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June 19, 2007

シリアの「ファッルージャ」

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5月21日、最後に訪れたのは、ダマスカス郊外のジャラマーナ地区。ここは多くのキリスト教徒が住む地域だが、2004年のファッルージャ総攻撃以降、シリアに逃れてきたイラク人が最初に辿り着いた地域ということで、別名「ファッルージャ」とも呼ばれている。現在10万人ものイラク人が住んでいるという。

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バグダードの激戦区、ドーラから逃れてきたキリスト教徒のおじさんたち。「電気も水もないし、いつ殺されるかわからず、とても住めたもんじゃない」と窮状を訴える。

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コカコーラの看板をでかでかと掲げたレストランに入ると、そこはなぜかイラク食堂で、従業員も全員イラク人。厨房には以前ファッルージャでムジャヘッド(イスラーム戦士)として闘っていたという輩までいて、珍しい日本人客に一同大騒ぎ。なんでもバグダードのアザミヤ地区からレストランごと移ってきたそうだ。ちなみにアザミヤといえば、現在米軍によってシーア・スンナ両派の居住地区を隔てる悪名高い分離壁が建築されているところである。

Imgp7393_2レストランでパンを焼いているアブ・オマルさんは、以前は21年間もサッダーム・フセイン大統領宮殿で働いていたせいで、政権崩壊後は自宅も破壊と略奪に遭い、やがては命も狙われるようになって、一昨年家族で避難してきたという。幸い奥さんが大学で教えていた経験があり、勉強を見てあげることができるので、3人の子ども達はシリアの学校の授業にもついていけているようだ。イラクでは息子のオマル君の通う学校を4回も変えたという。オマルという名前はスンナ派独特のもので、その名前だけで命が狙われてしまうからだ。今やバグダードの学校では、校庭に宗派間抗争の犠牲となった市民の拷問死体が棄てられていたりして、とてもまともな学校生活など送れないという。ちなみにアブ・オマルさんはイスラーム教スンナ派だが、奥さんはシーア派であり、こうした両派の混在家庭はイラクではごく普通のことで、以前日常会話でスンナ、シーアと話題に出ることはありえなかったそうだ。今のイラクは宗派対立による内戦状態とも表現されるが、これは前政権崩壊後の政治的対立によって作り出された抗争であり、権力闘争なのだろう。いまや国連への難民申請時にすら宗派を聞かれると辟易していた。レストランでの収入は低い上に、アパートの家賃も騰がったので、イラクの親類から月200ドル送金してもらっていても、生活は非常に苦しいそうだ。

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家の中のものは全て盗まれ、残ったのはこのクリスタルの灰皿ひとつだけだった

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