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April 12, 2005

「憲法9条のないアメリカとイラク」

【PEACE ON NPO法人化1周年記念イベント「憲法9条のないアメリカとイラク」-4月3日文京区民センター】

IMG_0613_5対談相手の堤未果さんは9・11アメリカ同時多発テロ事件をニューヨークで直接体験し、その後PTSD(心的外傷後ストレス障害)を克服して現在は執筆活動をしている。最近もイラクから帰還した米兵の取材を通した彼女の記事が月刊誌「世界」5月号に載ったばかりだ。

堤さんとの出会いは一昨年の7月、イラクから医師が来日した際に講演の通訳を頼んだのがきっかけだった。当時の交渉の様子は彼女の著書「グラウンド・ゼロがくれた希望」に詳しく載っていたが(私は「元人間の盾A君」と表記されていた)、講演前日という突然の依頼にもかかわらず快諾してくれて、畳み掛けるような医学用語をてきぱきと訳してくれたのがとても有難かった。その後も一度ホームパーティー形式の講演でご一緒したが、今回のように対談するのは始めてである。

憧れていたあのアメリカが9・11で豹変していく様子を目の当たりにしながら、自身の日本人としてのアイデンティティに目覚め、PTSDを克服して生きる希望を見出した堤さんの著書を読んだりお話を聴いたりしていると、当時私が9・11からイラク行きを決意するまでの間に心象の地図に現出したおぼろげだった点と点がようやく結び付いて、これから進むべき新たな海図をより鮮明に照らしだしてくれるような光を感じる。私も戦時下のイラク滞在中、特にバグダッド陥落直後にイラク人の遺体収容を手伝った際に叩きつけられた「世界は暴力に支配されている」という圧倒的な絶望感を経て、「それでもイラク人とも米兵とも話が出来た。市民一人一人は対話が可能ではないか」というわずか一滴ではあるけれど確かな希望の光を見た。爆弾を落とす側と落とされる側から見たそれぞれ二つの光は、それぞれそこに生きる人間ひとりひとりの物語を映し出しながら、生と死は正視に耐えないほどの乱反射を繰り返していく。

イラクの最前線に送られたアメリカの若き帰還兵の多くは現在アル中かヤク中かホームレスだという。帰還兵が言ったという「戦争には加害者などいなくて全員が被害者だ」という言葉だが、確かにアメリカでは兵役は志願制ではあるものの、事実上経済的徴兵制ともいえる中で何も知らないままイラクの最前線に送られる彼らは、ある意味犠牲者であるともいえる。しかしその彼らに理由もなく虫けらのように殺されていくイラクの市民と彼ら米兵を同列に被害者と呼ぶことは出来ないだろう。彼ら米兵はあくまでもいわば戦争中毒に陥ったアメリカという国のシステムの犠牲者なのであって、殺される側のイラク人から見れば彼らは紛れもなき侵略者であり加害者である。そしてそのシステムを動かすアメリカ政府を頂点にして、そのシステムの恩恵を享受する企業、ブッシュの再選に見られるように結果的に支えているアメリカ国民も、その構造を米国債を買い続けることによって支え続ける日本政府も、その政府を黙認しさらには国債等総額700兆円もの大金を貸し付けて支え続ける我々日本国民も、この現代の戦争の加害者であろう。

後半はコスタリカの平和憲法にも詳しい弁護士の田部知江子さんを交えて、この現状のなかで日本国憲法9条が持つ意味を話し合う。これまでは「9条があったから戦争せずに済んだ」といったような消極的用法が多かったような気がするが、これからは「9条を使って世界で何ができるか」というような積極的用法が求められるのだと思う。そもそもこれまで我々は9条の意味を本当に理解していたのだろうか。9条というのは決してこの絶対的安全圏から叫ぶだけで効果が現れるわけではなく、まさに修羅場でこそその真価が問われる実に覚悟が必要なものだと思っている。(続く

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