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September 28, 2006

イラク人画家来日のおしらせ&賛同のお願い

帰国後も報告会やらイラク人画家来日準備やらでてんてこ舞いの毎日です。本日(27日)シルワン&ハニ画伯はヨルダンを出発、トルコ・イスタンブールで一泊し、明後日29日には日本にやってきます。さて、京都の詳細も決まりましたので、以下案内を再掲します。賛同金(今回は二人招聘で目標50万円・主に二人の渡航費&滞在費です)の集まりがまだまだ厳しいので、みなさまのあたたかいご協力を切にお願いします!

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イラク人画家シルワン・バラン&ハニ・デラ・アリ来日決定!
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■シルワン・バラン&イラク現代作家展■

初来日の若手画家シルワン・バランの作品を中心に、昨年来日し個展を成功させたハニ・デラ・アリ、そして伝説の巨匠イスマエル・ファッタなど、現代イラクアート界を代表する若手、ベテラン作家の新作を一挙公開します。

出展作家:シルワン・バラン Serwan Baran
そのほかに
イラク現代作家:Ismael Fattah, Rafa Nasiri, Rajha Al-Qudsi, Khalid K.Thamer,
Ghssan Gaib, Salah Al-Rahal, Nazar Yahya, Hani Al-Dalla Ali

会期:2006年10月2日(月)~10月7日(土)A.M.11:00~P.M.7:00(最終日P.M.4:00まで)
 *作家在廊日10月2日(月)、他
 **10月2日(月)P.M.3:00より記者会見
 ***10月2日(月)P.M.5:00よりオープニングパーティー(無料・軽食や飲み物など持ち寄りを歓迎します)
会場:中和ギャラリー(東京都銀座 曽根ビル3F)


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◆賛同のお願い◆
イラクと日本の文化交流事業活動をするNPO法人PEACE ONからのお願いです。
展覧会に伴い、期間中イラク人作家のハニ・デラ・アリ氏とシルワン・バラン氏の2名が来日します。
つきましては、みなさまに、日本イラク文化交流活動への賛同金のご協力をお願い申し上げます。

賛同金:個人一口1000円~/団体一口3000円~
賛同金振込先:郵便振替 00160-2-647637 
口座名:PEACE ON
備考欄:「イラク人来日企画賛同」とご記入ください。
*賛同者特典として、金額に応じて入場チケットとPEACEONバッジをさしあげます。
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■イラク人画家来日記念企画・日本イラク文化交流講演会■
シルワン・バラン+ハニ・デラ・アリ~イラク現代アートを描く!語る!~

メソポタミア文明から七千年も続く悠久の歴史に刻みこまれてきたイラクの文化、芸術。いにしえからの美と誇りは、屈せざる魂たちによって継承されてきた人類の遺産である。度重なる戦争、経済制裁、そして占領という破壊と苦悩の時代を生き抜き、混迷を極める祖国イラクを見つめてきた作家達は今何を想うのか。
10月2日から開催される銀座中和ギャラリーでのイラク現代作家展に先がけて、この度来日する二人の若手イラク人画家がイラクの現代アートについて語ります。また、ライブペインティングも行います。

日時:10月1日(日)11:00~15:30 
 第1部:即興ライブペインティング(11:00~12:00)
 第2部:講演会(13:00~15:30)
場所:(財)東京都歴史文化財団 東京都美術館 講堂(東京都上野公園内)
参加費:1000円/PEACE ON会員500円
主催:NPO法人PEACE ON(http://npopeaceon.org/

*取材ご希望のかたは、PEACE ON事務局までご連絡ください。

■バグダードから京都へ ~イラク・日本 市民文化交流会~■
--- イラク現代アート 京都初上陸! ---

「イラク、それはいま地上で最も暴力の吹き荒れる場所」---アナン国連事務総長はそのように語ります。報道を通じて私たちの目にさらされるイラクの現状は、目を覆いたくなるほど凄惨を極めています。けれど、そのイラクは砂漠に潤いをもたらすチグリス・ユーフラテス河に育まれた文明の故郷であり、現在もなお、多くの人が日々を過ごし、芸術や思索を深め、知識や技術を学び、子供たちを生み育てる生活の場所であることに変わりはありません。戦渦に呑まれながらも今日も独自の表現を追求し芸術による抵抗を続けるイラク人若手画家、シルワン・バランさん、ハニ・デラ・アリさんと、その作品をお迎えして、私たちの過去・現在・未来について、ゆっくり、ほっこり語っていただきます。バグダードから京都へ、京都からバグダードへ、鴨川のせせらぎを聞きながら、遠い文化のつながりに思いを馳せたいと思います。

・シルワン・バランさん、ハニ・デラ・アリさんのイラク現代アートを、教会に展示します。ごゆっくりご鑑賞ください。
・お茶や、お菓子を用意してお待ちしております。どうか、お気軽にお越しくださいませ。
・当日、フリータイムには楽器による演奏なども企画しています。そのほか、何が出てくるか分かりません。お楽しみに。

日時:10月3日(火)
 15:00 開場 (イラク現代アートの展示をお楽しみください。)
 15:30 シルワン・バラン、ハニ・デラ・アリ(イラク現代画家)講演
 17:30 相澤恭行(PEACE ON代表)イラク現地報告      
 19:00 文化交流会 (フリータイム)
 20:30 終了
場所:日本バプテスト京都教会(京都市上京区荒神橋通河原町東入ル)
 1.京阪電車・「丸太町」駅で下車。北に歩き、荒神橋をわたる。徒歩10分。
 2. 京都市バス:京都駅からA2バス乗り場「4系統.17系統・205系統」のどれかに乗り、「府立医大病院前」で下車。南に歩き、荒神口交差点を東に入る。徒歩5分。
参加費:無料(当日、カンパを募ります。)
主催:「バグダードから京都へ」実行委員会
共催:NPO法人PEACE ON(http://npopeaceon.org/
協力:日本バプテスト京都教会
連絡先:075-231-1351(京都教会)/090-9116-1364(瀬戸)

*京都実行メンバーを募集しております。希望者は瀬戸まで、よろしくお願いします。

**取材ご希望のかたは、PEACE ON事務局までご連絡ください。


【プロフィール】

_serwan_1シルワン・バラン Serwan Baran
1968年 イラク、バグダード生まれ バベル大学美術科卒業 
1991年~バグダードを中心に中東諸国で展覧会多数
2002年 チュニス・アルミハリス国際フェスティバル金賞他入賞多数
2004年~ヨルダン国王から依頼され肖像画を描き始める
AIAP会員 イラク美術協会会員 国立美術協会会員

_hani_1ハニ・デラ・アリ Hani Al-Dalla Ali
1969年 イラク、ヒート生まれ バグダード造形芸術院卒業
1988年~バグダードを中心に中東諸国で展覧会多数
2004年 日本、韓国での展覧会に初出展 
10月から2005年2月まで、ポーランド文化省の招待で美術品修復の技術を学ぶため、ポーランドのアカデミー・ファイン・アートに留学
2005年 銀座、中和ギャラリーにて個展
イラク芸術家協会会員  イラク造形芸術家協会会員


◇総合お問合せ◇
特定非営利活動法人PEACE ON(ピースオン)
〒113-0022東京都文京区千駄木5-38-4 TEL&FAX 03-3823-5508
http://npopeaceon.org office@npopeaceon.org
※HPからイベントフライヤーをダウンロードできます。

