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September 29, 2005

日記まとめて三日分

アンマンで元気でやってます。ちょっと忙しく時間がないので三日分簡単にまとめてUP。

25日 日本大使館にて

イラク人のビザの申請に関する相談があり在ヨルダン日本大使館へ。イラク戦争中の人間の盾、そして昨年の人質事件などを通して、やはり皆さん私のことは良くご存知でいらっしゃる。ちょっとお話ししたいというので、閉館までイラクの現状などについてまで情報、意見交換をした。イラク人が日本に来る際は、北回りではなく南回りのほうが手続きに時間もかからず、彼等も嫌な思いをせずにすむとか、参考になる意見もいただいた。ヨーロッパ諸国などを経由する北回りだと、乗り継ぎだけなのにイラク人というだけでトランジットビザを要求されたり、持ち物検査等に時間がかかったりするらしい。ここを経由して日本に来るイラク人が多いこともあってか、安全を考えて手続き等に時間がかからないように最大限の配慮をしてくれているようだ。他にも昨年の香田さんの件やイラク情勢の悪化など、一人の人間として思うところを話してくれた。これまで大使館の人には、例えば昨年のバグダードでは退避勧告を理由に門前払いをされるなど、いやな思いをしたこともあるが、中には親身になって一個人として接してくれる人も確かにいる。どの組織にいても、結局は一人ひとりの人間次第だなあと思う。そういえば今の現地スタッフも戦争中はイラク政府(文化省)の役人だった。

26日 恐怖の道中

スタッフから道中の顛末を聞いた。途中ラマディ周辺で何者かに数時間拘束されたようだ。途中国境、米軍の検問などで、彼らが米軍の一味ではないかと誤って伝えられたようで、銃を突きつけられ殺すと脅されたが、最終的には身の潔白を証明できて無事解放されたという。「間違いだった、申し訳ない」と謝罪され、「我々は決して無実の人間を殺したりはしない。最近粗悪な薬などをイラクに持ち込む輩がいるので取り締まっていたのだ。ブラザー&シスター、どうか許してほしい」と言われたそうだ。何も取られなかったことから、彼等が強盗やいわゆるテロリストなどではなく地元の自警団的グループだったことは明らかだ。スタッフは、「いまだに悪夢に苛まれるほどの恐ろしい体験だったが、彼等が本物のムジャヒディン(イスラム戦士)で本当に助かった。これまで彼らは結局人殺しだと考えていたが、今回の出来事で、彼等が本気でこの国を守ろうとしていることがやっとわかった。」という。

27日イラクからの映像

高遠さんの紹介で、とあるイラク人の事務所に招かれファッルージャの状況などのレクチャーを受ける。これまでもイラクで行われている様々な人権侵害について各方面から話は聞いていたが、このように実際に取り組んでいるイラク人の方から直接話を伺い、次から次へと叩きつけられるように惨たらしい映像を見せられ、そのあまりの異常さにしばし言葉を失ってしまった。

以前このブログでも紹介したマダエンの事件にまつわる映像もあり、イラク警察などによる身の毛もよだつような拷問死の様子が収められていた。スンニ、シーアの対立を煽る勢力による蛮行を裏付ける決定的な映像だが、絶対に日本のテレビでは流すことなど出来ないだろうし、よしんば使ってくれたところで、今の日本のメディアでは世論を動かす大きな力になるとは思えない。やはり海外のメディアに持ち込むべきかと話している。映像の中で、死者を弔う群集は、「スンニとシーアは兄弟であり、これは政府による犯罪である」といったようなことも訴えていた。

とにかく今は受け止めるだけでいっぱいいっぱい。しかしいつまでも受け止めているだけでは何も変わらないし、むしろ加担していることになってしまう。これからこれをどのようにシェアして使っていけばいいのか。知ってしまった責任は、あまりにも重い。

その後は昨日着いたばかりのイラク人協力者を囲んで命の水支援プロジェクトのミーティング。井戸からほとばしる水を皆でわいわいがやがやと運んでいる様子をビデオで見ることが出来た。今はもう市内の水事情もほぼ落ちついたようだが、大変な時期に少しでも役に立ったようで本当に嬉しい。今回はとにかくへこむ話ばかりだったので、救われた思いである。

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September 27, 2005

何とか二人はバグダードへ

23日、深夜1時には現地スタッフがアンマンを発つというので最終打合せ。
以下、簡単にPEACE ONがスクールバスを支援しているバグダードの障害者福祉施設の現状を紹介。

