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January 23, 2006

イラク「民主化」の現実

昨年12月15日に行われたイラク国民議会選挙の最終開票結果(参考記事)は、ようやく1月20日に発表された。現地の友人から受け取ったメールによると、バグダードを中心に治安は再び悪化してきている。

~以下抄訳~

「期待が大きかったアラウィー前首相は全然だめで、シーア派連合の統一イラク連合(UIC)が128議席もとるなんて、シーア派でもハキーム師(UIC内最大勢力最大イスラム革命最高評議会)を嫌っている人間がたくさんいるというのに、ありえないよ。で、クルド同盟は前回同様50議席以上確保して、イラク合意戦線は40ちょっとだって?スンナ派600万人以上いるっていうのに、全くふざけた話だよ。選挙前、イランから大量の投票用紙を積んだトラックが入ってきているとも聞いていたけど、今回もまた不正な茶番選挙だってみんな言っている。国連は問題ないって言ったようだけど、アメリカ追従の国連の言うことなんて誰も信じちゃいない。だから案の定、バグダードの各地で再び戦闘や爆破が激しくなってきた。とくにひどいのは、アル・バイサ地区とHorrajab(?)地区。夕方5時過ぎから米軍とイラク軍が地域を戦車で包囲して攻撃を開始。他の地域でもあちこちに検問があり道路が封鎖されている。商店の多くは閉まったままだし、営業していても午後2時には閉店。夕方6時以降は外出もできない。サッダーム時代には、深夜2時頃まで営業している店だってあったのに。電気は24時間中1時間通電と言う最悪な状態が続いているし、以前は1リットルで2円以下だったガソリンの公式価格が15円近くまで騰がっている。(ちなみに闇価格では1リットル約1ドルにもなる。スタンドはどこも長蛇の列で8時間以上並ばなければならないし、高すぎて発電機に使う分が手に入らない。)」

「近所でも殺人が日常化している。先日、家の目の前で向かい近所の友人のKが何者かに銃撃された。ちょうどKが僕の自宅を訪ねてきたとき、まさに僕が玄関に出る15秒前、突然現れた車から撃たれたんだよ。父さんといっしょにKを急いで病院に運んだけど、4発も撃たれていて出血がひどくとても危険な状態だった。僕も父さんも輸血をしたけど、4日間は昏睡状態。僕は病院に泊まりKの隣で寝泊りしていた。一発は心臓のすぐそば、2発は腕に当たっていて、今後容体によっては切断しなければいけないって。24歳で腕を失くして生きていかなければならないなんて、考えられるかい?また、医師に十分な経験がなかったこともあり、心臓脇の弾を取り出すのに難儀し、Kは今自力で呼吸すら出来ず、身体の一方に溜まる血を常にパイプで抜き取らなくてはならない。そして結局Kは退院できるほど回復したわけではないのに、次から次へと病院には戦闘や爆破による犠牲者が入院してくるので、先日病院から出されてしまった。Kの家族は以前も一人殺されているし、これは確実に狙われていると、家族でKを連れてイラクから出て、U国で治療を受けることになったんだ。」

「僕の家の前では、毎日のようにAやK、そしてBなど友人たちと集まって、いつもたわいのない話をしていたんだよ。Kのお母さんが血まみれになって横たわる自分の息子を見たときどんな気持ちだったか、想像できるかい?本当に怖いよ。次はいつ誰が殺されてしまうのか。自分だって、あの時あと15秒早く玄関に着いていたら・・・。数秒間で生死が分かれるドアに挟まれて、僕達はこの恐怖の毎日を生きている。」

これが選挙後、アメリカが自画自賛するイラク「民主化」の現実である。先日、古い友人の訃報に大きな衝撃を受けしばし思い出にまどろんでいたが、彼らには沈思する暇すらない。

★ここまで書いていると電話が!2004年春、現地スタッフの車に相乗りしてバグダード珍道中を楽しみ、それがきっかけ?となってくっ付いた友人2人の間に、ついに子どもが生まれたそうです!詳しい報告は本人達からのを待つとして、とりあえず、マブルーク!おめでとう!