○● 転送・転載は以上。○●

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September 22, 2006

帰国しました

おかげさまで昨日夜無事帰国しました。
早速明日報告会をしますのでよろしくお願いします。(前の記事参照)

*先日UPしたイラク人画家来日イベントのお知らせに、若干の変更がありましたので、改訂版をUPし直しました。すでに転送・転載された方は、大変申し訳ありませんが改訂版を再度転送(転載)していただきたく思います。どうかよろしくお願いします。

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September 20, 2006

PEACE ONイラク帰国報告会&イラク人画家来日のおしらせ

8月28日から、イラク北部(クルディスタン)、ヨルダン、シリアで活動を続けてきました。詳しくは拙ブログのこれまでの記事などご覧ください。みなさまの応援どうもありがとうございました。今日これから帰国の途につきます。

以下、帰国後の報告会ならびにイラク人画家来日イベントのお知らせ【改訂版】です。


○● 転送・転載大歓迎 ○●


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PEACE ONイラク帰国報告会
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8月28日~9月21日までイラク北部にて、イラク現地スタッフと打ち合わせ・調整をおこなった代表 相澤恭行(YATCH)と事務局長 高瀬香緒里の帰国報告会を開催いたします。
イラク最新情報から、支援活動報告、またアラブでのおもしろ文化事情などなど、盛りだくさんでご報告する予定です。また、イラク・ヨルダン・シリアで仕入れた多彩なアラブ民芸品雑貨の初売りにも、ご期待ください。
お友達やお知り合いをお誘いのうえ、ぜひぜひご参加ください。

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日時:9月23日(土・祭日)14:00~16:00(13:30開場)
場所:本駒込交流館4階洋室A 
http://www.doremi.or.jp/two/map/komagome.htm
(東京メトロ「本駒込」駅2番出口右へ5分)
参加費 500円
主催:NPO法人PEACE ON http://npopeaceon.org/
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★今後の予定
イラク人画家シルワン・バラン&ハニ・デラ・アリ来日決定!
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*9月28日記事↑をご参照ください

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September 19, 2006

再びダマスカス

Imgp6353Imgp6367ラマダーン(断食月)直前のダマスカス。星や三日月形をしたラマダーン用の光る飾りものに混じって、ヒズボッラーの黄色い旗とナスラッラー党首の写真が賑やかに新たな彩りを加えている。


Imgp6370旧市街のスーク・ハミディーエの喧騒をかき分け、いつもの骨董品屋のユースフさんのところへ。レバノンでの戦争のときは観光客も減って商売上がったりだったそうな。アンマンでもここダマスカスでも、タクシードライバーや露店商のオヤジなどに聞くと皆ヒズボッラー支持一色だったが、ユースフさんなど英語の話せるインテリになると複雑なようだ。イスラエルに対する抵抗は支持できても、あれだけの市民の犠牲はやはり到底支持できないという。ちなみに当時大挙押し寄せていたレバノンからの避難民のほとんどはもう帰国しただろうが、イラクからの避難民はヨルダン同様増え続けていて、やはり来るのはお金持ちが多いらしく皆土地や家を買っていくので不動産価格が急騰しているそうだ。

また、イラクから逃れてきたというパレスチナ難民についても聞いてみた。昨年、イラクに住むパレスチナ難民が迫害を受けヨルダン国境まで逃れてきたものの、ヨルダン政府が受け入れを拒否したためしばらく国境で行く当てもなく途方にくれていたところ、シリア政府が彼らを受け入れたと聞いていたので、そのパレスチナ難民たちは今どうしているのだろうと気になっていたからだ。

サッダーム政権時代は一定の保護を受けていたパレスチナ難民も、政権崩壊後は逆に厳しい立場に追いこまれていた。住んでいたアパートを追い出され、キャンプ生活を余儀なくされていた人々もいた。PEACE ONも支援で関わっていたバグダードのアルバラディヤード地区のパレスチナ難民キャンプを管理運営していたハイファクラブは、パレスチナ人の友人の話によると、2004年秋にガセ情報から米軍のがさ入れと攻撃を食らってマネージャーは国外に脱出し組織はほとんど機能していない。彼らにとって駆け込み寺のような存在だったはずのハイファクラブがなくなり、バグダードの治安悪化は猖蹶を極め、命からがらたどり着いたヨルダン国境で運の尽きかと思いきや、そこは一神教信者には怒られるかも知れぬが捨てる神あれば拾う神ありか、シリア政府が助け舟を出したというわけだ。

きっとダマスカス周辺にも来ているだろうから、行って様子を聞いてみようと思っていたが、どうやら北部のハッサケのキャンプにいるらしい。ハッサケといえば、今回クルディスタンに行くために使ったトルコ迂回ルートの途中、シリアの果てカーミシュリーの一歩手前ではないか。日程的に長居は出来なかったとしても、ちょっと寄って話を聞くことくらいは出来たなあと調査不足を反省。同じくパレスチナ人のユースフさんを通して、今後はより密にパレスチナ難民のことを聞いていこうと思う。

Imgp6376帰りにふと覗いた露店商で野菜のみじん切り用カッターを購入。ホテル近くのコーヒーショップで水タバコを一服しているときに、自分のカメラがないことに気づいた。ユースフさんのところ電話してもないから、おそらくあの露店商で置き忘れたか掏られたのだろう。もうないだろうなと思いつつ戻ってみると、もう露店は片付いていたものの、売り場にいたおじさんがニコニコとカメラを持って立っていた。あのあとすぐカメラに気づき私を追いかけてみたがもう見えなくなっていて、その後警察に注意され店をたたんだが、きっと戻ってくるだろうとありがたいことに待っていてくれていたという。すばらしい。またひとつシリアが好きになった。アンマンのがめついタクシードライバーに疲れ果てていた心が一気に軽くなる。まったくこれだからアラブはやめられない。これがテロ支援国家とアメリカに名指しされる国に住む人の姿である。

予定していたアラブ雑貨の商談等は順調。夜と朝方はずいぶん涼しくなってきた。シリア滞在も残すところあと二日だ。

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September 18, 2006

アンマン回想

Imgp628115日夜から再びシリアのダマスカスにいます。以下簡単にアンマンでの写真と回想録を。


Imgp6232イラク人画家ハニ・デラ・アリさんの奥さん、オムムスタファ(ムスタファのお母さん)にイラク料理のドルマ(トマト、玉ねぎ、ズッキーニ、ナスなどの野菜をくり抜き中にご飯を詰め込み煮込んだ料理)の作り方を習う高瀬。ハニさんばっかり日本に行ってうらやましいとこぼすオムムスタファ。いつか彼女の料理教室のための招聘を実現したい。

Imgp6254出来上がったドルマ。さすがドルマ作りの名手オムムスタファの手ほどきを受けただけあって美味。あとは帰国後のピースオンカフェで腕試しか。


Imgp6277銀座中和ギャラリーで10月2日から行われるイラク現代作家展のメインアーティストとして来日予定のイラク人画家、シルワン・バラン宅で。バグダード生まれのクルド人なので、今回のクルディスタン滞在時の話でも盛り上がる。

Imgp6274他の多くのアーティスト同様、現在のイラクで芸術活動を続けるのは非常に困難な状況のため、シルワンさんは2年前からアンマン在住。イラクの女性、動物などをテーマにした作品が多く、原初的な生命の躍動感に満ちたフォルムを艶やかな色彩で表現している。(過去記事参照)現在、アブドゥラー・ヨルダン国王の肖像画を描く仕事も請けている。


