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June 29, 2007

イラクに咲く花in千歳烏山

以下、イホネットからのお知らせ転載です!

【イホネット通信 第143号 2007/6/25】

■イホネット(=イラクホープネットワーク)です。
 いろんな角度からイラクを見て、聞いて、知ることができる
 イベント『 イラクに咲く花 2007 ~in 千歳烏山 』7月1日
 開催です!とくに「イラクって気になるけどなんか難しそう」
 「なんか怖そうなイメージ?」という方、ぜひお待ちしています。
 国内から避難してきたイラク人が多く滞在する、シリアやヨルダン
 等、中東周辺の調査から帰国したばかりの最新報告も聞けます。
 
★そしてスペシャル演目“ベリーダンス”が上演決定!!習って
 みたいダンス第1位だそうです。しかも本格的。お見逃しなく!
 特別ゲスト・エジプシャンダンサー“Reika”さんの
 詳細はこちら☆ Reika World

 ◆□□□□□□□□□■□□□■□□□■□□□□□□□□◆
◆◇イラクに咲く花-見る、聞く、知る、イラクの今と私たち◇◆
 ◆□□□□□□□□□■□□□■□□□■□□□□□□□□◆


  ◆   たくさんの夢があり、生活がある。
 ◆○◆  お母さんがいて、あかちゃんがいる。
◆○◎○◆ 青空は広がり、花も咲く・・・
 ◆○◆  そんな当たり前の生活が失われつつある国、イラク。
  ◆   この国のことを、もっと見て、聞いて、知りませんか?


日 時:2007年7月1日(日)13:00~19:00

会 場:すぺーす楽多 ≪らくだ&TUBO≫
    (世田谷区南烏山6-8-7 楽多ビル2F 03-5313-8151)
     京王線・新宿駅から特急・準特急以外の電車で17分、
     千歳烏山駅西口改札・北側を出てまっすぐ進み、バス
     通りを左へ、一つ目の信号のある所。駅から徒歩5分程。
      ※1階に出ている「TUBO」という看板が目印です。
入場料:カンパ制(軽食もあります)

≪タイムスケジュール≫ ※若干変更の可能性もあります。

13:00~  イラク民間支援実績データ2007版・発表
13:15~  『TVニュースで見る“激動のイラク”』前編
        ’03~’05
14:00~  リレートーク1『思い出のイラク』
思わず笑顔になったイラクの日々を
イホネットメンバーが語ります。

15:00~  舞踏『 エジプシャンダンス BY Reika 』
         神聖さと妖艶さを合わせ持つ日本唯一のエジプト
         舞踏家。イラクのバビロン音楽祭に出演予定だった
         Reikaさんが、なんとここに特別出演!
         さぁ、みなさん!ベリーダンスに魅了されたら、
         一緒にイラク舞踏を踊ってみませんか!?
        ☆Reika World < http://reikaworld.com/

15:40~  リレートーク2『思い出のイラク』
16:05~  『TVニュースで見る“激動のイラク”』後編
        ’06~’07

17:10~  報告『イラク避難民in シリア』BY 相澤恭行
17:30~  報告『イラク避難民in ヨルダン』BY 佐藤真紀

17:55~  ピアノ弾き語り『空にことりを 地に花を』
         来日したカーシムのために作られた歌を
         イホネットメンバーが弾き語り。
18:10~  トークセッション
        『ワタシとセカイ~目からウロコが落ちた時』
         進  行:高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)
         パネラー:相澤香緒里(NPO法人PEACE ON)
             :西方さやか(イラク支援ボランティア)
             :大嶋 愛 (イラク支援ボランティア)
             :志葉 玲 (ジャーナリスト)
~19:00  終了予定


★アラブを体感できる“イラクの甘~いチャイ”や“アラブ衣装で
 イラク人になりきり!”撮影ブース、各種雑貨販売もあります。

★予約不要・出入り自由のイベントですが、会場のスペースは限りが
 あるため、万一満席の際にはお入り頂けない・お座りになれない
 可能性もあります。どうぞご了承くださいませ。

