June 29, 2006

四国行脚記

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遅ればせながら四国行脚記なんぞ書いてみる。思えば3年前、イラク戦争での人間の盾活動から帰国直後の2003年5月、高松での講演に呼ばれたのをきっかけに、四国学院大、そして徳島と、次から次へと参加者が次の講演を主催されて、おかげ様で四国講演行脚も今年で四度目。これも弘法大師空海の御利益かしらん。(写真は高知の最御崎寺)

6月8日、雨の高松空港に到着するとザルカウィ殺害を伝えるTVニュース。四国学院大の山本先生、中村先生、ムアンギ先生3人総出で迎えに来てくださって、繁雨に霞む讃岐の山に分け入り怪しげな中華料理屋で餃子をご馳走になる。山本先生は怪しくて美味しい店を良くご存知だ。昨年は打ち上げで確か四軒ははしごしただろうか。

9日、四国学院大学で講演。ケニア出身ムアンギ先生の平和学の講義でのゲストだが、一般からも何人か参加してくださった。内容は、イラクでの戦場体験、そして支援活動を通して考えた憲法9条。昨年は機材の調子が悪くビデオが写らなかったので、今年はせっかくだからといろいろ欲張りすぎてしまい後半話が押してしまった。終了後の打ち上げはいつもの焼肉屋で韓国人留学生も交えて談笑。酒豪揃いだったが昨年深夜3時頃までの深酒を反省してか今回ははしごせず解散。

10日、朝飯に恒例の宮武うどん店で讃岐うどん。まんが日本昔話に出てきそうな讃岐の山々を周囲に抱く長閑な田園のど真ん中、外観は普通の民家で、ひっそりと街道の奥にあるのだが、観光バスからもぞろぞろと客が訪れるほどの人気の店で、確かに美味い。書入れ時のはずのゴールデンウィークなどは、客があふれ近隣に迷惑をかけるからと休みにすることもあるという。余裕だ。

高松への出発前、昨年は空海が拵えたという満濃池を逍遥したが、今年は空海生誕の地「善通寺」に寄る。ちょうど創建千二百年祭の真っ最中の土曜日だったので、お遍路さんのみならず在俗の人でごった返していた。おかげで、漆黒の闇体験「戒壇巡り」は、本来一人静かに廻れれば闇を忘れた文明の光に倦んだ心を鎮め、胎内回帰的な絶好の瞑想の機会になると思い楽しみにしていたのだが、前後におばさんたちの嬉嬉としてまた奇奇怪怪な黄色い声がこだまして、いらん妄想が踊りどうにも興醒めだった。

しかしちょうど宝物館で催されていた「密教のほとけ」展に感動。香川を中心に四国、岡山各地から集められた曼荼羅、仏像、仏画約30点。ほとんどが平安、鎌倉時代につくられたもので、時空を超えて各々の仏の内面から迸るかような作者の魂魄に完全に圧倒された。

お昼頃電車で高松に移動。思えばこの四国行脚も、今回の講演主催者でもある香川県議会議員の渡辺さと子さんに3年前講演に呼んでくださったことから始まっている。今回も決して大勢の参加者ではなかったが、話を聞くのが初めての方と何度目かの方、また老若男女のバランスもよく、昨年同様質疑応答では憲法9条について活発な議論になり、自分自身も大いに刺激になった。講演の内容ではイラクの現状について昨日より深く話した。アフガン支援NGOの方も参加されていて、打ち上げでもいろいろと話したのだが、イラク同様アフガンの治安もやはり相当悪化しているということを聞いた。

