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October 28, 2005

いま問いなおす「自己責任論」

いろいろ立て込んで更新遅れていますがとり急ぎ本の紹介。高遠菜穂子さん、わったん(渡邉修考)さん、酒井啓子さんに続いて私も少し書いています。昨年のイラク邦人拘束事件についてこれまで書いたり発言したりしたものをまとめたものです。今日あたり書店にならんでいると思います。

『いま問いなおす「自己責任論」』新曜社

そういえば香田証生さんがイラクで拘束され亡くなってしまってからもう一年も経つんですね。先日福岡に講演に行った際、ご両親にお会いしてきました。お話を伺うと、自分の過去に奇妙に重なるところが多く、彼がなぜイラクに行こうとしたのか、それはまさに自分がはじめてイラクに行こうと思った気持ちにかなり近いものだったのではないかという思いがますます強くなりました。このイラクの現状を引き起こしたわたしたちひとりひとりの責任、積み重ねてきた罪を、まさに一身に背負い亡くなった香田さん。今改めて彼の死がわれわれに投げかける意味を考えるべきだと思いました。

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October 21, 2005

茶番続き

報告会、講演会と続いたうえに、イラク人招聘準備等でバタバタしてUP遅れてしまったが、バグダードの現地スタッフから16日の国民投票についての報告が届いていた。

投票直前スンニ派は憲法草案への賛否、そして投票するか否かで割れているとも聞いていた。しかしスタッフの住むドーラ地域では、ほとんどの住民が投票に行ったという。そして何人かに聞いたところ、全て反対票を投じたという答えだったそうだ。

また、スタッフによると、今回の投票は間違いなく不正だという。
彼が投票所にいくと、なんといきなり、
「家族の分もいっしょに投票しますか?」
と、係員に聞かれたらしい。
「皆それぞれ考え方の違いはあるし、当然自分自身で投票するべきだ」
と答えると、
「わかりました。では用紙を取って投票してください」
そして係員が投票者名簿の各名前の前の「投票をしたという欄」にサインをしようと探しているとき、スタッフは自分より早く投票に出かけていた自分の両親の名前を見つけたのだが、「投票をしたという欄」にサインはなかったというのだ。
「なぜ私の両親の名前にはサインがないんですか?」
とスタッフが訊ねると、
「問題ない」
と言ってサインをしたという。
他人の分も投票できて、投票した証拠もないんだから、こんなのどう考えたってでたらめじゃないかということだ。

スタッフの周囲では、直前に新憲法草案に賛成を呼びかけたイスラム党に対して、多くが怒りの声をあげていたという。関連する事務所に爆弾が仕掛けられたりもしていた。確かにスンニ派内それぞれの考え方に分裂していたとはいえ、それでも「投票して否決しよう」という声が多かったようだ。イスラム党が出した呼びかけも、幸か不幸か投票日前後は停電がひどく(ほぼ一日中停電)、彼らの呼びかけを聞いた人は少ないのではないか、また聞いたとしても、投票意思を変更するには時間が足りなかったのではないかとのことである。

その後19日の報告によると、米軍に包囲され投票すること自体が困難だったはずのラマーディですら91%は反対票(TVでは71%)と、スンニ派が多い各都市で反対が多数を占め、18県中3県以上で3分の2の反対票という条件に近づき否決できる勢いではあったのだが、多くの反対票が予想されていたディアラでは国家警備隊が5時間前に投票所を閉鎖、他の都市でも投票に行かせないように発砲するなどの嫌がらせが横行。モスルでは始めの統計では否決だったようだが、投票用紙が入った箱がバグダードに届かないということまで起こったそうだ。

多くの民間組織は、もしこの投票で不正が発覚したら、病院やバスなど全ての民間のサービスを停止(いわゆるストライキ?)するという約束をしていたようだ。一般報道では3分の2の反対票は2県に留まり予想通り新憲法草案は承認される見通しだということだが、一体どうなることだろう。

そして気がつけば中間報告もないままにイラク報道はサッダームの初公判一色に。まだ憲法すら出来ていない、つまり国として機能していないなかで茶番師が興じる裁判により茶番狂言のごとき国民投票の不正が茶化されていく茶番劇を見せつけられて茶腹が痛い。

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October 13, 2005

ラマダーンの贈り物

現在バグダードはラマダーン(断食月)の真最中。現地スタッフからのメールによると、今年のラマダーンは例年とはずいぶんと違うようだ。

「いたるところで攻撃などあり通りはがらがら。危なくて以前のように親戚の家など訪ね歩いたり、カフェで水タバコを楽しんだりすることすら出来ない。ラマダーン中はいつもより多く食料を必要とするのに、配給は3ヶ月前から滞ったままだし、市場では食物の価格は高騰している。それでもラマダーン、マブルーク(おめでとう)っていうのはもう習慣だからね。だから君にもラマダーン、マブルーク!」

こんな状況なので、当然子ども達もなかなか外に遊びに行けない。以前のブログでも紹介したが、盲学校の子ども達は毎日施設に缶詰で、きっと息苦しい毎日を送っていたことだろう。

さて、そこで先月アンマンでのミーティングを終え何とか帰国したスタッフから写真が届いた。

1
何もない殺風景な施設の庭に

2
なにやらけったいなモノが運び込まれていく・・・

3
なんだろうねえ???