定宿のホテルは相変わらず我々以外はほとんどイラク人で占めていた。これからヨーロッパの親類のところなどに避難するためにビザの発給を待っている人、ヨルダンで避難生活を送るために一時的に滞在している人、とにかく治安が悪化したイラクからは脱出したものの、身よりもあてもなく途方にくれている人など様々だ。クルディスタンに来ていたイラク人同様、持ち前の明るさで冗談ばかり言って周囲を和ませるが、みな申し合わせたようにバグダードの状況は最悪だとこぼす。

Imgp6264写真はバグダードから逃れてきて6月からこのホテルに住んでいるという家族。26歳になる娘のファーテンは湾岸戦争時の米軍爆撃のショックから精神に障害をきたし寝たきりの生活を続けている。ヨルダン人だった父は湾岸戦争前に逃げて行方知れずのためお母さんが一人で面倒を見ている。看護疲れのストレスからかお母さんの胸の上には巨大な腫瘍が。パスポートのないファーテンは、二度とイラクには戻らないという約束でヨルダンへの出国許可を得たものの、ヨルダンのパスポートも持っていない。イラクでは治療不可能と言われたので、ヨルダンの病院に連れて行くも、パスポートがないという理由で追い返される。逃げたとはいえ父親がヨルダン人だからヨルダン国籍を持っているはずだと結婚証明書を持って何度役所に行っても、証明書にイラク外務省のサインが必要だと追い返される。お母さんはグリーンゾーン内のイラク外務省にどうやっていけばいいのかと途方にくれている。話を聞こうと耳を傾けると、この15年間に蓄積されてきた苦悩が一気に噴出するかのごとくとめどなく話し続ける。何とかできないかとヨルダンの友人達に相談した結果、ありがたいことに二人の友人が動いてくれることになったので、少ないが当座の生活資金を個人でカンパして、あとは友人に引き継ぎヨルダンを後にした。

現在ヨルダンには100万人以上のイラク人がいるという。以前は30万人前後だったというから、避難してきた人がほとんどだろう。ファーテン一家は湾岸戦争から続く二重三重の苦しみを受けている戦争被害者だが、これ以上の受難に喘ぐ家族はいかばかりだろうか。戦争。爆弾を落とす側の世界にいる人々の記憶は薄れていっても、爆弾を落とされる側に立たせられた人々にとっての苦しみは増え続けていく。

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September 14, 2006

イラク・クルディスタン出国~アンマン到着まで

アルビル(9月4日)

Imgp6168アマル君の車でクルド人自治区首府アルビルへ。途中ガソリンスタンドに並ぶ車が延々と数珠つながりの列。バグダードでの光景を思い出す。これでは一日待っても入れられるのかどうか。アマル君はやはり路肩で売っている闇ガソリン、外国ものはよろしくないとバグダードのドーラ製を入れていた。

Imgp6178一時間ほどでアルビル到着。中央の高台の上に巨大な古城が聳え立つ大きな都市で、古城を取り囲むいわば城下町の印象。田舎シャクラワの澄んだ空気に慣れてきていたので、大都市の澱み煤けた空気が重く全身にまとわりつく。ふと見上げた空に、米軍下請けの航空自衛隊はここまできているのかと思い出す。

迷宮のようなスーク(市場)を買い物ついでに逍遥。フレッシュジュースのシャーベット売りに興味を示したら宝飾品店の親父がおごってくれたり、買い物帰りのおやじに売り場を尋ねると案内してくれ値引き交渉まで手伝ってくれたりと、都会と言ってもみな人がいい。ところで案内してくれたイギリス生活が長く英語が達者なクルド人のおじさんは、聞いてもいないのにアラブの悪口を言っていた。彼のようにあからさまに言う人は珍しいが、これまでもクルド人に「なぜ来たの?」と質問され「バグダードの友達と会うため」と答えたとき、それがアラブ人だとわかった刹那に微妙に表情を変化させる人は多かった。

はじめにジュースを買ったスーク入口の瀬戸物屋の兄貴がやはり在英生活10年で英語が達者だったので、再び訪れてうまい食堂はないかと尋ねるとやはり店の前まで案内してくれた。食後に高瀬の願いでアルビル唯一のエスカレーターがあるというスーパーはどこかと再び兄貴に尋ねると、郊外なのでタクシーに乗る必要があるが連れて行ってやると言って、店をほっぽらかして案内してくれることになった。

ターリク兄貴がイギリスに10年もいたのは亡命していたからだそうだ。10年前、サッダームを批判するビラをまいていたら友人は次々と捕まり殺されたり拷問の末気が触れていったりしたという。兄貴は何とか逃れたわけだが、10年ぶりに故郷に帰ってみたらあらゆるものが大きく変わってしまっていて、まだ一ヶ月しか経っていないので戸惑いっぱなしの毎日だという。サッダームがいないので満足かと思いきや、決してそんな単純な話ではないようだ。ところで兄貴はタクシー代まで払ってくれた。

Imgp6181郊外のショッピングセンター、NAZAMALLに到着。今年6月に開店したばかりだそうでガラスの壁もピカピカに輝いている。タクシーから降りた途端にどこかヨーロッパかアメリカの郊外にでも来たのかと錯覚する。内装も陳列物もしかり。

Imgp6185ただし、お目当てのエスカレーターは動いていない。停電中は発電機だけではエスカレーターまで電力を賄えないそうだ。慣れないエスカレーターで日に5人は転ぶと言う。この辺を聞いてやはりイラクにいるんだと妙に安心してしまう。

帰りに兄貴が姉さんの家に寄っていけというので、お言葉に甘えてクルド人民家のおもてなしを受ける。姉さん夫婦と子どもら4人に囲まれて食事までご馳走になり、実に豊かな時間を過ごさせてもらった。お姉さんの旦那、スレイマンさんも少し英語が話せるのでイラクやクルドや日本のことなど四方山話に花が咲いた。彼らにとって、サッダーム時代がいかに苦しいものだったかということは疑いの余地がない。しかし同時に今日のイラクの混乱に対する複雑な思いが言葉の端々から滲み出ていて、その元凶としてのアメリカのやり方に対する怒りもまた激烈であった。

ちょっと寄るだけのはずがすっかり長居してしまう。泊まっていけとも言われたが、荷物もあるし明日の出発も早いのでとお暇する。ホテルまで車で送ってくれた。街は停電中。闇の中そびえたつ古城が月明かりに妖しく照らされていた。

イラク出国(9月5日)

早朝セルビス(乗り合い)タクシーでアルビルを出発。今頃サラマッド&アマラもモースルをシリアに向けて出発しているはず。一週間のイラク・クルディスタン滞在もあっという間だった。シャクラワに行くときとは変わって、あまり山岳地域には入らず緩やかな道路を車は走る。

