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August 29, 2005

アジアの熱風

IMGP4602「アジアの熱風 HOT WIND OF ASIA」@銀座中和ギャラリー、今日からはじまりました。

今回LAN TO IRAQからは、 おなじみ重鎮ムハンマド・ムハラッディーン (青い版画)、 そして30代の若手作家シャッダード・アブドゥル・カハーの「天使達」が出品されてます。 (共にイラク人作家です)

ムハラッディーンさんの図録も置いていますので、 オーナーに言えば見ることができます。 (ポストカードも売ってます)

夏は連日50℃を超えるイラクから、戦争だけではないアートの熱風、感じてください。(今回の作品は涼しい感じですが)

他にも、バングラディッシュやトルコ、 そしてモルドバ、フィリピンからと、 興味深い作品が集まっていますので、ぜひどうぞ。

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August 26, 2005

恐怖の生活

「もうこの国のためにどうすればいいのかわからない」
と、しばらくぶりにバグダッドに帰った友人のメールは結んであった。無事に戻れたのは何よりであるし、心配していた家族との喜びの再会も果たせた。しかしそれもつかの間、その家族から伝えられたイラクの状況のあまりのひどさに、彼の心は悲しみに満ち、破壊されてしまったという。

両親はかつて見たこともないほどの涙を流しながら、久しぶりに会う息子である彼にその状況を語りはじめた。
「あいつを知っているな?」
「ああ」
「殺された」
「彼もしっているな?」
「うん」
「殺された」
「彼も」
「・・・」
このように、友人や知人の多くが殺されてしまったか、国家警備隊などに拘束されているという。また、以前殺された近所の住民は、兄弟がまた狙われてしまいアラブ首長国連邦やドイツに避難しているらしい。

そして、「このようなことを直接聞くのは初めてだ」という驚きと共に、スンニ派とシーア派の住民レベルでの対立感情を伝えてきた。スンニである父親や友人に聞いたところ、誰もがシーア派に対する凄まじい怒りを表し、また逆も同じだという。これまではいくらメディアで両派の対立が語られてきていたとしても、住民レベルでは誰もスンニやシーアなど口にしなかったのに、これは実に悪い兆候だと嘆く。

たしかに私もこれまで聞くたびに「スンニだろうがシーアだろうが我々はイスラムでひとつ。対立を煽るメディアは本当に迷惑だ」という声がほとんどだったし、スンニとシーア間で結婚しているケースだって少なくなく、まあお互いバカにしあっているなあとは感じていたものの、少なくとも内戦になるほどの敵対感情は全く感じたことがなかった。しかし今では各モスクで宗教指導者がこの問題を話しはじめ、かなり深刻だという。

これまでどんなうわさがあっても頑なに両派の対立を否定してきた彼本人からこんな話を聞いたことは、私にとっても大きな衝撃であった。確かに両派の宗教指導者が拷問の末殺害されるなど、両派の対立を煽り、分裂による利益を目論む輩が引き起こしたとも考えられる事件がしばらく続いていた。しかしそれでも大規模な衝突までには至らなかったのは、「その手は食わないよ」とばかりに冷静に権力による罠を見抜くイラク人の怜悧さの賜物だとこれまで感心していたものだが、これだけ周りの人間も殺され続け、ついにその我慢も限界に達してきているのかもしれない。

シーア派有力政党であるイスラム革命最高評議会(SCIRI)のアル・ハキーム党首と彼が率いる民兵組織バドル旅団が中心となってこの国をめちゃくちゃにしているという。これまで82人ものスンニ派宗教指導者が殺害されたらしい(バグダッド市内だけなのかイラク全土なのかは不明)。アル・ハキーム氏はイラク警察と国家警備隊の90%をシーア派で固め、彼等は家宅捜索と称してあらゆるものを物色、配給カードまで奪い、果てには殺害していくというので、スンニ派住人は隠れ恐怖の日々をすごしている。「夜だけではなく、みな真昼間から全てのドアに鍵をかけ閉じこもる様子を見れば、どれだけ怖れているか分かるだろう」と。今ではむしろ家宅捜索では米軍が来ると安心し、あのアラウィ暫定政権時代を懐かしんですらいるとも。2年前のバグダッド陥落直後、「サダムは去った。しかし次のサダムが怖い」とつぶやいたイラク人の声を思い出す。そういえば最近では、あのサダムに帰ってきてほしいという声すらちらほら耳にするくらいだ。

