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September 12, 2006

イラク・クルディスタンでの打合せなど

アンマンでハニさんたちと元気でやってます。以下再びこれまでの手記UP。前半はサラマッドによるイラク武装勢力&民兵講義の要点記録(ちょっとマニアックです)、後半は支援活動報告です。

ムクタダ教に壊される故郷(9月2日)

Imgp6133朝飯を食べて外に出ると靴磨きの子ども達集まっていた。2003年の開戦前はバグダードのいたるところにこうしたちびっ子たちがいたものだ。彼らはどうしているんだろうとサラマッドに聞くと、今ではみんな靴磨きの道具ではなく武器を運んで金を稼いでいるだろうよと苦笑する。今日はシャクラワ一日打合せの日だが、バグダードの状況についてさらに詳しく聞いてみた。

内戦化が懸念されているイラク。一日100人も殺されている現状を見れば、既に内戦と言っても過言ではないだろう。しかしサラマッドに言わせると、これは決して市民同士の内戦ではなく、宗派間戦争に見せかけられた政治的権力闘争だ。

よく報道で耳にするスンナ派武装勢力について詳しく見てみると、シーア派殺害をハラ-ル(好いこと)と言い切るサラフィー系、そこまでは言わないにせよ原理主義的思想を持つワッハーブ系、ザルカウィーでおなじみのアルカイダ系。以上は外国人とイラク人の混合で、そしてあとはイラク人によるムジャヒディーン(イスラーム戦士)に大別される。*驚いたことに、昨年サラマッド達を一時拘束したムジャヒディーンのリーダー格の人物はなんと当時ザルカウィーの右腕といわれていたアブダーという人物でさらにサラマッドのおじにあたる人物だった!と今回バグダードのおばさんに教えられたという。当時は覆面をしていたためサラマッドは気が付かなかったが、アブダーはパスポートなどを見て甥っ子だと気が付いたようだ。現在彼は米軍に捕らえられている。

しかし今イラク政府も認めているイラク混乱の大きな原因はやはりシーア派民兵だ。イランからの支援を受けた秘密組織バドル旅団、ムクタダ・サドルのマハディー軍、ファディーラ党の民兵、カルバラのイマーム(宗教指導者)アッサービティの民兵などが入り組んで、お互いの権力支配を巡り各地で有力者の殺害から住民の棲み分けを進めるための市民殺害まで拡大し、バスラやカルバラなど地域によっては、対スンナ派だけではなくシーア派民兵同士で戦闘しているという有様だ。他に例外としてスンナ派と反占領で共闘するディアラのシーア派イマーム、アルハラシーの民兵などもいて、複雑で今ここには書ききれないのだが、今回サラマッド達がバグダードに帰ってみて特に驚いたのは、総勢300万人を超えるというマハディー軍の増長ぶりだそうだ。

_imgp3025Imgp3036マハディー軍の乱暴狼藉の数々については以前も記した。しかし特筆すべきは、師であるムクタダ・サドルに対する異様な個人崇拝、セクト(新興宗教)化である。今回サラマッドがバグダードに帰ってみて驚いたのは、まずムクタダの肖像の多さ。サッダーム時代ですら一部屋に一枚程度だったのに、いまや場所によっては壁全体に様々なポーズをとったムクタダの写真が飾られているという。また、マハディーというのはイスラームの教義(はじめシーア派の教義と記したがshamil氏の指摘を受け訂正)で終末に世界に現れるという救世主を意味しているのだが、もしマハディーがこの世に現れて、彼がムクタダのことなど知らないと言ったら、マハディーを殺すという連中すらいるという。つまりマハディー軍と名乗っていながらマハディーのことなどなにもわかっていなく、ただ盲目的にムクタダを崇拝しているだけなのだ。それもそのはず、今マハディー軍に加わっている人々は、教育を受けていない貧しい人々、チンピラ、サッダーム時代に獄中にいた人々などがほとんどで、この悪化する状況の中で他に選択肢がなく加わっていき、略奪した金品を財源に勢力を広げ続けている。困ったことには、ムクタダの鶴の一声で統制されれば少しは違うのだろうが、いまやムクタダのコントロールがきかない分派が多数存在する状態で、それはムクタダ自身ですら認めているようだ。

