January 02, 2008

恭賀新年&PEACE ON新しいウェブサイトのおしらせ

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あけましておめでとうございます。

PEACE ONのウェブサイトが新しくなりましたのでおしらせします。
http://npopeaceon.org

まだ編集中のところもありますが、これから充実させていきますのでよろしくおねがいします。また、これまでこのブログで紹介していたようなイラク関連記事は、今後はこの新しいウェブサイトに書き込んでいく予定です。(このブログはとりあえず残しておきますので過去の記事はご覧になれます)

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November 06, 2007

共に歩いて

絶望しかけていた友から、「おかげで何とか持ち直してきた。ありがとう」と返事がきた。

「誰かを激しく愛していればいるほど、裏切られたときその事実を受け入れることはとても困難なこと。俺にとってのイラクは、まさに教育、歴史、文化の全てであり、誠実で美しい人々が住むところ、そしていつまでもここで暮らしたいと夢見ていた故郷・・・。しかしあれから、君が言うように、この戦争と占領のせいで、全てが変わっていった。もちろん俺だって、この戦争と占領が全てを変えたって事はしっている。でも、こんなにも早く悪く変わってしまうことが、どうしても信じられなかったんだ。」

「とにかく、君に自分の思いと苦しみの全てを話してから、怒りは少しずつ収まっていったよ。決してイラクそのものが間違いだったわけではない。イラクはその名と歴史によって、誇り高くあるだろう。そして子どもたちには何の罪もないんだから。これまでよりイラクの人々には気をつけなければいけないけど、支援はもちろん続けるよ。とにかく、俺はイラクを愛し続ける。たとえ何があっても、俺はチグリスとバビロンの息子なんだ。大きな支えをありがとう・・・」


こんな感傷的なやり取りは、ただ私たちの活動の未熟さを醜く曝け出しているだけであり、紹介などするべきではないのかもしれない。しかし、これもまたイラクの現実のひとかけらであり、これまでイラクの友と共に歩んでこなければ決して見えてこなかった現実のひとつだと思い、あえて紹介した。

たとえナイーブだと呆れられても、あの戦火の下から彼と共に希望を持って歩んできた私にとっては、そして私たちにとっての希望である友の絶望は、どんな凄惨な遺体の写真を送られるよりも、一度に何百人も殺されたなどと伝えられるよりも、遥かに重く心に圧し掛かる。彼にとっての希望であるイラクの絶望は、どれだけ重いものだろうか。

イラク人が絶望したら、イラクを支配したい輩の思う壺だとは、まさにその通りではある。しかし、今の彼らの絶望に深く加担してきた一味である私たち日本人から、絶望してはいけないなどとどうして言えるだろうか。彼らの絶望は、私たちの責任である。彼らが希望を抱けないのは、私たちの支える力が足りないからだ。絶望するなと言う前に、私たちが彼らと共に希望を見出せるように、力を出し合っていかなければならない。

絶望を乗り越えていく希望を見出すためには、その絶望の深さをしらなければならない。彼らがたたずむその深淵の闇に共に身を沈め、その震える魂の鼓動を感じるまで寄り添うほど近づいて、彼らの身になり考えていくことが、どこまで出来るのだろうか。しかし、彼らと共に絶望を乗り越えていく、真の希望を見出していくということは、そういうことではないだろうか。

彼らの絶望は、私たちの想像ではとても見渡せないほど深い。今の私がかけられる言葉などでは、とてもその深淵を照らすことなどできやしない。それでも、たとえ刹那の気休めにしかならないとしても、友の目の前の闇を照らす一滴の光にだけでもなれないものだろうか。その一心で私は、友に言葉をかけ続けようと思う。共に絶望の淵を歩いていこうと思う。

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November 03, 2007

友への返信

先に今日イベントの宣伝から。

ライブ&トークイベント「カフェスロージャッ9」
時間:18:30(開場18:00)~21:00
場所:カフェスロー(東京都府中市栄町1-20-17/042-314-2833)
http://www.cafeslow.com/
参加費:予約1800円/当日2000円(ともにワンドリンクつき)
※予約先:042-314-2833(カフェスロー)
トーク:相澤恭行(PEACE ON)/松村真澄(ピースボート)
ライブ:ピースフルベジタリアンズ/櫛田寒平/風義/幸
主催:9LOVE(クラブ)
http://www.9love.org/

