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March 26, 2005

占領下イラクの物語

IMGP4231昨年の5月にイラク・ファルージャ緊急支援に行った際、フリージャーナリストの村上和巳さんと一緒に同行して取材されていたカメラマン、小沢幸夫さんの写真展が明日まで開催されていますのでお知らせします。

★小沢幸夫 写真展 ~占領下イラクの物語~

場所:地下鉄半蔵門駅4番出口から徒歩1分、
    日本博物館となりJCIIフォトサロン地下一階クラブ25
    3月27日まで 午前10時から午後6時
   http://www.jcii-cameramuseum.jp/map.htm

昨年4月のファルージャ侵攻から米軍が撤退した後の地元抵抗活動家たちの凱旋など貴重な写真も多く、サダム拘束直後の隠れ家の様子などもありました。キャプションが少ないのですが、ご本人は明日もいらっしゃるようなので解説してもらえるでしょう。

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2 years on

0004風邪のためしばらく更新を怠ってしまった。以下19日のWPN(ワールドピースナウ)に参加して考えたこと。
(写真撮影:斉藤円華さん)

あのイラク戦争開戦から2年。昨年はこの日をバグダッドで迎えたが、特に大きなデモがあったわけでもなく、懸念されていた大規模テロが起こるわけでもなく、坦々とした日常の風景が青空にぶら下がっていた。確か東京では雨の中数万人規模のデモ参加者と報道されていて、BBCニュースで増山麗奈さんの桃色ゲリラが先頭になったデモ隊を見つけて、バグダッドのネットカフェでサラマッドと「おおRenaだRenaだ」と盛り上がっていたことを思い出す。

そして今年の東京では主催者発表で4千人ほどというからずいぶんと減ったものだ。日比谷野音入り口で重信メイさんたちと一緒にビラ配りなどもしたが、前半はビラ配りの方が多いのではないかと思うほど人が少なかった。(ムキンポさんのページに写真がたくさんありました)

2年前、開戦直前の3月8日に参加したときは確かこの十倍はいただろうか。20万から100万もの人が集まった世界の各都市と比較すると心もとないが、それでも日本でここまで集まるとはと感激したのを覚えている。確かニューヨークタイムスの社説だったか、「今世界には二つの超大国がある。ひとつはアメリカ、そしてもうひとつは世界の市民社会だ」といった主張に勇気付けられ、この戦争をとめることができるのは偏に国際世論だと確信し、その後方支援を頼りにバグダッドに乗り込んでいったわけである。

このように、WPNは現在の私の活動の原点になっているのだが、初めての参加は2003年の1月18日。そしてそれは生まれてはじめてのデモ行進であった。以前はこうした行動に参加することに抵抗があったのだが、どうしてもこの度の戦争が許せなく思っていて、当時メール交換をしていたスイスの友人から「こっちではこんなに盛り上がっているよ」と聞いて、「よし俺も」と思いきって参加したのだった。

いざ参加してみて、同じように戦争に反対している人がこんなにいたのかと驚き、一歩一歩を踏みしめるたびに生まれ変わっていくかのような奇妙な感覚に襲われた。当時のBBCニュースで「デモには精神安定の効果もある」という研究結果が出ていたのを読んで妙に納得したものだ。そしてなんと一ヵ月後にはイラクの地を踏みしめていたわけである。

この戦争は決してイラクとアメリカという問題に留まらず、このままアメリカの横暴を放置しては地球がいくらあっても足りないという意味でも、これは人類の未来がかかった最前線であり、今イラクを助けるということは、まさに我々自身を助けることになるという思いは、あの開戦前から一点として変わらず、あれから2年、イラクに関わり続けているが、ここまで状況が変わってしまうとは。

悪化していくイラクの現状と、戦時下で育んだ友情など自身の体験が織り成す記憶の断層に、絶望と希望が複雑に交差する。翻弄されるイラクの運命と共に、己の人生も大きく変わってしまったが、どうも2年という実感がわかない。先日のサラマッドからのメールでは、またしても近所で隣人が何者かに殺害されてしまったということだ。彼の地では2年目の感慨に浸るより、日々をどう無事に生き抜くかという問題で精一杯なのだ。

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March 19, 2005

19日報告会&20日講演会のおしらせ

不覚にも風邪をひいてしまった。熱はないが咽がやられて声が変だ。しかし今日から二日続けてイベントがある。なんとか気合で乗り切ろう。以下詳細貼り付けます。今日はこれから日比谷のWPN(ワールドピースナウ)に行ってきます。そういえばあれからもう2年。あっという間の気もするが、いろいろありすぎて長かったのか短かったのかよくわからない。また雑感等書きたいが後ほど。