【問い合わせ先】
メールアドレス:iraq_hope_net@yahoo.co.jp
電話・FAX:03-3823-5508

【主 催】
イラクホープネットワーク http://www.iraq-hope.net/

【出展団体・個人】
◇イラクの子どもを救う会 http://www.nowiraq.com/
◇日本イラク医療支援ネットワーク(JIM-NET)
 http://www.jim-net.net/
◇セイブイラクチルドレン札幌
 http://www16.ocn.ne.jp/~sics/index.html
◇セイブ・イラクチルドレン・名古屋  http://www.iraq-c.gr.jp/
◇セイブ・ザ・イラクチルドレン広島 
 http://homepage.korinkan.co.jp/iraq-children/
◇高遠菜穂子 http://iraqhope.exblog.jp
◇NPO法人 PEACE ON  http://npopeaceon.org
◇日本国際ボランティアセンター(JVC)
 http://www.ngo-jvc.net/index.html
◇NO DU ヒロシマ・プロジェクト http://www.nodu-hiroshima.org/
◇ピースボート http://www.peaceboat.org/
◇BOOMERAN-NET http://www.boomerang-net.org/
◇平和市民連絡会 http://www.jca.apc.org/heiwa-sr/jp/
◇細井明美 http://www.jca.apc.org/~anneh/index.html
◇劣化ウラン廃絶キャンペーン http://www.cadu-jp.org/
 ほか

==今日のIRAQのQ==================

Q・イラクってどれくらいの広さ?
A・世界の国の面積順位は、イラクが58位、日本は61位。
  イラクは日本の1.2倍くらいの広さ、
  わりと似たような大きさなんですね。
  でも、海に囲まれた島国の日本と違って、イラクの周囲は
  外国と接していて、ほとんど海に面していません。海を
  見る機会もめったにないでしょう。しかも国境としては
  なんだか不自然な、定規で引いたような直線が続きます。
  これはイギリス統治時代の名残だそうです。

=============================

【イホネット・HP】 < http://www.iraq-hope.net/ >
【イホネット・NEWS】 < http://ihonews.exblog.jp/ >

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June 28, 2007

「国際公募アート未来」

昨日からはじまりました。イラク絵画も2点招待されています。
Imgp7470
会期:6月27日(水)~7月9日(月)10:00~18:00(7月3日休館/最終日12:30まで)
会場:国立新美術館1A(東京都港区六本木7-22-2/03-6812-9900)
入場料:一般500円/学生300円
主催:アート未来

地下鉄乃木坂駅から直結の新しい美術館です。

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June 27, 2007

久しぶりにバグダードの様子を

国外避難中のイラクの友人から再びメール。ようやくバグダードの家族と連絡がとれたそうで、何とか無事だったということで一安心。とはいってもひどい状況には変わりない。

家族の住むドーラ地区は激戦区の一つだが、ついに米軍はドーラにもアザミヤ地区同様に宗派間抗争を防ぐという名目で地域を分断する「壁」を拵え始めたらしい。

アザミヤ地区といえば、そこに住む友人のジャーナリストからは、従兄弟が遺体留置所で発見されたと目も当てられない写真が送られてきた。「スンナ派」という理由だけで民兵に殺されたのだという。

また、米軍は市内の武装勢力の掃討を名目にした大規模作戦の中で、大量のクラスター爆弾を使っているようだ。ドーラでは怖くて外出できないどころか、庭に不発弾と化した子爆弾が散らばっていることもあり、自分の家の庭にすら出られないという。

米軍による家宅捜索も増えている。米兵は、「通りに路上爆弾を仕掛けた奴は誰だ」とお父さんに問い詰める。お父さんは、「外出していないからわからん」と答えると、「では誰が働きに出て、家に食糧を運んでいるんだ?」と米兵。この家族の場合、現在皆仕事を失い、教員であるお母さんの収入のみに頼っている。米兵はお母さんを別室に閉じ込めて問い詰めるが、当然お母さんがそんなこと知るわけがない。苛立った米兵は「Fuck You!」と家族に罵声を浴びせ、「もし再び爆発があったらお前を逮捕する!」とお父さんに吐き棄てて出て行ったという。一時期は、いきなり殺されたりもする民兵や警察の家宅捜査に怯えていて、皮肉なことに米兵が来ると助かったとすら思っていたほどだったが、再び米軍の恐怖に覆われているようだ。お父さんは心配だからと娘を再び郊外の親戚の家に避難させた。