こうした武装勢力や民兵の抗争による犠牲者は、やはり戦争と占領と同じく巻き込まれていく一般市民である。スンナ派地域に住むシーア派住民、シーア派地域に住むスンナ派住民はそれぞれ移住を余儀なくされて棲み分けが進んでいる。各検問でスンナ派とわかっただけで連行され拷問の末殺害されるケースが増えたので、シーア派特有の挨拶やイマームの名を覚えたり、オマールなどからアリーなどへIDカードの名前を変更したりするスンナ派の人々が増えているとはこれまでも聞いていたが、以前はIDの名前を変更するのに300ドル以上していたのに、今では10ドル以下で簡単に変更できるようになっているそうだ。

スンナ、シーア、以前はほとんど意識すらしていなかったのに、今では両派の市民がお互いに対して猜疑心を抱いてしまっている。今回のシャクラワ滞在中にも、昨夜、カズミヤ(シーア派地区)から来た若者二人にふと「いつバグダードに戻るんだっけ?」と聞いたとき、彼らにこっそりと耳元で「今、向こうにアダミヤ(スンナ派地区)から来た人がいるから・・・」と囁かれ、黙ってうなずいてその場を後にした。また、高瀬によると、いっしょに遊んでいた子ども達(スンナ派)がシーア派はよくないと言っていたそうだ。このように今回の滞在では直接肌で市民の亀裂を感じてしまった。

バグダード、モースルでの活動

Dsc01137Dsc01157サラマッドから今回の活動を報告してもらう。以前伝えたとおり、いまやゴーストタウンと化した恐怖の都バグダードで活動するのは容易ではない。病院ですらマハディー軍に占拠されているので、今回フランスの医師から提供され100キロ分ほど運んできた主に小児用の医薬品、医療器具に関しては、300人前後の子ども母親が入院しているモースルのイブンアルアセアー小児病院に寄付した。

Dsc01124Dsc01196また、30人の孤児が生活するモースルの孤児院、「House of State for Orphans Care」には、虫除け用の網戸にテーブル&椅子、掃除機、スプリンクラー、ゲーム、パソコン修理代&停電時保護器具などを届けてきた。

Dsc01102さて問題はバグダードである。戻るだけでも命がけであり、活動継続は非常に困難な状態だ。以前からアマラが個人的に支援してきたカラダ地区の空き家に住む家族を訪れた他は、これまでのような活動はほとんど出来なくなっている。

障がい児施設へのスクールバス送迎プロジェクトも、治安が悪く施設に通う子ども達が減っているのと、ドライバーがトラブルに巻き込まれることが頻発し管理が手に負えなくなり、支援の効果がリスクと費用に見合わなくなってきていたので一時中断している状態だ。現在子ども達は夏休み中だが先生たちは2週間に一日だけ施設に通っているので、何とかバスプロジェクトの一時中断と、代替支援について相談することが出来た。
(8月19日記事後半参照)

Dsc01247アルマナー身体障がい児施設のマネージャーは困難な状況を理解してくれて、代替支援案のライブラリープロジェクトは次回から始めることにして、今回はかねてから要望のあった身体障がい児用の特別運動&身体機能維持用器具(歩行練習などに用いる)をいくつか届けることにした。

Dsc01233極度に治安が悪化して子ども達の外出もままならない現状では、こうした器具がますます必要になってきているのに、労働省からは相変わらずほとんど予算がおりないそうだ。ほかにもいくつか国外のNGO団体が視察に来たのでその度に器具の必要性を訴えてきたのに、結局どこも視察だけで、実際に届けてくれたのは初めてだと喜んでくれたようだ。

Dsc01232夏休み中だったが施設近所の子ども達は器具が届くと聞いて何人か集まってくれたらしい。写真を見ると懐かしいちびっ子たち。みんなずいぶんと大きくなっている。そういえばみんなと最後に会ってから、もう2年以上も経っていたのだ。みんな自分の事を覚えていてくれたことへの喜びと、やっと再びイラクまでやってきたというのに、こんなにもバグダードは遠くなってしまったんだなあという悲しみが、スライドショーで写真が切り替わる度に代わる代わる心に積み重ねられてゆく。


