故郷イラクへの旅路
極度に治安が悪化したバグダードに住む家族から帰国を止められていて、昨年末から妻アマラの国フランスでの避難生活を送っていたイラク人現地スタッフのサラマッドが、ついにイラクに帰り、無事家族との再会を果たしたと電話がきた。
「アルハムドゥリッラー(神のおかげで)、何とかイラクにたどり着いたよ。とりあえず無事のおしらせ。詳しくは後でメールするよ」
イラクに帰国したとはいっても、故郷バグダードではなく家族の避難先、北部の都市モースルである。彼らの住んでいたドーラ地区はとりわけ治安が悪化していて、もう限界だと一ヶ月ほど前からモースルの親戚の家に避難していた。
今朝届いたメールには、モースルまでの道中と家族から聞いたバグダードの様子が、段落もなくスペルミスもお構いなしに長文でびっしりと書き込まれていた。
イスラエル大使館への抗議に何度も足を運んではいるものの、一向に治まる気配のないレバノン情勢についても書きたいことはあるのだが、取り急ぎ先にこちらから紹介する。
フランスの医師から寄付してもらった100キログラム以上にも及ぶ大量の医薬品、医療器具などの支援物資も持っていくため、道中は困難を極めたようで、行間からも労苦と溜め息が滲み出てくるようだ。
まずはパリからヨルダンの首都アンマンまでの飛行機。ロイヤルヨルダン航空に問い合わせると、これまでと同じように、はじめは荷物の事情を理解してくれて特別の計らいをしてもらえるとのことだったそうだが、出発の前日になって突然重量超過分は規定の料金を支払うようにと連絡がきた。話が違うと食い下がると、様々な責任者間をたらい回しにされた挙句、「イラク人にはアメリカがいるじゃないか。彼らが助けてくれるよ」とまで言われる始末。怒りを抑えてあきらめずに粘り強く交渉した結果、20キロから40キロ、最終的にはひとり60キロまで許可がおりた。それでも全ての支援物資は積みきらないので、あえなく着替えや家族や友人のために用意したお土産などを置いていかざるをえなかったそうだ。
アンマンには夜11時頃到着。なかなか大量の荷物を市内のホテルまで載せてくれる車が見つからず、やっとこさホテルに着いたときにはすでに深夜3時。ホテルのスタッフは乱暴に荷物を扱うものだから二つもバッグを壊してしまったうえに、一泊15JD(ヨルダンディナール 1JDで約160円)とこれまでの倍近くに騰がっている。アンマンで数日滞在して何人か友人とも会おうと思っていたが、これでは高すぎるし、レバノンからの避難民が大勢アンマンにきている影響もあってか、45分以上待ってようやくタクシー捕まるような状況なので、すぐさまシリアに向かおうと予定を変更したそうだ。
ところで前回2月に私がイラク人画家のハニさん宅に預けていったイラクの子ども達への文房具を取りに行くと、ハニさんは仕事で留守だったらしく、末っ子のハッスーニが出て「なんでYATCHの荷物を取るんだ。渡さないよ」と言われてしまったが、持っていたお菓子と交換ではどうか?と交渉するとあっさりと渡してくれたようだ。
さてシリアのダマスカスまではバスが安いのだが、この荷物では確実に国境で足止めを食らうだろうし、他の乗客もいる手前融通もきかないだろうと言うことでタクシーに変更。案の定国境ではいくらか賄賂を渡すと荷物もノーチェックで通過できたそうな。途中でタイヤがパンクしたので他のタクシーに乗り換えてダマスカスへ。巡礼地サイーダ・ザイナブ周辺などを少し散策し、モースル行きのバスに乗り込むと一人40ドルも取られた。家族からは13ドル程度だと聞いていたのにと周囲に尋ねると、レバノンからの避難民が押し寄せていてドライバーをどこも大忙しで値段も跳ね上がっていると言う。イスラエルの攻撃によって、レバノン総人口の3分の一近い100万人もの人が避難民になっていることを考えれば無理もない。
9時間ほどかけてバスはイラクとの国境(ラビーア)へ。シリア側税関で、サラマッドは問題ないが、連れのアマラははじめダメだと断られてしまう。結婚証明書を見せてそのコピーをとって何とか通過。さて問題はイラク側の税関。クルド人兵士「ペシュメルガ」がいてアマラの入国を頑として許可しない。ビザを見せてもこれはもう終わっているだの、結婚証明書のコピーを見せてもオリジナルをよこせだの、パスポートを見せてもこれはバグダードでしか通用しないだの、パスポートでぴたぴたと顔を叩かれながら嘲笑されたそうだ。やがて奥の事務室に通され、たらい回しにされた挙句の果てに、一度シリアに戻ってイラク大使館でビザを再発行してもらって来いという。それは困ると必死で懇願を続けた結果、何とか特別の臨時ビザを発行するという形で収まったが、手数料として80ドルも要求されたそうだ。おそらく同様の手口で賄賂を得る小細工を繰り返してきて、すっかり味をしめてしまったのだろう。まさに犬以下の扱い(アラブでは犬は侮蔑表現)を受けて、あんな連中に国を乗っ取られてしまったと、もうしばらくはイラクに帰ってくるものかとすら考えたそうだ。
しかし、苦難の旅を終えようやくモースルで無事家族と再会を果たした途端に、そんな思いはもちろん吹っ飛んだそうな。そして、家族はバグダードでの恐怖の日々を語り始めた・・・。(続く)
Comments
サラマッドさんたちがとうとうイラクに帰国されたのですね。ご家族に無事お会いできて、本当によかったですね。医薬品を病院に届けるのがこれから大変ですね。
Posted by: うだすみこ | August 06, 2006 at 06:35 AM