そういえば延期され審議を続けていた新憲法草案、やはりスンニ派勢力の反対で再び採決が延期された。焦点となっているのはクルド人勢力が要求した連邦制の導入。南部の油田地帯を確保できるとシーア派勢力も賛成に回っている。「これはイラクを分断させる」とスンニ派勢力は頑なに反対を貫いているが、「この連法制の導入がなければ内戦になる」とルバイエ国家安全保障顧問は警告しているとも報道されている。友人によると、「このまま連邦制が導入されたらイラク南部が全てシーアの支配下におかれるのでスンニは認めないだろう。シーア派で国家警備隊のボスであるルバイエ氏の発言はこれまで通りの脅し。いずれにしてもイラクの将来は良くない」という。

戦争はサダム政権だけではなく、イラクの社会を、そしてイラクの人々の心まで破壊してしまった。本当にどうすればいのか、彼同様にわからない。とにかく、お互いに今「生きている」ことが唯一の希望と信じ、出来ることを続けていくしかない。

まずは、この戦争の責任の一端を担っているこの国をどうにかしなければならないということだけは間違いないだろう。9・11はもうすぐだ。

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August 17, 2005

揺れに立つ

東北で大きな地震があった。実家が宮城県の気仙沼なのですぐ電話したがやはり繋がらない。しばらくしてかけなおすと「なに大丈夫だでば」という母ちゃんの声に一安心。仙台の友人からも電話があり、やはり宮城南部はかなり揺れたそうだ。18日から盛岡ではじまるLAN TO IRAQ、イラクの現代アート展の準備で今は大童だが、展示のため明日17日から岩手入り。余震などでまた新幹線が止まらなければいいが。

あの敗戦から60年、そして9・11総選挙を前に、この国はいろいろな意味で揺れている。60年というのは長いのか短いのか、とにかく揺れる我らの心次第で今後の60年が決まるはず。ここ数年、この国の舵取りは熱病に侵されるがごとく帝国の滅びの道を心中覚悟で歩んできた。しかし今こそ正気に返るまたとない機会でもあると思う。何事も、「はじめるのには遅すぎる」などと考えているうちに、本当に手遅れになってしまうものだから。

そしてイラクも揺れている。15日は憲法起草期限だったが、一週間ほど延期された。アメリカの圧力で無理やり決められるのではないかとも懸念されていたものの、なんとか自らの足で踏ん張った形になったのは、どことなく参院で郵政を否決したこの国に似ているようにも感じた。しかしこの先どこまで踏ん張れるか、いや、そもそもその足は自らのものなのか、イラクにしても日本にしても、全く心もとない。しかし少なくとも、自分の足だけはしっかりと大地につけていきたいものだ。

IMGP0287「外国のものではなく、イラク人の考えと手とよって書かれた憲法を欲す」2003年10月、イラク、ヒッラの病院前で撮影

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August 15, 2005

イラク人が想うヒロシマ

今フランスにいるイラク人スタッフから、先日ヒロシマに関するドキュメント番組をテレビで観たといってメールが来た。原爆をつくり落とした側、そして落とされた側からの証言を集め対比させたような内容だったようで、「もはや言葉は見つからず、ただただ涙がこぼれ落ちるばかりだった」と。イラク人はサダム時代からの反米教育の一環としてアメリカによる原爆投下をしっかりと教えられてきたせいもあってか、驚くほどみなヒロシマ・ナガサキに同情してくれるものだ。しかしその被害の実態について、資料などで詳しく教わってきたわけではないようで、詳しく被曝者の証言に基づいたその番組には相当衝撃を受けていたようだ。特に焼け落ちる家屋の下敷きになり泣き叫ぶ赤ん坊を助けられなかった母親のことが頭から離れないと言う。同時に落とした側がいまだに正当化する様子を見て、その場でテレビをぶち壊してやろうかと思ったと、そのやり場のない怒りを綴っていた。そしてそうした想いを周りに話そうにも、やはり誰もがわかってくれるわけではないという嘆き。戦争がどういうものか皆しらないのだと。そしてメッセージは以下に続く。

「本当に、まさに心から、そして深い気持ちから、全ての日本人に、そしてまさにヒロシマの市民に言いたい。私はあなた方に起こったこと全てに同情します。歴史はあなた方を忘れず、そして決してアメリカを許さないでしょう。出来るのなら伝えてほしい。私はあの番組に出てきた人(被曝者)がみな、私の家族の一人であり、またイラクの人々であると感じました。この同情の気持ちをうまく説明する言葉が見当たらないから、なんと言っていいのかよくわからないのだけれども、どうか伝えてほしい。心から皆さんを愛し、本当にとても尊敬しています。そしてどうかアメリカをあなたの国から出ていかせてください。」

