January 04, 2007

断食修行を終えて

*昨年末はサッダーム処刑などのため掲載できず年をまたいでしまいましたけれども断食修行後の感想です。とても長いのですが、これまでの断食修行記を読んでくださった方、また関心のある方だけでも読んでいただけると有難いです。

断食修行を終えて
Danjiki_1おかげ様で無事に11年ぶりの臘八接心の断食修行をやり遂げることが出来て、毎日有り難く食事をいただいている。何を食べても美味しくて愉しいし、体調もすこぶるよく五感が冴えわたる。断食によって腸内はもちろん、身体全体がきれいに洗われて、全細胞が歓喜して蠢いているようだ。友人からは、何キロ落とせた?などと聞かれるが、もともと痩せているしダイエットという目的など全くなく体重は量っていないのでわからない。とにかく今は断食によって身体に与えられるこの有り難い恩恵をしみじみと反芻している。

もちろんこの有り難い恩恵は身体面だけではなく、心に及ぼす影響もまたはかりしれない。信心のない私は悟りどころかなにか新しい考えひとつすら生み出せなかったが、至極当たり前のことに新鮮な驚きをもって再会できたことは、何ごとにも代えがたい喜びだった。

別にこんな断食など経験しなくても、食べ物がいかに大切であるかなど、誰だって理屈では知っているはずだ。食べものが私たちの身体をつくり、生命を維持している。食べものがなければ、やがて個体としての生命は死を迎える。つまり食べものは生命そのものである。そして全ての食べものは生きものであるから、私たち人間をはじめ全ての生きものは、生きている限り、他の生きものを殺して自己の生命を維持するという業から決して逃れることが出来ない大変罪深い存在である。言い換えれば、私たち全ての生きものは、食べることを通して、他の生命によって生かされている存在でもある。つまり「食べること」は「生きること」そのものであり、私たちは「生きている」のではなく「生かされている」ということだ。

こんな当たり前すぎて普段は考えすらしないことを、断食中は何度も何度も考えさせられてしまう。そしていつもは当たり前だと思っていたことこそ、大変有り難いことだったと再発見し、その有り難さに感謝することを怠っていた自分に深く恥じ入る。やはり頭でわかっているというのと、自己身体を通して経験して考えるということは決定的に違うのだ。

振り返れば、11年前の断食初体験がきっかけとなって、自ら行動し自己身体を通して考え自己と世界を見つめなおすことの大切さに目覚めてから、より頻繁に海外に飛び出し異文化と触れ合うようになり、気がつくとイラク戦争では人間の盾までやっていたわけだ。「戦争とは人殺しのことである」という当たり前のことも、実際にその人が殺されている現場、四肢や臓腑が散らばり呼吸も出来ない死臭の中、遺族が嗚咽と慟哭を繰り返すあの現場で遺体収容を手伝ってみて、初めて戦争と死の本当の恐ろしさに気付き、また、そんな状況の中でも温かくもてなしてくれたイラクの民との交流によって、生かされてここにあるということの有り難さに気付くことができた。

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December 24, 2006

断食修行記 其の六

昨日のイベントで今年の講演は全て終了。みなさま今年も一年大変お世話になりました。さて、一時中断していた断食修行記再開です。こんな長いレポート一体誰が読んでくれているんだろうとも思いながら、今回は偶然クリスマスにちなんだような内容にもなっているのであえて本日掲載します。

*ここから「断食修行記 其の六」

七日目。三日間の完全断食、四日目の中食、そして五日目六日目再度の完全断食を経て、再び食をいただくときがやってきた。一度中食を挟んでからの二日間の断食はとても楽だったが、七日目の朝には一気に空腹感に襲われていたので、中食の時同様に食事の準備で果物などを切っている最中、しゃぶりつきたい衝動を抑えるので大変だった。早朝の御参りを済ませて、7時過ぎにはいよいよ食をいただく。まずは水、そして何杯もの梅湯と生野菜で体内を流すというスケジュール、そして昼、夜のメニューも、若干量が増えているだけで四日目の中食の時とほぼ同じ。やはり中食時同様、こんなにも食べることがありがたく愉しいものなのかという感動と、温泉上がりのような温かさに全身が包まれる。

