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April 04, 2006

春とイラクと病と私

さて新年度。隣の寺でも恥じらいを忘れて豪快に咲いた桜がライトアップされて妖美な気を放っている。春の風に舞い上がった花弁は艶やかに乱れ舞い、嬉々として夜の闇に渦を描いたと思いきや、我を忘れて境内の閾へと吸い込まれるように消えていく。糜爛した薫りは仏前の香と淫らに溶け合って、迂闊に吸い込めばたちまちに一炊の夢から醒めてしまいそうだ。ああ色即是空、空即是色。どうも窓からお花見でもしながら一杯なんて粋な宵にする気にもなれない。そういえば3年前の今頃は、砂嵐と爆音があい乱れる都にて、朧に滲む上弦の月を眺めながら、今頃故郷では桜の季節なんだなあと、妙な感慨に耽ったのを思い出す。

さてさて、そのイラクの治安は悪化する一方で、現地のプロジェクトはなかなかうまく進まないどころか、フランス滞在中の現地スタッフ、サラマッドたちも帰国を家族に止められ足止めを食らったままで、連日家族から入る憂鬱な知らせにさすがに疲れの色を隠せない。先日も、いつも通っていたモスクが何者かに7発もの迫撃弾を受け完全に破壊されたと連絡があったばかりだ。他にも、妹が通う学校近くで2発の爆発があり、校長先生がもうとても生徒の責任を負えないと学校の休みを延長したとか、弟が所用ありある事務所を訪ねたところ、その3分後にそこで大きな爆発があったとか、2月にサマッラのアスカリ聖廟が破壊されてからのいわゆる宗派対立の激化も深刻で、チェックポイントでイラク警察にIDの提示を求められ、もしスンナ派だとわかると問答無用で連行されることも多く、一度連れ去られたら最後発見されるのは近所のごみ箱の中だとか。このように、とてもろくに外出すらできないような状況で、まさに死と隣り合わせの生活を余儀なくされている。

心配で他の友人たちとも連絡を取り合っているが、例えばシーア派居住区にすむスンナ派の友人からは、「もう限界だ。このままでは俺はバドル旅団(シーア派政党SCIRIの民兵組織)に殺される。もうここで仕事なんてとてもできない。どこかに仕事はないか?どこだって行くから、とにかくここを出たいんだ」と、これまでにない深刻なトーンで返事がきた。いつも助平な冗談ばかり言って困らせていた奴とはとても思えない。また、恐怖の生活はシーア派の友人然り。戦前から交友のあるバグダードのカズミヤ地区に住むシーア派の友人からも、「あのアスカリ聖廟爆破のあと、人々が憎しみあっているのが明らかになってきた。いたるところで殺し合っている。ここは全く人間が安全に住める場所ではなくなってしまった」とこぼす。そして皆口を揃えて、「お願いだから今イラクには来ないでくれ」と。

このように、ここ最近は彼らの口からお得意の冗談を聞く機会がとても減った。以前は、例えば日本の夏の蒸し暑さを嘆くと、「いやあ、イラクの夏はただでさえ暑いのに毎日の爆発で気温が上がって大変だよ」などと言って自らの状況を笑いのネタにすらしていたものだが。最近聞いたものでは、サラマッドがフランスで銀歯一つ入れるとしたら400ドルもかかるんだぜと弟に話したところ、弟が「はあ、フランス人はやっぱ高価だな。銀歯ひとつで400ドルかい。こっちじゃ一首切るのにたった100ドルだもんな。イラク人の命も安くなったもんだよ」と返したブラックなもの。笑えない現実をあらわしているのだが、聞いた直後は不謹慎にも思わず腹を抱えて爆笑してしまったものである。

閑話休題。そういえば最近、アスカリ聖廟爆破後の混乱は別として、一度の爆発や攻撃などで死亡するイラク人の数は減ってきているという情報を耳にしたが、それだけでイラクの治安が回復に向かっているとは、イラクからの友人の話を聞いている限りではとても思えない。もちろん地域差などもあるとは思う。しかし、また、ある程度余裕のあるイラク人はもうずいぶん近隣諸国などに避難しているし、いま残っている人たちも外出を控えるなど相当な自衛策をとっているので、以前と比べるとそもそも外に人がいなくなったというのが、そのデータ上での死者数の変化に表れているのではないだろうか。実際、大きな事件の巻き添えになる人は減ったとしても、誘拐されたり人知れず殺されたりしてまだ遺体も見つからず、死者としてカウントすらされていない人たちは相当いるのではないだろうか。