・昨年労働省から提供されたバス(イラク全土33施設で50台)のうちすでに20台が盗まれ、ドライバーも数人殺害されている。
・治安悪化並びに上記の理由で労働省はすでに提供したバスの引き揚げを検討中。ドライバーも辞職が相次ぐ。
・労働省は民間のドライバーを雇うことも検討しているが、月に600ドルほど請求されるらしいので難しい。
・労働省のドライバーは契約により、子ども達の送迎時はそれぞれの家の前まで行くわけではなく、大通りの決められたところまでしか行かない。これは障害者にとって困難。PEACE ONのバスサービスは家の前まで送迎する。(そのためには小回りのきく車がいいとワンボックスカーを求められてきた。)
・アルヌーア盲学校、アルマナー身体障害者施設共にPEACE ONバスサービスは順調。アルマナーはもう一台望んでいる。
・アルヌーアから宿舎用の食料支援、アルマナーから杖や車椅子などの要請あり。

○現地スタッフのアイディア→施設内に子どもたち用の小さなプレイガーデンをつくる

「特にアルヌーア盲学校の宿舎に寝泊りしている子ども達などは、毎日閉じ込められた生活で多くのストレスがあります。市内の公園に連れて行く費用など、施設マネージャーが労働省に何度か要請したものの、許可が下りないので、親御さんからお金を集めて一度だけ公園に連れて行きました。その時は子ども達皆大喜びで、それからというもの、いつもいつもせがまれるのですが、お金もないし、この治安状況で何度も連れて行く責任はとても負えません。そこで施設内で小さなプレイガーデンを作り、ゲームなどを用意して子ども達に遊んでもらうという案です。先生の目もちゃんと行き届くので、マネージャーは大賛成ということです。(アルマナーにも話したところやはり大賛成とのこと)」


今回はフランスから約6000ユーロ分もの医薬品が届いたので、日本からの寄付金は障害者福祉施設への支援に集中することに。バグダードに戻り次第現地で価格を調査しプレイガーデンを作る費用を見積もり、その他備品等の支援との配分を決めることにした。

さて、今回は大変な状況の中、現地スタッフにアンマンまで来てもらった。そういえばアンマンに来るとき私の大好物のイラク産ザクロのフレッシュジュースを前回同様ペットボトルに入れて持ってきてくれたのだが、気温が高い中長時間車に揺られたせいで中身が膨張し途中で破裂。ボトルを入れていたバッグは破れ周囲に赤い液体が飛び散り、発酵しビールのようなにおいが充満しトランクの中は惨憺たる状況だったそうな。まあ爆発物ではなくて本当に良かったが。また、国境で12時間も待たされたせいで体調を崩し、下痢止めをたくさん飲んだら今度は全く出なくなってしまうなど、散々な目に遭いながらもしっかりと打合せ等仕事をこなしてくれた。

二人はイラクに戻ればまた恐怖の生活が待っているというのに、それでもやはり一日も早く戻りたいと言う。先月まで数ヶ月フランスに滞在していたときも、イラクの状況を知るたびに心配でもういてもたってもいられなかったそうだ。また、フランスに行って気がついたこととして、医療、教育、インフラなど、いかにイラクでは必要なものが満たされていないかを知り、支援の必要性を再確認したこと。また、フランスで生活をして、イラクと比べて人々の心が満たされていないことを知ったという。誰もがお金のことでぎすぎすし、基本的に他人を信用しない冷たい社会で、イラクとはまた別種だが治安も悪く、実際本人も一度250ユーロほど入れたバッグを盗まれている。二人とも笑顔の日などほとんどなかったそうだ。これまでスタッフの妻や私など、フランスや日本などのいわゆる豊かな国からどうしてわざわざイラクにまで来るのかわからないことがあったらしい。しかし今回フランスで生活してみて、なぜ私たちがこれほどまでにイラクに惹かれ、行きたがるのか、理解できたという。

出発の時刻が近づき、見送りのため今アンマンに来ている高遠菜穂子さんと、彼女のプロジェクトメンバーのイラク人の友人がホテルまで来てくれた。そういえば高遠さんとスタッフが会うのはあの拘束事件以降初めてである。以前は路上生活をするストリートボーイズの支援で協力し合っていた二人は、更生し立派になってきたボーイズの話などで盛り上がっていた。当時は彼も解放を目指し必死で動いてくれたものだ。以前と変わらぬ調子で何気ない会話を楽しむ二人だが、今こうして二人とも元気で再会できるということはなんて有難いことなんだろう。