路上爆弾といえば、最近では大通りに米兵がうようよしているせいか、小さい路地や民家の前に仕掛けるケースが増えているようで、家主が武装組織から「爆弾を仕掛けたから家を出ろ」と警告されることがあるという。多くの家主は報復を恐れ通報もできず、恐怖から家を出てしまえばやがては爆破され、挙句の果てには米軍に、「なぜ知っていて通報しなかった」と拘束される始末。以前聞いた、「髭を剃れば背教者と呼ばれて反米武装勢力から命を狙われ、髭を伸ばせば今度はテロリスト容疑をかけられて米軍に拘束されるんだ」という板挟みを思い出す。

さらに驚いたことには、以前は住民から武器を取り上げていた米軍が、いまではアルカーイダと戦えと住民に武器を配っているというのだ。これはドーラに限らず、いまやイラク西部と北部全体でそうだというのだが、つまりはスンナ派住民に武器を配っているということであり、このままでは新たな民兵集団が現れ、宗派間暴力がさらにエスカレートすると多くの住民が怯えているそうだ。当然だがシーア派のマリキ政権もそんなことするなら南部住民にも配ると反対したが、結局アメリカの案を呑まざるを得なかったようだ。友人は、イラク政府はスンナ派が強力になるのを黙認するわけがない、水面下で南部やシーア派住民に武器を配るに違いないと見ている。

先日の高級ホテルでの爆破攻撃も、報道ではアルカーイダによる自爆と見られるとして片付けられているが、地元では、「50度もの猛暑のなか、爆弾ベルトなんか身体に巻いて、グリーンゾーン付近の米軍とイラク軍による厳重な警備をかいくぐれるわけがない。政府関係者以外には考えにくい」という見方が強いようだ。犠牲者の多くが、米軍から武器の支援などを受けていたイラク西部と北部のスンナ派宗教指導者など有力者であり、中には20万人も従える大部族長も含まれていたという。連中がこのまま黙っているとは考えにくく、これからさらに宗派間暴力が激しくなるのではないかと心配しているそうだ。

こうしてみると、米軍が辛うじて護っている治安もあるのだろうけれど、やはり米軍の存在と行動が宗派間の憎悪を煽り立てていて、結果的に治安が悪化していくという流れのほうが深刻ではないだろうか。「米軍という存在がこの混乱の元凶なのは間違いないが、だからといって今米軍に出て行かれたら宗派間暴力に歯止めがかからなくなるから困る」という類の葛藤に苦しむ人々が増えているように、確かにここまできてしまうと、もはや米軍が撤退すれば全てが良くなるというような単純な話ではないにせよ、私にはやはり米軍がイラクに存在し続ける限り宗派間暴力も拡大する一方のように思える。

以上、友人から久しぶりにバグダードの家族周辺の様子を詳しく書いたメールが来たので取り急ぎここで紹介してみた。もはや日本の報道では犠牲者数と概要位しか出てこないから、少しでも現地の様子を伝えられたらと思う。

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June 23, 2007

~6月24日イベント「劣化ウラン弾とイラクのいま・2007」~

STOP!劣化ウラン弾キャンペーン実行委員会からのお知らせ転載します。

~6月24日イベント「劣化ウラン弾とイラクのいま・2007」~

治安悪化が伝えられるイラク現地。人々はどんな思いで生活しているのか?
劣化ウラン弾廃絶の国際的機運は?
第一線のジャーナリストの最新報告から考える、日本から出来ること。
ぜひお集まり下さい。

【講演】
・綿井健陽さん(ジャーナリスト、映画監督)
映像ジャーナリストの綿井健陽氏が3月から3週間、イラク・バグダッドに滞在。
混乱の深まる現地の状況を、最新映像をまじえてレポートします。