■3月19日(土)

「PEACE ON相澤恭行 イラク支援・アンマン帰国報告会」

2月20日から3月8日までイラク隣国ヨルダンはアンマンにて、イラク現地スタッフと打ち合わせ・調整をおこなった代表 相澤恭行(YATCH)の帰国にあたり、その報告会を開催いたします。
イラク最新情報から、ファルージャ避難民キャンプや障害者福祉施設への支援活動報告、またレバノン前首相ハリリ氏死亡事件直後のシリアやレバノンへも足を運び当地で見えてきたもの、そしてもちろんアンマン滞在中の楽しいこぼれ話もあり。
皆様ぜひご参加ください。

当日は、人間の盾YATCHらを綴った『A peace of truth ~楯の見たイラク~』(PEACE ON会員 山崎俊一監督作品、東京ビデオフェスティバル入賞!)や、新作PEACE ONコマーシャルも上映予定。さらに、岩手のパン工房 瑠璃屋の自家製酵母パンとお菓子も販売いたします。ご期待ください!

時間:18:30~20:30
場所:東京ボランティア・市民活動センター 会議室B (JR総武線飯田橋駅西口or地下鉄有楽町線・東西線・南北線・大江戸線B2b出口すぐ セントラルプラザビル10F)
参加費:一般300円(会員のかたは無料ですが、カンパをいただけるとたすかります。)
主催:PEACE ON

■3月20日(日)

「いま歴史を問う かつてと今の戦場の実相から 戦後60年の節目の年に、私たちは過去から何を学べるのか?」

講演:斎藤貴男(ジャーナリスト)
証言:金子安次(元陸軍59師団伍長 撫順戦犯管理所で教育され不起訴)
   松岡環(『南京戦 閉ざされた記憶』編著者)
報告:相澤恭行(PEACE ON代表)
トーク:海南友子(映画監督)
   中原大弍(ピースボート事務局長)

時間:18:00~21:00
場所:中野ゼロ小ホール (JRor地下鉄東西線中野駅南口徒歩8分)
参加費:1000円

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March 17, 2005

バグダッド活動レポート続き

【ファルージャ避難民キャンプへの食糧支援実施】
DSC00263「チキンの缶詰×2、ビーフの缶詰×2、魚の缶詰×2、パスタ2袋、トマトソース4缶、ヨーグルト2缶、マーマレイド2缶、チーズ2箱、ソラマメ2缶が入った袋を50家族分準備してファルージャ避難民キャンプに届けてきたよ。(約400ドル分)」~以上サラマッドからのメールより~

写真を見るとサラマッドの家族総出で和気藹々と食料を袋分けしていた。やっぱイラクの家族はあったかそうだなあ・・・。
DSC00272DSC00296DSC00297

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March 12, 2005

バグダッドから早速活動レポート

ヨルダンから帰国すると、一足先にイラク・バグダッドに帰国していた現地スタッフのサラマッドから続々と活動レポートが届き始めた。以下簡単に抄訳。

【ファルージャ避難民キャンプ-ジャドリア地区】
DSC00079「せっかくアマラと作ったキャンプ内に作った幼稚園だけど、残念ながら近日中にはなくなってしまうかもしれない。ここ最近でほとんどの家族達がファルージャに帰るためにキャンプを出たんだ。買っておいた人形やおもちゃなどは、ファルージャの自宅に持って帰ってもらうことにするよ。キャンプで今必要なものは灯油、そして魚や肉などの缶詰。問題は今どのくらいの家族がいるか。ある家族によれば35から40家族、責任者によれば60家族って言うんだよね。正確に数を把握したら買いに行くよ。」~以上サラマッドより~

2月前半には157家族(400~450人)の家族がこのキャンプに住んでいたが、ずいぶんと帰り始めているようだ。しかし以前戻ろうとしたが、米軍が使用したと見られる化学兵器で家の周囲が汚染されていて、やむなく引き返してきた家族も多いと聞いていたからどうなるかわからない。彼らはこのキャンプに昨年アメリカ軍のファルージャ侵攻が始まったときから住んでいる。モスクの中の屋根なしテントに住む家族と、外の屋根つきテントに住む家族に分かれているが、両者とも等しくサービスを受けていて、食事を作ってくれるコックもいる。水や電気の状態はバグダッド市内一般と変わらない。勉強に遅れが出るといけないということで、簡易的な学校も用意されているようだ。主にイラクの市民からの支援でまかなっていて、原則としてイラク政府や外国からの支援は受け取らない方針だという。(関連情報