時間が来て大量の医薬品を車に詰め込み、二人はホテルを後にする。二人が外国人とつながっていることをドライバーに知られると断られたり道中拘束されたりするリスクが高くなるため、見送りはホテルのロビーで済まさなければならない。薄いカーテン越しに、夜の街に消えていく車に乗った二人に、こっそり小さく手を振った。これまでは見送られる立場が多かったが、見送る人間の気持ちを改めて思う。


24日、イラク戦争中に出会い友達になった友人Mの家に遊びに行き、晩飯をご馳走になったあと、現地スタッフと電話で連絡がとれた。何度もチェックポイントで待たされ、結局20時間ほどかかりなんとか二人ともバグダードに着いた。今は確認中で詳しく書けないが道中大変な目にあったようで、電話の向こうの声が震えていた。私も話を聞いたときは全身凍りつき、改めてイラクの現実を思い知らされた。とにかく、今は二人の無事到着を感謝しよう。

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September 24, 2005

混沌からの光

21日昼はスタッフと現地の会計帳簿の突合せ。夜はイラク人画家のハニ・デラ・アリさんが訪ねてきてくれた。しばらくホテルのロビーで話したあと、シメサニという繁華街にアルギーレ(アラブ式水タバコ)を吹かしに出かける。思えば彼に会うのも昨年8月バグダードであったのが最後だったから、約一年振りである。昨年秋から今年の春にかけて約半年ほどポーランドに古美術修復の技術を学ぶため留学してきた成果だろうか、英語はずいぶん上達していた。昨年と比べるとずいぶんとやせたようだが、元気そうで何より。

今年2月にイラクに帰国してからも治安悪化に歯止めがかからず、5月に家族を連れて一時出国したハニさんは、今も一家でアンマンのアパートで生活している。最近は子ども向けのアニメーションを制作する会社でも仕事を得て働いているそうだ。子どもたちの夏休みが終わり一度バグダードに戻らなければならないとも聞いていたが、アンマンの学校に通い続けることができるというのでそのまま滞在しているようだ。これまではこうしたイラク人の子ども達をアンマンの学校が受け入れるのは3ヶ月が限度だった。しかしこの度それが1年間に延長されたということだ。このように、イラクから逃れてきてアンマンの学校で学ぶ子ども達は昨年あたりまでは10万人ほどだったが、ここ最近一気に増えて30万人ほどだという。実際には100万人くらいはいるのではないかとも聞いた。

アンマンの昼はまだまだ暑いが、夜はぐっと気温も下がり過ごしやすくなる。シメサニのオープンカフェのある通りでは、夜風に水タバコの煙を燻らす人々で遅くまで賑わっていた。ヒジャーブを被った女性までぷかぷかやっている。アラブ音楽のリズムと共に舞い、月夜に溶け入る煙の渦が描く天上のアラベスクに酔いしれる。気がつくともう深夜1時半をまわっていた。


IMGP506722日、ハニさんのアパートを訪れる。眺めの良い高台にあり、中は白の壁にハニさんの抽象画で彩られていて、瀟洒で清潔感のある部屋だ。新しい作品もいくつか見せてもらった。
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遺跡を思わせる質感のマチエールから古代の光が滲み出るかのような色彩の基本的なスタイルに、躍動感のある文様が姿かたちを変えて燦然とした色彩の海を縦横無尽に泳ぎまわる。おなじみの渦巻き文様は、6千年前の美の神イナナに仕えた巫女ワスィーファの象徴。画家の筆を通して顕現したこの美の使者によって、いにしえの尽きせぬ美と知恵の泉から汲み上げられた煌く生命の光が心象の風景と戯れ絡み合い、混沌としたこの地上にやさしく降り注ぎ、忽然と未来への海図が浮かび上がるようだ。その他アッラーの99の名前のひとつひとつをモチーフにした作品など、新たなスタイルの作品も大いに楽しめた。彼の絵は確かに進化を続けている。
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子ども達も相変わらず元気そうだ。アトリエにはいくつか子ども達が描いた絵も飾られていた。さすがは画家の息子、娘たちだけあって、豊かな才能を感じさせる。抽象も具象ものびのびと自由に描いている。ハニさん曰く自分の子ども時代より上手いそうだ。長男ムスターファの抽象画はかなり父の影響をうけているが、末っ子ハッスーニの作品は父親も驚くほど前衛的だ。今回は11月に日本であるハニさんの個展の打合せにきたのだが、そのうち家族展が出来るねと笑いあった。
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大好きな家庭料理、ドルマを囲んで談笑。昨年バグダードでご馳走になってからというもの、すっかり大好物になってしまった。ハニさんの絵をバックに皆あぐらをかいて車座になりドルマを頬張る。子ども達のはしゃぎ声を聞きながら、あの懐かしの味が口いっぱいに広がるともう気分はすっかりバグダードなのだが・・・。

