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September 10, 2006

イラク・クルディスタンでの手記続き

(9月6日にトルコからシリアに渡り、バスでダマスカスへ。イラク・モースルから直接シリア国境を越えたサラマッド達が国境で6時間も待たされたおかげで、ダマスカスで再び落ち合ったのは朝4時過ぎ。お互い一睡もしないままヨルダンへ。最近イラク人のヨルダン入りが厳しくなっていたので心配していたサラマッドの入国もなんとかクリアし、7日朝無事にアンマンに到着しました。以下再びこれまでの手記をUPします。)


クルドの山を分け入って(8月30日の続き)

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Imgp6081Imga0022緑が点在するなだらかな丘陵を縫って、緩やかなカーブを描きながら道路は続く。ここも日本企業が関わっていたかどうかしらないが、やはりクルディスタンから入ってもイラクの道路は立派だなあと感じる。ザーホーからドホークに入ると、いたるところに建築中の建物が。同乗していたシャイシャイ君の上司オマールさんによると、クルディスタンは治安も安定しているし、ビジネスも盛んになってきているので、バグダードなどイラク国内各地から移住する人が絶えず、富裕層による建築ラッシュにわいているという。

道路脇に目をやると数十メートルの間隔を均一にとって闇ガソリンを売るオヤジと小間使いの子ども達がヒマそうにしている。これまでイラク国内のガソリン不足はさんざ聞かされてきたが、ここクルディスタンでも同様で闇ガソリン売りが盛んだ。容器の外見はどれも同じようだが聞くとトルコ製、イラン製、バグダードのドーラ製など、各地で精製されたガソリンが並べられてある。価格はスタンドの4倍前後で1リットル当たり日本円にすると70~80円くらい。以前は3円前後でタダ同然だったので、この異様な価格の高騰は市民生活に大きな影響を与えている。

ガソリン以外にも物価はどんどん騰がっているので、平均給料が200から300ドルと高くなっていてもまるで追いつかないという。貧富の差も拡大し、いわゆる格差社会が始まっているのではないかとオマールさんに問うと、ある意味その通りではあるが、それでもこれはあくまでも一時的な調整による歪みに過ぎないから必ずよくなる、サッダーム時代と比べたらはるかにましだと言い切っていた。状況が悪化する前のバグダード市民の声を思い出す。

オマールさんは日本のことを褒めちぎるので、年間3万3千人以上が自殺しているという社会問題を伝えると、やはり「なぜ?」と顔色を変えて絶句していた。一日100人というのは今イラク国内で殺されている人の数に匹敵するが、オマールさんにとっては日本の自殺のほうがよほど異常ではないかと言う。

Imgp6086ドホークを越え車はさらにクルドの山々を深く分け入っていく。ゆるやかに流れる時と草を食み風景にはりついていた羊や山羊や牛や騾馬は時折道路にはみ出してくる。イラク国旗はどこにも見出せないのに、至るところではためくクルドの旗は、山の岩肌にまで描かれている。クルディスタン。風景から滲み出るこの愛国心というか愛民族心は、夕陽に照らされて静かに燃えあがっていた。

サラマッドと落ち合う予定になっていたアルビル近く小さな村、シャクラワにたどり着いたときにはすっかり陽も落ちていた。暗い山道のなか、突如として現れた光の町。歩行者天国となっていた狭い通りの商店街は夜更けまでたくさんの人々で賑わっていた。Imgp6102


サラマッド&アマラとシャクラワで会う(8月31日)

朝、起きるとホテルの部屋の電気が付かない。イラクでおなじみの停電である。これまでバグダードでの滞在中は当たり前のことだったが、ここクルディスタンでもやはり同じかと知ると不便なのになぜか不思議と安心している自分に気付く。暗闇のなか冷たい水で体を洗う。暑いのでなんてことはない。しかし発電機は入っているのに客室は停電でフロントだけ送風ファンが回り快適そうだ。発電機の電力が足りずに客室全体をカバーできないからだろうが、客より従業員を優先するとはなんてホテルだとも思ったが、丁寧にクルド語を教えてくれ底抜けに明るくてどうにも憎めないスタッフの面々の笑顔を見ていると、気が抜けてなんだか全て許せるような気持ちになる。この辺はやはりイラクだなあと再び安心する。