彼の母親は最近、心臓発作に苦しめられている。バグダッド掃討作戦の一環でもある米軍とイラク軍による連夜の家宅捜索を受けての恐怖とストレスも、原因のひとつらしい。

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August 14, 2005

いもほり

IMGP4887先日PEACE ONのちょっとした夏休みレクリエーション企画で、岩手県は秋田の県境に近い湯田町まで行って会員さんが大切に育ててきた畑の芋を掘らせてもらった。ちびっ子の頃よくさつま芋は掘ったものだが、じゃが芋掘りは初めて。

8月というのに紫陽花が美しく池に映え、アメンボがほどよく水面のパレットをかき回し、葉陰で涼むイモリが赤い腹をちらりちらりと誘うように泳ぐ東北の涼しい夏。しかし日中スコップ握ってざくざくやるものだから畑に汗を撒き散らし、ミミズだのオケラだの土中の住人達を脅かしながら、またアブの襲撃をかわしながらの熱い芋ほりとなった。ひとつの種芋から10個ほどの芋が鈴なりに。掘りたての芋のいくつかは農薬を使わないため内部まで幼虫に侵略されているものもあったが、素手で握ると土中の熱と羞恥のためか仄かに火照り、育んだ季節の記憶が体温と混ざり合い生命が共鳴する。ああ大地に繋がる仕事の美しさ!そして焼いた芋のあの美味さ!透きとおった岩手の空の下、全身の細胞が歓喜した。

収穫だけの体験ではおこがましいかもしれないが、ご指導を受けながらの作業の端々にその手間隙や労苦が窺える。やはり何事も現場で学ぶのが一番だ。晩年の夢は自給自足、そろそろ農も学ばなくてはと思っていたのでちょうどいい企画となった。有り難く生かされてここにある感謝と共に、ごちそうさまでした!

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August 08, 2005

イラク「命の水」支援プロジェクト

以前現地からのメールで少し触れたとおり、バグダッドでは水不足が深刻なままです。スタッフに頼んで戦争中お世話になったドーラ浄水場の所長さんなどに状況など聞こうと思っていたのですが、米軍の警備などが厳しいということもあり、なかなか連絡がつかない状況が続いています。連日50度を超えるバグダッドの夏は昨年私も経験しました。あの中で水が出ないというのは大変なことであり、場合によっては生命の危機にも直結する深刻な問題です。この度現地の協力者を得て、イラクホープネットワークなどが中心となった緊急の水支援プロジェクトが立ち上がりましたのでお知らせします。ぜひご協力ください。(↓イラストをクリックしてください)


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ヒロシマ「あの日」を考える

IMGP47768月6日に広島から帰ってきた。昨日7日は坂戸の「原爆絵画展」で講演。まさにヒロシマを考える一週間だった。

原爆ドームをはじめ、被爆の爪あとを訪ね歩いた。35度を超える炎天下、滴り落ちる汗が眼に沁みて、心に描いた60年前の地獄絵図が蜃気楼のように滲んでは消える。汗を拭えば、乱立するビル群に眩惑された。下には、「あの日」の閃光を浴びたきり、もう二度とお天道様を拝むこともなく折り重なっていった累々たる屍たちが、新たな地層を形成しているのだろうか。あのようなものを拵えて、ここに落としたのも人間。そして、「75年間は草木も生えぬ」とすら言われたこの地を、ここまでにしたのも人間なのだ。

土砂降りに近いこの蝉時雨も、「あの日」にはピタリとやんだことだろう。後に続いた「黒い雨」は、地中の幼虫たちも浴びたのだろうか。人間の愚かさで固められたこの大地を突き破り、限られた地上での日々を謳歌する、儚き命の強さを思った。

あのきのこ雲の下で何があったのか。「あの日」を体験したヒバクシャの言葉は、平和記念資料館の全展示よりはるかに重かった。その記憶のあまりの酷さから、また、死んでゆく家族を前に何も出来ず自分だけが生きのびたという負い目から、語るのをためらってきた方々も、少しずつその体験を話し始めてきているという。