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January 20, 2006

友の死に想う~あったかい記憶を手繰って~

友人の死の知らせから、記憶の糸を手繰り寄せてはみたものの、なにやら小骨が喉のあたりにひっかかっているかのようで、どうにもこうにも釈然としない。情報の消化不良のせいだろうと思っていたのだが、再びメールBOXを漁ってみると、送信者の表示名違いで彼女からの2,3のメールが沈んでいた。早速拾い上げてみると、彼女からの最後のメールは03年の夏ではなく11月初冬。そして最後に会ったのも5年以上前ではなく、03年秋、7年ぶり一夜限りのバンド再結成ライブであった。ライブハウスは当時から時計が止まっているかのような雰囲気で、メンバーもお客さんも当時のまま、そして同じくタバコの煙と同じメロディに包まれ同じ時を共有していたからだろうか、どうも記憶の時系列の糸が絡み合って混乱していたようだ。

彼女との最後のメールのやりとりを読み返してみた。

> DEAR YATCH !
> おかえりなさい!!!!
>
> あの再結成の夜から
> 気持ちを言葉にするのにこんなに
> 時間がかかってしまいました
> 行って聴いてあの瞬間を体験できて
> 本当に幸せものでした
> ありがとうYATCHI !
> みんなのYATCHの前に進んでいく力を
> 受け取れた気がします
> 出会えたこと 本当に本当に
> 幸せに思います
> 表現の形はそれぞれ違うけれど
> 真ん中には愛があるってこと
> 再確認しました
> ほんとにみんな素敵!です!
> 素敵な瞬間をありがとう
> YATCHのこれからに
> 私からもエールを送ります

そして私の返信

> YATCHです。メールありがとう!
>
> 23日は僕も心から楽しめました。
> お互いこの7年の間にはいろいろあったとしても、
> またああやって同じ空間を同じメロディで共有できるってのは、
> 何度考えてもすごいことだなあと思います。
> そしてまたあのメロディを心に響かせて、
> それぞれがそれぞれの道を進んでいくんだよね。
>
> ホント、生きてるって、それだけでたまらなく素敵だなあと、
> 改めて感じさせられるLIVEになったと思います。
> 本当にありがとう。
> これからも表現者であり続けます。
>
> それにしてもたまにはゆっくり飲みたいねえ。

結局、彼女とはその後いっしょに飲むことはなかったけど、こうして読み返してみて、なんかこう、あったかい気持ちになってきた。

振り返れば、本当にあったかい人だった。あったかい記憶に導かれるまま、メールBOXでは飽き足らず、寒い部屋の押入れの奥に収納してあるダンボールを引っぱり出してみた。引越しのときくらいしか開けないものだが、どうにもなぜか捨てられないガラクタなどと共に、10年以上も前の懐かしくて恥ずかしい昔の写真やら手紙やらがぎっしりと詰まっている。

当時学生だった彼女は、学生が中心となったインディーズレーベルに参加していて、そこでうちのバンドのシングルCDを作ることになり、それがきっかけでスタッフとしてもいろいろと手伝ってくれるようになった。当時歌っていた自分の歌の歌詞に登場する高校時代飼っていた元捨て猫のミック(はい。ミック・ジャガーからとりました)の名前を取って、彼女も飼い猫にミックと名付けてくれたことや、一時メンバーとくっ付いたり別れたりのすったもんだ、そしてアメリカ放浪の旅で彼女の彼氏を訪ねたことなど、彼女の写真や手紙を見つけるたびに、埃っぽく古い紙のにおいと共に、あったかい記憶のページが次から次へと重なり合って、かじかんだ心を暖めていく。部屋の寒さなんかすっかり忘れていた。