Imgp6195割と平坦なのでうとうとしかけた頃、ふと窓から外を見るとどうもアラブ人らしき服を着た人々が多く目に付く集落が。さらにこれまでほとんど目にしなかったイラク国旗までちらほらある。同席の客に聞くとこの辺りはバシェーハというモースルに属するアラブの地域だそうな。ちなみにモースルに入るとしたら、やはりイラクのビザが必要になると言うから不思議なものだ。イラクの中にあるクルド人自治区の中にまたイラクが出てくるわけだ。この辺りの検問の警察も腕にイラク国旗のワッペンをつけたイラク警察。バグダードでイラク警察と言えば今や最も信用できないと悪評だが、久しぶりに見たイラク警察はみな愛嬌たっぷり。一緒に写真まで取らせてくれてメロンまでもらってしまった。はしゃぐ高瀬に同乗のクルド人は「置いていこうか」と呆れ顔であった。

Imgp6197やがて検問にはおなじみペシュメルガが出てきてクルド人エリアに戻る。ドホークでは米兵が何人か連れ立って町中の歩道をぞろぞろ歩いているのを見かけた。グリーンゾーンなど各米軍施設にこもりきりのバグダードではまずありえない光景だ。ここクルディスタンの治安状況がいかに安定しているかを如実に表している。ところで韓国軍は国境のタクシー乗り場付近で見かけた以外全く遭遇しなかった。よく韓国人かとも間違えられたが、聞いた限りでは韓国軍の評判はいいようだ。

お昼過ぎにザーホー到着。いよいよイラク出国だが、ずいぶんと混んでいるようでなかなか進まない。入国時とはうって変わって荷物のチェックが厳しいようだ。イラク側ではまだましだったが、トルコ側ではさらに厳重。しかも機械を使わないのでさらに時間がかかる。結局国境を抜けるのに合計4時間近くもかかってしまった。トルコ側で係員に「イラクのどこで何をしていた」とたずねられたので、「バグダードの友人とシャクラワで会っていた。今イラクは治安が悪いのでクルディスタンで会おうということになったんだ」と答えると、

「クルディスタンなど存在しない。イラクで会っていたんだろう」

「だから、イラクのクルディスタン地域で・・・」

「クルディスタンなど存在しない」

「はあ、イラクのクルド人の住む地域って言えばいいんですか?」

やがて別室に連れて行かれて、「トルコではクルディスタンなんて口にしちゃあいけない。人によっては怒り狂うぞ」と警告を受ける。なるほど「~スタン」というのは確か「~人の土地、国」という意味だから、クルド人国家を絶対に認めない立場のトルコとしては禁句なんだろう。おそらくシリアもイランも同じか。国境を越えてからシリア国境へ抜けるヌサイビンまでも検問が多かった。行きは全くなかったのに不思議なものだ。イラクのクルディスタンから来る人間には異様に神経を尖らせているようだ。

クルド人は独自の文化と言語をもち、トルコ、イラク、イラン、シリアなどにまたがる地域に2000万人から3000万人も暮らしているというのに、独自の国家を持たずに各国の思惑の中で翻弄され続けてきた歴史を持つ民族だ。1500万人ものクルド人が住むというここトルコでは特に激しく弾圧されてきたと聞いていたがなるほど頷ける。あちこちではためいていたクルド旗を思い出し、一定の自治が認められている今のイラクのクルディスタンに住む400万人ほどのクルド人は、トルコなどのクルド人と比べてずいぶんと恵まれてきているのでないかとも思う。しかし、愛民族心がさらに盛り上がり、各地でクルド人国家独立への気運が高まれば、新たな戦争になるかもしれないと心配していた人もいたことを思い出す。初めてのクルディスタン訪問。サラマッドとの打合せが主な目的ではあったが、未知の世界だったクルディスタンを垣間見て、自己と世界の関係を新たに構築させる課題をいくつか土産にすることが出来た。

シリアとの国境の町ヌサイビンに到着したのは午後4時過ぎ。国境がなんと午後3時で閉まるらしく、今夜はトルコで足止め決定。サラマッドに電話すると、モースルで数件の爆破事件があったらしく国境が閉鎖されて彼らもモースルから出られなくなったそうだ。結局ダマスカスで落ち合えるのは明日の夜ということになった。


ダマスカスで友を待つ(9月6日)

Imgp6220朝10時に国境が開き、歩いてシリアへ。カーミシュリーのガラージュ(バス停)から12時半発のダマスカス行き長距離バスに乗る。デリゾールまで親戚の結婚式に行くという自称日本人似の青年二人と駄弁っていると、あっという間にユーフラテス川を越える。夕暮れ時にパルミラで軽く食事。車窓から外を眺めると、金色の落日に照らされて朱に染まり彼方にかすんでゆく遺跡群を、峻厳とした岩山に凛然とそそり立つアラブ城が見守っていた。古から絶えず繰り返されてきた人間の熱き栄華の夢の跡。やがて透き通った瑠璃色の帳が包み、白銀の月が今夜も変わらぬ光を注ぐ。まどろむ人々の幾多の夢を乗せて、バスは美の古都シャーム、ダマスカスを目指して走り続ける。

9時過ぎにダマスカス到着。アンマン行きのガラージュに移動して友を待つが、日付が変わってもまだ来ない。電話もないし、こちらからも通じないので何かあったのではないかと心配になる。レストランの兄貴達が不憫に思ったのかタダでヒヨコマメやらチャイやらジュースやらをおごってくれる。警官まで暇つぶしにチャイをおごってくれる。朝まで待ってもこなかったら、先にアンマンに向かうしかないかと思っていた頃やっとサラマッド&アマラ登場。時刻はもう朝の4時を回っていた。イラク側国境ではアマラのビザが期限切れだからバグダードまで戻って手続きしてこいと言われ、冗談じゃないといくらか金を握らせ何とか通過したものの、シリア国境ではバスの他の乗客共々6時間も待たされたそうだ。

アンマンへ(9月7日)

早速タクシーをシェアして夜明けの道を国境へ急ぐ。4人ともいつの間にか眠りこけてしまい目が覚めたらもう国境だ。現在ヨルダン国境ではイラク人の入国が厳しく規制されているので、サラマッドは果たして入国できるのだろうかとみなに心配されていたが、一時間程度で通過。やはりフランス人アマラとの結婚証明、そしてフランス行きの航空券を持っているからだろう。

9時頃アンマンに到着し、いつものイラク人ご用達ホテルにチェックイン。サラマッド&アマラは早速航空会社へ便の日程変更へ。イラク情勢のせいで予定の便に間に合わなかったということで、いくらかペナルティを支払って明日の朝の便に変更することができたそうだ。二人のアンマン滞在が一日しかないということで、一睡もせずに友人へのあいさつ回りを何件もはしごする。以前と比べて料金を高くぼったくろうとするタクシー運転手が増えていて、乗るたびにエネルギーを消耗する。あいさつ回りの最後、イラク人画家ハニ・デラ・アリさんの家に着いたのは夜11時過ぎ。さすがに寝不足でフラフラになりながら深夜2時頃ホテルに戻る。少し眠って翌朝6時ころ無理矢理目をこじ開けてサラマッド&アマラの出発を見送ったあと、お昼近くまで死んだように眠っていた。

アンマンでの活動(9月8日~)