【アル・マナー身体障害者施設-サイディア地区】
DSC00214「イエローバスはもうすぐ修理完了だよ。アル・マナーでは現在68人ほどの子どもたちが通えているけど、治安状況が悪く、またバスも足りないので通えない子どもたちがまだ50人ほどいるみたい。マネージャーにイエローバスもうすぐ来るよって言ったら滅茶苦茶喜んでたよ。(原文:so when I told her there is bus will come soon to your school she was too much happy believe me too much happy) 労働省からのバスのドライバーはあまり遠くの地域まで行かないから、現在使用しているブルーバスではそういう地域をカバーするようにしてる。また、不足している車椅子を5台届けてきた。本当はもっと必要なんだけど、今回は予算が足りないので貧しい子どもたちを優先にしたよ」~以上サラマッドより~


ほんの数日前、サラマッド自宅の向かいの家の家族の息子とその友達がドーラの市場で何者かに銃撃され息子は入院、その友人は死亡したという事件が起こったという。このようにバグダッド市内の治安の改善の目処は全く立っていないのだが、現地スタッフは今日も活動を続けている。

(今日は講演で京都に行ってきます)

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March 08, 2005

帰国のおしらせ

本日予定通り無事帰国しました。

アンマン最後の夜は友人の薬剤師ハイサムさん宅に泊めてもらい、朝は前回同様車で空港まで送ってもらいました。ありがたや。

飛行機でしっかり寝てきたので、体調もすこぶるいいです。とり急ぎ帰国のおしらせまで。

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March 07, 2005

諸行無常(5日)

以前バグダッドで出会ったヨルダン人の友人Mとの案内で、アンマン郊外のシャファ・バドラン地区を訪れる。Mはアラブの遊牧民「ベドウィン」の家系で、彼の父の墓がここにあるという。一帯はベドウィンが住む地域。アイルランドを思わせるような緑と岩のコントラストが夕陽の朱に染まりゆく風景に郷愁のようなものを感じながら、墓場から連なるゆるやかな丘を登り、ローマ時代の遺跡があるところまで連れて行ってもらった。

突如として地面が四角にくりぬかれている箇所が多数出現する。中には折れた円柱がごろりと横たわっていたり、細かいタイル目地のような文様が薄っすらと砂から顔を出していたりしていて、Mは無造作に靴で砂を払うものだから一部が砕けてしまったりと、全く保護などされていなく野晒しの状態であった。

やがて古代のロマンに浸る空気を突き破る怒号が響き渡り、赤いクフィーヤを頭に巻いたベドウィンのオヤジが凄まじい剣幕でやってきた。しかしMが説明すると次第に皆さん破顔一笑。Mは自分の家系を説明したそうだ。どうやら数年前この遺跡の発掘時にずいぶんと金がでたそうで、オヤジは一応見張り役をしているらしい。

IMGP4143諸行無常、盛者必衰、思わず平家物語の一節が口からこぼれる。全ては変わり続ける。あのローマ帝国も滅びた。現在の帝国はいつまで続くのだろう。誰もが死からは逃れられない。天を仰ぐ石版のレリーフには、どれだけの想いが刻み込まれてきたのだろうか。日輪からの光は幾万もの夜をこえて、風化の進む文様のひとつひとつに染み入るように注ぎ込まれ、今、再び落日を迎える。そしてこの度の旅の終わりが近づいている。

帰りの車の中で、Mは友人のOとベドウィンの唄を口ずさむ。心地好い拍子と旋律に、魂の古層で錆付いていた記憶が時空を超えて共鳴する。唄は終わるし、唄い手も一生も、終われば夏の夜の夢のようなものかもしれない。風の前の塵のように万物は流転するなかで、それでも精神を介し伝え続け変わらぬものが確かに存在すると信じる。そしてそういう有り難いものに、いつも触れることができるような人間でありたい。

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March 05, 2005

ハジムの人質?(3日)

