわからないよ。自分がイラク人であることが呪わしい。俺は、これまで身につけていたイラクの地図が刻まれたこの鎖の服を脱ぎ捨てるよ。そして今、フランス人になろうと決めたんだ・・・」
私は、しばらく返信することができなかった。これまでも、誰々が撃たれた、誘拐された、殺された、死体で見つかった、などという情報とともに、「バグダードは終わった」だの、「イラクは死んだ」など、深い絶望が滲み出た言葉を聞くたびに、一体どんな言葉をかければいいのかわからなくなってきていた。何を言っても、中空で漫ろに霧散してしまいそうで、迷いを重ねた言の葉が、胸の辺りに積もりに積もって苦しくなっていた。そして今回は、特に誰か殺されたとかいう話ではないのだが、これまでにないほど友の絶望の深淵が行間から垣間見え、その闇の奥底に胸に溜めていた言葉が全て吸い込まれてしまったかのようだった。
どんなに絶望的な状況にあっても、そこで希望を失わずに生きている友がいるということ、それが私にとっての希望だった。私たちにとって、彼は希望の星なのだ。その彼が、希望を失いかけている。そこまでイラクを覆う闇は深い。破壊と殺戮による死の恐怖と共に、誰も信じることができないという疑いの連鎖が、疫病のように拡がって友の精神を蝕んでいるようだ。どんなに死傷者数を積み重ねてみても、どんなにたくさんの凄惨な写真を突きつけられても、決して見えてこない地獄がある。
友の言葉を受けて、今のイラクの絶望と同時に、私は自分の心の脆さにも気づいた。私はこれまで、どれだけイラクの友に頼っていたことだろう。戦時下でも笑みを絶やさず、おもてなしの心を失わなかったイラクの人々によって、どれだけ支えられてきたことだろう。「生きる」ということについて、彼らからどれだけ学んできたことだろう。そして、空襲下の死の恐怖も、生の喜びも、共に分かちあってきた親友の絶望は、私の精神をかつて見たこともない地平に放り込んだ。
一週間ほど悩んだ末に、私は友に返事を出した。「イラク人なんかやめちまえ」と。(続く)
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