(友の絶望の続き)

「あまりの衝撃に混乱して、なんて書いていいかわからず、すぐに返事が出せなかった。家族に起こった事については、僕も本当に驚いたし、君の衝撃はさらに大きかっただろう。あんなことを聞いた後なら、君の気持ちも理解できる。僕だって、君の立場なら同じように感じたかもしれない。

しかし友よ。心して言うからどうか聞いてくれ。僕は本当に君の気持ちは理解するけど、イラク人が良くない人間だなんて意見には決して同意できない。少なくとも、君と、君の家族が、僕にとって素敵な人間でいる限りは。

君はどうなんだい?君は自分の家族すら、そして自分自身すら信じられないって言うのかい?たとえ君がイラク人を信じることができなくなったとしても、君の家族と、君自身を信じることができる限りは、イラク人が良くない人間だなんてことは言えないだろう。

確かに、このイラクの現実を見れば、そんな風に考えてしまうことは無理もないかもしれない。でも、そんな考えは、ただイラクを支配したい輩を利するだけじゃないか。

僕の考えでは、今、イラクで起こっている全ての悪い事は、この戦争のせいであって、決してイラク人の人間性によるものなんかじゃない。戦争は、ただ建物を破壊したり、人々を殺したりするだけじゃなく、どんな人間でも持っているはずの良心そのものを破壊するんだ。

人間は、善も悪も併せ持っている。完全に善な人間もいないし、完全な悪なんて人間もいない。人間には、国や民族、宗教などによって、様々な違いが見られるとしても、決してそんな範疇で善と悪が分けられるわけじゃない。

いっそのこと、「イラク人」なんて範疇は忘れようよ。そもそも、イラク人って誰?イラクって何?その昔、アラブ世界を引き裂いたあと、イラクなんて国を作ったのは誰?

友よ。僕だってイラクプロジェクトなんてやっているけど、「イラク人」なんて別に気にしていない。彼らが「イラク人」だからイラクの人々を支援しているなんて、決して言わないよ。「イラク人」だからじゃなく、イラクの支援が必要な人々のことを心配しているんだよ。

君が良く知っている通り、初めて戦争を体験したイラクは僕にとって特別なところ。だから、まずはイラクでのプロジェクトから始めたんだ。空襲下を共に過ごした特別な親友である君といっしょにね。あの戦争の前、イラクに行こうと決めたのは、全ての戦争を憎み、今始まらんとしているイラクへの攻撃をどうしてもやめさせたかったから。「イラク人」だからって理由じゃない。他の場所が狙われていたら、そこに行ってたかもしれない。

イラクで僕は多くの素敵な人々に出会った。そして、たくさんのことを学んだ。生きるために大切なことを。それは日本では忘れかけられているように感じた。やがて彼らのことが大好きになって、イラクのことをもっともっと知りたくなってきた。そしてこのご縁を大切にして、出来る限りの手助けをしたくなったんだ。

親愛なる友よ。今、イラクで起こっている全ての悪い事は決してイラク人の人間性によるものなんかじゃない。人間である限り、誰もがそうした悪い性質を持っている。普段はそうしたものを抑制することが出来ても、一度戦争がやってくれば、そうした悪い性質はいとも簡単に暴れだしてしまう。イラク人ではなく、この戦争を責めるべきなんだ。全ての悪は戦争から生まれる。今イラクで起こっていることもそうだ。そして、こうした悪は人々の間に不信の悪循環をつくりだし、それはやがて世界中に拡がっていく。これは大変危険な流れであり、今まさに我々が直面していることなんだ。

お互いに信じあうこと。こうした悪循環を乗り越えていくためにはそれしかない。「人間の盾」の理念を思い出そうよ。イラク人のことも、アメリカ人のことも信じることが出来なければ、とてもあんな危険な活動はできなかった。この信念から、人生の中で最も信頼できる友である君と共に、僕はPEACE ONを始めたんだ。そしてイラクにとっても、僕たちにとっても苦しい状況が続いているけど、今も活動を続けていられるんだ。