彼女のほかにも、たくさんの写真、手紙を読み返してみて、当時お世話になった人たちの声がすぐドアの向こうから聞こえてくるようであった。みんな今どこで何をしているんだろう。風の便りなどで何人かはしっているが、ほとんどもう音信不通である。中には、数年前やはり突然若くして亡くなってしまった女の子からの手紙もあった。

本当に、みんなあったかい人たちばかりだった。高校を出てすぐ上京し右も左もわからない田舎者でいきがってバカばかりやってどうしようもなかった自分を、みな温かく迎えてくれた。出会いには恵まれていたと思う。素敵な人々に囲まれて、とても居心地のいい空間だったのに、自分はあえてそこから離れる道を選んだ。「とってもありがとう!だけどさよなら」と旅に出た。生きてさえいれば、どこかでまた会えると思っていた。

いつも前ばかり向いて歩いていると、道端に咲く美しい花や草木や虫達を知らずに踏みつけてしまうように、大切な人の愛に気付けなかったり、傷つけて知らずに笑っていたりする。これまでどれだけの人の気持ちを踏み躙って生きてきたのだろう。時には立ち止まったり、後ろを振り返ったりして、心を澄ませば聞こえてくる大切な人々の声に耳を傾け自己を見つめ直すべきではないかと、そして再びお互いの生命を確かめあいたいと思っていながら、気がつくとまた大切な人がひとり、記憶の中で出会うことしか出来なくなってしまった。

一昨日の電話で昨年の7月に亡くなっていたということをしったときは本当に驚いた。とても残念に思ったし、これまで約半年もその死をしらなかったということが、とても悔しくもあった。死因は肺炎と聞いた。映像クリエイターとして独立した後、頑張りすぎてしまったようだ。表現者として新しい道を歩きはじめていた彼女と、再び会って話をしたかった。しかし、それまでの毎日、一体どれだけ彼女のことを考えていたというのだろうか、どれだけ自分の心の中で生きていたというのだろうか。しかし、不思議なもので、彼女の死の知らせから、私の中で彼女の声が、新しい意味を持って語り始めた。彼女は新たに生き始めた。たとえ遅れても、こうして彼女の死を知ることが出来たからである。知らせてくれて、本当に感謝している。ありがとう、たけちゃん。

きっとこれからも、死はこのように突如としてやってくるのだろう。大切な人たちにも、そして自分自身にも。それが果たしていつなのかは誰にもわからないが、生きている限り、誰一人として逃れることが出来ないものだから、こうして死と向きあう時間を大切にしていきたい。彼女の死から、今生かされてここにある命の有難さに、改めて気付かされた。本当に、たくさんのことを教えられたような気がする。「死」を見つめることは、やはり「生」を考えることだった。

ありがとう、さわちゃん。
IMGP5440
*1993年撮影

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January 19, 2006

消化不良のまま経世済民について考える

1月17日といえば湾岸戦争から15年、そして阪神大震災から11年だったわけだが、ホリエモンショック、ヒューザー社長証人喚問、宮崎勤死刑判決と次々とメニューが並び、七草粥でせっかく癒えてきた胃袋が消化不良を起こしそうだ。

ライブドアの粉飾決算疑惑は、事実だとすれば2001年アメリカはエンロン社の会計不正事件を思い出す。現代資本主義の総本山アメリカでのあの大スキャンダルは、アメリカの将来にとって同年の9・11同時多発テロよりも大きなターニングポイントになると言った人もいた。確かに、資本主義経済の根幹は正確な会計(account)の説明責任(accountability)にある。投資家はそれを信じて株を買うしかなく、そして企業はそうして株を買ってくれる投資家がいて成り立っているのだから。今回は日本でそれが偽られたということが何を意味するのか。そもそもライブドアが得意にしていた株の売買を繰り返して利益を上げ事業を拡大していくいわゆる錬金術の限界を指摘する人もいる。ある意味バブルに近づいていた株式市場にとってもいい薬だと。

