壊された日常のかけら~モースルの写真2~
およそ一年ぶりに家族との再会を果たし、約一ヶ月間イラク北部のモースルで過ごしてきたスタッフのサラマッドとアマラは、おかげさまで先日無事フランスに戻りましたのでお知らせします。引き続き届いた写真をいくつか紹介しながら、現地の様子を見ていきます。(最後の方に、小さいですが遺体が写っている写真もあるのでご注意ください)
バグダードからトラックに家財道具を積み込んで避難してきた家族。今やバグダード行きのバスはがらがらで、乗客がいたとしても女性ばかりだという。男性のほとんどが道中狙われてしまうからだ。
かつては子どもたちの歓声で溢れていた遊園地も今は寂れて空っぽ。
一日数時間通電という劣悪な電気事情のせいで、発電機からあちこちに配線するため町中電線が無秩序に張り巡らされている。整備する人間もいない。
清掃員として働く若者。多くが15、16歳で、学校には行けずに働いている。
父親が殺され孤児になった3人の兄弟に新しい服などを買っているサラマッド。3人とも野菜を売って生計を立てているが、朝6時から夜10時まで丸一日働いても1.5ドルしか稼げない。
サッダーム懐古気分がここにも。通常「アッラーフアクバル(アッラーは偉大なり)」と記されているイラク国旗に、「サッダーム・フセイン」と落書きされている。
マネキンの顔が全て覆われた女性服売り場。モースルで勢力を拡大している過激派アル・カーイダは、なんと人形ですら女性の顔が出ているのはハラーム(禁忌)だという。
両親の寝室。夜、付近で激しい戦闘があり、目が覚めたらベッドの間に銃弾が突き刺さっていた。
銃殺され路上に放置されていた遺体と遭遇。バグダードよりはましとはいえ、モースルでの生活も常に死と隣りあわせだ。
シリアへの国境。シリアはこれまでイラク人を無条件で受け入れてきたのに、これからはビザが必要になると聞いて、慌てて殺到するイラク人で溢れていたという。今はラマダーン(断食月)ということでまだ入国制限はされていないようだが、これからはヨルダン同様厳しくなるのかもしれない。すでにシリアのイラク人難民は150万人を超えているというから、受け入れの限界に達しているのは間違いない。しかし本当にシリアにも行けなくなってしまったら、命からがら逃れてきたイラク人はどこに行けばいいのだろう。そもそもこうした難民が生まれないようにしなければいけないのだが、だからといってすでに400万人以上とも言われる故郷から引き剥がされている人々を放っておくわけにもいかない。
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