数ヶ月前にハニさんの親戚の息子が米軍に撃たれ亡くなるなど、家族の安全を考えればここヨルダンに移り住んでいるのも止むを得ないと思う。彼も子ども達のことを考えてこれでよかったと思うと言う。しかし一見元気そうな子ども達も、実はイラクに帰りたがっているらしい。学校でもやはり子ども達のメンタリティーがイラクとヨルダンでは違うらしく、すぐには馴染めないのだろう。

ホテルに戻ると、また大きな荷物を大量に積んだ車が。今ではこのホテルの宿泊客のほとんどがイラクから逃れてきた人たちだそうだ。日ごとに混沌の度合いは増し、生と死の閾で喘ぎ続ける人々に、光が注がれるのはいつの日か。

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September 23, 2005

アンマンにて無事活動中

予定通り20日夕方無事アンマンに到着。(到着まではスタッフ高瀬香緒里のブログ参照)いきなり立て込んでネット接続もままならず、ブログの更新が遅れてしまった。

ホテルにチェックインするといきなり現地スタッフ夫妻が現れた。出発前5日ほど連絡が途絶えていたので、ひょっとして現地で何かあったのではと思い、果たして無事にヨルダンまで出てこられるのだろうかと心配していたので一安心。国境では12時間も待たされてしまい風邪をひいてしまったようで、病院から薬をもらってきたばかりだと言っていたが元気そうだった。

聞くとやはりイラクの状況、とりわけバグダードに関してはもう「最悪」というほか言葉が見つからない。先月、彼等が4ヶ月ぶりにフランスから帰ったとき、そのあまりの変わりように「もうこの国のためにどうしていいかわからない」と疲労と困惑と絶望が入り乱れたメールが届き私も言葉を失った。そしてこの度彼らの口から直接話を聞いて、改めてその状況の深刻さを思い知った。

インフラ、特に電気事情は相変わらず悪化する一方で、ひどいときには一日中でたった1時間しか来ない日すらあるという。復興の予算のほとんどがこうしたインフラ整備ではなく治安維持(とはいっても一般市民ためではなく政府の要人警備がほとんどだが)に消えてしまい、求人といえばもう警察くらいしか聞かなくなったらしい。そして皮肉なことには、今では米軍が来たほうがむしろ安心するというほどにイラク警察や国家警備隊、そしてシーア派のバドル軍やその直属の民兵集団など、他にも新たに組織された様々なグループが跳梁跋扈し、家宅捜索と称して乱暴狼藉を働いていて、盗み、誘拐、拷問、殺人なんでもありの無法地帯と化してしまっているようだ。すぐ隣近所でも誘拐や殺人は日常茶飯事になり、そのような話を聞いてももうあまり驚かなくなってしまったとも言う。連中は天井を突き破って侵入してくることが多いので、皆一階で眠ったり大切なものは全て地下に隠したりと自衛策を取っているものの、とにかく恐怖の日々だそうだ。以前も書いたが母親は心臓発作で苦しみ、妹も学校が休みの間3ヶ月ほど怖くて全く外出も出来ず、そのストレスからすっかり体調を崩してしまい、父親も狙われていたこともあり、もう一家でバグダードを出ようとも話しあっていたが、ここを離れないと言ってがんとして譲らない父親を残していくわけにもいかず、また避難したところで親戚などの住んでいるところはどこも危険なので、もうどうしようもないという。

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そしてやはりある程度お金のある家族は次々とイラクから出国しているようだ。ここアンマンにもたくさんのイラク人が避難していている。ホテルにもこれまでになく家族連れが多く泊まっているなあと思いきや、聞けばやはりイラク人家族。大量の荷物を車に縛り付け、これから一家でエジプトに移り住むという。バグダードのサイディア地区からきたそうだが、ファッルージャにいた父は殺され兄は行方不明。また知人の多くが拷問の末惨殺され変わり果てた姿を何度も目にしたと言っていた。ファッルージャは相変わらず入ることすら困難で、一度は帰還した避難民ももとの家には住むことが出来ずに、今度はイラクそのものから避難せざるを得なくなっている人も多いらしい。一家のお父さんは「イラクはもう滅茶苦茶だ。サッダームのような指導者がもう一度現れない限り、もう十数年は戻れないだろう。」と言っていた。