終了後高速バスで徳島に移動。PEACE ON会員でもある吉見千代ちゃんが迎えにきてくれる。彼女は今回この徳島講演の主催者であるだけでなく、同時期に開催されるイラクアート展「LAN TO IRAQ」から、他この四国行脚全体のコーディネーターとして奔走してくれた。渡辺さと子さん、山本先生、そして千代ちゃんと、各講演会での出会いがこうして結び付けてきたご縁に改めて感謝。そういえば昨今はこうして各地の会員が企画してくれることが増えていてありがたい。園瀬川では2年ぶりに蛍が出迎えてくれた。そっと手をさしだすと、いつの間にか掌に乗ってきて、一期一会の幻灯を明滅させていた。

11日、午前中は四国放送ラジオ「サンデーウェーブ」に出演。イラクの現状、またイラクアートについてなど話す。コメンテイター、徳島大総合科学部助教授の饗場和彦さんの舌鋒が小気味好い。LAN TO IRAQ展開最中のカフェ、グリグリで昼食を済ませ、午後から講演。取材に来ていた若い新聞記者が偶然自分と同じ気仙沼出身で驚いた。高松講演同様少人数だったが参加者のバランスもよく、後半の議論も有意義なものだった。打ち上げには先日イラクアート展に関する渾身の紹介記事を書いてくれた朝日新聞の若手女性記者も参加してくれて、阿波に集う若き熱気で酒も美味かった。

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12日、午前中は千代ちゃんの友人、池田オーナーが経営するアジア雑貨とタイ古式整体のお店、「瑳り沙り」にてタイ古式マッサージをしてもらい行脚の疲れをとる。そのまま眠れたらどれほど幸せだろうと至福感に恍惚としながらカフェ・グリグリへ。午後2時からギャラリートーク。展示作品を解説しながら、その背景に浮かび上がってくるイラクの文化、歴史、風土、そして現状まで話を膨らませた。高松でチラリとお店を覗いたセカンドハンド代表の新田さんともお会いできた。(写真は朝日新聞松谷記者提供)

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その後徳島大学の饗場先生の授業で恒例のゲスト講義。一年生なので、戦争の実態と現地でのNGO活動についてやってほしいとのことで、遺体収容作業のビデオも含めイラク戦争時の写真と映像を中心に見せながら話した。ちょうど自己責任論についても取り上げていたそうなので、実際に現場を見て活動してきた人の話を聞かせたかったそうだ。約1時間半、水を打ったように皆静かに話を聞いてくれてありがたかった。終了後の食事会でも学生が数人参加してじっくりと話し込んだ。講義中は周りを気にしてかなかなか質問できない学生たちも、こうした場になるとずいぶんしゃべるし、しっかりとした考えを持っていて嬉しくなる。

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13日、作夜のW杯サッカー日本対オーストラリア戦まさかの逆転劇のせいか夢見が悪い。朝早くから千代ちゃんと池田さんと旦那さんと4人で高知へむけ出発。四国行脚とは言っても、これまでは讃岐と阿波の国のみだったので、初めての土佐に心は躍る。梅雨だというのにありがたいことに天気は好く、突き抜ける空と碧い海は眩しくでっかい。宍喰温泉で身を清め、風を切って一路室戸岬へ。念願の御厨人窟(みくろど)に入りしばし瞑想。ここは若き修行僧時代の空海が「虚空蔵求聞持法」を会得、つまり悟りを開いた場所としてしられている。洞穴の奥から外界を見つめると、確かに「空」と「海」だけが燦然と輝いていて、凝視していると洞穴入口が己の意識と外界とを繋ぐ唯一の閾にも見えてくる。このまま夜を徹してみれば、明けの明星が口から入って身体を貫いたという空海の感激が追体験できるのではないかという罰当たりな邪念に掻き乱されて瞑想は終了。