4
これは・・・

5
プレイグラウンド(遊技場)じゃん!

6
滑り台はもちろん

7
ブランコもあるよ

8
シーソーだってあるね「僕にも乗らせてよう」

9
きゃー

10
お母さんも安心

「ちびっ子たちは取り合って遊んでいたよ。それはそれは美しい光景だった」byスタッフ

写真で見たらまたたまらなく会いたくなってきた。そういえばもう一年以上ここのちびっ子達と遊んでいないなあ・・・。

とにかく早速実現してくれて感謝!詳しくは16日に報告するのでどうぞよろしく。

さて、その前日15日はイラク新憲法草案の国民投票の日。スタッフの周りではこの草案に誰一人賛成していないものの、ボイコットした前回の国民議会選挙とは違って、今回は多くの人が投票に行って反対票を入れたいそうだ。イスラム党は新政府ができれば修正が可能だからと賛成を呼びかけているが、スンニ派の連合はボイコットを、そしてイスラム法学者協会は反対を呼びかけているとのこと。一ヶ月前は全てのスンニの組織が「投票に行って反対票を」と呼びかけていたのに、ここに来てころころと変わってきたそうで、もうこんなバカげたゲームには付き合っていられないと、皆どの組織のことも信用していないという。

いずれにしても前回の選挙同様事実上の戒厳令下での国民投票という茶番劇なのは間違いないし、結果がどうなろうとも安定に向かうとは残念ながら考えにくい。そしてこの憲法をめぐる混乱を見るにつけ、とても他国事とは思えなくなる。

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October 05, 2005

帰国のおしらせ&水支援報告会のおしらせ

2週間ほどのアンマン&ダマスカスでの活動を終え、おかげさまで昨夜無事帰国いたしましたのでお知らせします。応援してくださったみなさま、どうもありがとうございました。PEACE ONの報告会は16日に行いますが、その前に「イラク命の水支援プロジェクト」の報告会が8日にありますのでお知らせします。

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 ■■■10月8日 イラク『命の水』支援緊急報告会のご案内■■■

   < http://www.iraq-hope.net/water/index.html >

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  これから真夏を迎えようという今年の7月19日、浄水場が空爆され、
  首都・バグダッドは深刻な水不足に陥ってしまった。
  一般家庭にも病院にも、安定した清潔な水が供給されない状態。
  気温50度を越すというイラクの夏に水がない―――!

日本のメディアを通して、この事実はほとんど流されませんでした。
「水」は命の源です。しかし、現地の対応も非常に遅れていたのです。

私達「イラクホープネットワーク」では緊急に支援を立ち上げました。
それが「イラク『命の水』支援プロジェクト」です。
そして、多くの方のご協力と応援を頂き、井戸を汲み上げるポンプや
ペットボトルの飲料水を送ることができました。この事は少しだけ
日本のニュースで取り上げられたのですが、イラクの多くの人々へは
「日本からの支援で」と大きな声では伝えられません。
―――なぜかわかりますか?

先日、プロジェクトメンバーが今後の支援について再検討すべく
隣国・ヨルダンへ渡り、最新のイラクの様子も入手してきました。
メディアのフィルターのかからない状態で、
改めて「今、起きていること」に対して、自分がどう感じるか、
何をしたらいいかをゆっくり、しっかり考えていきませんか?

ぜひ、多数ご来場くださいませ!お待ちしております。

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報告者●高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)・佐藤真紀(JIM-NET)
    ・相澤恭行(PEACE ON)・細井明美(RiverbendProject)

○日時/10月8日(土曜) 開場5時半 開演6時 終了8時半
○場所/文京区民センター・2階A会議室
     (都営三田線・大江戸線春日駅A2出口スグ)
○参加費/500円
○問合せ/< info-iho@iraq-hope.net >
     080-3486-5416(10月3日~)

「イラクホープネットワーク」とは、日本とイラクの人々が対話をし
繋がり合い、政府に左右されない信頼関係を築いていくためのネット
ワークです。 すでに様々な活動をしている人達や、少し興味はある
けれど何をしたらいいか分からない人達、それから様々な国の人達…
皆を広くゆるやかに繋げていきます。 どうぞ、ご参加ください。