君はきっと、そんなことが言えるのはイラク人じゃないからだって言うだろう。その通り、こんなことが言えるのは、僕がイラク人じゃないからだよ。この点で、僕は君の「イラク人であるという鎖を解く」という考えには賛成なんだ。たとえ君がイラク人でなくなってしまっても、僕らは一緒に活動できると信じている。まずは、僕らにとって縁のあるイラクで助けが必要な人たちから、そして、どこだって出来るところから助けに行こうじゃないか。」


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July 26, 2007

祝いと恐怖

またしてもずいぶんと更新の間が空いてしまいすみません。昨夜のサッカーアジアカップ準決勝サウジVS日本戦、勝って夢のイラクとの決勝戦か?!とドキドキして観てたので、負けてちょっとしょんぼり。勝ったイラクでは相変わらず実弾祝砲の雨なんだろうなあと、喜びと心配で複雑でもある。前回バグダードで祝砲体験したときには、冗談抜きに死ぬかと思った。実際流れ弾で死ぬ人も多いので、嬉しい気持ちはわかるけど本当にやめてほしい。

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約一年ぶりでイラクに戻った友人からのメールでも、街に繰り出し決勝進出を祝い踊る人々の写真が送られてきた。この日ばかりは誰もが毎日の恐怖と苦悩を忘れて、警察とすら一緒に踊っていたという。(写真はイラク北部モースルにて)

ほっとするのもつかの間、路上に放置された遺体の写真も同時に送られてきて言葉を失う。バグダードの家族は全員モースルに避難してきたようだ。家を守ると一人踏ん張っていた父親も、もはや限界だと言う。家族から聞いた悪夢のような日常の数々は、あまりの量でとてもいまここに書ききれないし、読んだばかりでそんな心の余裕もない。祝砲をやめてもらう以前の問題なのだ。

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June 23, 2007

はじめての防衛省

Imgp7463_120日(水)、友人のジャーナリスト志葉玲の音頭で、増山麗奈画伯、参議院議員候補の川田龍平さん、写真家の森住卓さんと一緒に、防衛省へ申し入れ書を渡しに行く。例の自衛隊情報保全隊による監視対象にされたことへの抗議のためだ。

担当者は、防衛大臣の答弁をなぞる通り一遍の説明のあと、「自衛隊員の安全を脅かしたり、隊員を不安にさせたりするような外部からの働きかけから隊員を守るために情報を集めていた」と話すので、「もし私がサマーワの宿営地前で抗議活動等をしていたというならまだしも、イラクで画家と出会って交流したことや、子ども達への支援活動のために医薬品関連の情報交換の電話をしたことまでこと細かく記録されるのはなぜか?こうした活動すら隊員の安全を脅かす活動にあたると解釈されるのか?だとすればその基準をもう少しはっきりと教えてほしい」と質問すると、「一般論で考えれば、画家との交流が対象になることはないでしょう」と前置きした上で、「イラクに関することであれば対象になることはありえるかもしれませんが、その基準をお伝えすることはできません」と言う。なるほど監視対象の基準などは情報保全隊内部で恣意的に決められる仕組みになっているというわけだ。

私の場合、イラクでの画家との交流や支援活動という理由などではなく、「人間の盾」経験者ということで監視対象にされていたのだろう。前にも書いたとおり、自分自身はこの程度のことは覚悟していたので、別に今回のことがあったから発言や活動を控えようとかは全く考えていない。心配なのは、これから何か発言なり行動なりしようとしている人々が、「こんな風に調べられるくらいなら黙っておこう。政治的な色がつくのも嫌だし・・・」などと、自分も調査対象になるのでないかと不安に駆られて萎縮してしまうのではないかということだ。