サラマッド&アマラを無事送り出してからは、これまでのちょっと無理のあったスケジュールを改め、休み休み体力の回復に努めながら活動中。10月2日から銀座中和ギャラリーで行われるイラク人現代作家展のための打合せ、ビザ取得手続きなどを、今回も来日予定のハニさん、そして初来日となる画家シルワン・バランさんと進めています。滞在中のホテルは、相変わらず自分達以外の宿泊客はほとんどバグダードから逃れてきたイラク人。ロビーに集まればイラク人持ち前の明るさで盛り上がっていますが、それぞれ話しを聞くとやはり皆深刻な問題を抱えています。先日はジャーナリスト・シバレイ氏の取材にお邪魔してアブグレイブ刑務所で拷問を受けた方のお話も直接聞くことが出来ました。このように伝えたいことは山ほどありますが、帰国後の企画のための準備が遅れているので、これまで少しずつ紹介してきた「イラク・クルディスタンでの手記」以降は、詳しくお伝えできるのは帰国後の別の機会になるかもしれませんがご了承ください。それでも活動中はこのブログで出来るだけ現地の様子などお伝えしていくよう努めますので、これからもよろしくお願いします。

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September 12, 2006

イラク・クルディスタンでの打合せなど

アンマンでハニさんたちと元気でやってます。以下再びこれまでの手記UP。前半はサラマッドによるイラク武装勢力&民兵講義の要点記録(ちょっとマニアックです)、後半は支援活動報告です。

ムクタダ教に壊される故郷(9月2日)

Imgp6133朝飯を食べて外に出ると靴磨きの子ども達集まっていた。2003年の開戦前はバグダードのいたるところにこうしたちびっ子たちがいたものだ。彼らはどうしているんだろうとサラマッドに聞くと、今ではみんな靴磨きの道具ではなく武器を運んで金を稼いでいるだろうよと苦笑する。今日はシャクラワ一日打合せの日だが、バグダードの状況についてさらに詳しく聞いてみた。

内戦化が懸念されているイラク。一日100人も殺されている現状を見れば、既に内戦と言っても過言ではないだろう。しかしサラマッドに言わせると、これは決して市民同士の内戦ではなく、宗派間戦争に見せかけられた政治的権力闘争だ。

よく報道で耳にするスンナ派武装勢力について詳しく見てみると、シーア派殺害をハラ-ル(好いこと)と言い切るサラフィー系、そこまでは言わないにせよ原理主義的思想を持つワッハーブ系、ザルカウィーでおなじみのアルカイダ系。以上は外国人とイラク人の混合で、そしてあとはイラク人によるムジャヒディーン(イスラーム戦士)に大別される。*驚いたことに、昨年サラマッド達を一時拘束したムジャヒディーンのリーダー格の人物はなんと当時ザルカウィーの右腕といわれていたアブダーという人物でさらにサラマッドのおじにあたる人物だった!と今回バグダードのおばさんに教えられたという。当時は覆面をしていたためサラマッドは気が付かなかったが、アブダーはパスポートなどを見て甥っ子だと気が付いたようだ。現在彼は米軍に捕らえられている。

しかし今イラク政府も認めているイラク混乱の大きな原因はやはりシーア派民兵だ。イランからの支援を受けた秘密組織バドル旅団、ムクタダ・サドルのマハディー軍、ファディーラ党の民兵、カルバラのイマーム(宗教指導者)アッサービティの民兵などが入り組んで、お互いの権力支配を巡り各地で有力者の殺害から住民の棲み分けを進めるための市民殺害まで拡大し、バスラやカルバラなど地域によっては、対スンナ派だけではなくシーア派民兵同士で戦闘しているという有様だ。他に例外としてスンナ派と反占領で共闘するディアラのシーア派イマーム、アルハラシーの民兵などもいて、複雑で今ここには書ききれないのだが、今回サラマッド達がバグダードに帰ってみて特に驚いたのは、総勢300万人を超えるというマハディー軍の増長ぶりだそうだ。

_imgp3025Imgp3036マハディー軍の乱暴狼藉の数々については以前も記した。しかし特筆すべきは、師であるムクタダ・サドルに対する異様な個人崇拝、セクト(新興宗教)化である。今回サラマッドがバグダードに帰ってみて驚いたのは、まずムクタダの肖像の多さ。サッダーム時代ですら一部屋に一枚程度だったのに、いまや場所によっては壁全体に様々なポーズをとったムクタダの写真が飾られているという。また、マハディーというのはイスラームの教義(はじめシーア派の教義と記したがshamil氏の指摘を受け訂正)で終末に世界に現れるという救世主を意味しているのだが、もしマハディーがこの世に現れて、彼がムクタダのことなど知らないと言ったら、マハディーを殺すという連中すらいるという。つまりマハディー軍と名乗っていながらマハディーのことなどなにもわかっていなく、ただ盲目的にムクタダを崇拝しているだけなのだ。それもそのはず、今マハディー軍に加わっている人々は、教育を受けていない貧しい人々、チンピラ、サッダーム時代に獄中にいた人々などがほとんどで、この悪化する状況の中で他に選択肢がなく加わっていき、略奪した金品を財源に勢力を広げ続けている。困ったことには、ムクタダの鶴の一声で統制されれば少しは違うのだろうが、いまやムクタダのコントロールがきかない分派が多数存在する状態で、それはムクタダ自身ですら認めているようだ。

こうした武装勢力や民兵の抗争による犠牲者は、やはり戦争と占領と同じく巻き込まれていく一般市民である。スンナ派地域に住むシーア派住民、シーア派地域に住むスンナ派住民はそれぞれ移住を余儀なくされて棲み分けが進んでいる。各検問でスンナ派とわかっただけで連行され拷問の末殺害されるケースが増えたので、シーア派特有の挨拶やイマームの名を覚えたり、オマールなどからアリーなどへIDカードの名前を変更したりするスンナ派の人々が増えているとはこれまでも聞いていたが、以前はIDの名前を変更するのに300ドル以上していたのに、今では10ドル以下で簡単に変更できるようになっているそうだ。

スンナ、シーア、以前はほとんど意識すらしていなかったのに、今では両派の市民がお互いに対して猜疑心を抱いてしまっている。今回のシャクラワ滞在中にも、昨夜、カズミヤ(シーア派地区)から来た若者二人にふと「いつバグダードに戻るんだっけ?」と聞いたとき、彼らにこっそりと耳元で「今、向こうにアダミヤ(スンナ派地区)から来た人がいるから・・・」と囁かれ、黙ってうなずいてその場を後にした。また、高瀬によると、いっしょに遊んでいた子ども達(スンナ派)がシーア派はよくないと言っていたそうだ。このように今回の滞在では直接肌で市民の亀裂を感じてしまった。

バグダード、モースルでの活動

Dsc01137Dsc01157サラマッドから今回の活動を報告してもらう。以前伝えたとおり、いまやゴーストタウンと化した恐怖の都バグダードで活動するのは容易ではない。病院ですらマハディー軍に占拠されているので、今回フランスの医師から提供され100キロ分ほど運んできた主に小児用の医薬品、医療器具に関しては、300人前後の子ども母親が入院しているモースルのイブンアルアセアー小児病院に寄付した。

Dsc01124Dsc01196また、30人の孤児が生活するモースルの孤児院、「House of State for Orphans Care」には、虫除け用の網戸にテーブル&椅子、掃除機、スプリンクラー、ゲーム、パソコン修理代&停電時保護器具などを届けてきた。

Dsc01102さて問題はバグダードである。戻るだけでも命がけであり、活動継続は非常に困難な状態だ。以前からアマラが個人的に支援してきたカラダ地区の空き家に住む家族を訪れた他は、これまでのような活動はほとんど出来なくなっている。