さて、イラクに届けるために集めて山済みにされた医薬品に囲まれた部屋で、サラマッドは今日も故郷を想っている。フランスでは今若者向けの新たな雇用制度(CPE)に反対するデモが昨年秋を髣髴とさせる暴動に発展して社会問題化しているが、そんな騒ぎも、彼にとっては全てイラクを連想させるらしい。暴動を防ぐために通りに借り出された警察も、道路封鎖も、全てがイラクでの生活を思い出させてくれて、これは自分がイラクに戻るための予行練習として神が与えてくれたんだとすら感じているという。

最近このブログが暗いと友人から指摘を受けた。その通りだと思う。連日イラクから暗い話しか届かないので、どうにもこうにもしんどくて更新も怠りがちになっているのは事実だし、こんな状態で毎日更新していたらさらに暗いものになりそうで皆を暗い気持ちにさせるのも悪いししばらくもう何も書きたくないと思ったりしながらも、あまり更新しないで心配させるのもどうかと思いこうしてまた書いてしまうが、自分の気持ちを偽って無理に明るく見せることも出来ず、こうしてまた暗いものになってしまう。しかし逆に作られた明るさで取り繕う愚を冒すくらいなら、堂々と己の暗さと対峙してそれをさらけ出すのもまた一興かと思いこうしてまた書いてみる。安っぽい希望や楽観論などを書き連ねてイラクや世界の問題が解決するくらいならとっくにそうしているし、評論家然として情勢を全体から俯瞰して分析に徹することが出来るほどには知識もないし、ここまでひとりの人間同士としてイラクと関わってきた以上、そんな器用な態度はとてもとれそうにもないから。

前回、イラクと共に病んでいるのかもしれないと書いたが、正確にはこの世界と共に、この現代に生きる人類の病を共に病んでいる、いや、むしろ共に病んでいきたいという思いも強い。この世界で起こっている事柄は、すべて自分に関係していると思うし、そうとなれば、信じがたいような事件、とても人間の仕業とは思えない事件なども、それはもちろんイラクで起こっていること、すべての戦争も含めてのことなのだが、すべての人間の行いは自分だったかもしれない、すなわち自分が犯す可能性だってあるのではないだろうかと考えてしまう。よく、何か残虐な事件が起こると「あんなことをするなんて人間の仕業ではない」等と非難する声が多いが、私は逆に、「なんで自分ではなかったのか」というのを考えてしまう。もちろん今の自分は、そんなことは出来ないから、していないわけだが、いわゆる犯罪者たちだって、生まれつきの犯罪者というのはいないと思うし、同じ人間である以上、やはりいかなる人間も同じことをしてしまう可能性は持っていると思う。つまりすべてこの世で起こっていることで知りえることは自分も起こしえるということ。本気でこの世界と関わっていきたいのなら、やはりこの世界の病とも共に付き合っていく必要があるのではないだろうか。

ちょっとまた話が大きくなってしまった。本当はイラクの友と彼らの絶望を共有していこうという決意を言いたかった。本気で彼らと共に希望を見出したいのなら、今の彼らの絶望の深さを共に見る必要があるのではないか。見出せる希望の大きさは、絶望の深さに比例するとも思うから。

とにかく、今はたとえ小さくとも出来ることを続けてつなぎとめていくしかない。なかなか具体的に現地プロジェクトを進められない悔しさはサラマッドも同じだから。さあ、2005年度も終わったことだし、決算処理など急がねば。


ところで4月1日はいつもお世話になっている日本平和委員会の布施祐仁さんの結婚パーティーに呼ばれてきた。そういえば彼とバグダードにいたのは2004年の8月、今思うとあの時が最後の滞在になっているなあ。高遠さんをはじめシバレイ、増山麗奈ちゃんなどもイラクにゆかりのある面々も集まって、なぜか即席でゴレンジャーならぬイラクレンジャー?など結成し、大いに盛り上がった。サラマッドから布施君へのメッセージも読み上げて、リクエストに応じて彼のイラクでのラブストーリーも話した。知っている人にとってはもう耳にたこが出来るほど聞かされた話しだと思うけど、やはりおめでたい話は何度話してもいいものだ。そう、僕らはみんなイラク人から「愛は戦争より強し」と教わったんだっけ。札幌から駆けつけた千葉君のユニット「HCS」に酒で雇われたギタリストとして出演し、最後に久しぶりに喜納昌吉さんの名曲「花」を歌った。とてもいいパーティーだったと思う。やはりめでたいことは何度やってもいいものだ。イラクにも、咲いている花を想いながら・・・。

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Comments

あれ? 昨日は近所の桜見物をぞんぶんに愉しまれたのではありませんでしたっけ!