今回のことを、「一般に公開されている資料等の情報を集めただけだし、別に問題ないんじゃないの?」と感じる人も多いと思う。確かに、盗聴や直接的弾圧などがあったわけでないだろうから、私も今回のことに限定すればそれほど大きい問題だとは思っていない。しかし問題はその集めた情報の評価の仕方と、あいまいな対象基準がこれから際限なしに拡大していく可能性である。ぜひ公表された資料に全て目を通してみて、その分類の評価の仕方の「気持ち悪さ」を味わってみてほしい。そしてそこに自分の名前が入っていたらと想像してみてほしい。それでも問題ない、気落ち悪くないと言い切れる人がいるとすれば、その人はすでにその「気持ち悪さ」を作り出している人間のひとりなのかもしれない。

結局担当者からは、我々の申し入れに対する返答はもらえなかった。はっきりしたことは、今後もこうした監視・調査活動を続けていくということだ。最後に「何のために?」と質問すると、「わが国と国民の安全のために・・・」とはじめるので、「ではたとえ国民がその調査によって不安に駆られるという本末転倒な結果になっても続けるのですね?」と付け加えると、時間切れもあって答えてくれなかった。

少しでも気持ち悪さを取り除けたらとも思ったが、ますます気持ち悪くなってしまった。やはり20分やそこらでは短すぎるというのもある。もっと話し合う場が必要だとも感じた。

もちろん私も、今回のことは別にたいした問題ではなかったで終わることを望んでいる。結果的に、「ほら杞憂でしょ。なに騒いでんの?」と、変わり者扱いされて終わりなら、それはそれで素晴らしいことだ。しかしこういう権力による恣意的な行動は、放っておくと増長するのが歴史の常である。もう何も言えない気持ち悪い社会になっていたと、気付いてからでは全てが手遅れになってしまう。

取材のため、正門の「防衛庁」から「防衛省」に架け替えた看板の前で長時間立っていると、直射日光のためか頭がくらくらして気持ち悪い。やがて轟音と共にビルの隙間からヘリコプターの黒い影が姿を現し、暑さもあってかつてバグダードで見た風景と重なり合った。しかしバグダードでこの速度で飛んでいたらもう撃ち落されているだろうと気付き我に返ると、日産のバス「シビリアン」が自衛官を乗せて正門をくぐる。なるほど、「シビリアン・コントロール」とはこのことかいと軽口をたたいて家に帰ると、改正イラク特措法成立のニュース。イラクの友人からは、イラク国内はますますひどくなる一方だ、電話断線でバグダードの家族と10日も連絡が取れていないと嘆きのメール。この気持ち悪さは暑さだけではないようだ。
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June 07, 2007

なるほど自衛隊

一週間の四国講演行脚を終え、静養中のつれの待つ京都に立ち寄った途端に飛込んできたのは自衛隊内部文書のニュース。早速ダウンロードして読んでみると、自衛隊のイラク派遣に反対する市民の活動が事細かに記載されている。そして「イラク現地における国内勢力の動向」というところを見てみると、
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実名こそ出ていないが、自分をはじめ友人達が出てくる出てくる。しかし支援やイラク人画家との交流活動まで監視対象になっているとは・・・。

私自身はイラク戦争中の「人間の盾」に参加した時点で、国家による監視対象になるのは当然覚悟のうえで、これまで実名で活動を続けてきた。こうした市民活動の監視は、公安警察や公安調査庁では常識だろうから、自分のことが記載されていること自体は特に驚かない。しかしこうして実物を見せられると何とも気味の悪いものだ。

しかもこれは公安によるものではなく自衛隊の情報保全隊によるものだ。別に公安ならいいというわけではないが、「自衛隊の機密情報の保護と漏洩の防止」が情報保全隊の任務だというのなら、どう考えてもその範囲を逸脱している。国内世論を把握しようとするのは自然なことだと思うが、必要以上に監視の目を張り巡らせ、ここまで微に入り細に穿ち市民の活動を記録した文書を見せつけられると不気味としか言いようがない。

大手新聞も一面で取り上げたのは一部で、他は申し訳程度というのも気になる。メディアだって監視対象にされているのに、そのメディア自身がこの問題をしっかり追及できないとすればこれは致命的ではないだろうか。