JVC原さんとイラク人アーティストのハジム・アルブスターニさんのアトリエを訪れる。昨年夏に胆石を摘出するという手術をしてから、一時期は絵筆も握れないほどに体力が落ちていたと聞いていたので心配していたが、今では大分良くなったらしい。幾分老け込んだ感はあったが、相変わらずまるで指揮者のように全身を使って情熱的に話すので安心した。体調回復と共に作品も出来上がっているようで、いくつか新作も見せてもらった。手術後の彼の作品には、フルーツなどやわらかく暖かい色彩のものが多く、以前よりとても落ち着いた印象である。

IMGP4047驚いたのがこの作品、まるでハジムさんの化身のような水牛の物の怪に囚われている桃色のコスチュームを着た東洋系の女性は、あの増山麗奈画伯ではないのか?どうやらそのようで、「これでようやくRenaとの約束を果たしたよ」とハジムさん。昨年末初めて彼女とこのアトリエを訪れた際、麗奈さんとお互いの肖像画を描くと約束して、彼女はその場で早速すらすらと描いてしまったが、ハジムさんは「僕は描くのに時間がかかるから」と、こうして一年越しで完成させたわけである。(ちなみに麗奈さんが描いたハジムさんの肖像画は、今回私に預けて彼に届けるはずだったのに、彼女はまんまと忘れていた)

それにしてもあれから一年。あの後麗奈さんと二人でイラクに入り、LAN TO IRAQプロジェクトが始まったわけであるが、今振り返ると本当にいい時期にイラクに入ったなあと思う。高遠さんたちが拘束されるちょうど一ヶ月前だったわけだから、あの時期を逃していたらこのプロジェクトは始まっていなかっただろう。あれからハジムさんの絵も、ソウルから沖縄までずいぶんあちこちと旅を続けてきた。

「Renaはいつ来るんだ?」とハジムさんはいつも聞く。想いが高じて絵の中に拘束してしまったのだろうか。彼女を捕らえる艶かしい手つきは、エロスをテーマにした彼女の作品と見事に呼応しあう。ぜひ彼女との二人展をここアンマンで開催したいらしい。麗奈さん、このブログを見ていたらぜひハジムさんに連絡してあげてくださいな。しばらく連絡がないといってとても心配していましたよ。

夕食をご馳走になったあと、いつものように深夜一時過ぎまで芸術から中東の政治情勢まで語り合う。まさに家全体がアートと呼べるようなユニークな装飾に囲まれて、実に豊かな時を過ごした。

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March 04, 2005

バグダッドに無事到着!(3日)

とは言ってももちろん私のことではなく、現地スタッフのサラマッド&アマラが無事にバグダッドの自宅に到着した。2日の夜、深夜一時頃車で出発したので、順調に行けばお昼頃には着いているかなあと思い、何度も携帯に電話していたのだが、そのたびに「通話範囲外」のアナウンスが。夜9時頃イラク人アーティストのハジムさんの家におじゃましているときに、サラマッドの自宅に電話するとようやくつながった。バグダッド到着は4時頃だったらしい。携帯はカードが終わっていただけだったようだが、無事で本当に何より。アマラも元気そうだ。さすがに道中はくたびれたものの、特に危ない目には会わなかったという。アルハムドリッラー!(神のおかげで)そしてやはり二人の愛の力のおかげだろうか。

IMGP4028ここアンマンでは自由な服装で夜更けまで出歩けて開放感を味わった二人だが、バグダッドではまたしばらく外出が困難な日々が続くことだろう。それでもやはり家が一番だと言って帰るのをとても楽しみにしていた。そういや以前、まだアマラと結婚する前だったが、「PEACE ONやってるけど、サラマッドにとっての平和って何?」って聞いたとき、間髪おかずに「ファミリーでしょ」と答えたことを思い出した。(写真は帰国前アンマンにて)

ヘジャブで髪を隠したアマラとサラマッドを見送った後、何やら言い知れぬ複雑な気分に陥った。そういえばこれまではいつも自分が見送られる側だったので、このように自分は入らず誰かのイラク入りをここアンマンで見送るなんてことは初めてのことだった。無事の一報を聞くまでは心配で気が気でなく、何かあったらと心のあちらこちらから様々な想いが去来し胸を締めつける。統制は困難で、無理すればますます引き裂かれていきそうな危険を感知し、止むを得ず交差する心配事の往来を打っ遣るしかなす術がなかったが、この恋愛にも似た心の変容は、ある種の感嘆を持って観察されるに足るものだった。そしてこれまでいかに多くの人にこのような思いをさせてきただろうかと振り返り、特に両親をはじめ近しい人たちに対しては、それでも温かく見守ってきてくれたことは本当に有難いことだと、改めて感謝の気持ちが溢れてきた。

