イラク治安改善？

ここ最近イラク国内の治安が改善されてきたと、いくつかのメディアで報道されている。主に米国防総省の発表を基に、米軍の増派作戦が著しく効果を上げているというもので、例えば、首都バグダードでの米軍やイラク民間人に対する攻撃が今年6月から68％減り、イラク民間人の死者数は、今年1月の2500人から、11月は600人まで減少したという。（参考記事）イラク政策が国民に酷評され支持が落ちる一方だったブッシュ政権としては、数字を見る限り政策の成功を誇示できる嬉しい発表だろうが、これはあくまでも米政府機関の報告である。実際のところ現地ではどうなんだろうか。

イラク現地にいる友人たち数人から聞いたところ、治安が改善されてきているのは間違いなさそうだ。

届く便りの雰囲気から違う。モースルに避難していたサラマッドの家族もバグダードに戻ったが、その道中も安全で、検問では帰還を歓迎するムードが漂い、パンクしたタイヤの修理を手伝ってすらもらったそうだ。これまで検問といえば、軍や警察に紛れた過激な宗派主義者による誘拐や殺害が頻発する大変危険なポイントとして警戒されていたわけだから、その変化には彼らもさぞかし驚いたことだろう。

バグダード市内もよくなってきたという話ばかりだ。もちろんバグダードも広いので一概には言えないだろうが、激戦区として悪名高かったあのドーラ地区ですらよくなっているというのだから、相当な変化を感じる。聞くと、米軍からの武器支援を受けた住民たちががんばっていて、アル・カーイダや敵対する民兵たちを寄せ付けないのだそうだ。

しかしこの状況はとても脆いものかもしれないと友人は心配する。今、アメリカからの武器支援を受けているのは主にアラブ人であり、イランの影響の強いイラク政府側は、彼らがそのままイラク軍や警察になっていくことは望まず、この構図を快く思ってはいないだろうから、アメリカからの支援が途絶えればまた以前のような民兵による暴力が復活し、この治安もあっという間に崩壊するかもしれないと言う。

ただ、これまでと大きく違う点は、米軍に対する住民の評判がすこぶるいいことだ。米軍は、ごみであふれていた通りを清掃、修復して、店や家を修復する資金を援助し、最新の医療器具を備えた医療センターを建て、クリスマス用のギフトとして暖房器具などを住民に配っているという。

これまでは、「米軍は結局壊すだけ壊して何もしない。電気などインフラも悪化する一方だし、民兵の暴力も放置し、むしろ対立を煽っている」といった悪評ばかりだったので、この大きな変化には私も戸惑った。米軍は単に増派しただけでなく、民心を得るための具体的な支援も始めたのだろう。

かつては米軍に不満を抱いていた人々の多くも、今では彼らの支援を歓迎し、このまま治安が維持されることを願っているという。「すまないが、俺だってそうだ」と友人は続ける。「この治安を保ってくれるのであれば、混乱の元凶である米軍だろうが、誰だろうがもう気にしていない。あの地獄のような日常に疲れ果てていた多くの住民たちにとって、こうして、一日でも爆弾や銃撃の音がしない日がくるというのは、夢よりもすばらしいこと。この状況が確かなものではないことはわかっているけど、少なくとも希望を持つことは出来る。」

この話を聞いて、サッダーム政権崩壊直後のことを思い出した。アメリカは嫌いだが、少なくともこれまでのイラクよりはよくなるだろうと、多くの人々が期待していた。しかし結果はご覧の通り、あまりにずさんな占領統治の失敗から、すでに500万人もの人が故郷から引き剥がされる地獄と化してしまい、アメリカの信用も地に落ちた。

しかし、多くの住民たちにとっては、サッダームがいいか、アメリカがいいか、またはその他がいいか、これは思想的または政治的にどうかという問題よりも、とにかく普通に生活ができるかどうかというのが最も重要な判断基準だということは、あの時から特に変わっていないのだと思う。

こうした治安改善の知らせを受けてか、国内外に避難した人々も多く戻り始めているようだ。一時期は一日数千人規模でイラク人難民が押し寄せ、その数はついに国全体の人口の10分の1にも及ぶ150万人にまで達したとも言われていたシリアでは、新たに制定された入国制限のせいもあるだろうが今では逆にイラクに帰国する人の割合が増えているという。（シリアのUNHCRの統計によると、１日約５００人の入国者に対して、イラクに帰国する者は１日約１５００人）（参考記事）

友人の話によると、イラクを去るときもう二度とここには帰れないだろうと思っていた人々は帰還の感激で泣いているという。たとえ未来が見えなくとも、やはり故郷イラクの地で死ぬことを夢見ていたのだろう。ただ、戻ったのはいいものの、家が他人に占拠されていたり、壊されていたり、家財道具などが盗まれていたりして、それが新たな社会問題にもなっているという。

このように、避難先から帰国する人が増えてきたとは言っても、UNHCRは、「宗派主義暴力が最大の脅威であることは変わりなく、イラクへの帰国は、支援はするが奨励はしない」と言っている。また、主にシリアからの帰国者が増えているのは、避難先でのイラク人難民に対する厳しい規則や経済的困難も大きな理由になっているようだ。（参考記事）

確かに、治安が改善されてきたとはいっても、これは「あの一日100人も殺されるようなあまりにもひどい時期と比較すれば」という話であり、一般にいう「治安がいい」とは程遠い状況だろう。また、宗派主義暴力によってスンナ派、シーア派住民の住み分けが進んだ結果の小康状態に過ぎないかもしれないし、過激な民兵集団が米軍増派を受けて活動を自粛しているという影響も大きいだろう。「もう殺す人間がいなくなったんじゃないのか」という皮肉な見方もある。まだまだ手放しで治安改善を喜べる状況ではない。

米軍の政策転換も、疲弊しきったイラクの人々が歓迎する気持ちもわかるし、これまでのやり方を変えてくれたこと自体は私も嬉しく思うが、はじめからそうしなかったことによって起こった混乱の数々と、それによって失われた命や、故郷を追われた人々がどれだけいるのかということは、決して忘れてはならない。また、アメリカ政府はイラク人難民のために一年で2億ドルの予算を組んだと聞いたが、その4倍近い7.2億ドルがイラクでの戦費として、しかもたった一日で使われている（イラク難民への予算の1314倍で、一年にすると約28兆円）ことも忘れてはならないだろう。（参考記事）

それでも、友のこうした便りには、私もやはり共に希望を感じてしまう。「ラマダーン（断食月）の祈りによって、人々がお互いの苦しみを学んで、こんな状況を変えていこうと決意しはじめてきたことを望む」という友の言葉に、私も同じ祈りを重ねたい。再び、共にあの地を歩める日を夢見て。