そういえばこの世界の経済、気がつくと我々が普段モノやサービスを買ったりする実物経済よりも、カネがカネを生む経済、外国為替などの取引による金融経済のほうがはるかに大きく、なんと実物経済の100倍を超えてしまっている。果たしてこんな冗談のような経済を人類はこの先も続けることができるのだろうか。もともとモノとモノとの交換単位であったカネは、金というモノによる価値の裏づけがあったものの、私が生まれた1971年の金兌換制廃止、いわゆるニクソンショックからモノのたがが外れて暴走を開始。人々の欲望を原動力にしてカネがカネ生むこの経済は瞬く間に増長し、いまではグローバル経済の名の下に世界中を席巻している。クリックひとつで巨額のカネが瞬時に世界を移動して無限の増殖を続けるまさにマネーゲームである。単に金持ち連がゲームで楽しむ分には一向に構わないと思うが、1997年のタイの通過バーツの暴落のように、そのマネーゲームで一国の経済がズタズタになるということが実際に起こっているからたまらない。地球が無限なら理論的には成り立つのかもしれないが、一部の連中が楽しむマネーゲームの下で、有限な地球上の大多数である実物経済の中だけで生きている人々の生活がどれだけ脅かされていることだろう。

このライブドアショックをきっかけに、日本経済のみならず一度世界のカネのありかた、経済のありかたそのものを見直したほうがいいかもしれない。そもそも経済とは「経世済民」。広辞苑によると「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと」とある。そろそろ本来の経済に立ち返らないと。

他、うまく噛み砕けないままたくさんの情報を飲み込み消化不良気味のまま、深夜に受け取ったメールで、イラクの友人の友人が何物かに銃撃され重傷を負い一時昏睡状態で死線を彷徨ったことを知る。選挙後極端に情報が減っていたが、治安はさらに悪化しているという。

そして一夜明けて今日(18日)、久しぶりにかかってきたバンド時代の友人からの電話で、やはりバンド時代スタッフなどもやってくれていた古い友人が亡くなったとの知らせをうけ絶句。友人も昨日しったそうだが、去年の夏には亡くなっていたそうだ。彼女と最後に会ったのは、もう5年以上も前になるだろうか。メールBOXを覗いてみると、2003年の夏に私の活動を応援するメールが最後だった。いろいろと思い出してみたのだが、その友人の死をどう受け止めていいのかまだわからない。わからないままに、何となくなぜか経済についてなど綴ってみたのだが、ますますわからなくなってきてしまった。

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January 07, 2006

徒然なるままに

あけましておめでとうございます。

しばらく都会と電子空間の喧騒を離れ、生まれ故郷の陸の孤島にて海の幸に舌鼓を打ちながら、土地の美酒にまどろんでおりました。約十年ぶりでしょうか、鈍行列車を乗り継いで移動に丸一日かける青春18切符の旅。道中吹き荒れる突風のせいで二時間以上も待たされたりしながらも、車窓に移ろう眩しい雪景色に恍惚としてゆっくりと。おもむろに取りだした漱石の草枕をひろげて、うつらうつら。塵界を厭うていっそ世捨て人にでもなろうかしらんと夢想していたあの頃の自分を行間に重ねつつ。雲間から時々差し込む淡い冬の陽が、雪で撓んだ軒につらなる氷柱の列と戯れて、光は凛と瞼を打ち、追って風はぴしゃりと頬を打ち、郷愁に篭ろうとする己を戒める。凍てつく空を見上げては、いまだ戦渦に暮らす遠くの友を想い、もがきながらも、戸惑いながらも、それでもやはりこの人の世でしか生きられないのだなあと、隣で眠るひとの仄かに赤らむ頬を見つめながら。

さて、今朝は疲れた胃袋悦ぶ七草粥を食べたので、そろそろ今年を始めようかなと思います。2006年もどうかよろしくお願いします。とりいそぎ年始のご挨拶まで。

2006年がみなさまにとって素敵な年でありますように。

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