障がい児施設へのスクールバス送迎プロジェクトも、治安が悪く施設に通う子ども達が減っているのと、ドライバーがトラブルに巻き込まれることが頻発し管理が手に負えなくなり、支援の効果がリスクと費用に見合わなくなってきていたので一時中断している状態だ。現在子ども達は夏休み中だが先生たちは2週間に一日だけ施設に通っているので、何とかバスプロジェクトの一時中断と、代替支援について相談することが出来た。
(8月19日記事後半参照)

Dsc01247アルマナー身体障がい児施設のマネージャーは困難な状況を理解してくれて、代替支援案のライブラリープロジェクトは次回から始めることにして、今回はかねてから要望のあった身体障がい児用の特別運動&身体機能維持用器具(歩行練習などに用いる)をいくつか届けることにした。

Dsc01233極度に治安が悪化して子ども達の外出もままならない現状では、こうした器具がますます必要になってきているのに、労働省からは相変わらずほとんど予算がおりないそうだ。ほかにもいくつか国外のNGO団体が視察に来たのでその度に器具の必要性を訴えてきたのに、結局どこも視察だけで、実際に届けてくれたのは初めてだと喜んでくれたようだ。

Dsc01232夏休み中だったが施設近所の子ども達は器具が届くと聞いて何人か集まってくれたらしい。写真を見ると懐かしいちびっ子たち。みんなずいぶんと大きくなっている。そういえばみんなと最後に会ってから、もう2年以上も経っていたのだ。みんな自分の事を覚えていてくれたことへの喜びと、やっと再びイラクまでやってきたというのに、こんなにもバグダードは遠くなってしまったんだなあという悲しみが、スライドショーで写真が切り替わる度に代わる代わる心に積み重ねられてゆく。


Imgp6137ところで2年半前に兵庫の香呂南小学校とバグダードドーラ地区のベイルート小学校の生徒との交流活動の橋渡しをしたが、治安が悪化してからというもの、ドーラ地区においては日本の小学生とかかわりがあるというだけで先生や生徒たちが武装勢力の攻撃対象になりかねないということで、せっかくお返しのパッチワークによる手作りメッセージを香呂南小の子どもたちから受け取っていたのに、しばらく東京の事務所に預かっていたままだった。状況はますます悪くなり、交流再開どころか教員も殺害され休校になっているのだが、状況が良くなることを祈り、再開できるようになればすぐにでもサラマッドの弟を通して届けられるようにと、この度サラマッドに手渡した。また、先日の札幌月寒教会での講演の際に預かったイラクの子どもたちへのメッセージパッチワーク壁掛けも、メッセージをひとつひとつ英訳してサラマッドに手渡した。後ですぐアラビア語に訳してもらって、弟を通じてアルマナーに届けてもらうつもりだ。

治安改善の見通しが立たないイラクにおいても、関心が低下していく日本においても、活動の継続は困難な状況ではあるが、たとえ小さくとも出来ることを続けて絆を繋ぎとめていこうと改めて誓いあった。お互いに、困ったときこそ友達である。


シャクラワ最後の夜(9月3日)

朝食を共にした後、11時頃サラマッド&アマラはモースルに向けて出発した。モースルでは孤児院へ修理したパソコンを届け弟に支援金を預け引継ぎを済ませ次第、二人は再びフランスに向かう。まずは陸路でアンマンへ向けて旅立つので、途中シリアのダマスカスで落ち合う約束をした。我々もアンマンで用事があるのと、最近イラク人のヨルダン入国が厳しく規制されているので、一緒に国境を越えたほうが何かといいだろうと思ったからだ。

Imgp6154_1二人が帰った後、クルド土産などを物色しつつ町をぶらつきシャクラワ最後の一日を過ごす。あちこちで目にする乾物屋の軒先には、まるでフライパンの底の油を固めるテンプルか何かで形を取ったかのようなけったいなものが重ねられ、うずたかく積まれている。名物の杏をペースト状にして薄っぺらく円形に伸ばした菓子だそうだ。蜂蜜もいいなあと迷ったが、大好物のザクロの濃縮ジュースを購入した。帽子にクフィーヤを巻きつけターバンのように頭にかぶり、とび職人のつなぎのようなクルドの衣装を腰に巻いた紐できゅっと締めた渋いおやじ達を横目に通りを歩く。夜、気が付くと先日ゲリアリベックに連れて行ってくれたアマル君が頼んでもいないのに勝手に付いてきて案内を始める。昨日までも連日ぷらぷらしていたし、明後日バグダードに仕事で戻るまではどうもヒマをもてあましているようだ。声をかけてくるアラブ人はやはりほとんどがバグダード出身。みんな珍しがって話しかけてくるので、短い通りなのに歩くのにえらい時間がかかる。食後は水たばこで休憩。アマル君のおかげでタダになった。シャクラワ最後の夜。同じイラクの空の下、しかしあまりにも遠くなってしまったバグダードの空を想いながら、ゆっくりと煙をくゆらす。クルドの町の灯りと溶け合って、やがて静かに星空に滲んで消えていった。

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September 10, 2006

イラク・クルディスタンでの手記続き

(9月6日にトルコからシリアに渡り、バスでダマスカスへ。イラク・モースルから直接シリア国境を越えたサラマッド達が国境で6時間も待たされたおかげで、ダマスカスで再び落ち合ったのは朝4時過ぎ。お互い一睡もしないままヨルダンへ。最近イラク人のヨルダン入りが厳しくなっていたので心配していたサラマッドの入国もなんとかクリアし、7日朝無事にアンマンに到着しました。以下再びこれまでの手記をUPします。)


クルドの山を分け入って(8月30日の続き)

Imga0021

Imgp6081Imga0022緑が点在するなだらかな丘陵を縫って、緩やかなカーブを描きながら道路は続く。ここも日本企業が関わっていたかどうかしらないが、やはりクルディスタンから入ってもイラクの道路は立派だなあと感じる。ザーホーからドホークに入ると、いたるところに建築中の建物が。同乗していたシャイシャイ君の上司オマールさんによると、クルディスタンは治安も安定しているし、ビジネスも盛んになってきているので、バグダードなどイラク国内各地から移住する人が絶えず、富裕層による建築ラッシュにわいているという。

道路脇に目をやると数十メートルの間隔を均一にとって闇ガソリンを売るオヤジと小間使いの子ども達がヒマそうにしている。これまでイラク国内のガソリン不足はさんざ聞かされてきたが、ここクルディスタンでも同様で闇ガソリン売りが盛んだ。容器の外見はどれも同じようだが聞くとトルコ製、イラン製、バグダードのドーラ製など、各地で精製されたガソリンが並べられてある。価格はスタンドの4倍前後で1リットル当たり日本円にすると70~80円くらい。以前は3円前後でタダ同然だったので、この異様な価格の高騰は市民生活に大きな影響を与えている。

ガソリン以外にも物価はどんどん騰がっているので、平均給料が200から300ドルと高くなっていてもまるで追いつかないという。貧富の差も拡大し、いわゆる格差社会が始まっているのではないかとオマールさんに問うと、ある意味その通りではあるが、それでもこれはあくまでも一時的な調整による歪みに過ぎないから必ずよくなる、サッダーム時代と比べたらはるかにましだと言い切っていた。状況が悪化する前のバグダード市民の声を思い出す。

