避難先のイラク北部モースルで無事家族との再会を果たしたイラク人現地スタッフのサラマッド。喜びもつかのま、バグダードでの恐怖の日々を聞いて言葉を失う。心配するといけないからと、彼がフランス滞在中は言えなかったことが多かったそうだ。
あれほど頑なに家を護ると言い張っていた父親が、ついに避難を決めた理由は、二度ほど直接銃撃にあい殺されかけたからだそうだ。一度は隣にいた親友が撃ち殺されたという。
ちなみに今バグダードではそれぞれの地区をそれぞれ違った武装したグループが支配していて、よそ者というだけで殺されてしまうので、地区から地区へと渡り歩くことがなかなかできない。
ドーラでもサドルシティでもアダミヤでもどこでも、通り、そして電柱など、いたるところに血糊がこびりついているという。電柱に括りつけて殺すからだそうだ。
そして通りのいたるところに死体が転がっていて、その脇を通って食べたり飲んだりすることがもはや普通のことになってしまっているとも。
ドーラそしてハイ・アル・ジハードでは、子ども達が死体をゴールにしてサッカーをしている・・・。
また、イランから大量の古い食物、毒入りのお菓子、そして鉄くず入りの粗悪品の小麦粉など入ってきて、食べる前に磁石でチェックしないといけない、また、他にイランから爆発物の混入された携帯電話の充電器やガスのボトルなども入ってきていて、危険なので使用しないようにと内務大臣すら警告したそうだ。(以上真偽の程は定かではないが、こうした噂が立っているということだけでイランに対する印象の悪さが伝わってくる)
非常に多くの連中が、お金目的で子どもや女性を含めて誘拐している。
今ドーラを支配しているアルカイダ系とも言われるオマル軍は、シーア派民兵のバドル旅団やマハディー軍を殺すためにサウジアラビアやエジプト、他スンナ派の国から資金援助を受けているという。それはシーア派とイランが増長し勢力を拡大していくのを恐れているからだとも。ひとり殺害すると700ドルもらえるらしく、何人かメンバーの名前を教えてもらったところ、信じられないことに、サラマッドの友人も何人か含まれていたという。そして住民の多くは身を護るために彼らに食事や多額の寄付を与えているそうだ。
いまや多くの若者は各グループのスパイ、大人は殺人を仕事にしていて、ドーラにいる隣人のほとんどはスパイか殺し屋に変わり果てていて、他の地域でもほぼ同じだろうという。
「あの友達がどうしてスパイや殺し屋になれるんだろう、あんなにいい奴だったのに、どうしても信じられない・・・」
この猛暑(50度以上)の中、電気は6時間に1.5時間通電のみ。ガソリン価格は17リットルで20000イラクディナール(1リットル100円近く)と高騰している。
上記は闇価格だが、ガソリンスタンドで給油すれば警察がやってきてスンナ派だとわかると殺されてしまうので、誰も怖くてスタンドには行けない。病院ですら同様だという。
また、以前弟の友人Kが玄関先で何者かに撃たれ瀕死の重傷を負った際の話だが、(1月23日の拙ブログ記事参照)あの時はKが弟のところに携帯電話を置き忘れていたらしく、妹がその携帯を取って玄関先でKに手渡した直後、妹の目の前で銃撃にあったという。それからというもの、当時の恐怖がトラウマになってか、毎晩起きて叫びながら歩き回っているようで、サラマッドが帰った夜もそうだったようだ。
そのKが病院に運ばれたときのエピソードもさらに詳しく聞いた。Kの兄弟ははじめ医師に両腕を切断しなければ助からないと言われたが、手術を待っている間、助手から「切断する必要はない。あの医師は手術する手間を省きたいだけだ」とこっそり耳打ちされ、どういうことだと医師に詰め寄った。さらに「今すぐ手術しなければ殺す」と脅したところ、医師はすぐさま取り掛かったそうだ。後に彼を別の私立病院に移したところ、やはり両腕を切断する必要はないとのこと。今、Kの腕はほんの少しは動くようになっている。
Kにまつわる話をもうひとつ。ある日医師に、「プラズマ注射がどうしても必要なのだが、ここにはない」といわれて、サラマッドの家族も皆手分けして病院を回り探したが見つからない。するとその医師の助手がやってきてどうしたんですかとたずねてきた。家族はプラズマ注射がないとKが助からないと言うと、「私に持ってきてほしいですか?ならば30000ID(約20ドル)支払ってください」と言うのでお金を渡すと、なんと、はじめ医師がここにはないと言った同じ病院の薬局から持ってきたという。
「YATCH、これでいかに人間の命が価値のないものに変わり果てるかわかるだろう。注射一本分の価値すらないんだ。そして、どれほどまでにイラクが終わってしまったか」
民兵による被害は深刻だが、以前のように外国人が人質になったりする危険は相対的に減少しているのではないか、そして今自分がイラクに入って活動できる可能性はどの程度かとの質問には、もし今イラクに来たら、金のために誘拐する連中の最高のプレゼントになってしまうとのこと。外国人が人質になるのが減っているのではなく、単にイラクに入る外国人が極端に減っているというだけで、決して誘拐の危険は減っていないと言う。入っていても数えるほどのジャーナリストくらいで、ほとんどはシェラトンやパレスチナホテルなどに篭って取材はイラク人にやらせている。先日、私の友人の日本人ジャーナリストも約一週間バグダードを取材して無事帰国したが、やはりとても以前と同じようには活動できず、また昔を知っているだけに、変わり果てたイラクが悲しかったと言っていた。私の気持ちもわかるが、今来てもほとんど外出はできないので、NGOとしてとても以前と同様の活動は出来ないと言う。
「こんなこと言うのはとても悲しいことだけど、もし僕らの活動が君の命を意味するのならば、胸が張り裂けるけどむしろ活動をやめたほうがいいとすら思っている。だって最も起きてほしくないことは、自分の実の兄弟のような君を失うことなんだよ」
そして、これからバグダードに向かうと結んであった。
ところで今日は8月6日、61回目のヒロシマ原爆忌である。一昨年はバグダードのギャラリーでウードの哀しい調べとともに、昨年は広島にて蝉時雨に打たれながら、「あの日」のことを考え祈っていた。今年は東京にいるが、イラク、レバノンで吹き荒れる暴力、この終わりなき人類の業の深淵を前にして、それでもやはり「あの日」のことを考えている。
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