Imgp6137ところで2年半前に兵庫の香呂南小学校とバグダードドーラ地区のベイルート小学校の生徒との交流活動の橋渡しをしたが、治安が悪化してからというもの、ドーラ地区においては日本の小学生とかかわりがあるというだけで先生や生徒たちが武装勢力の攻撃対象になりかねないということで、せっかくお返しのパッチワークによる手作りメッセージを香呂南小の子どもたちから受け取っていたのに、しばらく東京の事務所に預かっていたままだった。状況はますます悪くなり、交流再開どころか教員も殺害され休校になっているのだが、状況が良くなることを祈り、再開できるようになればすぐにでもサラマッドの弟を通して届けられるようにと、この度サラマッドに手渡した。また、先日の札幌月寒教会での講演の際に預かったイラクの子どもたちへのメッセージパッチワーク壁掛けも、メッセージをひとつひとつ英訳してサラマッドに手渡した。後ですぐアラビア語に訳してもらって、弟を通じてアルマナーに届けてもらうつもりだ。

治安改善の見通しが立たないイラクにおいても、関心が低下していく日本においても、活動の継続は困難な状況ではあるが、たとえ小さくとも出来ることを続けて絆を繋ぎとめていこうと改めて誓いあった。お互いに、困ったときこそ友達である。


シャクラワ最後の夜(9月3日)

朝食を共にした後、11時頃サラマッド&アマラはモースルに向けて出発した。モースルでは孤児院へ修理したパソコンを届け弟に支援金を預け引継ぎを済ませ次第、二人は再びフランスに向かう。まずは陸路でアンマンへ向けて旅立つので、途中シリアのダマスカスで落ち合う約束をした。我々もアンマンで用事があるのと、最近イラク人のヨルダン入国が厳しく規制されているので、一緒に国境を越えたほうが何かといいだろうと思ったからだ。

Imgp6154_1二人が帰った後、クルド土産などを物色しつつ町をぶらつきシャクラワ最後の一日を過ごす。あちこちで目にする乾物屋の軒先には、まるでフライパンの底の油を固めるテンプルか何かで形を取ったかのようなけったいなものが重ねられ、うずたかく積まれている。名物の杏をペースト状にして薄っぺらく円形に伸ばした菓子だそうだ。蜂蜜もいいなあと迷ったが、大好物のザクロの濃縮ジュースを購入した。帽子にクフィーヤを巻きつけターバンのように頭にかぶり、とび職人のつなぎのようなクルドの衣装を腰に巻いた紐できゅっと締めた渋いおやじ達を横目に通りを歩く。夜、気が付くと先日ゲリアリベックに連れて行ってくれたアマル君が頼んでもいないのに勝手に付いてきて案内を始める。昨日までも連日ぷらぷらしていたし、明後日バグダードに仕事で戻るまではどうもヒマをもてあましているようだ。声をかけてくるアラブ人はやはりほとんどがバグダード出身。みんな珍しがって話しかけてくるので、短い通りなのに歩くのにえらい時間がかかる。食後は水たばこで休憩。アマル君のおかげでタダになった。シャクラワ最後の夜。同じイラクの空の下、しかしあまりにも遠くなってしまったバグダードの空を想いながら、ゆっくりと煙をくゆらす。クルドの町の灯りと溶け合って、やがて静かに星空に滲んで消えていった。

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Comments

ええとね。最後の審判期に新預言者マハディが現れるというのは、シーア派の教義ではなく、スンニ派も共有しています。

Posted by: shamil | September 12, 2006 at 11:47 AM

shamilさま、ご指摘感謝です。いつもなら書籍等で確認してから書くのですが、旅先でうっかりとうろ覚えのまま急いで書いてしまった結果です。やはり自分のほうがマハディー軍よりマハディーのことを何もわかっていませんでしたね。早速訂正しておきます。

Posted by: YATCH | September 12, 2006 at 09:13 PM

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