ちなみに最近ではこのように、サッダームの時代のほうが今よりはるかによかったと言う声が圧倒的に増えているようだ。当時は彼のことさえ悪く言わなければよかったが、今では誰がどこでどうつながっているかわからないので、アメリカや政府のことを悪く言っても、抵抗勢力のことを悪く言っても、どちら側からも命を狙われる恐怖が付きまとい、表現の自由ですらサッダーム時代のほうがましだったとも聞いた。

アンマンに着いた早々こうした家族と出会ってしまうところに、今のイラクの状況が表されている。

いつもこうした話を聞くたびに、これまで自分がやってきたことの小ささと、現実の大きさとの、あまりの乖離に圧倒され、どうにもこうにもやりきれなくなってしまう。そんな中、いつの間にすっかりと仲良くなってしまったちびっ子達からは「記念にあげるね」とおもちゃまでもらってしまった。いつもちびっ子達のあの屈託のない笑顔には救われているが、相変わらず彼等にはもらってばかりだ。現地スタッフは、「もう希望はほとんど見出せない」とも言う。しかしこんな中活動を継続してくれている彼らの存在そのものが、私にとっては希望のひとつでもある。

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September 19, 2005

ヨルダンに行ってきます

さてさて、今夜日本を発ってヨルダンのアンマンに行ってきます。現地ではイラク人スタッフと今後のイラク支援の打合せ&調整をしてきます。また、イラク人画家のハニ・デラ・アリさんとも、11月に銀座のギャラリーで決まった個展&招聘企画について打合せをする予定です。イラク現地治安改善の見込みはまだ立ちませんので、今回はイラクには入りません。帰国は10月4日の予定です。とり急ぎ時間がないので簡単に出国のおしらせまで。

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September 16, 2005

アンマン行き事前説明会&安田純平氏・村上和巳氏報告会・対談

PEACE ONのHP等で告知しておりましたが、こちらでもお知らせします。

■PEACE ONアンマン行き事前説明会&安田純平氏・村上和巳氏報告会・対談のおしらせ

イラク現地スタッフとのイラク支援・文化交流活動の打ち合わせ・調整のため、PEACE ON代表 相澤恭行と事務局の高瀬香緒里が、9月19日~10月4日の日程でイラク隣国ヨルダンへまいります(高瀬は研修として同行いたします)。つきましては、その事前説明会を開催いたします。
あわせて、ヨルダン・シリアから帰国直後の安田純平氏と村上和巳氏を招いての報告会・対談も行います。
どうぞご出席ください。

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日時:9月16日(金)19:00~21:00(18:30開場)
場所:文京区立本駒込地域センター 4階 会議室A
(東京メトロ南北線 本駒込駅 2番出口を右へまっすぐ5分)
参加費:500円
主催:PEACE ON
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内容(予定)
・アンマン行き説明・おしらせなど-相澤恭行・高瀬香緒里
・報告「イラク戦争が広げる波紋」-安田純平氏(フリージャーナリスト)
・報告「イラク周辺国からの報告-進まぬ復興と置き去りにされる人々-」-村上和巳氏(フリージャーナリスト・PEACE ON会員)
・対談・質疑応答:村上和巳氏・安田純平氏 コーディネーター:相澤恭行

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■募金ご協力のお願い

ひきつづきイラク支援寄付のご協力をお願いいたします。イラク報道の減少等にともない、情勢悪化にもかかわらず、寄付金額は減少しています。 また寄付のご協力を広く呼びかけていただければ幸いです。

・振込先 郵便振替 00160-2-647637
      口座名 PEACE ON
      備考欄に「イラク支援」とお書きください。
・ご協力いただいた皆様の氏名などは基本的に公開させていただいていますが、匿名希望の場合は備考欄に「匿名希望」とお書き添えください。
・領収証は、払込取扱票の受領証をもってかえさせていただきます。ご了承ください(領収証ご入用のかたは別途お申しつけください) 。

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総選挙の結果に憂いている間に、イラクでは北部タルアファルで昨年のファルージャの悲劇の再来とも懸念される大規模な掃討作戦(詳しくはJVC原文次郎さんのブログへ)が、そしてその反動としてバグダード市内各地でも爆破事件が続き多くの命が失われています。今はただ伝えることしか出来ずどうにもやりきれませんが、なんとか繋ぎとめていこうと思います。