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最御崎寺、室戸岬などを拝みて、今度は海から山へと駆け上がる。千代ちゃんの友人、Kさん夫妻がきりもりする山の上のレストランでうまい空気とコーヒーをご馳走になり、Kさんとこの犬も二匹増えて、美しい棚田を横目に香美市の山を分け入った末に現れた手作りログハウスにお邪魔する。オーナーは手作り竹細工師のTさん。ランプの灯りの下に次々と集うひとびとは皆土佐に流れ着いたよそ者ばかり。世知辛い文明の光を厭い、共に陰翳礼讃の杯を酌みかわす。馥郁たるジャスミン風呂で汗を流して、ふと窓の外を眺めると、闇にとける湯気に誘われてか迷い蛍が風にたゆたう。山にこぼれるカリンバの音色、合わせて虫たちの奏でる夜想曲に包まれて、土佐の夜が更けてゆく。

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翌朝、目覚めのチャイを飲み干すと、カリンバや竹笛やジャンベなど手作り楽器のセッションが始まる。無心に魂を大空に解き放てば、リズムは山の鼓動と共鳴し、風が生命を海まで運んでいくだろう。ところで皆さんさすが自然派だけあって、ひょうたん三線で有名なふるさと気仙沼が誇るミュージシャン「熊谷もん」さんのことをよく知っていた。名曲「あかるいきざし」を久しぶりに聴いて心地よかった。(写真は吉見千代さん提供)

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午後、山の上のレストランに戻りうまいスパゲティを食べ、高知市まで下り、はりまや橋、高知城など訪ねた後、坂本龍馬ゆかりの桂浜で海を眺めながら幕末の志士に想いを馳せる。生まれ育った三陸の海と同じ太平洋なのに、やはり高知の海はでかい。空もでかい。波の表情も潮風の薫りも違う。これまで日本の夜明けを導いてきた空海や龍馬の思想や行動から放出されるあの突き抜けた大らかさは、やはりこの土佐の風土が育んだのだろう。ここまでちっぽけな自分というものを思い知らされると、むしろさばさばしてくるから不思議だ。今、日本のみならず世界は新たな無明の闇に覆われているようだが、終わらない夜はないし、あかるいきざしを見つけていくのは、いつの時代もやはりちっぽけなはずの人間なのだから。巡り巡ってここまで連れてきてくれた、すべての出会いに感謝して、四度目の四国行脚を終える。

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February 13, 2006

炭鉱からパステルへ

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ランスは過去炭鉱で栄えた町だという。15年ほど前に全ての炭鉱が閉鎖されたので、今は町のあちこちに煤けた色をした跡地が点在している。ピラミッドを思わせる巨大な円錐形が薄墨色に滲んだ空から亡霊のように浮かび上がる様はまるで文明の墓場のようだ。ランスをはじめ北部フランスにはアラブ人の移民が多いが、炭鉱で働かせるために連れてこられたと聞く。

11日午前中はナセラさんの案内で100年前の炭鉱での大事故を伝える写真展を見に行った。1906年当時の写真や新聞を中心に、1100人もの死者を出した大惨事の記録を、主催の人権団体のスタッフが丁寧に説明してくれた。泣き叫ぶ家族、ストライキで通りに溢れる群集から、鼠や馬を食べて生き延びた人々まで、文明に翻弄された人々の生と死がモノクロームに刻みこまれていた。当時はまだアラブからの移民は来ていなく、労働者の多くはベルギーやポーランドから出稼ぎにきていた人だったようだが、いつの時代も犠牲になるのは貧しい者たち。一世紀前の悲劇を伝える白黒写真は、現代もいたるところで焼き増しされ続けている。当時の敵国ドイツから駆けつけたという救助隊の写真だけが、会場を出て見上げた鈍色の空の彼方、心象のフィルムにカラーで焼きついていた。
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午後、ルーベ(ROUBAIX)という町にあるラジオ局Pastel FMに出演。ノール=パ・ド・カレー全域に放送されるこの局にはアマラがこれまで2回ほど出演していて、一番自由にものが言えるということでお気に入りのようだ。先日の講演のようにイラクの現地情勢についてはサラマッドが話し、自分は活動紹介、そしてリスナーからの質問に答えるという形で、日本から見たイラク戦争、アメリカの暴走、活動のスタンスなどについて話した。ヒロシマをはじめ日本のことを多く絡めて話してみたが、年間の自殺者が3万3千人を超えているという日本の現状を話すと、DJはイラクの現状以上に驚いた様子だった。
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イラク、日本、フランスと、時空を超えるパノラマ写真。さて、これからどんな色で現像していこうか。