オマールさんは日本のことを褒めちぎるので、年間3万3千人以上が自殺しているという社会問題を伝えると、やはり「なぜ?」と顔色を変えて絶句していた。一日100人というのは今イラク国内で殺されている人の数に匹敵するが、オマールさんにとっては日本の自殺のほうがよほど異常ではないかと言う。

Imgp6086ドホークを越え車はさらにクルドの山々を深く分け入っていく。ゆるやかに流れる時と草を食み風景にはりついていた羊や山羊や牛や騾馬は時折道路にはみ出してくる。イラク国旗はどこにも見出せないのに、至るところではためくクルドの旗は、山の岩肌にまで描かれている。クルディスタン。風景から滲み出るこの愛国心というか愛民族心は、夕陽に照らされて静かに燃えあがっていた。

サラマッドと落ち合う予定になっていたアルビル近く小さな村、シャクラワにたどり着いたときにはすっかり陽も落ちていた。暗い山道のなか、突如として現れた光の町。歩行者天国となっていた狭い通りの商店街は夜更けまでたくさんの人々で賑わっていた。Imgp6102


サラマッド&アマラとシャクラワで会う(8月31日)

朝、起きるとホテルの部屋の電気が付かない。イラクでおなじみの停電である。これまでバグダードでの滞在中は当たり前のことだったが、ここクルディスタンでもやはり同じかと知ると不便なのになぜか不思議と安心している自分に気付く。暗闇のなか冷たい水で体を洗う。暑いのでなんてことはない。しかし発電機は入っているのに客室は停電でフロントだけ送風ファンが回り快適そうだ。発電機の電力が足りずに客室全体をカバーできないからだろうが、客より従業員を優先するとはなんてホテルだとも思ったが、丁寧にクルド語を教えてくれ底抜けに明るくてどうにも憎めないスタッフの面々の笑顔を見ていると、気が抜けてなんだか全て許せるような気持ちになる。この辺はやはりイラクだなあと再び安心する。

Imgp6097気温が下がる夜は賑わっていたこの町も、40度以上にもなる昼はさすがに人影もまばら。観光地として有名なここシャクラワには多くのアラブ人が訪れると聞いていたが、飯を食って散歩していると日本人が珍しいのか続々と声をかけられる。普通は「写真を撮って」とせがまれるものだが、ここではなぜか逆にカメラを持ったアラブ人に「一緒に写真を撮ってもいいですか?」とたずねられ、自分が被写体になることが多い。聞くとほとんどがバグダードからの観光客。この治安のいいクルディスタンのシャクラワで、束の間のバカンスを楽しみにきているようだ。バグダードの状況を尋ねると途端に朗らかだった表情を歪めて「ムーゼン、ムーゼン(良くない、良くない)」とほぼ決まり文句のようにみな口をそろえる。アダミヤ、カズミヤ、カラダ、マンスール、ジャドリヤ、ハイアルジハード、ニューバグダード、などなどなど、スンナ派地域からもシーア派地域からも混在地域からも満遍なく来ているようだ。

昼には着くといっていたサラマッドとアマラが午後3時を過ぎても来ない。モースルからの道中が心配である。ところで今回ここクルディスタンで二人と会うことになった理由は、家族の避難先モースルに帰った二人が9月前半には再びアマラの故郷フランスに戻るので、二人の帰り道のシリアやアンマンで落ち合うと、イラク現地での活動を継続してくれる弟に寄付金を渡せなくなってしまうからである。これまでのレポートで紹介してきたようにとてもバグダードで落ち合うのは無理だとしても、なんとか少しでもイラク現地の様子を直接肌で感じたいので、モースルで会えないかと相談してきた。しかし、バグダードのように毎日100人も殺されている宗派対立の地獄には陥っていないにせよ、モースルでは依然としてイスラム戦士、ムジャヒディーンによる米軍やイラク警察にたいする抵抗が活発であり、まだ日本人が入るのは厳しいだろうという現地を良く知る友人の判断からモースル入りは見合せた。クルディスタンならマークムシュケラ(問題ない)というサラマッドの判断と、これまで一度も足を踏み入れたことのなかった北部イラクを直接自分の目で見てみたいというたっての希望から、今回は初めてここイラクのクルディスタンで出会うことになったというわけだ。またルートに関しては、クルドならOKとはいっても、サラマッド達のようにシリアからイラクに直接抜けるルートは近道とはいえシリア国境で外国人は止められてしまう可能性が高いのと、仮にうまくいっても危険なモースルを通過せざるをえないし、その場合モースルの検問でイラクのビザが必要になるので、遠回りだが一度トルコに抜けてからイラクに入国するという迂回路を選択した。

Imgp6140午後4時頃サラマッドとアマラ到着。案の定モースルの検問で時間を食ったらしい。好物のナツメヤシ、しかも新鮮な生の実を仰山、そしてお母さんの手作りアラブ料理のドルマ(野菜の中身をくり抜きご飯を詰め込み煮込んだ料理)とテプシー(ナスやトマトの煮込み)の差し入れをいただく。夜、水たばこをやりながら二人からバグダードの恐怖(基本的には以前メールで聞いていた通りで、他詳しくは後ほど)を聞いていると、眼前の通りの賑わいが染め絵のように滲んできて、まるで夢物語に思えてくる。


念願だった北イラク観光(9月1日)

Imgp61224人でシャクラワから車で1時間ほどの滝、ゲリアリベックまで観光に出かける。2年前の春バグダード滞在中、活動が一段落したら北イラクに観光に行こうと意気込んでいたが、結局次から次へと仕事が入り断念。その後外国人人質事件頻発など治安が悪化し観光どころではなくなっていたので、今回実に2年半越しに念願の北イラク観光となった。サラマッド&アマラも2年前に結婚してからというもの悪化する情勢に翻弄され続けていて、結局観光といったら昨年の来日時ハードスケジュールを縫っての広島、北海道観光くらいのものだったそうだ。

車を出してくれることになった近所のアマルさんはクルド人で、バグダードの米軍駐留地域グリーンゾーンで民間軍事企業の運転手として働いているそうだ。危険な仕事だけあって給料は一日100ドルというから現地のクルド人としては高給取りだろう。これまでも何人か同様にいわゆる傭兵としてバグダードに働きに出ているというクルド人に出会った。

Imgp6109シャクラワから車でなだらかな丘陵を走る。途中、地雷危険の看板を見かける。イランイラク戦争のときに埋められたものだという。検問では一度車から降ろされて尋問される。イラク人とフランス人、そして日本人というのは確かに奇妙な組み合わせだろう。どうやって知り合ったのか?どうやって意志の疎通をしているのか?などと尋ねられたが難なく通過。やがて峻厳な渓谷地帯に入り、眼下の彼方にチグリス川の支流にあたるだろう渓流が姿を現す。名勝の滝ゲリアリベックにたどり着くと、大勢の観光客で賑わっていた。

Imgp6113Imgp6119滝の下にはいると急激に温度が下がり異界に滑り込んだかのようで、暑さで火照った身体が癒される。まわりから一緒に写ってと写真攻めにあいながらもオアシスを存分に楽しむ。川に飛び込みたい気分だったが遊泳は出来ないようで皆水浴びして遊んでいる。ズボンをまくりちびっ子たちとの水遊びに加わった途端、待ってましたとばかりにたちまち囲まれ大量の水を浴びせられて全身ずぶ濡れに。河原でピクニックをしていたアルビルから来たクルド人家族に誘われスイカをご馳走になる。これまでに聞いたクルド人同様、サッダーム時代と比べて今の状況は全体的に良くなってきていると言う。イラクに住むクルド人は皆アラビア語を話せるが、アラブ人でクルド語を話せる人はあまりいない、これは不公平だとも言っていた。以前自分が英語に対して抱いていた感情を思い出したが、世界では不公平感が入り組んで複雑な階層を構成している。