Imgp6918この日は障子の張替えなどを手伝って、三日ぶりのお風呂もありがたくいただいた。お上人、安寿さんたちと共に、食事の偈を唱えてからいただくという規律はとても新鮮であり、ありがたいえびす顔をした道場主のお上人さまの秋田弁からこぼれる含蓄のある冗談と、安寿さんたちとの絶妙なぼけとつっこみが滑稽で笑いが絶えない。イラクなどアラブ社会で大家族に囲まれて食事をご馳走になるときも感じることだが、やはり大勢で食卓を囲むと愉しく食事がさらに美味しくなるものだ。食事が美味しいということが幸せの尺度の一つであるとすれば、核家族化が進む社会というのはまさに不幸な社会でもあり、さらに家族が一つの食卓を囲まずに銘々ばらばら好き勝手に飯を食っているような家庭においてはその極みであろう。この社会が履き違えた自由と引き換えに失ったものの大きさに、自戒を込めて思いを馳せた。


Imgp6921八日目。12月8日は太平洋戦争開戦の日、そしてジョン・レノンの命日として有名だが、お釈迦様が悟りを開いたことを祝う成道会の日でもある。この臘八接心の断食修行も今日でおひらきとなる。朝のお勤め、そして御参りはいつも通り。昨日まで好天に恵まれほぼ毎朝拝むことの出来ていた御来光は、昨夜から雨が降り始め天候が崩れてきていて残念ながらお目にかかれなかった。しかしこの日は仏舎利塔まで安寿さんたちも杖をついて御参りにやってきて、この一週間、誰一人体調を崩すことなく無事断食が出来たことを皆で感謝して祈った。本当に有り難い8日間を過ごさせてもらったと思う。

仏舎利塔の階段を降りるとき、私は齢90になる安寿さんの手をひいてあげた。腰は直角に近く深く折れ曲がり、細く小さく、くしゃくしゃに縮んでしまったその身体を、安寿さんは右手に握り締めた杖でしっかりと支えながら、私はもう一方の掌をしっかりと繋いで、階段をひとつずつ、転ばないように、ゆっくりと降りていった。安寿さんの小さな躯体はとても軽いのだが、階段をひとつずつ降りていくたびに、彼女の90年の人生の重みが、高々三十路半ばの自分の掌に、ずしりずしりと響いてくるようだった。ふと安寿さんを見ると、その小さな身体が、30年前の女の子の友だちの姿に重なって見えた。カトリック幼稚園からの帰り道、私は毎日のようにその目の見えない友だちの手を繋いで、幼稚園からすぐ下の洋菓子屋の彼女の自宅まで送っていた。階段をひとつずつ、転ばないように。とても小さくて、風が吹いたら倒れてしまいそうなほど華奢な体つきの女の子だった。小学校に入ってから、しばらくその女の子とも会わなくなっていたが、ある日突然亡くなったことを聞かされた。当時は神様といえばキリスト様かマリア様だったので、私は彼女はマリア様のところに帰っていったんだと思うことにして、悲しい気持ちを抑えようとした。階段をひとつずつ、転ばないように、と。そして今、手を繋いでいっしょに階段を降りている安寿さん。先日彼女が仏舎利塔の前にただひとり立ち祈っていた姿を垣間見て、心を動かされたあの美しい祈りの姿と、30年前、無垢な盲の少女が手を合わせてマリア様に祈る姿が、その時私の心の中で完全にひとつになっていた。私は安寿さんの手をしっかりと握りしめ、この不思議な再会を心静かに祝っていた。

Imgp6924御参りが終わり、最後の食をいただく。成道会のお祝いということで、イサキの塩焼きという尾頭付きである。本当に有り難い。断食後一週間は食事に気をつけるように、特に油ものを控えるよう、また、反動による食べすぎに注意するよう忠告を受ける。食後に部屋を掃除して布団を片付け、皆で感謝の辞を述べ合いご本尊に挨拶を済ませて、9時半過ぎには下山して娑婆に戻った。(断食修行記はこれで終了。あとは断食後感想に続きます)