イラク邦人人質事件のときの自己責任論の嵐にも感じたことだが、このままでは一般市民がますます萎縮してしまうのではないかと心配だ。私のように割り切って活動している人間は別として、なんとなくおかしいと感じて、ちょっとでも声をあげてみようと思っている人々にとっては、こうして監視対象にされるくらいなら黙っておこうと考えてしまうのではないだろうか。共謀罪も然り、この国に充満している自由にものが言えない空気の濃度は増す一方だ。

そしてこの過剰な監視体制は、私たちに別な側面を教えてくれる。それは自衛隊イラク派遣の自信のなさと、自衛隊が守るものは決して国民ではなく、むしろ国民を敵と考えていること。つまり自衛隊とは、「自衛隊」という「自分達の組織を自衛するため」の部隊だったということだ。

しかしこんな情報漏洩が続くようでは、もはや自分達すら自衛できないほど堕ちているのかもしれない。

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March 22, 2007

彼方の空を見上げて歩く & ■イラク人青年招聘イベント「イラクの空には何が見える?」のおしらせ

3月19日のアラブ現代作家展のオープニングに来ていただいたみなさま、どうもありがとうございます。おかげ様で無事に開催することができました。(サウジからの作品がまだ届いていませんが・・・)展覧会は31日までやっていますので、まだの方はこれからでもぜひ観にいってください。また、オープニングに間に合わなかった記念図録(¥800)も今はギャラリーにて販売していますのでよろしくお願いします!


さて、昨日21日は少し遅刻してワールドピースナウの集会&デモ行進に参加。イラク開戦からもう4年。「忘れないように」と、節目節目にこうしたイベントをすること自体は大切なことだと思う。これまでも可能な限り参加してきた。しかし、今回ほど歩いていて自分の一歩一歩が惨めに重く感じられることはなかった。歩く前からそうなることはわかっていたので、いっそ行かないでいようかとも思っていた。毎日のようにイラクの友人から現場の地獄を聞かされている自分にとって、なにも地球が太陽の周りを一周したという節目に思い出さなくても、地球が一回自転する間に何度もイラクのことは考えている。あの日は別に特別な日ではなく、日常の一部なのだ。そのイラクで地獄と変わり果てた日常を営む人々にとっても、きっと特別な日でもないと思う。それでも、そうじゃない人々に向けて、「忘れないように」と訴えることは大切だし、何事もそうだが、たとえそれがつまらないと思っていても、自分は行かないでおいて外からつまらないと批判するのはずるいと思うので、たとえ批判するにもそこに自らの身を置いてから批判しようと思い参加した。

歩いてみたら、やっぱりつまらなかった。一歩、一歩を踏みしめながら、ビルの谷間の彼方の青く晴れ渡った空を見つめ、4年前に初めてデモに参加したときの自分を思い出した。イラク戦争がどうしても許せなく、一人悶々としていた職場を飛び出して、生まれて初めてデモというものに参加したのは2003年の1月18日、やはりこのワールドピースナウだった。自分と同じように、何か団体に所属しているわけではなく、ただ戦争に反対する個人としてたったひとりでやってきて歩いている人がずいぶんと多かったので、ああ、自分だけじゃないんだ、と嬉しくなった。一歩、一歩、空を見上げて「戦争反対」と唱えていると、己の無力さに打ちひしがれていた自分の心に光が差し込んできて、「何か出来るはずだ、動き出そう」という気持ちになった。つまりデモは私のハートに火をつけたのだ。

一度そうなると、爆弾を落とされるかもしれない空の彼方が気になって気になってどうしようもなくなってしまい、気が付くとその空の下、イラクまで行ってしまったのだ。本気で戦争をとめたいという自分の気持ちと、東京でデモをして歩いているだけという現実の自分とのギャップが、耐えられないほど大きくなってしまったからだ。本気で戦争に反対しているというのを、身体をかけて訴えたかったのだ。