当時17歳だったというおばあちゃんは、一面黒と赤に塗られた風景の中、臓腑が股間からはみ出した女性を跨ぎ、風船のような顔、顔、顔の行列を掻き分けて家族と共に逃げたものの、妹さんを亡くしてしまったという「あの日」の胸をえぐられる思いを語ってくれた。また、「あの日」に至るまでこの国が狂喜し辿ってきた狂気の道のりとひもじい日々も。「あのような思いはもう誰にもしてほしくない」というのが語り続ける理由だという。ここ最近の日本を見ていると、なんとなくまたあの過ちを繰り返すのではないかと心配にもなるそうだ。やがて「あの日」の記憶を持つ人がこの地上からいなくなる日が、必ず、しかもそう遠くない将来に訪れる。その前に、どれだけその記憶を語り継いでいくことが出来るのだろうか。

広島の人がヒロシマを語り継ぐ記憶は様々であった。今回の滞在でお世話になった方は、「私は原爆がなかったらこの世に生まれてなかったのよ」と言う。お父さんが原爆で妻子を亡くし、その後再婚して自分が産まれたからだそうだ。原爆で失った命を語り継げるのは、このように原爆によって生まれた命でもある。また、被曝の程度に関わらず医療費が無料になる被曝者手帳など、原爆によって受ける恩恵のことや、ヒロシマは原爆によって国際都市になったが、広島に住む人で国際人と呼べる人はまだまだ少ない、被害者感情をむき出しにするだけでは世界の共感を得られるわけがないなど、自戒を含めた手厳しい意見も聞いた。イラクに行くたびにも感じていたことではあるが、やはり現場では様々な声があり、外から見ていた印象とはずいぶん変わるものである。

そして世界から見たヒロシマも決して一様ではない。原爆で失われた十数万人の命に思いを馳せるのならば、そこに至るまでに失われた2千万人もの命のことも考え、この国が犯してきた大罪を直視しなければならない。そういう意味で、日本国憲法9条はアジアの国々への謝罪のひとつでもあるというのはもっともだと思う。しかし、だからといって決してアメリカの原爆投下の正当化は出来ない。人類史上初の原爆の使用は、広島や日本に対する国際的犯罪を超越した、全人類に対する犯罪なのだ。世界は「あの日」を境に西暦の使用を中断し、ヒロシマ暦に切り替えるべきであった。「あの日」を境に、戦争の脅威は、国家間の破局の可能性に留まらず、地球上における人類の存亡に関わってきている。核抑止論などは前時代的な発想であり、効果よりもその先に深刻なリスクを抱えていることに人類は気づくべきではないだろうか。今日におけるいわゆる対テロ戦争、ウラン兵器の使用、戦術核の使用検討、そして先日のNPT再検討会議などを見る限り非常に心もとないが、核兵器の削減、そして廃絶は、国家間の安全保障を超越したまさに人類の安全保障なのだから。

そして明日8月9日はナガサキ原爆忌を迎える。60年前の「あの日」が最後であることを祈って。

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August 03, 2005

LAN TO IRAQ in Hiroshimaはじまりました

この度のイラク現代アート展の会場である旧日銀広島支店は被爆建物であり、市の指定重要文化財。壁に直接釘などを打つことが出来ないなど心配していたが、絵の展示もなんとかうまいこと収まり、8月1日から無事にLAN TO IRAQ in Hiroshimaがスタート。

IMGP4738
何とか企画に滑り込んだアートトークは、月曜の昼間ということもあり参加者は少なかった。それでもいまだ混沌とする戦火の中絵を描き続けるイラクの作家たちが、ヒロシマのことを同じ歴史の痛みを共有する同士として想ってくれているということを、ここヒロシマの地でヒロシマの市民に伝えることが出来た。これはイラクの作家たちの願いでもあった。

IMGP4772
戦争前初めてイラクに行ったときに一緒だったパン屋の大江さんも来てくれた。今はセイブイラクチルドレン広島というNGOで、イラク・バスラから若い医師を研修のため招聘している。バグダッドよりはましとはいえ、バスラもまだまだ剣呑だそうだ。

かねてから観たかったシベリアシリーズで有名な香月泰男展が開催されているというので、昨日2日はひろしま美術館へ。その後原爆ドーム周辺を彷徨、本川小学校まで足を伸ばす。原爆ドーム、写真では何度も見ていたが、訪れるのは初めてだった。これまで聞いてきた被爆者の声や、丸木美術館で観た原爆の図、記憶の隅に四散していたそういうものが、一気に集結して眼前の風景を揺さぶる。やはり「場」の持つ力は大きい。

LAN TO IRAQ in Hiroshimaは7日までやってます。

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