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December 18, 2006

断食修行記 其の五

Imgp6920六日目。朝風も強くかなり冷えたので御参り後も寒くてしょうがなかったが、昨日と同じくずいぶんと楽にお勤めをこなすことができた。今日で丸一日断食とお勤めが続く日も最後かと思うと、苦しかった日々も妙に懐かしく、実に有り難い時間だったなと感じられる。「南無妙法蓮華経」のお題目も、いったい何回繰り返して唱えたことだろう。一分間に6回は唱えていたとして、一日13時間のお勤めで4680回の計算になり、それが丸5日は続いたわけだから、トイレ休憩など差し引いてもおそらく2万回前後は唱えていることになる。

南無妙法蓮華経とは、「妙法蓮華経(法華経)の教えに帰依する」という意味である。情熱的な法華経信仰者であった宮澤賢治の作品などを通じて、法華経の深遠かつ壮大な宇宙観にはたまらなく魅了されてきたものの、その全てを原典で読んだことはないので私にとってはやはり未知の世界だ。仏教が最先端の学問として渡来してきた聖徳太子の時代から法華経は日本でもなじみの深い経典であり、鎌倉時代の日蓮の登場によって、法華経は仏教の最高経典として民衆の間にも広がっていった。法華経を直接読むことの出来ない人間でも、法華経を信じて「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えれば、経典の全てを読んで実践するのと同じ功徳があり、誰の中にもある仏性が目覚めて成仏できるという。しかし断食までしてお題目を2万回も唱えてみたところで一向に成仏できない自分がいる。結局何億何万と唱えてみたところで、そこに信心がなければ永遠にただの不可解な七文字にすぎないのかもしれない。やはり内容を読んで理解することなしに、ただそのお経を信じればいいと言われても、どうしても納得できない自分がいるのだ。

お上人に伺うと、原典に当たっても決して簡単に理解できるものではなく、解説書などに頼っても幾多の解釈に惑わされるだけなので、むしろ解らないままでかまわないから何度も繰り返し原典を読んでいくことが功徳であると説かれる。その究極の形が「南無妙法蓮華経」の七文字の唱題なのだろう。あまりに深遠かつ難解な経典であるがゆえにとても一般大衆の手には届かなかったものを、こうして誰でもお題目を唱えるだけでその功徳に与ることが出来るようにしたのは、日蓮の計り知れない慈悲の心からなのかもしれない。それを心から信じてただお題目を唱えることが出来る人は本当に幸せだと思う。この広大無辺の宇宙の中で人間が知っていることなど芥子粒ひとつの大きさほどもない。ソクラテスの「無知の知」ではないが、自分は何も知らないということを知っている人間のほうが、自分は多くを知っているという人間よりは賢いのだ。この宇宙、生命、そして存在の神秘は、どんなにこの人間の頭で考えてみたところで、わからないものの方が圧倒的に多い。

自分自身の生命、そしてそれに連なる全ての生命を生かしているこの妙なる力は、たとえ科学が「どのように」というその仕組みを解明することは出来たとしても、「なぜ」それが存在するかという謎には決して答えることができない。古今東西、哲学がその「なぜ」に挑戦し続けてきたが、各々仮説の上塗りを繰り返すのみで、決して「なぜ」から生まれる人間の苦悩を取り除くことは出来ていない。芸術は「なぜ」の一面の美を垣間見せてはくれるが、感性がなければそれに気付けないままに通り過ぎてしまう。ただ宗教のみが、その「なぜ」に真っ向から対峙して人間に生きる意味を与えようとしてきた。主に西欧社会からは「神」をたてない仏教はよく宗教ではなく哲学だとも言われるが、「なぜ」により苦悩する人間の魂の救済を目的にしている以上、私はそれは宗教だと考える。

英語ではReligionと書くが、これはラテン語から派生した言葉で、「Re-ligion、再び結びつける」という意味があるようだ。キリスト教やイスラームなどの一神教の見方からすれば、かつてアダムの原罪以前は一体だった「神」と再び結びつくということなのだろう。しかし仏教の見方からすれば、山川草木悉皆有仏性(人間だけでなくこの世の全てのものは悉く皆仏になる性質をもっている)という言葉にもあるように、誰でももっているはずなのに自我にとらわれているがゆえに気付けなくなっている仏性、つまり己の中の仏と再び結びつくということなのだと思う。