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March 07, 2005

諸行無常(5日)

以前バグダッドで出会ったヨルダン人の友人Mとの案内で、アンマン郊外のシャファ・バドラン地区を訪れる。Mはアラブの遊牧民「ベドウィン」の家系で、彼の父の墓がここにあるという。一帯はベドウィンが住む地域。アイルランドを思わせるような緑と岩のコントラストが夕陽の朱に染まりゆく風景に郷愁のようなものを感じながら、墓場から連なるゆるやかな丘を登り、ローマ時代の遺跡があるところまで連れて行ってもらった。

突如として地面が四角にくりぬかれている箇所が多数出現する。中には折れた円柱がごろりと横たわっていたり、細かいタイル目地のような文様が薄っすらと砂から顔を出していたりしていて、Mは無造作に靴で砂を払うものだから一部が砕けてしまったりと、全く保護などされていなく野晒しの状態であった。

やがて古代のロマンに浸る空気を突き破る怒号が響き渡り、赤いクフィーヤを頭に巻いたベドウィンのオヤジが凄まじい剣幕でやってきた。しかしMが説明すると次第に皆さん破顔一笑。Mは自分の家系を説明したそうだ。どうやら数年前この遺跡の発掘時にずいぶんと金がでたそうで、オヤジは一応見張り役をしているらしい。

IMGP4143諸行無常、盛者必衰、思わず平家物語の一節が口からこぼれる。全ては変わり続ける。あのローマ帝国も滅びた。現在の帝国はいつまで続くのだろう。誰もが死からは逃れられない。天を仰ぐ石版のレリーフには、どれだけの想いが刻み込まれてきたのだろうか。日輪からの光は幾万もの夜をこえて、風化の進む文様のひとつひとつに染み入るように注ぎ込まれ、今、再び落日を迎える。そしてこの度の旅の終わりが近づいている。

帰りの車の中で、Mは友人のOとベドウィンの唄を口ずさむ。心地好い拍子と旋律に、魂の古層で錆付いていた記憶が時空を超えて共鳴する。唄は終わるし、唄い手も一生も、終われば夏の夜の夢のようなものかもしれない。風の前の塵のように万物は流転するなかで、それでも精神を介し伝え続け変わらぬものが確かに存在すると信じる。そしてそういう有り難いものに、いつも触れることができるような人間でありたい。

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February 27, 2005

アンマン到着までの顛末(25日)

ダマスカスからアンマンに向かう乗合タクシーのドライバーはえらくせわしない奴だった。滅多矢鱈にクラクションを鳴らしハイスピードで車をぐいぐいと追い抜き追い抜き何やら独り言をまくしたてている。アラブでは一般に車の運転は大阪の人も真っ青になるほど荒っぽいものだが、このドライバーはまた格段に危ないなあと思っていた。しかしダマスカスを離れるにつれ次第に交通量も減り比較的静かになってきて、うとうとと眠りかけているとあっという間にシリア側国境にたどりついた。税関でもドライバーは「早く早くこっちこっち」と喧しい。それでいて言われたところはシリア人用の窓口だったりする。何なんだ彼はと思いながら出国スタンプをもらって車に戻るとドライバーが来ない。同乗者の子連れのシリア、ヨルダン人夫婦も待ちくたびれている。こういうときはアラブ人から学んだインシャアッラー(神がお望みならば)の精神で、まあなるようになるさと決め込んでヨルダンのガイドブックなどを読んでいるうちにまたうとうとと夢の中。夕べはネットカフェでイラク人の友人とばったり出会って深夜2時過ぎまで話し込んでいたのでやはり眠い。しかし世界は狭いものだなあ。

