サッダーム私刑執行に想う
サッダームが殺された。イスラームの犠牲祭の初日に。遣り切れない思いと口惜しさがこみあがってくる。私は死刑も戦争もすべての人殺しに反対だからというだけでなく、たとえどんな邪知暴虐の王だろうが、命が奪われることは悲しいことだからというだけではなく、偽りの大儀による米英のイラク侵略戦争とその占領下で拵えられた茶番法廷で裁かれた挙句に縊られるというまさに「力の正義」の見世物劇に再び世界が屈したという絶望感も相俟って、私のイラクとの個人的な関わりの記憶の層に三つ巴になって絡みつき、首周りが締め付けられるようだ。
もちろん私はサッダームと直接出会ったことはない。それでもこれまでのイラクとの関わりの中で、彼の影を踏まずに歩くことは困難だった。この死刑執行の結果今後イラクがどうなる等、評論家然としたことを今はとても言えそうにない。第一そんな発言をすること自体、死刑という殺人を、この茶番裁判劇を、そしてなによりもイラク戦争そのものを暗に認めることにつながり、それはつまり「力の正義」に屈することに思えてならないから。今はまず一個人として彼と向き合いたい。大晦日にこんなことを書くことになるとは思わなかったが、イラクに関わってきた自分自身へのけじめとして書き進めてみる。
私は2003年の開戦前、サッダーム政府にビザを発給してもらい初のイラク入国を果たした。そして戦争中はイラク市民の立場で戦争に反対したいと、浄水場などのライフライン施設に立てこもる「人間の盾」として活動したのだが、これもサッダーム政府が認めなければ不可能なことだった。湾岸戦争時のようにサッダームが盾を悪用して軍事施設などに配置されたらどうするんだという非難もあったが、開戦前イラク政府は戦争する気などまるでなく、むしろ戦争反対の国際世論を味方につけて何とか戦争を回避したいという意気込みを強く感じた私は、盾の可能性とサッダームが我々を悪用しないということを信じて参加した。実際にはどうしようもなくなり盾を放置したという見方もあるものの、結果的に悪用はされず、今日の私の活動につながるイラク人との交流のきっかけを作ることができたわけだ。スパイ潜入の可能性などを考えると、一国家が戦時下にこうした外国の民間人を大量に入国させるということ自体、人類史上稀なことではないかと思っている。
戦争前、戦争中はサッダーム批判などご法度で模範回答を強いられていたイラクの民も、政権崩壊後は堰を切ったように胸中の想いを私にぶつけてきた。いかにあのサッダーム独裁がひどいものだったかと。それでも彼を支持する人はいたが、十人に一人か二人だっただろうか。サッダームも酷かったがこの占領も支持できないと葛藤する人も多かった。簡単に言えば、まあ当然ではあるがサッダーム体制によって直接的な暴力を受けた人は激しく批判する。それは占領もしかりである。それが今では、絶望的な治安の悪化から、サッダーム時代のほうがましだったという意見を多く聞くようになっている。中には復権してほしいというものまで。現在メディアは彼の処刑をうけて狂喜乱舞するイラク人の様子を切り取って伝えているが、そこに写されない背景に燻ぶる怨嗟の声を決して無視できないことは、首都陥落時に米軍によって引き倒されたサッダーム像に嬉々として群がる米兵やイラク人の周囲を、屈辱的な表情で遠巻きに見つめるイラク人をカメラは捉えていないことからも容易に想像できる。良くも悪くも、イラク人の心にかかるサッダームの影は我々の想像をはるかに絶するほど大きいのではないか。
これはなにもイラク人だけの話ではない。サッダームの支配を直接受けて複雑な想いが交差するイラク人と比べて、周辺のアラブ諸国では素直に彼を支持する人が多い。ヨルダンやシリアに住む私の友人たちもそうだ。逆に彼をあからさまに非難する声などほとんど聞いたことがない。「サッダームの独裁政治?うちだって国王批判はご法度だし、ばれたら秘密警察に連れられて拷問だよ。アラブ諸国なんてみんなどこも変わらない。ただ彼は、あまりに正直だったからこうなっただけさ」など、こんな感じだ。外交がうまくいかず戦争を繰り返し結果的に国が疲弊していったのは間違いないが、周りから見ているアラブ人は、アメリカに魂を売り渡し日和っていく自国の政府と比較して、反米の筋を通してきたサッダームの武勇伝にむしろ共感する人が多い。そして占領軍による不当な裁判で独り堂々と闘うサッダームの姿が連日流されるたびに、独裁者の哀れな末路に溜飲を下げてもらうという狙いとは裏腹に、かえってアラブ社会の中で彼を英雄視する人が増えているのではないかと感じていた。執行を急いだのは、そんな彼の影響力を恐れていたからかもしれない。
ヨルダンに住むサッダーム支持者の友人は、イラク国民が今の苦境にあるのは全てサッダームを裏切ったことによる当然の報いだと言い切っていた。なのに今さらサッダームに戻ってきてほしいなど虫が良すぎるとも。彼は以前イラクを助けに行ったはずが逆にイラク人に殺されかけたという体験を持っているので、そう思うのも無理がないかもしれない。しかし彼の言葉で思い出したイラクの友人の言葉がある。「イラク人ははじめ熱狂的にサッダームを支持していた。成り上がりものの彼は皆に期待されるサッダーム像を維持しようと実力以上に自分を大きく見せようと必死になり、やがてあの恐怖の独裁者という仮面をはずすことができなくなったんだろう。結局サッダームは我々イラク人の弱さが作り上げた幻想なんだ。」この弱さは、今のイラクで今度はムクタダ・サドルなどへの異様な個人崇拝に受け継がれているのかもしれない。そしてそれはなにもイラクに限ったことではなく、振り返れば過去この国でもあったことだし、現代においても世界のいたるところで、我々個人の弱さを培地にして繁殖するファッシズムの種子とその萌芽を見ることができる。
サッダームと向き合うことは、イラク戦争はもちろん中東全体の問題、そしてアメリカをはじめとする大国の介入の現実と向き合うことにつながり、やがては日本の関わり、そして自分自身と向き合うことにもなる。彼が多くの自国民を殺した酷い独裁者だということならば、その真相を暴いていくことこそ、今後同様の悲劇が繰り返されないために世界にとって必要だったはずだ。別に他にも世界を見渡せば同様もしくはもっと酷い独裁者などたくさんいるという事実を持ち出して彼を正当化するつもりなどまったくないが、彼の独裁と暴政による犠牲者をはるかに凌ぐ150万人以上ものイラク人が、日本も含めた国際社会による経済制裁という静かな大量虐殺によって命を奪われたことを忘れてはいけない。そして大量破壊兵器所有疑惑という大儀の捏造から始まったこの度の戦争と占領によって殺された数十万にも及ぶというイラク人の命は、果たしてこの戦争がなかったらサッダームによって殺されていたのだろうかということを考えてみれば、彼がこのたび「人道に対する罪」という名目で死刑に処されたという事実そのものが、いかに人道から離れた見世物だったがわかるだろう。
サッダームは結局、アメリカの「力の正義」に歯向かったことによる「私刑」判決を受けたのだ。そして人道に対する罪であるイラク戦争をとめられなかったばかりか、サッダームの罪の真相が暴かれることを恐れる真の戦争犯罪人たちを「人道に対する罪」で裁けない私たち国際社会の非人道的怠慢によって、イラク大統領サッダーム・フセインは縊死したのだ。





















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