・豊田直巳さん(フォトジャーナリスト)
5月14~16日、EU議会で劣化ウラン弾問題の写真展を開催。
その後、セルビアで劣化ウラン弾被害や除去作業を取材。
EUで高まる劣化ウラン弾禁止の気運や、旧ユーゴの最新状況について報告予定。

・相澤恭行さん(NPO「PEACE ON」代表)
先月、イラクから多くの避難民が暮らしているヨルダン・シリアを訪問、
現地の状況をつぶさに見てこられました。その模様をお話いただく予定です。

・日 時 2007年6月24日(日) 午後1時半開場 2時開始
・会 場 豊島区民センター 第2会議室
・参加費 500円
・主 催 STOP! 劣化ウラン弾キャンペーン

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はじめての防衛省

Imgp7463_120日(水)、友人のジャーナリスト志葉玲の音頭で、増山麗奈画伯、参議院議員候補の川田龍平さん、写真家の森住卓さんと一緒に、防衛省へ申し入れ書を渡しに行く。例の自衛隊情報保全隊による監視対象にされたことへの抗議のためだ。

担当者は、防衛大臣の答弁をなぞる通り一遍の説明のあと、「自衛隊員の安全を脅かしたり、隊員を不安にさせたりするような外部からの働きかけから隊員を守るために情報を集めていた」と話すので、「もし私がサマーワの宿営地前で抗議活動等をしていたというならまだしも、イラクで画家と出会って交流したことや、子ども達への支援活動のために医薬品関連の情報交換の電話をしたことまでこと細かく記録されるのはなぜか?こうした活動すら隊員の安全を脅かす活動にあたると解釈されるのか?だとすればその基準をもう少しはっきりと教えてほしい」と質問すると、「一般論で考えれば、画家との交流が対象になることはないでしょう」と前置きした上で、「イラクに関することであれば対象になることはありえるかもしれませんが、その基準をお伝えすることはできません」と言う。なるほど監視対象の基準などは情報保全隊内部で恣意的に決められる仕組みになっているというわけだ。

私の場合、イラクでの画家との交流や支援活動という理由などではなく、「人間の盾」経験者ということで監視対象にされていたのだろう。前にも書いたとおり、自分自身はこの程度のことは覚悟していたので、別に今回のことがあったから発言や活動を控えようとかは全く考えていない。心配なのは、これから何か発言なり行動なりしようとしている人々が、「こんな風に調べられるくらいなら黙っておこう。政治的な色がつくのも嫌だし・・・」などと、自分も調査対象になるのでないかと不安に駆られて萎縮してしまうのではないかということだ。

今回のことを、「一般に公開されている資料等の情報を集めただけだし、別に問題ないんじゃないの?」と感じる人も多いと思う。確かに、盗聴や直接的弾圧などがあったわけでないだろうから、私も今回のことに限定すればそれほど大きい問題だとは思っていない。しかし問題はその集めた情報の評価の仕方と、あいまいな対象基準がこれから際限なしに拡大していく可能性である。ぜひ公表された資料に全て目を通してみて、その分類の評価の仕方の「気持ち悪さ」を味わってみてほしい。そしてそこに自分の名前が入っていたらと想像してみてほしい。それでも問題ない、気落ち悪くないと言い切れる人がいるとすれば、その人はすでにその「気持ち悪さ」を作り出している人間のひとりなのかもしれない。

結局担当者からは、我々の申し入れに対する返答はもらえなかった。はっきりしたことは、今後もこうした監視・調査活動を続けていくということだ。最後に「何のために?」と質問すると、「わが国と国民の安全のために・・・」とはじめるので、「ではたとえ国民がその調査によって不安に駆られるという本末転倒な結果になっても続けるのですね?」と付け加えると、時間切れもあって答えてくれなかった。

少しでも気持ち悪さを取り除けたらとも思ったが、ますます気持ち悪くなってしまった。やはり20分やそこらでは短すぎるというのもある。もっと話し合う場が必要だとも感じた。

もちろん私も、今回のことは別にたいした問題ではなかったで終わることを望んでいる。結果的に、「ほら杞憂でしょ。なに騒いでんの?」と、変わり者扱いされて終わりなら、それはそれで素晴らしいことだ。しかしこういう権力による恣意的な行動は、放っておくと増長するのが歴史の常である。もう何も言えない気持ち悪い社会になっていたと、気付いてからでは全てが手遅れになってしまう。