服が乾かないままシャクラワに戻る。サラマッド達が泊まっているホテル(自分らと同じホテルは満室だったため)に行くと、やはりバグダードのカズミヤ(シーア派地区)からきたという若者二人組みに声をかけられしばし立ち話。兄弟も殺されそうで、もうバグダードは終わったと言い切っていた。スウェーデンのビザを取ろうとしているが百万円以上するという。スンナ派にとってもシーア派にとっても状況は最悪なようだ。

夜は裏の高台にある四星ホテルのインターネットカフェへ。接続が遅い上になんと一時間4ドルもするが、ここしかないようなのでしょうがない。

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September 06, 2006

イラク・クルディスタンまで行ってきました。&8月29&30日手記

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29日朝、予定通りシリアのダマスカスに到着し、すぐさまバスで北東の町カーミシュリーへ向かいトルコを経由して2年ぶりにイラク入国。クルド人自治区、アルビル近くのシャクラワという小さな村で6日ほど逗留し、バグダードでの活動を終えたイラク人現地スタッフ、サラマッド&アマラと支援の打合せ、調整を済ませ、本日9月5日無事にイラクを出国しました。安全上の理由からブログでの報告を控えていましたが、これまでの記録を少しずつ記しておきます。

*本日中にトルコからシリアに抜ける予定でしたが、イラクとトルコの国境で4時間も待たされてしまい、トルコ、シリアの国境に着いたときにはすでに国境閉鎖時間を過ぎてしまっていたので今夜はトルコのヌサイビンに泊まる羽目になってしまいました。シリアで再び落ち合う予定だったサラマッドに電話すると、爆破事件が相次いだため今日はモースルのボーダーが閉鎖されてしまったらしく、彼らも明日の出発となったそうです・・・。


(8月29日)
およそ一年ぶりのダマスカス。長距離バスの停留所へとただ通り過ぎるだけだったが、バッシャール・アサド大統領とヒズボッラーのナスラッラー党首のツーショットポスターを誇らしげに掲げた何台もの車がいつもの喧騒を縫って走り、街に新しい彩を加えていた。正午。照りつける太陽が稠密な大気を通して肌を刺すが、東京の蒸した夏に疲れた心に乾いたアラブの風が心地好い。

Imgp6038_1シリア南西の首都から北東の町カーミシュリーまでシリア横断の旅が始まる。アラブ人とクルド人、そして二人の東洋人を乗せてほぼ満員になった長距離バスが荒涼とした砂漠の道をひた走る。3年前、初めてアラブの地に降り立ったときも、ここダマスカスから夜明け前の砂漠の闇を、未知なる都バグダードに向けて胸を高鳴らせながらバスに揺られていたのを思い出す。バグダードは再び遥かなる都になってしまった。

Imgp6041_1末席を占拠していたアラブ人家族と懇意になり、片言のアラビア語で道中の徒然を慰めあっているうちに、バスはすでに道半ばを越えデリゾールの町に入り、やがて豊かな水を湛えたユーフラテス川を渡る。太古からメソポタミアの大地と生命を潤してきたこの大河の流れは、今もイラクの地へとめどなく続いているが、今やファッルージャなどから川に投棄された累々とした屍が大魚の胃袋を満たしているという。

日が暮れかかる頃から、ちらほらと羊の群れ、そしてアラブの遊牧民、ベドウィンの集落を多く目にする。趣のある土や藁で固められた家並みに、不釣合いな電線の装飾が重ねられている。砂漠の民も今や電気なしでは住みにくいのだろう。

日が落ちて末席のアラブ人家族がハッサケで降りると、バスに残っているのはほとんどがクルド人。片言のアラビア語でいくつかクルド語を教えてもらっているうちに、夜9時頃、目的地であるトルコへの国境沿いの町カーミシュリーの町に着いた。「中国人?韓国人?日本人?」珍しい東洋人にタクシードライバーが群がってくる。明日イラクのアルビルに直行する友人のタクシーを紹介するという男Hについて宿を探すが、イラクやトルコからの客でどこも満室。結局ドライバーの好意で彼の自宅に泊めてもらうことに。英語はほとんど解さないので、辞書を片手にアラビア語で明日のタクシーの交渉。サッダーム時代のイラク同様シリアでは秘密警察がうるさいので、ここに泊まったことは内緒だと念を押され、また国境を越えるときはトルコに観光に行くと言ったほうがいいなどと助言される。運転手は奥さんと双子の赤ちゃんとの4人家族。一見して貧しい家庭なのだが、ちゃんと僕ら二人にベッドを用意してくれて自分達は縁側で眠るなど、虫に悩まされてなかなか眠れなかったけれども、精一杯もてなしてくれたのがありがたかった。電気のない真っ暗闇のトイレに起きると、見上げた夜空に満天の星が煌々と瞬いていた。

(8月30日)
Imgp6051_1朝、結局Hの友人はアルビルに行けなくなったのでトルコに着いたら自力でタクシーを捜してくれと言われる。まあはじめからそのつもりだったので問題はない。トルコまで歩いて国境を渡る。歩いて国を跨ぐのは10年前のアメリカ一人旅のときメキシコに渡ったとき以来か。

Imgp6052_1イラクとの国境シロッピまで、故郷のイラクのザーホーに帰郷するというドイツ国籍を持つおじさんとタクシーをシェアする。アラビア語とクルド語でいっぱいいっぱいだった頭にドイツ語が注ぎ込まれて飽和状態になり、かつて少しはかじったドイツ語なのになかなか出てこない。車はシリアの国境沿いを走る。牧歌的な風景にまどろみかける度に、鎮座するトルコ軍の戦車が目を覚さませる。国境の町シロッピでタクシーを乗り換え、いざイラク国境へ。トルコ側国境ではぼろを着た水売りの子らが「マイ~、マイ~(水~、水~)」となぜかアラビア語で群がってくる。

Imgp6066_1イラク側国境に向かうとタンクローリーが長蛇の列。トルコから産油国のイラクにガソリンを運ぶんだそうだ。復興どころではないイラクでは石油の精製が追いつかないので、こうして一度原油を輸出して、ガソリンを輸入するはめになっているのだ。

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さていよいよイラク側国境に到着すると、クルド人兵士のペシュメルガが大勢でお出迎え。見上げるとイラク国旗はなく、赤白緑のボーダーストライプの中央に黄色の太陽がデザインされたクルドの旗が青い空にはためいていて、看板には「ようこそイラクのクルディスタン地域へ」。いたるところにクルドの英雄バルザーニーの肖像。入国は問題なかったが、これまでのイラク入国を振り返ると、まるで別な国に入るようだ。シロッピからタクシーに同乗したタイの青年、これからスレイマニーヤのテレコム会社で一年間働くというシャイシャイ君の上司が車で迎えに来てくれていて、途中我々の目的地も通るということでなんとタダで乗せてもらうことになった。(続く)

*日記が整理できていないので取り急ぎここまで。高瀬のブログがちょい先取りしてるのでご覧ください。

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