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March 03, 2005

それでもバスは走り続ける(2日)

サラマッドとの打合せは続く。今回の寄付金は少なく新しいスクールバスを購入するなどのことは出来ないので、主に修繕費などに充てる。日によっては戦闘などのせいで子どもたちの送り迎えが出来ないときもあるが、バグダッド市内のアルヌーア盲学校のレッドバス(前回8月購入:10月9日ブログ参照)、そしてアルマナー身体障害者施設のブルーバス(11月25日のブログ参照)は子どもたちを乗せて元気に走り続けている。現在アルヌーアでは7人の子どもたちとなんと先生たちも5人、アルマナーでは11人の子どもたちが利用している。

DSC00042DSC00035ただアルアマルろう学校のイエローバスは以前12月20日のブログでも紹介したが、戦闘により被弾してしまい、後日エンジンにも支障が出て今は走れていない。後からドライバーから詳しく状況を聞いたところどうも戦闘ではなく、外出禁止の時間帯に出歩いていた女性が、ドライバー自宅付近に駐車していたバスの脇を通り過ぎる際に、米軍により撃ち殺されたらしい。

幸いアルアマル付近は治安もさほど悪くなく、また昨年夏ようやく労働省と日本政府からもバスが送られてきて、他の施設と比較すると状況はかなり改善されている。マネージャーとも相談の上これまでの繋ぎ役は十分果たしたと判断し、今回の寄付金でエンジンを修理したらイエローバスは他の施設で使うことになった。まだまだスクールバスが不足している施設は多い。本来であれば修繕費は米軍に負担してもらわねばならないのに、こうして日本のみなさまの寄付で賄うのはやはり心苦しい。また、「仮に米軍が負担してくれたとしてもその財源はやはりイラクのオイルマネーなんだ」というイラク人の言葉を思い出してまたやるせない気持ちになる。

ちなみに初代バスは当初ばりばり活躍していたのだがやがて頻繁に故障するようになり、またどこの施設も今は小回りのきくマイクロバスを求めるので、今は売りに出そうとサラマッドの弟が買い手を探しているところだ。聞くとイラクでは車の故障が非常に多い。原因として国内に出回っているガソリンの劣化があるようだ。さすがに産油国なので公式価格は1リットル日本円にして2円ほどと冗談のように安いが、極端なガソリン不足からスタンド前は連日長蛇の列で一日中待たされることもざらで、その価格で手に入れられることはまれだという。物価の高騰から以前は闇で買っても5倍の1リットル10円程度だったのが、今では時には50円から100円にもなるというから驚きだ(ピースオンバスはディーゼル車が多いのでもっと安いが)。それでいて不純物が混じった粗悪ガソリンが増えているらしく、そのせいでエンジンがやられてしまうケースが多いと聞く。

ところで各施設に労働省から送られてきたバスについては、ドライバーの評判がよろしくないようだ。まず危険なところにはあまり行きたがらない。そして当然給料ももらっているし本来無償の送迎のはずなのに、子どもたち一人頭月1ドル強ではあるがお金をとっているらしい。それでも他の交通手段よりは安いということで親御さんたちも出しているそうだ。こうして正規のバスサービスが始まってから、各施設のマネージャーや親御さんたちにピースオンバスサービスが改めて評価されてきたという。ちなみにピースオンバスは当然無償の送迎バスサービス。そのかわりドライバーは子どもたちの送迎以外は車を自由にタクシーとして使用できるので、外でしっかり稼ぐことが出来る。無料送迎バスサービスと、車の現地調達による地元経済の活性化、そして雇用の創出というお得な3点セットである。

外国とのつながりがしれると危険なので、以前はバスの両脇にデカデカと貼っていたピースオンステッカーも悲しいことに今ではきれいに剥がしてしまった。それでもバスはちびっ子たちを乗せ、未来に向かって走り続ける。

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Mr.シャミル到着(3月1日)