取材のため、正門の「防衛庁」から「防衛省」に架け替えた看板の前で長時間立っていると、直射日光のためか頭がくらくらして気持ち悪い。やがて轟音と共にビルの隙間からヘリコプターの黒い影が姿を現し、暑さもあってかつてバグダードで見た風景と重なり合った。しかしバグダードでこの速度で飛んでいたらもう撃ち落されているだろうと気付き我に返ると、日産のバス「シビリアン」が自衛官を乗せて正門をくぐる。なるほど、「シビリアン・コントロール」とはこのことかいと軽口をたたいて家に帰ると、改正イラク特措法成立のニュース。イラクの友人からは、イラク国内はますますひどくなる一方だ、電話断線でバグダードの家族と10日も連絡が取れていないと嘆きのメール。この気持ち悪さは暑さだけではないようだ。
Imgp7464

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June 22, 2007

流浪の民のゆくえ

(先月のシリア報告は取り急ぎここまで。以下雑感として少し)

Imgp7386「アラブは一つ」の理念を掲げるシリア政府は、押し寄せるイラク人避難民をこれまで受け入れてきたものの、今年1月からは一ヶ月ごとに滞在許可書を更新しなければならないなど条件が一段と厳しくなっている。さすがにここまでくるとヨルダン政府同様悲鳴をあげているのだろう。物価も騰がり仕事も少なくなり、ジャラマーナでは貧しいイラク人女性の売春婦が増えているらしく、シリア市民の反応も複雑だ。イラク人避難民に聞くと、衣糧などの不足を補う組織もありシリア人は皆よくしてくれていると言う。しかし肩身の狭い避難民は追い出されることを恐れているかもしれず、どこまで本音で話してくれているのか量りかねるところもある。
*写真はジャラマーナのイラク人が多く住むアパート

すでにこのイラク人避難民は深刻な国際問題になっているが、イラクの治安が改善しない限りこれからも増え続けていくだろうし、やがて彼らの貯金が尽きることを考えると、避難先に新たな混乱が拡がっていくのはもう時間の問題かも知れない。現在もイラクでは無知と絶望から武器を取る子どもたちが増えているが、避難先の子どもたちの学習の空白も、このまま長引けば彼らの将来に大きな影を落とすことになるだろう。そうした子ども達に、子どもとしての当たり前の環境を作り出すのは大人としての当然の責任である。イラク戦争から4年。アメリカはもちろん、この現状を引き起こした日本を含む国際社会の責任はますます重い。PEACE ONでは少しでもこうした子どもたちの学習を助け、また交流の場をつくろうと、新しい教育支援の一環として小さな寺子屋をつくろうと企画中だが、今こそ国際社会全体の支えが必要だ。子どもたちは世界を映し出す鏡であり、未来そのものである。私たちは、まさに自らの未来を失おうとしているのではないだろうか。今、イラクの子ども達に何ができるか。私たち自身が問われている。

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June 19, 2007

シリアの「ファッルージャ」

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5月21日、最後に訪れたのは、ダマスカス郊外のジャラマーナ地区。ここは多くのキリスト教徒が住む地域だが、2004年のファッルージャ総攻撃以降、シリアに逃れてきたイラク人が最初に辿り着いた地域ということで、別名「ファッルージャ」とも呼ばれている。現在10万人ものイラク人が住んでいるという。

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バグダードの激戦区、ドーラから逃れてきたキリスト教徒のおじさんたち。「電気も水もないし、いつ殺されるかわからず、とても住めたもんじゃない」と窮状を訴える。

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コカコーラの看板をでかでかと掲げたレストランに入ると、そこはなぜかイラク食堂で、従業員も全員イラク人。厨房には以前ファッルージャでムジャヘッド(イスラーム戦士)として闘っていたという輩までいて、珍しい日本人客に一同大騒ぎ。なんでもバグダードのアザミヤ地区からレストランごと移ってきたそうだ。ちなみにアザミヤといえば、現在米軍によってシーア・スンナ両派の居住地区を隔てる悪名高い分離壁が建築されているところである。