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September 13, 2005

After 9・11

さて、自民党圧勝である。というより小泉首相の圧勝というべきか。

ちょうどイラクの友人の一人から、「もちろん、彼にはNoをたたきつけるべきだろう。彼は世界中の人々が抱いていた日本人のよいイメージを変えてしまったのだから。いくらアメリカに付いていったって、彼らは日本人のことを尊敬していないだけではなく、むしろ弱虫と思っているだろう。まあヘリコプターと最新の武器で身を固めてしか戦えない連中のほうがよっぽど弱虫なのだが」というメールをもらっていたばかりだった。なんともやるせない。

かねがね講演などで、やはり投票率が上がれば政治が大きく変わるはずだと主張してきた。皆せっかく持っている権利を行使していないのが一番の問題だと。しかし今回は投票率がアップした結果がこれである。いや、大きく変わったのは確かなのだ。ただ、望んでいたのとは全く逆の方向で変わってしまったのである。

なぜか。マスコミをサクラに付けた小泉新劇団がお題目のように繰り返す郵政民営化の呪文に幻惑されたのか、それとも野党、とりわけ民主党がだらしなさすぎるのか。いずれにしても、9・11で恩恵を受けるのはやはり時の権力者だった。4年前のアメリカの風景と、なぜか奇妙に重なって見えてしまった。

とにかく有権者、とくにこれまで投票に行かなかったような人たちが、大挙して自民党に投票したこの現実を今、重く重く受けとめている。原因はいずれにせよ、そして熟考の末の選択かどうかは関係なく、この結果は日本国民の総意として表現された。つまりはこの国の運命を、彼に任せてしまったというわけだ。なにせ自公合わせて300を超えるという凄まじい議席数、今後なんでも出来てしまう数である。ああ、いつの時代も、こうしてファシズムというのはつくられていくのだろうか。以前のような形ではないにせよ、確実にその巨大な足音は近づいている。本格的に受難の時代が始まったようだ。

それにしてもなぜ?と、呆然とする声はあちらこちらから聞こえてくる。マスコミが小泉劇団の宣伝に加担した罪は大きいという声も大きかったが、あまりテレビを見ていなかったからこれはなんともいえない。確かに昨日の深夜テレビで、圧勝に酔いしれる自民党の議員と一緒にさも嬉しそうに話していたコメンテーターにはぞっとしたが。また、民主党の戦略上の失敗を指摘する声はなるほどと頷いた。しかし、詮索すればするほど襲い掛かるこの一抹の後ろめたさは何なのか。振り切ろうにも、振り切ろうにも絡み合い身動きが取れなくなっていく。これはどうも内部から湧いてくる。そう、やはりとどのつまりこの結果の原因のひとつは、己の倦怠ではなかっただろうか。

イラク自衛隊から改憲を始め、これだけの重大な岐路に差し掛かった選挙だったというのなら、どうしてそれを伝えるべく動かなかったのだろうか。解散総選挙が突如決まってから、8月は各地イラクアート展で飛び回っていたからとか、今度のヨルダン行きの準備で立て込んできたとか、そんなものは全て体のいい言い訳に過ぎない。友人の母親が一念発起して民主党から立候補したことや、あの小泉首相の選挙区から元レバノン大使の天木直人さんが立候補したことを心強く思い、陰ながら応援してはいたものの、自ら特別に動いたわけではなかったのだから、これは紛うことない怠慢であろう。

私をはじめとして、こうしたこの国を覆う何やら名状しがたい大儀な空気が上昇し、積乱雲となって昨日突如土砂降りの雨を降らせた。その結果としての地滑りである。その地割れの深遠には、カトリーナを超える大災害が隠されているというのに、一体どれほどの人が気付いているのだろう。

唯一希望といえば、今回の小選挙区全体の得票率で見ると、自民党47%と、決して過半数に達していないのだ。それでも議席数では73%も占めているのはまさに小選挙区制の恩恵だろう。それと今回はちょっと面白そうと、初めて投票したという人たち、こういう人の多くが今回は民主ではなく自民に入れたようだが、一度投票を経験するとやはり政治に関心を持ち政治家がどんなことをやるのか注視していくものである。こういう自分も20代前半世捨て人を気取っていた時代は投票にすら行ったことがなかった。しかし一度投票をしてからというもの、社会や政治への関心から世界観に至るまで劇的な変化を経験した一人である。願わくは、今回初めて投票してみた人々が、今後の小泉政権の運営と、その結果がどのように己の身に降りかかってくるかを見極め、次回の選挙で覆すことを。