【共催団体】
イラクホープネットワーク< http://www.iraq-hope.net/ >
JIM-NET(日本イラク医療支援ネット)< http://www.jim-net.net/ >
PEACE ON < http://npopeaceon.org/ >
劣化ウラン廃絶キャンペーン < http://www.cadu-jp.org/ >

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October 03, 2005

ダマスカスからまとめてUP

今ダマスカスにいます。早くも明日の飛行機で帰国の途につきます。またしても日記まとめてUP。


28日、薬剤師ハイサムさんのところに顔を出し、近所のイエメン料理のレストランで昼食を共にする。彼にはイラク支援を始めたときからお世話になっていて、アンマンに行くたびに必ず訪れてイラクの情勢など話し合ってきた。そういえば今のイラクは彼が2年前に予想したとおりの展開になってしまっている。

夜はイラク人が経営する食堂で高遠さん、細井さん、そしてJVCアンマン在住の原さんとスタッフ高瀬を交えケバブを食べる。やはりここのケバブはうまい。高遠さんと細井さんは今夜の便で帰国の途に着くということで、水支援報告の件など最終ミーティング。向かいに座っていたのはナッシリアから来たというイラク人。ちなみにこの食堂は従業員も客もほとんどがイラク人だ。食後のチャイは濃厚で砂糖たっぷり。これこそあのイラクで飲んだチャイの味。艶かしくくびれたグラスがまた最高だ。アンマンでいつもがっかりするのはティーバッグのチャイが出ること。やはりチャイはこうでなくては。

ミーティング終了後ちょっと時間があったので、クリフホテルの人気者サーメルに会いに行く。彼は特に日本人に慕われている。このホテルの利用客の9割がた日本人だというのもひとえに彼の人徳、日本人以上に日本人らしい彼の人柄のおかげだろう。私など一度もこのホテルに泊まったことがないというのに、行くたびにジュースなどご馳走してくれる。オーナーにいつもいじめられていて、もうずいぶん前からここを出てファラホテルに移る移ると言っていたが、オーナーが許してくれないと言って一向に移れる様子はない。もう10年も住み込みで働いていて、ザルカの実家に帰っても数時間だけで丸一日の休みをもらうことはないという。ヨルダンの実情は知らないがこれでは労働基準法もなにもあったものではない。このままかれはこの安宿に骨をうずめてしまうのだろうか。いっそのこと独立してホテルサーメルでも開業すれば、日本人客はみなそちらに行くだろうから十分やっていけるんじゃないかと言うと、ただにこにこにこにこと笑っていた。

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サーメルは昨年イラクで殺害された香田証生さんのことについていろいろ話してくれた。香田さんはここでサーメルにイラクに行きたいと告げた。とても悲しい様子で、冗談を言っても全く笑ってくれなかったそうだ。また、香田さんは戦争被害に苦しむイラクの子ども達の写真をサーメルに渡し、これを見せてイラクの現状を伝えてほしいとも言っていたという。サーメルはきっと彼は思いとどまるだろうと思いながらもイラク行きのバスを案内した結果、あの最悪の結末を迎えてしまったことを今も心に病んでいる。以前はここからも多くのバックパッカーがサーメルの案内でイラクに行ったものだが、あの事件から彼は必死になってイラク行きを希望する若者を止めている。「イラクでなにが起きているのか自分の目で見てみたい」という香田さんの気持ちは、わかりすぎるくらいよくわかるし、その気持ち自体は最大限尊重している。しかしあの時の入国はやはりあまりにも時期が悪すぎた。まさか一年足らずでここまで状況がひどくなるとは、やはりサーメルも彼の死までは気がつかなかったのかもしれない。このイラクの現状を引き起こした者の大罪、そしてそこに関わる全ての人間の罪を一身に背負い亡くなった香田さんは、彼のその死をもって、イラクの現状を我々に伝えてくれたのかもしれない。

9割が日本人客だというクリフホテルから、9割がイラク人客のガーデンズホテルに戻る。我々以外は全てイラク人客だそうだ。昨日からこのホテルに泊まっているサマーワ出身の友人Sの部屋で深夜アラブお菓子バクラワをほお張りながらサマーワのことについてなどいろいろと聞く。現地スタッフが帰ってからも連日イラク漬けの日々は続く。


29日、日本大使館に行ってイラク人のビザ申請へ。その足でハイサムさんにお別れの挨拶にいくと髙瀬はパレスチナ刺繍のドレス、私はアラブの白い民族服ディシターシャをもらった。にわかアラブ人を気取ってハニさん宅を訪れ最終打合せ。