Imgp6097気温が下がる夜は賑わっていたこの町も、40度以上にもなる昼はさすがに人影もまばら。観光地として有名なここシャクラワには多くのアラブ人が訪れると聞いていたが、飯を食って散歩していると日本人が珍しいのか続々と声をかけられる。普通は「写真を撮って」とせがまれるものだが、ここではなぜか逆にカメラを持ったアラブ人に「一緒に写真を撮ってもいいですか?」とたずねられ、自分が被写体になることが多い。聞くとほとんどがバグダードからの観光客。この治安のいいクルディスタンのシャクラワで、束の間のバカンスを楽しみにきているようだ。バグダードの状況を尋ねると途端に朗らかだった表情を歪めて「ムーゼン、ムーゼン(良くない、良くない)」とほぼ決まり文句のようにみな口をそろえる。アダミヤ、カズミヤ、カラダ、マンスール、ジャドリヤ、ハイアルジハード、ニューバグダード、などなどなど、スンナ派地域からもシーア派地域からも混在地域からも満遍なく来ているようだ。

昼には着くといっていたサラマッドとアマラが午後3時を過ぎても来ない。モースルからの道中が心配である。ところで今回ここクルディスタンで二人と会うことになった理由は、家族の避難先モースルに帰った二人が9月前半には再びアマラの故郷フランスに戻るので、二人の帰り道のシリアやアンマンで落ち合うと、イラク現地での活動を継続してくれる弟に寄付金を渡せなくなってしまうからである。これまでのレポートで紹介してきたようにとてもバグダードで落ち合うのは無理だとしても、なんとか少しでもイラク現地の様子を直接肌で感じたいので、モースルで会えないかと相談してきた。しかし、バグダードのように毎日100人も殺されている宗派対立の地獄には陥っていないにせよ、モースルでは依然としてイスラム戦士、ムジャヒディーンによる米軍やイラク警察にたいする抵抗が活発であり、まだ日本人が入るのは厳しいだろうという現地を良く知る友人の判断からモースル入りは見合せた。クルディスタンならマークムシュケラ(問題ない)というサラマッドの判断と、これまで一度も足を踏み入れたことのなかった北部イラクを直接自分の目で見てみたいというたっての希望から、今回は初めてここイラクのクルディスタンで出会うことになったというわけだ。またルートに関しては、クルドならOKとはいっても、サラマッド達のようにシリアからイラクに直接抜けるルートは近道とはいえシリア国境で外国人は止められてしまう可能性が高いのと、仮にうまくいっても危険なモースルを通過せざるをえないし、その場合モースルの検問でイラクのビザが必要になるので、遠回りだが一度トルコに抜けてからイラクに入国するという迂回路を選択した。

Imgp6140午後4時頃サラマッドとアマラ到着。案の定モースルの検問で時間を食ったらしい。好物のナツメヤシ、しかも新鮮な生の実を仰山、そしてお母さんの手作りアラブ料理のドルマ(野菜の中身をくり抜きご飯を詰め込み煮込んだ料理)とテプシー(ナスやトマトの煮込み)の差し入れをいただく。夜、水たばこをやりながら二人からバグダードの恐怖(基本的には以前メールで聞いていた通りで、他詳しくは後ほど)を聞いていると、眼前の通りの賑わいが染め絵のように滲んできて、まるで夢物語に思えてくる。


念願だった北イラク観光(9月1日)

Imgp61224人でシャクラワから車で1時間ほどの滝、ゲリアリベックまで観光に出かける。2年前の春バグダード滞在中、活動が一段落したら北イラクに観光に行こうと意気込んでいたが、結局次から次へと仕事が入り断念。その後外国人人質事件頻発など治安が悪化し観光どころではなくなっていたので、今回実に2年半越しに念願の北イラク観光となった。サラマッド&アマラも2年前に結婚してからというもの悪化する情勢に翻弄され続けていて、結局観光といったら昨年の来日時ハードスケジュールを縫っての広島、北海道観光くらいのものだったそうだ。