さて、これからが大変だ。After 9・11、いっそうの覚悟が求められている。

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September 11, 2005

続々 友情の橋 そして9.11へ

カズミヤに住む友人からも連絡があった。先日のアインマ橋の大惨事、家族も友人も無事だったようで何より。宗教行事は狙われるから、近づかないようにしているとのことだった。

バグダッドでは、先日川に落ちたシーア派の人々を助けておぼれて死んだというアダミヤのスンニ派の若者、19歳のオスマンさんの話で持ちきりだったらしい。そして彼は続ける。

「結局のところ、人間はやはり人間なんだよ。それ(宗派)は問題じゃない。俺達はイラクでこれまでずっと兄弟だったし、これからだってそうさ。そしてこの事故はまさにそれを証明してくれたんだ」

オスマンさんは川に飛び込み6人ほど助けた後、さらに助けようとしておぼれてしまったらしい。政府はなんと通りに彼の名前を付けて称えるそうだ。しかし彼の命は戻ってはこない。彼は一人息子だったということだ。

また、別の友人からのメールによると、橋の犠牲者の多くはサドルシティーからきた貧しい人々だったらしいのだが、アダミヤのスンニ派モスク、アブ・ハニーファモスクに行ってみたところ、犠牲者の家族のための義捐金が集められていたという。ただしこれはどうも政治的な意味合いが強いというコメントがあった。悲しいことに、モスクのすぐそばでは怒ったシーア派による銃撃があり、幸い負傷者はいなかったものの、モスクの壁が被弾したそうだ。

また、シーア派各閣僚を中心に、一人15万ドルほどもの多額の義捐金が寄せられているという。しかし、昨年のファルージャ総攻撃による大惨事のときは、連中今の1%も出していないというのは一体どういうことかと、友人は憤りをあらわにしていた。

その友人によると、今人々は暫定政府時代の首相、アラウィの時代を懐かしんでいるという。もちろん当時も治安は悪かった。しかし当時はまだスンニ、シーア両派の対立を煽るようなことも、今ほどひどくはなかったし、ここまであからさまな不公平感もなかったというのだ。さらに驚いたことには、以前はスンニ派市民に絶大なる支持があったあのイラクイスラム宗教者委員会のことを、今では誰も信用しなくなっているという。おなじみクバイシ師をはじめ、ハリス・アルダーリ師、そしてその御子息のムサンナ氏も今はイラクにいないらしく(もう戻ったかわからないが)、何でももっぱら逃げたという噂である。真偽のほどはわからないが、とにかくこうした噂が立ってしまうこと自体、市民の信用を失っているということだけは確かなようだ。いま、同委員会では来る10月の国民投票で投票に行くようにと呼びかけている。1月の国民議会選挙ではボイコットを呼びかけておいて、今さらどういうことかという不満もあるようだ。確かに今の移行政府でスンニ派の発言力が非常に弱いのも、あのときのボイコットの影響は否定できないだろう。それにしても、わずか数ヶ月の間に、こうも人々の指導者に対する気持ちが揺れ動くとは。

さてさて、ついついまたイラクのことばかり書いてしまった。明日というかもう今日9月11日、ついにこの国の指導者を選ぶ時が来た。私は講演のため、もう期日前投票を済ませてきた。各社世論調査では自公圧勝などとも出ているようだが、最近の世論調査は世論操作でもあるようだから、やはり蓋を開けてみなければわからないと思う。自衛隊と名乗る武装勢力をイラクに送りこんでいるこの国の選挙の結果は、やはりイラクの将来にも大きな影響を及ぼすだろう。アンケートなどではイラク戦争反対、そして自衛隊イラク派遣反対と答えるのに、選挙となるとなぜか行かないという人もいるようだが、あまりにももったいなさすぎる。今こそ選ぶ権利を行使するときだ。この選挙の結果は、今後のこの国のありかたを大きく決定付けることにもなるのだから。

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September 04, 2005

続 友情の橋

昨日9月3日の記事、「友情の橋」でイラクの友人からのメールを紹介した。

~以下一部抜粋~
「~やがて川向こうのアザミヤ地区のスンニ派住人たちが川に飛び込み、何人かはそのために命すら落としながらも、シーア派の人々を助けたという。それは本当に偉大な友情だったと友人のメールは続く。~」