国境に着いてからもう2時間は経っただろうか。すっかり眠りこけているところ肩を叩かれはたと起きると何とドライバーが二人の警官に挟まれていてしょんぼりとしている。これまでとはうって変わって悄然と肩を落としていて、手元を見るとなんと手錠をかけられているではないか。一体何をやらかしたんだと聞いてみたが誰も英語が話せなかったのでよくわからない。片言のアラビア語を通じて何やらビザに問題があったらしいことはわかった。お縄になったドライバーはダマスカスに警官同行でとんぼ返りということで、代金を半額返してもらったあと我々は国境に置いてきぼり。席に空きがあるアンマン行きのタクシーをひろえばいいのだが、これがまたさっぱり来ない。やがて陽は落ちて冷えてくる。ヨルダン側に行かないと売店すらないので腹は減る。ノーマンズランドに放り出された難民の気持ちがほんの少しだけわかったような気分。寒さとひもじさに震えながら待つこと約2時間。ようやくタクシーを拾えてアンマンへ。結局国境を通過するのに5時間近くもかかってしまい、アンマンまで通常3時間程度のところ8時間もの長旅になってしまった。

IMGP3958アンマンダウンタウンではいつものファラホテルにチェックイン。時刻はもう夜9時を回っていた。ホテル近くのイラク人従業員がいる食堂、通称「イラクめし」で安くてうまいチキンを食って空腹を満たす。近所のネットカフェへ。そういえばファラではいつものスタッフがやけに少ないなあと思っていたら、なんとここに勢揃いしているではないか。遊びに来ているのかと思いきや聞くと皆ファラをやめてここで働いているそうだ。しかしこんな近所でスタッフ総異動とは。理由を聞くとばつが悪そうに微笑む。突っ込んでは聞かなかったがどうやらみな一斉に首になったらしい。昨年イラクからの帰りにアンマンに立ち寄ってから早半年。様々なことが変わり始めている。

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February 26, 2005

やっとこさアンマン到着

ダマスカスからアンマンへの移動中、なんと乗っていたタクシーのドライバーがシリア国境で逮捕されてしまって、4時間以上も待ちぼうけを食らうという散々な目にあいました。なんでもドライバーのビザに問題があったらしいのですが、詳しいことはよくわかりません。その後タクシーはつかまらず、予定を大幅に遅れてしまいましたがなんとかアンマンには到着しましたのでとり急ぎおしらせまで。

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日帰りベイルートの旅 4 (24日)

IMGP3943せっかくだからと海岸沿いを奇岩「鳩の岩」まで散歩した。はじめてみる地中海は美しく、目に焼きついて離れない先程の爆殺現場とのコントラストに心が慣れるまでしばし時間がかかった。のんびりと釣り糸を垂れるおじさんたち、まだ海水は冷たいだろうに飛び込みに興じる若者たち、肩を寄せ合って愛を語らう恋人たち。シリアとはまた異なるが、潮風に乗って時間はここでもゆるやかに流れている。しかしふと見上げたビルには無数に開いた弾痕などあり、15年も続いた内戦の爪あとは所々風景を軋ませている。そう、忘れてはならない。ここはあの1982年のイスラエル軍による大侵攻の舞台ベイルート。一枚一枚上塗りを剥がしていけば、二千人以上の一般市民が殺されたともいうあのサブラ・シャティーラの虐殺の地獄絵図が浮かび上がってくるのだから。