午前5時半、ホテルフロントからの電話で叩き起こされる。イスラム教徒でフリージャーナリストのシャミル常岡浩介さんが、はるばるトルコはイスタンブールから陸路バスで2泊もかけてアンマンに到着した。特にここで仕事があるわけでもなく、ただサラマッドに会いたいがためである。サラマッドもシャミルが来るまでは帰らないと滞在を延ばしていた。これもイラクで育んだ美しき男の友情?だろうか。ホテルが満室だったので常岡さんは別のホテルにチェックインしてから、サラマッドと再会。アマラも交え、イラク、フランス、チェチェン、常岡さんロシア秘密警察拘束と話題は尽きない。常岡さんがアマラと会うのは初めてだそうだ。もっとも戦時下のバグダッドで空爆の即時中止を訴えるデモ行進では砂嵐の中共にシュプレヒコールをあげていた同士なのだが。

IMGP4011サラマッドたちが家族へのお土産を買っている間、常岡さんとクージー(ご飯の上に煮込んだ羊肉を載せたアラブ料理)でお腹を満たす。とてもうまかったが、去年バグダッドでやはり常岡さんといっしょに食べたクージーの味が忘れられない。その後腹ごなしにローマ劇場へ。2世紀半ばに作られたものらしい。これまで何度もアンマンに来ているし、こんな近所の観光名所なのにここには初めて訪れた。それにしても常岡さんは観光が似合わないなあ。

IMGP4021夜再びサラマッドたちと合流して晩飯を共にする。イラクでは食べられないというアマラの大好物、「ブーリー」というパンを頬張りながら、今日買い物の途中でサラマッドが旅行関係のキャッチセールスに危うくはめられそうになったエピソードなどを話す。フランスや日本での例などを話しながら、アマラは一言「Welcome to the world」。イラクでは身を守る術に長けているサラマッドだが、外ではまたイラクにない別種の脅威に満ち満ちていることを学んだようだ。その流れで日本の年間3万3千人、一日90人にも及ぶ自殺者の問題や、見かけはリッチでもローン地獄に陥っている友人のこと、そしてそれは国債による借金漬けの日本の財政そのものであり、見かけは豊かでも日本が抱えている問題がいかに深刻か、いわば精神的な暴力から、いわゆる先進国社会に内在する病理の深さなどを説明した。

そしてイラクを振り返れば、毎日最低でも20人から30人のイラク人は理由もなく殺されている。ヒッラでは125人以上の命が今日一日で失われたというから、イラクにおける物理的な暴力の問題もますます深刻化している。

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March 01, 2005

柘榴を飲んで、さあ仕事仕事(27日&28日)

予定よりサラマッドのアンマン到着が遅れたので、前半はずいぶんのんびりとダマスカス&ベイルートで遊んでしまった。昨日からさぁ仕事だと気合を入れたが、JVC佐藤真紀さんが帰国するということでチャイニーズレストランに食事に呼ばれてまたちょっと遊んでしまった。今日はしっかり仕事するぞと早起きし、サラマッドがイラクからペットボトルに詰めて持ってきてくれた大好物の柘榴ジュースでも飲んで頑張るかと思いきや、栓を回した途端に大爆発?四方八方へ勢いよく中身が噴出し、洗いたてのジーンズが真っ赤に染まる。手洗いしながらすっかり意気消沈してしまったが、ジュースを飲んだらすっかり回復。やはりイラク産の柘榴ジュースの味はたまらない。一度バグダッドで味わってからというもの、すっかりとりこになってしまった。サラマッドも「ほら君のブラッド(血)だ」と差し入れてくれる。柘榴をはじめ、イラクでは元々フルーツが豊かでうまい。彼の「石油がイラクをダメにした」とは至極明言だと思う。

IMGP3999さてさて、今日は一日中サラマッドと帳簿の突合せと今後の活動について打合せ。今回は寄付金額が60万円程度と少ないのであまり大きいことは出来ないが、引き続きバグダッド市内の各障害者福祉施設へのスクールバス(修繕費)、備品の支援、ジャドリア地区のファルージャ避難民キャンプへの食料&医薬品支援など、行政からの予算では後回しにされてしまうのだが今必要な支援、細かい隙間を埋めていくような支援を継続していく方針だ。

IMGP4002そうした地道な支援も、今後お互いをよくしりあうための文化交流活動につなげていくためのステップ。今は現地の治安が悪すぎて、場所によっては残念ながらいくつか予定していた学校交流プロジェクトが出来ない状態だが、アルマナー身体障害者施設の子どもたちが日本の友だちにと描いてくれた絵だけは受け取った。

DSC00048
(左の写真は1月に子どもたちに描いてもらったときのもの)

子どもたちが描いた世界に一歩でも近づけることは、こんな世界にしてしまった大人の責任ではないかと思う。

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