Posted by: かおり | April 04, 2006 at 01:54 PM

かおりさん、

ええ、文京桜祭り(だったかな?)の桜のトンネルまでずいぶんと長い散歩になりました。部屋の窓から見える隣の寺の桜を拝んで一杯という気分になれなかったってことですよ。どうも寺がバックだと、いろはにほへと、無常観のほうが強くなっちゃう。

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

Posted by: YATCH | April 05, 2006 at 12:54 PM

願わくば桜の下にて春死なん・・・
西行法師も唖然とする狂騒の花見が毎度毎度展開される日本各地の名園。
花見なの?なのに花見ないの?って感じです。
しかし、
昼下りの春嵐の中で見た城跡の桜は時折の雷光に照らされて異様に美しかったです。
酔っ払いの群れもいない日の桜は一人で見るにはちょっと怖かったほど、マイナスイオンを放っていました。もうすぐ福岡ともお別れ。
でも、猫たち社宅が決まらず、30日には間に合いそうになく・・・。


Posted by: うだすみこ | April 07, 2006 at 02:15 PM

すみません、相澤さん。
途中で猫が改行キーを押してしまい、またリフォームを頼んでいる内装の人がタイミングよく来られて、書き直さないままに半日経ちました・・・
猫たちOKの借り上げ社宅がまだ見つかっていないのです。オランダじゃ、猫だろうがゴールデンレトリーバーだろうが、ペットを飼えないような家はありえなかったのに、日本はなーんてケチなの!!(と書き込んでいる内に不動産屋さんから数件の物件が届きました。うっ高い・・・)
30日の杉並であるリトルバーズ講演会に行けるのかしら、私。間に合うのかしら。
引越しはGW後かも。
と言うことを書きたかったのです。
前のコメントを削除できたらいいのに。くすんくすん。

Posted by: うだすみこ | April 07, 2006 at 09:13 PM

昨日も今日もまたイラクで自爆テロが起こり、多数の市民が傷つき亡くなっている。
イラクは絶望に支配されつつある。
パレスチナでもイスラエルの空爆が始まった。
21世紀の世界がこれほど民主主義と平和から遠ざかるとは。混沌と絶望の世紀。しかし、これがアメリカ超大国支配のテロリズムによるもので、イラクやパレスチナには落ち度はない。イラク人やパレスチナ人が暴力国家に抵抗する権利を否定したら、それは消極的にアメリカやイスラエルの違法な占領と暴力を支持することになる、と私は思っている。
だから、ハニヤのハマス政府を支持する。
イラクのレジスタンス勢力も支持する。
彼らは孤立無援の中で、市民を守ろうとして巨大国家と交渉しているのだから。人質を取るという行為でしか、不当逮捕された女性の釈放要求を占領軍と交渉出来ない状況。これをどう考えればいいのか。このような占領テロ社会の問題を西側や日本のメディアはもっと深く追及できないのか。
あまりにも情けない、と思っていたら、内のすぐ近くに住んでいたRKB記者が女子高生を呼び出して監禁レイプ、それをビデオ撮影。日本のマスコミのレベルと品位は自分で穴を掘って入るべく落ちこんでいる。
さて。
アルジャジーラ報道によれば、調査中ながらモスクの自爆テロ犯はアラブの服で女装していたらしい。
相澤さん、
イラキ・レジスタンスは女装しませんよね。

Posted by: うだすみこ | April 08, 2006 at 09:08 AM

うだすみこさん、

なにやらにゃあにゃあと賑やかそうでいいですねえ。私も田舎に住んでいた頃は、わんわんにゃあにゃあちゅんちゅんと、それはそれは賑やかな環境でした。

女装したイラクレジスタンスというのは確かに聞いたことはありませんが、そもそもこうしたいわゆる宗派対立を煽るような事件を起こす人たちのことまでレジスタンスと呼べるかどうか。

あ、最初のコメント削除しましょうか?

Posted by: YATCH | April 09, 2006 at 02:56 PM

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