IMGP3949途中疲れて立ち寄ったコーヒースタンドでも、ハリリ氏のポスターに迎えられる。店主らしきおばさんも「彼は本当にすばらしい人だったわ」と故人を偲んでいた。話が自分のイラクでの活動に及ぶと、なんと彼女はレバノン国籍をもっているが生まれはイラクで6歳の頃までバグダッドに住んでいたという。すると隣で駄弁っていたおばあちゃんのウム・ハッサンさんもモスル生まれのバグダッド育ちということが判明。しかもドーラ地区にいたということもあってローカルな話題に花が咲いた。今でもサダムのことが大好きだといってはばからないウム・ハッサンさん。家族の大半がバグダッドにいるので、戦前まではしょっちゅう帰っていたが、いまではやはり危なくなりすぎてまったく帰ることが出来なくなってしまったらしい。さすがにイラク人らしく底抜けに明るく振舞っていたが、聞くとやはり寂しいとのこと。昨年のファルージャの虐殺についても心を痛めていて、イラクの人々を気にかけてくれてありがとうと、コーヒーのおかわりをご馳走してくれた。ウム・ハッサンさんは膝を悪くしているらしいのだが、今度知人の日本人の招待で、日本で治療が受けられるかもしれないと、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして喜んでいた。

時に塗り重ねられた記憶はまた、皺に刻み込まれた記憶と共鳴し、ここベイルートでまた新たな和音となって響き渡る。午後の太陽は地中海の波に乱反射して、誰の上にも変わらぬ光が注がれていた。

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日帰りベイルートの旅 3 (24日)

IMGP3937続けてハリリ前首相が爆殺された現場にも足を運んでみた。バグダッドでは見慣れた風景なのだが、突如として地中海の背景に切り替わり思わず足がすくんだ。海岸沿いの通りの中心で爆発があったらしく、道路を挟んで二つのホテルがひどく損壊していて、どす黒い焦げあとが生々しい。とくにハリリ氏がいたというホテルは、上部が大きく崩れ落ち、遠くからでよく確認できなかったが鉄骨のようなものなど様々なものがひしゃげていて、爆発の凄まじさを物語っていた。

立入禁止の境界線付近で現場を眺めていた若者二人に声をかけてみると、実に気さくに応じてくれた。二人はベイルートアラブ大学に通う学生で、ムハンマド君19歳とウィサム君20歳。これから顕花に向かうところだと言う。爆発当時の状況を聞いていると、向こうから「誰がやったと思う?」と聞き返してくるので、先日のユスフさんの見解なども参考にしながら話すと、「もちろん。シリアが関与しているなんてあり得ないよ。ここベイルートでも傾向としてはイスラム教徒がシリア関与説を否定していて、その他の宗教の人々が怒りをシリアにぶつけているって感じ。こうしてレバノン内に対立を生み出して、一体誰が得をするかってことを考えれば、やはりアメリカかイスラエルが関与していると考える方が自然だよね。新たな紛争が起こればイスラエル軍がまたレバノンに簡単に入ってきやすくなるだろうし、アメリカがシリアを叩く理由にもなる。」

聞いていて、昨年バグダッド滞在中キリスト教の教会が立て続けに爆破されたときに何人かのイラク人から聞いた話を思い出した(関連情報)。元々平和に共存していた宗教や宗派、民族間の対立を煽り立てることにより軍事的介入の口実を拵えていくのは歴史上大国の常套手段ではあるが、今のイラクで、そしてここレバノンでも同じ手が使われようとしているのかもしれない。どうして人間はいつの時代も歴史から学ばないのだろうか。たしかヘーゲルあたりがいっていたような覚えがあるのだが、人間が歴史から学べることがあるとすれば、人間は歴史から何も学ばないということなのだろうか。しかし反シリア一色という印象だったベイルートで、さっそくこうした若者に出会えたのは嬉しかった。
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日帰りベイルートの旅 2 (24日)

