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August 19, 2006

シャハラザードに忘れられた故郷

明日19日のイベント、ライジングサンでのトークならびに明後日の講演に備えて札幌に来ています。更新遅れていたイラクレポートをひとつ。


無事バグダードからモースルに戻った現地スタッフのサラマッドからのメールには、変わり果てた故郷の様子が綴られていた。

「もし君が自分の目であの現実を見たら、僕が言葉で伝えることなんて全く比べものにならないということがわかるだろう。あれは決してバグダードじゃない。別の都市、まさに死の都市だ。光も命もない、ただ殺戮と恐怖の生活。自分が見たものを君が見られるように、僕の瞳を君にあげることができたならと思う。涙なしでは見られない。

人々はいまバグダードを亡霊の都市と呼ぶ。からっぽで通りに車も人もいない。昨年までは渋滞から通り抜けるのに1時間半かかっていたルートも今では多くのチェックポイントがあるのに10分もかからない。中心部の商店ですら午後2時になるともう店じまい!以前は夜10時頃まで開いていたところがだよ。街で見かける輩といえば、一般車両に乗って銃を持つ連中ばかり。午後4時に通りに立てばもうあたりには誰一人いないんだ。本当に怖かった。朝早くでも、殺されるのを恐れて多くの店は閉まっている。君もよく知っているカラダ通りの商店街、あの一番の繁華街ですら4軒に1軒の割合しか開いていない。他の通りじゃほとんどがもう仕舞屋で、開いているのはせいぜい1、2軒だろう。もし朝にパンが手に入らなかったらその日はもうパンなしで暮らさなきゃならないってことだよ。

ガソリンは1リットルあたり2500ID(イラクディナール:1$は約1500ID)でもはやヨーロッパ以上。以前は350IDだったガス1ボンベが20000ID。50度を超える暑さの中相変わらず電気は6時間に1時間のみの通電・・・


実家のあるドーラには米軍とイラク軍が完全に包囲していて帰ることが出来なかった。バグダード近郊のおばさんの家にお世話になっていたんだけど、おばさん夜寝るときは自分の部屋も含め全てのドアに鍵をかけるんだ。一度近所にシーア派民兵のマハディー軍がやってきて、一家皆殺しにされたことがあるからだ。おじさんの会社の従業員に何人かマハディー軍の人間がいるから何とか大丈夫みたいだけど、聞くとマハディー軍は夜襲などの際、警察に賄賂をわたしチェックポイントで見逃してもらったり、警察の車や銃を借りたりまでしているらしい・・・。

(以下とても長く複雑で今は書ききれないので今回は省略します)

この状況では僕らのNGO活動もとてもこれまでのようには出来たもんじゃない。病院に医薬品を届けることも出来なかった。保健省の事務所なんかもマハディー軍に占拠されたりしていて、米軍が急襲したら拷問部屋があったり、また、ディアラの高名な医師が保健省に呼ばれた際に、なんと保健省事務所のある建物の中でマハディー軍に拉致されたり。もちろんディアラの医師たちは皆で彼を解放しろと要求したが、3日後に拷問痕のある遺体として発見されたんだ。ところでこれまでコンタクトを取っていた医師は今オマーンに避難しているから、後任の医師からの連絡を待っているんだ。

これまで(弟が継続して)支援してきた障がい者福祉施設は、今子ども達は夏休み中だけど、アルマナー身体障がい者学校のマネージャーとは連絡が取れた。あまりに治安が悪いので2週間に一日くらいしか学校には行けないみたい。久しぶりだったから僕がバグダードに帰ってきてくれたことをとても喜んでくれて、この状況下では通学バスのサポートを一時中断せざるを得ないことも了解してくれた。そして代替支援案として、施設の図書室を充実させるというPEACE ONライブラリープロジェクトにも同意してくれた。ただ問題はこの学校が完全にシーア派居住区にあること。マネージャーは(スンナ派の)僕が来ることを完全に極秘にするって約束してくれているけど、市内でいい児童用の本を扱っている書店があるところはどこもトップクラスに危険な地域ばかりなんだ・・・。

バグダードを車で運転しながら、空っぽで汚く変わり果てた街を見て、あの歌、Je m'appelle Bagdad(My name is Baghdad)のあの一節、『シャハラザードは私を忘れた・・・』を思い出してしまった。」

(注)Je m'appelle Bagdad(My name is Baghdad)は、オーストラリア出身の女性シンガー、Tina Arena の新曲。かつて誇っていた美も栄華も、今はまるで廃墟のようになってしまったと嘆く女性の哀しみ、人間の儚さを、変わり果てたバグダードの都にかけた歌。
ビデオクリップ
フランス語・英語対訳
シャハラザードは千一夜物語・アラビアンナイトの語り部

このようにバグダードでの支援の継続が困難なため、無事に家族の避難先モースルに戻ったサラマッドは現在モースル市内の病院、障がい児福祉施設、孤児院などを訪れて調査しています。来月には私も周辺地域にて支援の打合せならびに調整を行いますので、引き続き皆様の温かい支援、ご協力のほどどうかよろしくお願いいたします。

・振込先 郵便振替 00160-2-647637
      口座名 PEACE ON
・備考欄に「イラク支援」とお書きください。

親愛なる人々の住むイラクをどうか忘れないでください。

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Comments

お早うございます。

サラマッドさんの報告を読んで、いつかの集会で高遠さんが上映した、バグダッド市内を車から隠し撮りした映像を思い出しました。

人通りが閑散として活気もなく、緊張感と殺伐とした雰囲気が支配する映像。
記録映像で見た、ポルポト支配下のプノンペンの様でした。

サラマッドさんやアリさんと握手した時のことを思うと、彼らの故郷が今や変わり果て、「亡霊の都市」になってしまった、その悲しみを感じずにはいられません。

自分に何が出来るか(出来たか)を考えると辛いですが、私も彼の地に思いを寄せ、道を探っていきたいと思います。

Posted by: mdk-on-line | August 19, 2006 at 10:37 AM

シェラザードは正確に発音するとシャハラザードだったのですね・・・。
廃墟のバグダッド。占領軍が来てから次々とモスクが爆破され、イスラム社会と文化と家族愛や隣人愛が破壊されてきた。
でも、占領と破壊で、彼らの数千年の強い家族愛と隣人愛を本当に打ち壊せるのだろうか。
イラクの人々を思いパレスチナの人々を思い祈る日本人は今や少数だが、金持ち日本を代表する企業家や株投資家などは全くいない。その金持ち達がほんの少しだけでも寄付してくれるといいのになァ、と思っていた自分が間違っていたことに気がついた。バザーの無農薬のパンやケーキを焼く瑠璃屋さん、反戦を祈り行動する労働者のみなさん、子供の未来を真剣に考える親達、そして子。イラクやパレスチナへの募金はたとえ小額でも心のこもった清いお金しか集まらなかった。腐敗した政治やリッチな企業の寄付からのものはまるでない。しかも、募金協力してくれる人々は老若男女皆なきれいな人ばかり。不思議だ。そして、募金を有意義に生かしてイラクを支援する「清く貧しいPEACEON代表、事務局スタッフ」に出会えたことに感謝する。
イラクは復活する。バグダッドは世界の人々の心の都市として復活する。何故かそう信じられる。
でも、数千年の栄華を誇る都は、呪われた国際政治に関わるようなお金の力では決して復興できない。何故かそれも今確信できる。

Posted by: うだすみこ | August 22, 2006 at 07:36 AM

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