これは「宇宙」と再び結びつくと考えたほうがわかりやすいかもしれない。生れ落ちた刹那は誰もが宇宙と完全なる一体のうちにあったが、自我の目覚めと共に自己と世界(宇宙)を引き離し、言葉と知識によって対象としての宇宙を分断して人間社会での生活に順応していく。しかし本来一体であった宇宙との分離は、人生の中でやがて耐え難い苦しみを生み出し、かつての一体感を渇望するようになる。性愛などによって一時的にかつての一体感を追体験できたとしても、かつて得た充足感を永遠に満たすものではなく、宇宙との断絶から生まれる根源的な苦しみからは決して逃れることはできない。そこで宗教が、その失われた人間と宇宙との繋がりを回復させ、苦悩する人間の魂を救済し、決してかつての母親の子宮内世界での状態に退行するのではなく、新たな人格を持ってこの現実世界に立ち向かうひとりの人間がこの宇宙と新しい関係を結び、永遠の生命の中で生きていくことを導いていくのだと思う。

現代社会においては、悪質なカルト(新興宗教)の氾濫や、歴史的にも誤った理解による宗教・宗派の対立、紛争などが絶えず、とかくに宗教そのものが誤解されているのは残念な限りであるが、現在のイラクを見れば明らかなように、その多くは政治的利害関係から宗教が悪用された結果の悲劇であり、宗教の本質とはかけ離れていると思う。教団などの組織体は別として、人間である限り宗教的なものからはけっして離れて生きていくことはできないと思うのだ。

そしてその神仏と人間、もしくは宇宙と人間との断絶を超えさせる力というのが、まさに「信じること」なのだろう。この信心こそが、人間にして不可能な断絶への跳躍を可能にする力に違いない。いくら頭で考えてもわからないその摩訶不思議なもの、その妙を、そのままで信じること。人間自我への敗北宣言、神仏への完全なる服従のみが、永遠の生命を勝ち取るというこの矛盾を、全身全霊で受け入れることである。しかしかつてキリスト教迫害の急先鋒だったサウロ(パウロ)が突如回心し熱烈な伝道者に生まれ変わったように、その信心がいつ人間に芽生えるのか、それはまさに神のみぞ知るではないかとも思う。他人からの信仰の強制などは言わずもがなだが、自分自身の意思だけでは、どうしても信心というものは生まれない。信心というのはまさに与えられるものであり、一神教的に言えば神の恩寵、仏教的に言えば仏の慈悲だろうか。

Imgp6914そうすると、話は戻るがやはり「南無妙法蓮華経」と「心から信じて」お題目を唱えることのできる人間は、仏の慈悲を受けるという僥倖に恵まれ、苦しみから救われた人間であると言うことができるのではないか。突如として降りてくるだろうその「信心」というものは、大変有り難いものに違いない。普段何気なく使う「有り難う」とは、「有るのが難しい」と書くが、文字通りさぞ有り難いことだろう。

断食を明けて食をいただいたときの有り難さこそ知ったものの、まだ信心の有り難さに恵まれない私は、お題目を唱えながら信心についてああでもないこうでもないと邪な妄想に悩まされるのであった。それでも「南無妙法蓮華経」という七文字のお陰で、その不可解さゆえに一体これはどういう意味なのかと、深遠かつ広大な法華経の世界、そして宗教そのものに対する関心の扉を開くきっかけにはなっている。それだけでも大変有り難いことは確かである。(つづく)

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December 16, 2006

断食修行記 其の四

(番外編としてちょっとした体験記を書いておこうというつもりだったのに、興にまかせて書いていたらずいぶんと長いものになってしまいました。よろしかったらもうしばらくお付き合いください)

五日目。前夜は中食によって臓器が興奮していたのだろう、すぐに寝付くことは出来なかったが、朝も全身が温まったままである。空腹感もなく、一日のお勤めをうそのように楽にこなすことが出来た。あの中食前の三日間の苦しみは何だったんだろう。やはり身体が生まれ変わったのか、それとも断食によって一度飢餓状態を体験した身体が、やっと摂取できた栄養分と熱量を、これまでのように無駄に消費せずに大切に使っていくことを覚えたのだろうか。いずれにしても自己身体の変容の不思議に深く感心する。