Imgp7393_2レストランでパンを焼いているアブ・オマルさんは、以前は21年間もサッダーム・フセイン大統領宮殿で働いていたせいで、政権崩壊後は自宅も破壊と略奪に遭い、やがては命も狙われるようになって、一昨年家族で避難してきたという。幸い奥さんが大学で教えていた経験があり、勉強を見てあげることができるので、3人の子ども達はシリアの学校の授業にもついていけているようだ。イラクでは息子のオマル君の通う学校を4回も変えたという。オマルという名前はスンナ派独特のもので、その名前だけで命が狙われてしまうからだ。今やバグダードの学校では、校庭に宗派間抗争の犠牲となった市民の拷問死体が棄てられていたりして、とてもまともな学校生活など送れないという。ちなみにアブ・オマルさんはイスラーム教スンナ派だが、奥さんはシーア派であり、こうした両派の混在家庭はイラクではごく普通のことで、以前日常会話でスンナ、シーアと話題に出ることはありえなかったそうだ。今のイラクは宗派対立による内戦状態とも表現されるが、これは前政権崩壊後の政治的対立によって作り出された抗争であり、権力闘争なのだろう。いまや国連への難民申請時にすら宗派を聞かれると辟易していた。レストランでの収入は低い上に、アパートの家賃も騰がったので、イラクの親類から月200ドル送金してもらっていても、生活は非常に苦しいそうだ。

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家の中のものは全て盗まれ、残ったのはこのクリスタルの灰皿ひとつだけだった

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June 17, 2007

イラクのヒロシマ・ナガサキを逃れて

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5月20日、フィラスが住んでいる町ディアアティーアへ
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ダマスカスから北に乗り合いタクシーで1時間ほど。人口2万2千人程度の小さな田舎町
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アラブの陽光をいっぱいに浴びた風を受け、ゆるやかに時を運ぶ名物の風車と、バグダードのタージから昨年移り住んだというイラク人家族

「ファッルージャはヒロシマ・ナガサキになりつつある」

と、日本人の私たちに訴えたのは、町のはずれで出会ったアブ・アマルさん。イラク中部ファッルージャで携帯電話の販売店を営んでいたが、2004年の米軍による総攻撃により店を破壊され、商品も全て盗まれたという。親族も次々と殺害され、国内避難も限界に感じて昨年6月に3人の子どもを連れ逃れてきた。一時は近所の工場で働いていたが、体力がついていかず今は無職。3人の子ども、長女イスマー(10歳)、長男アマル(9歳)、次女ルカイア(8歳)は現在学校に通っていない。小学校には在学証明がなくても試験を受ければ入学できるそうだが、シリアとイラクでは教育課程が違うため、(例えばシリアの英語の授業の開始学年はイラクより早い)一学年落第してしまうなど、授業になかなかついていけず、他にも言葉や習慣などの違いもあって馴染めない子どもが多いという。アブ・アマルさん一家も、いつまでシリアに住めるかわからないので、はっきりするまで学校に通わせるつもりはないという。「子どもたちはイラクに帰りたがっていても、この治安状況では地獄に戻るようなもの。しかしこのまま仕事もなく貯金が尽きればそれしか選択肢はなくなるだろう。」
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帰り道、皆お尻が冷たくなっていることに気付く。屋外のソファが雨で濡れていたようだ。苦笑いしつつ照りつける太陽に濡れたお尻を向けて、アラブの風で乾しながら歩いていると、街角の雑貨屋のオヤジが瓶入りオレンジジュースを5本も両手に抱え、ゆっくりと前後に揺らして飲んでけ飲んでけと微笑んでいる。今日はイラク人家族を訪れるたびにオレンジジュースのもてなしをうけてみんなお腹はぽちゃぽちゃだったが、オヤジの笑顔に負けてありがたくいただいた。すっかり街の風景に溶け込んでいた彼もイラク人で、ファッルージャに多いドレイミ族だという。