実際にイラクに行ってみて、そのギャップは大いに縮まった。しかし結局戦争は止められず、人間の盾としてバグダード陥落まで残っていても、出来たことなんて、空襲下でイラクの人々と同じ釜の飯を食って友達になったことくらいか。盾がいたからライフラインの空爆が防げたというのも、いなかったらどうだったかとは試せないので確証がないし、本当に役に立ったことなんて、おそらくイラク人立ち入り禁止区域の遺体収容を手伝ったことくらいだろう。戦争を止めるにも、人々の命を救うにも、結局はなにひとつ役に立たず、これまでに感じたことのない新たなギャップに苛まれた。

結局誰も戦争を止められなかったのだから、人間の盾をはじめ、すべての反戦運動は失敗したのだ。同じことを繰り返しても、戦争は決して止められないだろう。ではどうすればいいのか。NO WARと反対しているだけでは、例え一度成功して止められたとしても、また次の戦争は止められないだろう。経済から政治まで、戦争が繰り返される社会の構造そのものを変えていかなければいけない。これは一度何か気の利いたイベントをやれば出来るという類のものではなく、日々の不断の努力の継続として、まさに一生をかけて、いや、むしろ全人類的な課題として、次の世代はもちろん末代まで引き継いで取り組んでいくべき問題だろう。つまり日常の生活そのものが問われているのだ。どんな仕事をするか、何を買うか、どんな発言をするか、誰に投票するか、等等。これら我々末端一人ひとりの行動が、積み重なって、複層的に絡み合い、この得体の知れない社会が生まれている。一握りの人間が全てをコントロールしているなどいうどこかで聞いた陰謀論で片付けられるほど単純な構造ならば、その一握りの人間さえいなくなれば世界は平和になるのだろうが、そうした発想は善悪二元論で対テロ戦争を喧伝する輩と何ら変わらない。問われているのは、得体の知れないこの社会の一部でもある自分自身はどうするのかということだ。

「There is no way to peace, peace is the way」という大好きな言葉がある。あるアメリカの平和活動家の言葉だそうで、私がイラクに行く前に流した決意表明を読んだアメリカ人が激励のメールをくれて、その中でおしえてくれた。平和を目的として考えると、「平和のために」などと言って戦争をやらかす輩がいる。だから目的は共に生きることにして、平和はあくまでもそのための道、不断の手段として考え、むしろ動詞として使っていこうと考え、新たなギャップを埋めるための第一歩として立ち上げたNGOを「PEACE ON」と名づけてみた。

NPO法人になってからもう少しで3年になる。イラクの人々に喜んでもらえることを、少しは出来たのかもしれない。たった一人でも喜んでくれる人がいれば、何もしなかったよりはましだし、その一人の喜びによって私も今日まで生かされてきた。しかし、イラク戦争から4年、これまで自分がやってきたことと、現実に起きていることの深刻さのギャップはますます広がっていくばかりだ。

一歩、一歩を踏みしめながら、あの4年前に見上げた空を思い出し、はるか彼方の空を想い、4年前と今のイラクとのあまりの違いに押しつぶされそうになった。一歩、一歩、踏みしめるごとに、今この刹那もイラクで殺されていく命を想像し、その重さに耐え切れなくなる。一歩、一歩、これまでの自分の歩みを振り返り、結局またここ東京から、さらに遠くなってしまったイラクの空をビルの谷間から仰いでいる自分に気付き、惨めさに足が震えてしまう。それでも、生かされて命がある限り、一歩、一歩、今日も歩いていくしかないのだ。

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以下、イラク人青年エイドワーカー来日企画のお知らせです。PEACE ONもビザ申請に協力しました。一時は無理かと思っていましたが、イラクホープネットワークの皆さんと在ヨルダン日本大使館の協力によって急遽来日が実現しました。期間があまりありませんが、宣伝&ご来場よろしくお願いします。この機会に一人でも多くの人にイラクの人の声を聴いてもらい、彼方の空の下で何が起こっているのか、しってもらいたいと思います。おお、もう明日には来日して家に来るのでこれから掃除せねば!