Imgp6840この日も初日同様鹿の家族が草を食みにやってきていた。鹿は時折思い出したようにすっくと首を上げて、本堂でお題目を唱えながらウチワ太鼓を叩くわれわれをじいっと見つめている。鹿の目にわれわれは一体どのように映っているのだろう、さぞけったいな生き物に見えるんだろうなあと思いながらしばし見詰め合う。かつては共存できていたはずの動物と人間。生存のためにやむなく動物たちの命を奪っても、野生動物たちの生きる世界を尊重してその霊を供養していた時代は、かろうじて維持された対等的な関係によってそこに人間と動物との魂の交感が成立する余地が存在し、言語以前の異種間対話が可能だったはずだ。そうした対話を通じてしか人間と動物の間の和平はありえない。しかし人間は箍の外れた欲望を充足させるためにこうした野生動物たちの生きる領域を次々に奪っていって、究極的には家畜化によってかつての対等的関係は破壊されていった。今日ではお互いの対話の可能性が失われたどころか、人間と動物のすむ世界間のこの悲しい断絶は、もはやかつて対話が成立したことの記憶すらも全て消去され、絶望的なまでの断絶状態に陥ってしまった。人間はその断絶をさも賢しげに文明などと呼び、いつでも好きなときにモノと同じように動物の命に手を加え、酒池肉林の宴を繰り返してその虚栄心を満たして悦に入ってきたが、ここにきて狂牛病やトリインフルエンザなど動物界からその断絶を打ち砕こうとする復讐とも言える攻撃にさらされている。これらはかつて対話が成立した対等的な関係を取り戻そうとして、なんとかしてそこに交感のための回路を生み出そうとする悲痛な試みなのかもしれない。そして、いまやその悲惨なまでの断絶は、人間と動物の間だけでなく、グローバリゼイションなどという美名の下で、同じ人間同士の間でも生まれている。しかし、対動物界同様、「対テロ戦争」などの手法では断絶をさらに深めるだけで、いくら続けてもさらなる攻撃を生み出し、いずれはお互いの世界が滅びていくことだろう。

Imgp6877_1結局異種間対話は成立しないまま鹿の家族は連れ立って林の中に消えていった。ふと北の窓に目を向けると、ゆっくりと仏舎利塔に向かって歩く小さな小さな老女の後姿が見えた。三日目から参加された安寿さん(尼僧)だ。11年前の断食でもご一緒だったこの安寿さんは、この度齢90にもなるとのことだが、耳は遠いものの頭は大変しっかりとしている。杖をつき、曲がった腰を支えながらも、一歩、一歩と、陽に白く輝く仏舎利塔に近づいていく。腰が悪く毎朝の御参りには一緒に行けないので、今お一人で御参りに行こうとしているのだろう。塔を登る階段の前にたどり着き、仏像の前で一礼すると、小さい躯体がさらに小さくなった。そのままどのくらいの時間が流れただろう。安寿さんはそのままの姿勢で微動だにせず祈り続けている。何を祈っているのかはわからない。ただ一心に、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱え続けているのかもしれない。私もただ一心にその祈る姿を見つめていると、仏舎利塔と安寿さんの姿が次第に溶け合っていって、これまで見えていた建造物としての仏舎利塔が、全く新しい意味を持った姿に変容して、私の心に立ち現れてきた。一心に祈り続ける安寿さんの後姿はますます輝き、それにともなって仏舎利塔も天の青と日輪に照らされた地の緑に包まれていよいよその白い輝きを増し、風景は完全なる調和による交歓の喜びに満ち溢れていた。ただひとり、仏の前に立つ小さな姥の姿に、人間の祈りの美しさを見た。神仏は信仰のある祈りによってのみ存在するのだろう。

神仏を殺してまでも文明の発展への道を勤しんできた人類によって拵えられたこの現代社会では、多くの人間が更なる発展と成功への強迫観念に憑かれてわれ先へと生き急ぎ、疲労で歪んだ皺だらけの顔を化粧やら整形やらでひた隠して、自分たちはいかに幸福であるかと見せびらかし合うことに余念がないが、その化けの皮を一枚でもひっぺがせば皆無明の地獄で悶え苦しんでいる。動物界に飽き足らず、同じ人間同士の間でも対等的関係をことごとく破壊して断絶を生み出し、それによって得られる束の間の富の饗宴に呆けているうちに、神仏の世界との断絶も絶望的に広がってしまった。気がつくと人類は切り離された世界の間に張り巡らされたこの虚ろな網の目の上で、綱渡りの稽古よろしくせっせと世渡りに勤しんできたが、ふとした瞬間にその断絶の底なしの深淵を覗いてしまい、足を滑らせて堕ちていくものが後を絶たない。いや、一度堕ちてでも見なければ、その断絶の本当の恐ろしさはわからないだろうし、誰もが皆いつかは切れる網の上で踊らされているということにも気がつかないだろう。そして、限りなく堕ち続けていくこの無間地獄の中で、その断絶の淵から救いあげてくれるものはただ一つ、信仰のある祈りだけではないのだろうか。