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June 16, 2007

イラク人だらけのシリアへ

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5月19日シリア入国。バッシャール・アサド大統領の信任投票を間近に控えた首都ダマスカス。
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暴走族か?と思いきや、バッシャール応援団の若者達。小気味よいリズムのシュプレヒコールは、イラクでよく聞いたあの「血も魂もサッダームに捧げる!」という懐かしいスローガンのバッシャール版だった。100%近い支持での再選はやる前から決まっていても、みんなお祭り騒ぎが大好きなようだ。


「イラク人?どこにだっているよ。」

街を歩く人々に尋ねると、たいていこう返される。4年間の占領によって引き起こされた混乱と宗派間抗争による治安悪化の影響で、現在イラク国内でおよそ200万人、国外では220万人ものイラク人が避難民となっていると聞くが、国外で最も多くのイラク人避難民を受け入れているシリアでは、その数140万人にも及ぶという。

宿泊先のアパートを出て、たまたまそこにいたヒマそうな青年に道を尋ねるとイラク人学生だった。フィラスというディヤラ出身のこの青年、経済的な理由から今は大学には行っていないそうだが、3年ほど前からシリアに住んでいるという。イラク人避難民の支援をしたいと言うと関心を示し、案内してくれることになった。

Imgp7343_1フィラスの案内で、まずはダマスカス市内のシナーア地区を訪れた。アパートのドアを叩いて「イラク人ですか?」という突撃取材には驚いたが、多くの家族が快く迎え入れ状況を話してくれた。以前はシリアと並んで主要な避難先の一つであったヨルダンでは、現在政府がイラク人の入国を厳しく制限しているので、ここ最近では多くがシリアに逃れてくるようだ。時機はさまざまだが、特に昨年2月イラク中部サマッラでのシーア派聖廟爆破事件を機に激化した宗派間抗争に巻き込まれ、家などを売り払って命からがら逃れてきた家族が多い。バグダードから来たという18歳のハッターブ君の一家も、家賃100ドルほどの安アパートに身を寄せ合って暮らしていた。学校で勉強したいが、在学証明書が必要で、バグダードの教育省まで取りに行かなければならず、仕方なく今は近所のスーパーで働いて家計を支えているという。
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イラク人が多く住む地域の一つ、ダマスカス市内シナーア地区。通りを歩けばイラク人家族が気さくに話しかけてくる。 


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June 14, 2007

イラク人であるということ(友人@ヨルダンの場合)

イラク人画家ハニさんの新居@アンマンにて
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5月18日、フランスからきたイラク人スタッフ、サラマッド&アマラ夫妻と合流。空港の入国審査では、フランス人アマラとの結婚証明書、帰りの航空券など、必要な書類をきちんと揃えていたにもかかわらずはじめは入国を拒否されたという。押し問答の末にアマラが呼ばれて、彼女のもつ書類と突き合わせてようやく信用してもらった。今回は予算不足からサラマッド一人だけで来る予定だった。直前に安い航空券が手に入ったので、こうして二人で来られたわけだが、もし彼一人だったら入国できなかっただろう。

ヨルダン政府がイラク人の入国を制限しはじめてからもうずいぶん経つが、訪れる度に厳しくなっていると実感する。3月にカーシムを日本に招聘したときも、結局ヨルダン経由は不可能だった。以前は宿泊客の9割以上をイラク人で占めていた定宿のガーデンズホテルでも、今ではイラク人は十数人しか泊まっていないという。

2003年のイラク占領から、初めは裕福なイラク人が次々にヨルダンに移住してきて、土地や家を買い漁り物価が高騰した。やがてイラク国内の治安悪化にともない、貧しい人々も命からがら国境を越えるようになり、ヨルダン国内のイラク人の数は、70万とも100万人とも言われるほど激増。私もアンマンを訪れるたびに、街で飛び交うイラク方言の多さには驚かされてきた。やがて物価の変動のみならず治安悪化の問題もあってか、イラク人の入国は制限されていって、2005年にアンマンの高級ホテルで発生した連続爆破事件の犯人がイラク人とわかってからは一気に厳しくなっていった。今ではお金のないイラク人のヨルダン入国はほぼ不可能になっている。