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January 04, 2007

断食修行を終えて

*昨年末はサッダーム処刑などのため掲載できず年をまたいでしまいましたけれども断食修行後の感想です。とても長いのですが、これまでの断食修行記を読んでくださった方、また関心のある方だけでも読んでいただけると有難いです。

断食修行を終えて
Danjiki_1おかげ様で無事に11年ぶりの臘八接心の断食修行をやり遂げることが出来て、毎日有り難く食事をいただいている。何を食べても美味しくて愉しいし、体調もすこぶるよく五感が冴えわたる。断食によって腸内はもちろん、身体全体がきれいに洗われて、全細胞が歓喜して蠢いているようだ。友人からは、何キロ落とせた?などと聞かれるが、もともと痩せているしダイエットという目的など全くなく体重は量っていないのでわからない。とにかく今は断食によって身体に与えられるこの有り難い恩恵をしみじみと反芻している。

もちろんこの有り難い恩恵は身体面だけではなく、心に及ぼす影響もまたはかりしれない。信心のない私は悟りどころかなにか新しい考えひとつすら生み出せなかったが、至極当たり前のことに新鮮な驚きをもって再会できたことは、何ごとにも代えがたい喜びだった。

別にこんな断食など経験しなくても、食べ物がいかに大切であるかなど、誰だって理屈では知っているはずだ。食べものが私たちの身体をつくり、生命を維持している。食べものがなければ、やがて個体としての生命は死を迎える。つまり食べものは生命そのものである。そして全ての食べものは生きものであるから、私たち人間をはじめ全ての生きものは、生きている限り、他の生きものを殺して自己の生命を維持するという業から決して逃れることが出来ない大変罪深い存在である。言い換えれば、私たち全ての生きものは、食べることを通して、他の生命によって生かされている存在でもある。つまり「食べること」は「生きること」そのものであり、私たちは「生きている」のではなく「生かされている」ということだ。

こんな当たり前すぎて普段は考えすらしないことを、断食中は何度も何度も考えさせられてしまう。そしていつもは当たり前だと思っていたことこそ、大変有り難いことだったと再発見し、その有り難さに感謝することを怠っていた自分に深く恥じ入る。やはり頭でわかっているというのと、自己身体を通して経験して考えるということは決定的に違うのだ。

振り返れば、11年前の断食初体験がきっかけとなって、自ら行動し自己身体を通して考え自己と世界を見つめなおすことの大切さに目覚めてから、より頻繁に海外に飛び出し異文化と触れ合うようになり、気がつくとイラク戦争では人間の盾までやっていたわけだ。「戦争とは人殺しのことである」という当たり前のことも、実際にその人が殺されている現場、四肢や臓腑が散らばり呼吸も出来ない死臭の中、遺族が嗚咽と慟哭を繰り返すあの現場で遺体収容を手伝ってみて、初めて戦争と死の本当の恐ろしさに気付き、また、そんな状況の中でも温かくもてなしてくれたイラクの民との交流によって、生かされてここにあるということの有り難さに気付くことができた。

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January 03, 2007

2007年あけました

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おかげ様で新しい年を迎えることができました。
2007年、今年もどうかよろしくお願いします。

YATCH@そういえば猪突猛進の年男

*版画は相澤一夫

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December 24, 2006

断食修行記 其の六

昨日のイベントで今年の講演は全て終了。みなさま今年も一年大変お世話になりました。さて、一時中断していた断食修行記再開です。こんな長いレポート一体誰が読んでくれているんだろうとも思いながら、今回は偶然クリスマスにちなんだような内容にもなっているのであえて本日掲載します。

*ここから「断食修行記 其の六」

七日目。三日間の完全断食、四日目の中食、そして五日目六日目再度の完全断食を経て、再び食をいただくときがやってきた。一度中食を挟んでからの二日間の断食はとても楽だったが、七日目の朝には一気に空腹感に襲われていたので、中食の時同様に食事の準備で果物などを切っている最中、しゃぶりつきたい衝動を抑えるので大変だった。早朝の御参りを済ませて、7時過ぎにはいよいよ食をいただく。まずは水、そして何杯もの梅湯と生野菜で体内を流すというスケジュール、そして昼、夜のメニューも、若干量が増えているだけで四日目の中食の時とほぼ同じ。やはり中食時同様、こんなにも食べることがありがたく愉しいものなのかという感動と、温泉上がりのような温かさに全身が包まれる。