それでもまだ信心のもてない私は、安寿さんの美しい祈りの姿を、驚嘆と憧憬が入り混じった心でただただ見つめているのであった。(つづく)

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December 15, 2006

断食修行記 其の参

Imgp6850四日目。午前4時頃、いつもより30分早めに起きて中食のための支度をする。生野菜と果物を切って並べていくだけなのだが、これらがついにこれから胃袋の中に納まり自分の身体と一体に溶け合うのだと想像するだけで興奮する。朝のお参りを済ませて7時にはお勤めが終了。三日間の完全断食を経て、いよいよ待ちに待った中食である。

Imgp6862まずは丼に注がれた水をいただく。ゆっくりと口に含ませてから、ついに禁が解かれた食道へと静かに流し込むと、自然に目を閉じてある種の瞑想状態に入っている。長い旱魃が続いていた涸れた大地を、待ち焦がれていた雨がやさしく湿らせていくように、胃の中全体に水が広がっていく。じわりじわりと浸透圧によってこの命の水が周囲の細胞に吸い込こまれて全身に広がっていく様子が、驚くほど鮮明に感じ取れる。全細胞が歓喜の声をあげてこの命の水とひとつに結ばれた時を祝福しているようだ。これまでの三日間は、まさにこの至福の時を共に喜びあうために与えられたかけがえのない時間だったのだと、断食のありがたさを心からかみ締めることが出来る瞬間である。

Imgp6863続いて、丼にお湯をいっぱいに注ぎ、梅干をつぶしてかき混ぜた梅湯をいただく。キャベツ、人参、胡瓜、大根などの生野菜に味噌をつけて齧りながら、その梅湯を10杯くらい続けて飲むように言われる。さすがに5杯目あたりからきつくなってくるものの、やはり食することの喜びのほうがはるかに勝っているからだろうか、これが何杯でもおかわり出来るから不思議だ。

Imgp6864私の場合、7杯目あたりから下腹部に異変を感じ始め、ついに9杯目で堪えきれずにトイレに駆け込んだ。大量の梅湯が、これでもかこれでもかと豪勢に流れ出す。生野菜の破片に混じって、黒く細かいものも点在している。つまり梅湯と生野菜によって腸内がきれいに洗われたというわけだ。どす黒いものは、おそらく腸内に長年かけて蓄積され、へばりついていた宿便というものだろう。この飽食の世で、無反省に食を貪り続ける罪業が積み重なり、澱となってこの社会の至るところに沈殿している人類の宿痾もこんな色をしているのかしらん。

Imgp6869昼食には蒸かしたじゃが芋に薩摩芋、豆腐と茹でた白菜などをいただき、午後は本堂の天井の修理を手伝い、お風呂で三日分の汚れを洗い落とし、夕方一時間ほどお勤めをして、夕食には朝の残りで野菜のスープ、蕎麦粉汁などをいただく。


Imgp6883実に質素な食事なのに、何をいただいてもこの上ないご馳走に思え、一口一口、食べることの有り難さをかみ締めながらいただく。食べることが本当に愉しくて愉しくてどうしょうもなくて、ついつい食べ過ぎてしまうのだが、まるで温泉にでもつかったかのように、一日中からだ全体が手足の指の先までポカポカしている。食べることって、こんなにも素晴らしいことだったんだなあと、ただひたすらに満腹感を繰り返し反芻し、まるで身体の全器官が消化器になったかのような法悦にひたる。普段はいくら気をつけているつもりでも、いかに惰性で食事していることだろうか。