車を出してくれることになった近所のアマルさんはクルド人で、バグダードの米軍駐留地域グリーンゾーンで民間軍事企業の運転手として働いているそうだ。危険な仕事だけあって給料は一日100ドルというから現地のクルド人としては高給取りだろう。これまでも何人か同様にいわゆる傭兵としてバグダードに働きに出ているというクルド人に出会った。

Imgp6109シャクラワから車でなだらかな丘陵を走る。途中、地雷危険の看板を見かける。イランイラク戦争のときに埋められたものだという。検問では一度車から降ろされて尋問される。イラク人とフランス人、そして日本人というのは確かに奇妙な組み合わせだろう。どうやって知り合ったのか?どうやって意志の疎通をしているのか?などと尋ねられたが難なく通過。やがて峻厳な渓谷地帯に入り、眼下の彼方にチグリス川の支流にあたるだろう渓流が姿を現す。名勝の滝ゲリアリベックにたどり着くと、大勢の観光客で賑わっていた。

Imgp6113Imgp6119滝の下にはいると急激に温度が下がり異界に滑り込んだかのようで、暑さで火照った身体が癒される。まわりから一緒に写ってと写真攻めにあいながらもオアシスを存分に楽しむ。川に飛び込みたい気分だったが遊泳は出来ないようで皆水浴びして遊んでいる。ズボンをまくりちびっ子たちとの水遊びに加わった途端、待ってましたとばかりにたちまち囲まれ大量の水を浴びせられて全身ずぶ濡れに。河原でピクニックをしていたアルビルから来たクルド人家族に誘われスイカをご馳走になる。これまでに聞いたクルド人同様、サッダーム時代と比べて今の状況は全体的に良くなってきていると言う。イラクに住むクルド人は皆アラビア語を話せるが、アラブ人でクルド語を話せる人はあまりいない、これは不公平だとも言っていた。以前自分が英語に対して抱いていた感情を思い出したが、世界では不公平感が入り組んで複雑な階層を構成している。

服が乾かないままシャクラワに戻る。サラマッド達が泊まっているホテル(自分らと同じホテルは満室だったため)に行くと、やはりバグダードのカズミヤ(シーア派地区)からきたという若者二人組みに声をかけられしばし立ち話。兄弟も殺されそうで、もうバグダードは終わったと言い切っていた。スウェーデンのビザを取ろうとしているが百万円以上するという。スンナ派にとってもシーア派にとっても状況は最悪なようだ。

夜は裏の高台にある四星ホテルのインターネットカフェへ。接続が遅い上になんと一時間4ドルもするが、ここしかないようなのでしょうがない。

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Comments

バグダッドは終わった・・・。
これほどの侵略と暴力があるでしょうか。
歴史と文化を容赦なく破壊しつくそうとしているようなアメリカの支配には民主主義の片鱗もない。こうして相澤さんの筆致で確認すると、絶望と怒りがこみあげてきます。(高瀬さん大丈夫?)
昨日のWPNピースパレードでの「イラク占領を終わらせよう」シュプレヒコールで喉がガラガラ、足も痛いし、「生のナツメヤシ」、いいなあ、私も食べたいー!などと軽佻浮薄に読み始めましたが、、、、、、、
アンマンでは高遠さんやシバレイさんにも会えるのですか?

Posted by: うだすみこ | September 10, 2006 at 10:31 AM

元気で何よりです。

ヨルダンには今、井下俊医師がいるそうですよ。

Posted by: 千代 | September 11, 2006 at 09:29 PM

みなさんなかなかコメントにお返事できていなくてすみません。アンマンでは高遠さんにもシバレイにも原さんにも西村さんにも会えました。(高遠さん&シバレイもう帰りましたが)そういえば井下先生はまだですね。

Posted by: YATCH | September 12, 2006 at 09:00 PM

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