Imgp6918この日は障子の張替えなどを手伝って、三日ぶりのお風呂もありがたくいただいた。お上人、安寿さんたちと共に、食事の偈を唱えてからいただくという規律はとても新鮮であり、ありがたいえびす顔をした道場主のお上人さまの秋田弁からこぼれる含蓄のある冗談と、安寿さんたちとの絶妙なぼけとつっこみが滑稽で笑いが絶えない。イラクなどアラブ社会で大家族に囲まれて食事をご馳走になるときも感じることだが、やはり大勢で食卓を囲むと愉しく食事がさらに美味しくなるものだ。食事が美味しいということが幸せの尺度の一つであるとすれば、核家族化が進む社会というのはまさに不幸な社会でもあり、さらに家族が一つの食卓を囲まずに銘々ばらばら好き勝手に飯を食っているような家庭においてはその極みであろう。この社会が履き違えた自由と引き換えに失ったものの大きさに、自戒を込めて思いを馳せた。


Imgp6921八日目。12月8日は太平洋戦争開戦の日、そしてジョン・レノンの命日として有名だが、お釈迦様が悟りを開いたことを祝う成道会の日でもある。この臘八接心の断食修行も今日でおひらきとなる。朝のお勤め、そして御参りはいつも通り。昨日まで好天に恵まれほぼ毎朝拝むことの出来ていた御来光は、昨夜から雨が降り始め天候が崩れてきていて残念ながらお目にかかれなかった。しかしこの日は仏舎利塔まで安寿さんたちも杖をついて御参りにやってきて、この一週間、誰一人体調を崩すことなく無事断食が出来たことを皆で感謝して祈った。本当に有り難い8日間を過ごさせてもらったと思う。

仏舎利塔の階段を降りるとき、私は齢90になる安寿さんの手をひいてあげた。腰は直角に近く深く折れ曲がり、細く小さく、くしゃくしゃに縮んでしまったその身体を、安寿さんは右手に握り締めた杖でしっかりと支えながら、私はもう一方の掌をしっかりと繋いで、階段をひとつずつ、転ばないように、ゆっくりと降りていった。安寿さんの小さな躯体はとても軽いのだが、階段をひとつずつ降りていくたびに、彼女の90年の人生の重みが、高々三十路半ばの自分の掌に、ずしりずしりと響いてくるようだった。ふと安寿さんを見ると、その小さな身体が、30年前の女の子の友だちの姿に重なって見えた。カトリック幼稚園からの帰り道、私は毎日のようにその目の見えない友だちの手を繋いで、幼稚園からすぐ下の洋菓子屋の彼女の自宅まで送っていた。階段をひとつずつ、転ばないように。とても小さくて、風が吹いたら倒れてしまいそうなほど華奢な体つきの女の子だった。小学校に入ってから、しばらくその女の子とも会わなくなっていたが、ある日突然亡くなったことを聞かされた。当時は神様といえばキリスト様かマリア様だったので、私は彼女はマリア様のところに帰っていったんだと思うことにして、悲しい気持ちを抑えようとした。階段をひとつずつ、転ばないように、と。そして今、手を繋いでいっしょに階段を降りている安寿さん。先日彼女が仏舎利塔の前にただひとり立ち祈っていた姿を垣間見て、心を動かされたあの美しい祈りの姿と、30年前、無垢な盲の少女が手を合わせてマリア様に祈る姿が、その時私の心の中で完全にひとつになっていた。私は安寿さんの手をしっかりと握りしめ、この不思議な再会を心静かに祝っていた。

Imgp6924御参りが終わり、最後の食をいただく。成道会のお祝いということで、イサキの塩焼きという尾頭付きである。本当に有り難い。断食後一週間は食事に気をつけるように、特に油ものを控えるよう、また、反動による食べすぎに注意するよう忠告を受ける。食後に部屋を掃除して布団を片付け、皆で感謝の辞を述べ合いご本尊に挨拶を済ませて、9時半過ぎには下山して娑婆に戻った。(断食修行記はこれで終了。あとは断食後感想に続きます)

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