断食を共にしたお上人たちとの会話も弾む。さすがに日本山のお坊さんは平和運動に積極的に関わる方が多いので、自分が関わっているイラクの問題はもちろん、平和、戦争の問題から政治まで、実に幅広く意見が交換できて、かつ宗教的な視点で話し合えるのでたまらなく面白かった。

Imgp6881夕暮れ時、ひとり仏舎利塔に登り、そよぐ風を浴びて恍惚として空と海を見つめる。陽を浴びて風に戯れ擦れあう葉のざわめきが、染み入るように耳に心地よい。ふと、満ち満ちた遍く生命に包み込まれているという気配を感じ、名状しがたい喜びに全身が満たされていく。断食と中食を通じて身体が生まれ変わり、新たなる生命の交感が始まったようだ。(つづく)

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December 14, 2006

断食修行記 其の弐

Imgp6897二日目。夜明け前の朝4時半起床で5時からお勤めが始まる。6時前、東の空が仄かに朱に染まりだすころには道場を出て、日蓮大聖人像、清澄寺、仏舎利塔などに御参りに出かける。ここ清澄山は日蓮が始めてお題目を唱え立教開宗したといわれる聖地であり、しかも日本で一番早く日の出が拝めるという実にありがたい所だ。凍てつく風が空きっ腹に応え、お題目を唱える声もかすれ気味になるが、ここでのこの夜明け前の凛として澄んだ空気に洗われることを必要としていた自分に気づく。お参りの最後、仏舎利塔を時計回りに螺旋状にのぼっていって、誕生仏立像の下で御来光を待つ。杉林の梢の谷間の彼方の水平線、雲の隙間からその光がこぼれだしたその刹那、両の眼窩にあたたかい息吹が注がれるように、幸福感で全身が満たされていく。いつもなら夜通し起きてでもいなければお目にかかれないこの日の出の時、このようなありがたい瞬間が毎朝繰り返されているということを忘れて生きている日常を省みる。

7時頃道場に戻り、夕方6時まで延々とお題目を唱えるお勤めが続く。もちろん断食修行なのでお昼になってもお昼休みがあるわけでもなく、3時になってもおやつが出てくるわけでもなく、ただひたすら座してウチワ太鼓を叩きナムミョーホーレンーゲーキョ~と繰り返すのみである。さすがに何も食物を摂っていないので寒さが身に応える。普段いかに食物によって体の内側から熱をとっていたかに気がつく。トイレの行き帰りにでも日なたを探して暖をとらないととてももたない。そして一日目とは全く形相を変えて襲い掛かる凄まじい空腹感。瞑想どころではなく食べ物のこと意外考えられなくなる。水も飲めない渇きがさらに身体と精神をじりじりと追い込んでいく。ふと、なんでこんなところに来てしまったんだろうと思い、明日も一日食えないことを考えると、これではとても持たないのではないかとどんどん弱気になっていって、声も出ず太鼓も叩けないほどに衰弱していく。いかに人間の身体が食に依存していることか。二度目だし、二日目は一番しんどいと覚悟はしていたものの、やはり断食は慣れない。聞くと毎月やっているお坊さんですら二日目の苦しさは慣れることがないという。

ただ、不思議なことに時折身体の奥からじわりじわりと力が湧き出てきて、気がつくと信じられないような大きな声でお題目を唱えている自分に気づく。そうなるとみるみるうちに力が漲り身体も温かくなり、気分も高揚してきて景気よくウチワ太鼓を打ち鳴らしている。しばらくするとまた力なく沈んでしまうのだが、こうした波を繰り返していく。そして南無妙法蓮華経のお題目も、時には受難曲のように悲壮感が漂ったり、陽気で小気味よいレゲエ調にすら聴こえてきたり、また時には呪術的な怪しさを秘めて、そして時にはオーケストラのように生命を賛美する荘厳な響きをもったりと、実に曲調豊かでさながら歌劇のように変化していくのだ。

午後6時、計13時間にも及ぶお勤めがようやく終了すると、起きていても腹が減るだけなのでストーブで暖をとって午後7時過ぎには早々と布団に入る。しかし夢の中でもやはり断食中だったり、とかくに食べ物のことばかりが巡りて何度も夜中に目が覚めてしまう。