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30日、夕方アンマンを発つ予定だったので、午前中に荷物をまとめてホテルをチェックアウトした。午後1時、ヨルダン人の友人Mからの電話が来ない。連れのオマル君宅で昼食をご馳走になる約束だったので、何も食べずに待っていた。2時頃やっと連絡が取れたと思おうと、急用が入ったようであと2時間は待ってほしいと言う。さて4時になっても連絡は来ない。空腹のまま高瀬のメル友?のイラク人マジッドさんと出会う時間を迎える。

8月にも来日したマジッドさんは、「燃えるイラク」という何とも猛々しい名前の組織の議長であり、新しく立ち上げたというイスラミック・ナショナル・フロントという政治部門のスポークスマン。カイロでの打合せを終え、アンマンに着いたばかりだというマジッドさんは、目をぎらぎらさせて熱くイラクについて語った。彼の気迫に空腹も忘れ、PEACE ONの活動などを紹介し、今後どのように連携できるかなど話し合った。今イラク政府に登録しているNGOは6000団体(3000とも聞く)もあるらしいが、そのほとんどがNGOの名を借り政府と癒着し荒稼ぎしてイラクをダメにするとんでもない連中ばかりだと憤り、今の政府と繋がっている組織についてはことごとく信用していない。特に今の政府については完全にイランに乗っ取られてしまい最悪だ、前のアラウィ政権のほうがはるかにましだったともいう。私も、以前のファッルージャ避難民支援の際にはじめ責任者から日本からの支援は要らないと断られたが、これは政府からではなく市民からの寄付により送られたものだと現地スタッフが説明したら受け取ってくれた経験などを話すと、ファッルージャ出身の彼は大変関心を持って聞いてくれた。

気がつくともう夜7時。6時にはダマスカスに向けて出発したかったのだが、まだ友人からの電話が来ない。本人が携帯を持っていないので兄弟や友人など片端から電話をするがどうにも連絡が取れない。思い出したら急激に腹が減ってきた。そういえば日没まで何も食っていないわけだから、結果的に一足早くラマダン(イスラームの断食月)を実践してしまったわけだ。今年のラマダンは10月4日頃からと聞いていたから、今回も残念ながらラマダンは体験できない。書類の受け渡し等がありJVCの原さんと会い、そのまま近所のイラク食堂に行って断食を解いた。結局友人からの電話は来ない。インシャッラー、神がお望みではなかったいうことだろう。夜も更け、これから移動するのもしんどいので、諦めてもう一泊することにする。

1日、ダマスカスへと発つ前に、ハニさん宅にお別れの挨拶に出かける。朝食をご馳走になり、子ども等と遊んでいるうちにどんどん時間が過ぎていく。どんなにタイトなスケジュールでも、一度腰を下ろしてしまえばゆったりとしたアラブ時間に心地よく身を浸してしまう。原さんおすすめの旅行会社がかなり近いことがわかったので、ハニさんと一緒に行って航空券の予約を済ます。気がつくともうお昼だ。ハニさん一家と別れを交わし、合流した原さんと共にアブダリバスターミナルに行ってダマスカス行きの乗り合いタクシーを予約する。30分以上待って、あと残り2名の乗客が現れいよいよアンマンを後にする。原さんもダマスカスに行きたそうだった。

今回、アンマンでの活動はなんとかほぼ予定通りこなせたものの、他の共同プロジェクトのメンバーなどと滞在期間が重なり打合せの機会が多く、余裕があれば一日くらい観光でもという淡い期待はアンマンの乾いた秋の空に消えていった。また、アンマンに来たイラク人から聞く話はどれも想像以上に重いものばかりで、このアンマンの稠密な日光ですら心に沈殿していく苦悩の滓を溶かすことは出来そうにもない。それでも、彼等と共にした時間、確かに感じるあのあたたかくてありがたい気持ち、イラクでもよくちびっ子たちが「僕の家で食事に招待するんだ!」などと、時にはけんかにすらなりながらも、私達をもてなそうとするあの気持ちは、戦前初めてイラクを訪れたときから、こんな状況に陥りながらも、今も確かに変わらずここにある。例え僅か一滴だとしても、この希望の光を伝え続けていきたい。


IMGP5109
夕方、ダマスカスに到着。イラク人の友人Sに紹介されたホテルに着くと、到着が遅れた我々をSが心配して待っていた。食事の後夜の市内をしばし彷徨。ここは属国ヨルダンと違い、米資本の看板などに興ざめすることがないのでいい。路地では星と三日月の形をしたラマダン用の飾り物を売る店が賑わっていた。アザーン(お祈り)が流れている間は律儀に販売を停止していた酒屋で、お祈り終了と同時にシリア産ビールを買い、近所のカフェで水タバコを吹かす。スークハミディーエまで足を伸ばし、片言の怪しい日本語の客引きなどをやり過ごしながら、明日の仕入れを前に商品を物色しているともう店仕舞いの時間。シリアの夜は更けていく。旅も終わりに近い。

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