厳しくなる前にヨルダンに移住できたハニ一家のような場合でも、今では一度ヨルダンを出国するともう入国できなくなってしまう可能性がある。彼の場合は現在ヨルダンで仕事を持っているし、そのおかげで1年間の滞在ビザも持っているのでこれまでは大丈夫だったが、今後は新しく発行されたGという種類のパスポート所持者以外は全てはねられると聞いて更新手続き中だ。それが終わらないと手術のためシリアの病院に来た母の見舞いにすら行けないという。もちろんただ入国が厳しいというだけでなく、ヨルダン人のイラク人に対する風当たりも冷たくなっているという。これだけ数が増えれば、仕事にあぶれるやっかみもあるのだろう。「ヨルダン人のみ」という求人広告も増えてきたようだ。

19日にはタクシーでアンマンからシリアのダマスカスに移動。ヨルダン国境ではサラマッドの出国手続きに時間がかかる。入国はもちろん、出国すらイラク人というだけの理由でこうだ。どこに行ってもこれだから、もうイラク国籍なんて変えてしまいたいとこぼす。

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June 13, 2007

卒園パーティー

帰国後の忙しさも一段落したので、先月のヨルダン&シリア滞在のお話&写真の続きを少しずつ。

5月17日@アンマン
イラク人画家ハニさんの末っ子、ハッスーニの卒園パーティーにお呼ばれ。
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愛しのハヤーと並んでご機嫌?
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めちゃめちゃかわいいイスラミックダンス
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めでたく卒園証書をもらうハッスーニ
Photo_5
みんなお勉強よくがんばりました

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June 07, 2007

なるほど自衛隊

一週間の四国講演行脚を終え、静養中のつれの待つ京都に立ち寄った途端に飛込んできたのは自衛隊内部文書のニュース。早速ダウンロードして読んでみると、自衛隊のイラク派遣に反対する市民の活動が事細かに記載されている。そして「イラク現地における国内勢力の動向」というところを見てみると、
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実名こそ出ていないが、自分をはじめ友人達が出てくる出てくる。しかし支援やイラク人画家との交流活動まで監視対象になっているとは・・・。

私自身はイラク戦争中の「人間の盾」に参加した時点で、国家による監視対象になるのは当然覚悟のうえで、これまで実名で活動を続けてきた。こうした市民活動の監視は、公安警察や公安調査庁では常識だろうから、自分のことが記載されていること自体は特に驚かない。しかしこうして実物を見せられると何とも気味の悪いものだ。

しかもこれは公安によるものではなく自衛隊の情報保全隊によるものだ。別に公安ならいいというわけではないが、「自衛隊の機密情報の保護と漏洩の防止」が情報保全隊の任務だというのなら、どう考えてもその範囲を逸脱している。国内世論を把握しようとするのは自然なことだと思うが、必要以上に監視の目を張り巡らせ、ここまで微に入り細に穿ち市民の活動を記録した文書を見せつけられると不気味としか言いようがない。

大手新聞も一面で取り上げたのは一部で、他は申し訳程度というのも気になる。メディアだって監視対象にされているのに、そのメディア自身がこの問題をしっかり追及できないとすればこれは致命的ではないだろうか。

イラク邦人人質事件のときの自己責任論の嵐にも感じたことだが、このままでは一般市民がますます萎縮してしまうのではないかと心配だ。私のように割り切って活動している人間は別として、なんとなくおかしいと感じて、ちょっとでも声をあげてみようと思っている人々にとっては、こうして監視対象にされるくらいなら黙っておこうと考えてしまうのではないだろうか。共謀罪も然り、この国に充満している自由にものが言えない空気の濃度は増す一方だ。

そしてこの過剰な監視体制は、私たちに別な側面を教えてくれる。それは自衛隊イラク派遣の自信のなさと、自衛隊が守るものは決して国民ではなく、むしろ国民を敵と考えていること。つまり自衛隊とは、「自衛隊」という「自分達の組織を自衛するため」の部隊だったということだ。

しかしこんな情報漏洩が続くようでは、もはや自分達すら自衛できないほど堕ちているのかもしれない。

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