Imgp6903三日目。やはり早朝4時半に起きて二日目と全く同じスケジュールでお勤めが始まる。身体が断食状態に慣れてきたのだろうか、不思議と二日目よりは楽に感じる。また、明日こそは食べられるという希望があるからだろうか、精神的にもいくらか余裕が出てきて、食べ物以外のことにも色々と心をめぐらせることが出来た。ただ、のどの渇きは耐え難く、トイレに行くたびに口をゆすいでうがいをした。食道まで水を落とせないのは切なかったが、うがいするだけで全身に気が漲り意識が冴え驚くほど苦しみが癒される。(つづく)

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December 13, 2006

断食修行記 其の壱

11年ぶりに断食をした。せっかくだからここにも記しておこう。

振り返れば自称ヒッピー時代、インドで断食を経験した友人から体験談を聞いたら面白そうなので自分もやってみようかなと思ったのがきっかけだった。しかし我流にただ飯を抜くというのはおすすめできない、やるなら経験者の指導の下に、日常とは異なった環境でやるべきだとの指摘を受け、知人に断食修行をするお寺を紹介してもらって友人と共に参加したのがもう11年も前の話。毎年12月になるとまた行きたいなあと思いつつ師走はさすがに予定が詰まりいつも断念していたが、気がつくともう10年以上もの時が経っていた。ここ数年アラブでの滞在でラマダーン(断食月)を逃している悔しさからというわけではないのだが、塵界の世事に弄ばれて心身にこびりついた澱を一掃したいという欲求が抑えがたく高じてきたので、今年こそはと一人山門を叩いた。

Imgp6877東京から電車を乗り継ぎ約3時間、千葉は安房小湊の清澄山に登る。まさに風清く空も青く澄んだ山中にある日蓮宗の清澄寺の門をくぐる。千年杉のある境内を、奥に奥にと歩いていくと、陽を浴びて白く眩しい仏舎利塔が彼方に光る海を見守っている。空と海の狭間に目を細めながらさらに歩みを進めると、やがて小鳥のさえずりに太鼓の響きが次第に大きく重なりってきて、「ナムミョーホーレンーゲーキョ~(南無妙法蓮華経)」と、お題目がはっきりと聞こえてくる。11年ぶりの日本山妙法寺清澄山道場。ありがたく突然の私の参加を受け入れてくれた。


Imgp6849_1断食修行は12月の1日から8日まで。臘八接心(ろうはちせっしん)と言って、仏陀が悟りを開くまで瞑想したとされる期間に合わせて行われる修行であり、各宗派、お寺によってスタイルは様々だそうだ。行動するブッディストとして、各地の平和運動に積極的に参加していることで有名な日本山妙法寺のここ清澄山道場では、まず水すら抜く三日間の完全断食のあと、四日目に中食をいただき、再び二日間の完全断食、そして七日目にまた食をいただき、八日目の成道会をお祝いして終わるという日程だ。今回は清澄山道場のお上人の他に日本山のお坊さんが二人(途中から庵主さん-尼僧-も二人)、日蓮宗の若いお坊さんが三人、そして在家信者のご夫婦一組が参加されていた。そしてお釈迦様や日蓮聖人に対する尊敬の念こそあれ信仰までには至らず日々煩悩に悶え起臥するにわか優婆塞(うばそく‐在俗男子仏教信者‐)の私である。

Imgp6841一日目。途中から参加したのだが朝から食は抜いてきているのでもちろん空腹だ。しかし清澄の山の美しさと空気のおいしさ、そして安房の海と空の輝きをいっぱいに浴びて心は満たされている。飯を食わずに一日何をしているのかといえば、道場でひたすらウチワ太鼓を叩いて「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えているだけなのだが、11年前から今日までの様々な出来事や、出会い、別れ、それらの記憶の数々がかき回されて、浮かんでは消え、消えてはまた浮かびを繰り返す。そうして夢うつつにまどろみかけた頃に、再びここに座ってお題目を唱えている自分に出会っては、この縁の妙に気が引き締まる。ふと目を縁側の窓越しに外に向けると、遠慮がちに鹿の親子が草を食みにやってきていて、ここは鹿野苑(ろくやおん-サルナート-)かと目を疑う。こうしたありがたい風景と、新鮮で透き通った緊張感に包まれて、第一日目は空腹もさほど苦にもならず過ぎていった。(つづく)

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