IMGP3928気になったのは、顕花会場の隣、建築中モスクを取り囲む塀に等間隔でハリリ氏のポスターが貼られているのだが、その隙間をくまなく埋めるように書き込まれた落書きだ。ほとんどはアラビア語で判読できないが、所々英語で書いてあって、そのほとんどが、「シリア出て行け」、「シリアが憎い」、「シリアはテロリスト」、「F××K シリア」などという罵詈雑言。先日のデモでも反シリア一色になったと報道があったが、実際自分の目でこうした憎悪の感情を目の当たりにすると本当にやるせない気持ちになってしまう。そういえばダウンタウンまでのタクシーの運転手もシリアは良くないと言っていた。

ハリリ前首相は生前実に多くの慈善事業に関わっていて、多くの人に愛されていたことは間違いない。その彼を喪失したことに対するやり場のない気持ちを、事件の犯人にぶつけるのは止むを得ないとしても、どうしてまだ犯人が決まったわけでもないのに一部の報道、とりわけ欧米メディアから流される米英の政府見解を鵜呑みにしてしまうのであろうか。こんな得のない選択をあえてシリア側がとるわけがないというのは、冷静に考えればわかると思うのだが。いち早く犯人を特定して安心したいという心理がそうさせるのか、とにかく不安な心理状態では往々にして常識的判断能力が失われるというのは、9・11直後のアメリカ全土の反応を思い出してしまう。

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February 25, 2005

日帰りベイルートの旅 1 (24日)

IMGP3932ハリリ前首相爆殺事件がどうしても気になっていたので、思い切って早起きして乗り合いのタクシーに乗りベイルートまで行ってみた。国境を越えた途端に、シリアでは見られないマクドナルドやマルボロの看板が目立ち、やがてハリリ氏の看板が現れてくる。やがて雪のレバノン山脈を越えるとそこは地中海からの潮風吹くレバノンの首都ベイルート。ダウンタウンを歩いて驚いたのが、あちらこちらにハリリ氏の遺影がはってある。お店の戸口にはほとんどと言っていいほどあの独特の顔が。例えは非常に悪くて申し訳ないが、戦前のイラクでどこに行ってもサダムに見つめられていたことを思い出してしまった。ダウンタウンの外れでは顕花の式典が行われていて、沈痛な面持ちで祈りを捧げる人々で溢れかえっていた。レバノン国旗とハリリ氏の遺影をあちらこちらに貼りまくったスクールバスから、やはりレバノン国旗とハリリ氏の遺影を掲げたちびっ子たちがぞろぞろと降りて顕花に向かう。まさに国中で喪に服している。(続く)~明日25日アンマンに行きます~

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シリア人アーティストALWANI氏(23日)

IMGP3899通りを歩いていてふと目に付いたポスターがあり、どうやら現代アートの展覧会のようなので行ってみた。ギャラリーは国会議事堂近くの路地にあるアパートメントの地下にひっそりと門を構えていて、中には30点ほどの作品が展示されていた。生命の原初的な躍動を感じさせる力強いフォルムと色彩に魅了される。シリア人アーティストのALWANI氏の個展のようで、作家本人もいたので少し話をすることが出来た。

イラク現代アートプロジェクトLAN TO IRAQのことを話すと、やはりイラク人作家のヌーリ・アル・ラーウィー氏のことは知っていて、有名なイラク人作家イスマエル・ファタ氏とは親友なのだそうだ。彼も今のイラクを憂い、作家と自由な交流が出来ないことをとても悲しんでいたが、それでもアートが人々の意識を変える力を持ち、それによって世界が変わっていく可能性について、瞳を潤ませながら情熱的に語ってくれた。また、日本をはじめ東洋の美術にも影響を受けたといって評価していた。

気に入った作品は売約済みだったが、今後もダマスカスで個展をやるそうなので楽しみだ。偶然とはいえ、このシリアアートとの出会いは嬉しかった。普段はベルギーに住んでいるらしく、パソコン等は人類が堕落する元凶だと言ってメールなどは一切やらないそうなので連絡を取り合うのがちょっと大変だが、今後につなげていければと思う。

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