先ほど、APが報道したという共同通信の記事を読んで、上記友人が感じたという「偉大な友情」を確認した。

こうした記事がもっと取り上げられればいいのに、と思う。

友情の橋はまだ破壊されたわけではない。

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September 03, 2005

友情の橋

8月31日、バグダッドのカズミヤでなんと1000人に近い命が犠牲になった。直接の攻撃によるものではないにせよ、2年前のイラク戦争開戦以降最大の惨事である。カズミヤに住んでいる友人もいるので心配してメールを出したがまだ返事はない。一方アメリカではハリケーンの犠牲者が数千人にも及ぶ可能性があるという。西を向いても東を向いても、どうにもやりきれない。

カズミヤでの大惨事は、シーア派巡礼者が大挙してチグリス川に架かるアインマ橋を渡る際、何者かが「自爆攻撃者がいる」と叫んだことから、パニックになった群集が将棋倒しになり橋の鉄柵が崩壊。多くが圧死、または川に転落し溺れ死んだと伝えられている。数時間前には迫撃砲弾による攻撃があったとか、巡礼者に毒入りの飲食物が振舞われ数人が死亡したという報道もあった。

例のごとく「背後にはスンニ派のテロリストがいる」「スンニ派がうわさを流した」など、根拠は不明なのにもかかわらずスンニ派を非難するシーア派閣僚たちの声と、「何の関係もない」と打ち消すスンニ派閣僚の声が入り乱れている。しかしやはり全体的にスンニ派の犯行を前提にしているような報道が多いような印象を受ける。

以下はカイロ発の読売新聞の記事だが、スンニ派の犯行とほぼ断定している。さらには特に根拠も示さずに、今日のイラクの混乱の原因は、すべてスンニ派過激派にあるという論調の作文になっている。混乱の最大原因のひとつである虚偽の大義によるあのイラク戦争と、占領政策の失敗にはかけらも触れていない。イラク戦争は正しかったという社是を必死で守り通しているかのようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050831-00000116-yom-int

こうした報道にうんざりしていると、バグダッドの友人からメールが届いた。弟がアインマ橋のすぐそばで働いていて、当時の状況を見ていたというのだ。

まず、あの橋は2年半ほど前から閉鎖されていたという。一度損壊したまま誰も修理もせず放置されていたそうだ。その橋を政府が開放し、大勢の巡礼者が狭い橋を渡り混乱が始まり、何人かが助けを求めて叫び出すと、チェックポイントにいた国家警備隊は自爆犯がいると誤解したのか空に向かって数発発砲したという。そこから群集がパニックになって逃げ惑い始めた。チェックポイントの壁があるために簡単には橋の外に出ることが出来ず、引き返す人々と衝突するなど、橋の上に閉じ込められたような状態で将棋倒しになり大混乱。橋は老朽化していたので鉄柵は簡単に崩壊し、人々も次々と転落していったという。

やがて川向こうのアダミヤ地区のスンニ派住人たちが川に飛び込み、何人かはそのために命すら落としながらも、シーア派の人々を助けたという。それは本当に偉大な友情だったと友人のメールは続く。その後アダミヤの人々は、彼らに十分な水と食料を与え、また、犠牲者の子ども達を家族が迎えに来るまで保護し、応急処置なども施していたというのに、政府の一部の連中は、「連中は食物や水に何かを入れて殺した」などと言い出したということだ。

以上が事の一部始終を見ていたというバグダッドの一般市民の証言である。

やはりここまで現地からの情報が入ってこなくなると、報道はどうしても一方からの情報に、特に大きな力を持った側からの情報に頼らざるを得なくなる。しかしこういう状況だからこそ、様々な方向から見ていくという努力が求められてくると思う。

カズミヤ(シーア)とアダミヤ(スンニ)を結ぶ友情の橋を破壊しようとしているのは誰なのか。

DSC00601いずれにしても、失った命はもう戻ってこない。イラクは3日間の喪に服している。せめて、助かるはずの命は助かってほしいと思う。そんな中、先日現地スタッフがフランスから持ってきて市内のとある病院に届けた手術用の医療器具が、この度早速役に立ったという連絡があった。カズミヤから60人もの子どもが運び込まれたので、あっという間に使われたらしい。

アダミヤの人々の友情と共に、救われる思いだった。

*はじめAdamiyahをアザミヤと表記しましたが、アダミヤに統一しました。

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