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February 27, 2005

イラクからも無事アンマン到着!(26日)

1午後3時頃ネットカフェでメールをチェックしていると携帯がなった。イラク人現地スタッフのサラマッドからである。予定では昨夜到着と聞いていて、さすがにちょっと心配になってきていたところだったのでホッとした。急いでホテルに戻ると新婦アマラも一緒である。半年振りの再会。ちょうどJVCの原さん、真紀さん、井下さんもやってきたので、皆で旧交を温めイラク関連の情報交換で盛り上がる。

サラマッドたちがアンマンに着いたのは深夜3時頃だったらしい。国境ではなんと8時間も待たされたというから、昨日自分がシリア国境で5時間の待ちぼうけを食らったくらいなんでもないなあと思う。以前からイラク・ヨルダンの国境通過には時間がかかっていたものだが、最近はさらにひどくなっているようだ。トレーラーなどは長蛇の列をなしていて、一日以上待つのはざらだという。それにしても相変わらず彼らの移動手段は陸路なのだが、何事もなく本当に良かった。今回私がイラク入りするリスクを考慮して彼らがアンマンまで来てくれたわけであるが、こうしてここまで来る道中は彼らにとって大きなリスクでもあるのだ。

いつもメールで情報を送ってくれるので、現在バグダッドがいかに危険な状態か理解していたつもりではいたのだが、やはり直接体験している彼らから話を聞くとより現実味をもって想像することが出来る。以前このブログでもイタリア人ジャーナリスト、ジュリアーナ・スグレーナさんがファルージャ避難民キャンプ周辺で誘拐されたときのことを書いたが、キャンプの人の話によると当時すぐそばに警備員がいたのもかかわらず彼らはなすすべもなくただ空に向かって銃をぶっ放していただけだったらしい。そして彼女をさらった車は、堂々とバグダッド大学の正面ゲートから出て行ったというからこれまた驚きだ。「ああいう連中の前にはもはや警察もガードも全く意味がない、さすがにあのときはキャンプからの帰りに初めて武装警備員がついてきてくれたが、正直言って困ってしまった。あんな武装したガードなんか連れていたらかえって狙われる」とサラマッド。アマラもバグダッドでは外出時はもちろん家の中でもほとんどヘジャブを頭から被り、二人とも極力外出は控えているとのことだ。

昨年4月高遠さんや安田くんたちが拘束されたときはまだ話がわかるムスリムだったからよかったものの、今では様々な連中が跳梁跋扈しているのでイラク人ですら危なくてしょうがない。今の日本政府がアメリカの言いなりになっているのは皆知っているし、抵抗活動家にとっては当然敵だから日本人は格好のターゲット。誰も日本人を守ることなんてできやしないという。しかし大方の一般市民は相変わらず日本人に対して好感をもってくれているようだ。戦争中と変わらず、政府と民衆をはっきりと分けて考えてくれている人が多いというからありがたいし希望が持てる。一度は日本からというだけで支援を断られたキャンプでも、きちんと市民との繋がりを説明してからというもの、かなり良好な関係を維持しているということだ。ここ最近アマラと二人でキャンプ内のひとつのテントを借りて小さな幼稚園を始めたので、ちびっ子たちにヨルダンのお土産を買っていくんだと張り切っていた。

(選挙や生活状況など他にも話はたくさんあるのだが書ききれないので後日また)

IMGP3979夕食を3人で一緒にとった後はカフェでアルギーレ(アラブ式水タバコ)を楽しむ。結局12時過ぎまでゆっくりしていたが、こんな時間まで外で楽しめるなんてフランスに行ったとき以来だなあと、二人は心からくつろいでいる様子。今バグダッドは夜7時以降ほぼゴーストタウンと化し、とくに彼らのいるドーラ地区では毎日戦闘が絶えずとても夜出歩ける状況ではないという。ほとんど家の中ですごしているので、あれではまるで人質よと言ってヘジャブを外したアマラは久しぶりの開放感を満喫していた。それでもやはり人々が忙しなく時間に追われているフランスよりも、ゆるやかな時間の中で人々が温かく迎えてくれるイラクのほうが好きだという。これは同じく戦時下を共に過ごした私がイラクとの関わりを続けている理由と全く同じである。最も彼女の場合、戦争ですら止めることが出来なかったサラマッドとの愛の力が大きいのであろうが。

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アンマン到着までの顛末(25日)

ダマスカスからアンマンに向かう乗合タクシーのドライバーはえらくせわしない奴だった。滅多矢鱈にクラクションを鳴らしハイスピードで車をぐいぐいと追い抜き追い抜き何やら独り言をまくしたてている。アラブでは一般に車の運転は大阪の人も真っ青になるほど荒っぽいものだが、このドライバーはまた格段に危ないなあと思っていた。しかしダマスカスを離れるにつれ次第に交通量も減り比較的静かになってきて、うとうとと眠りかけているとあっという間にシリア側国境にたどりついた。税関でもドライバーは「早く早くこっちこっち」と喧しい。それでいて言われたところはシリア人用の窓口だったりする。何なんだ彼はと思いながら出国スタンプをもらって車に戻るとドライバーが来ない。同乗者の子連れのシリア、ヨルダン人夫婦も待ちくたびれている。こういうときはアラブ人から学んだインシャアッラー(神がお望みならば)の精神で、まあなるようになるさと決め込んでヨルダンのガイドブックなどを読んでいるうちにまたうとうとと夢の中。夕べはネットカフェでイラク人の友人とばったり出会って深夜2時過ぎまで話し込んでいたのでやはり眠い。しかし世界は狭いものだなあ。

国境に着いてからもう2時間は経っただろうか。すっかり眠りこけているところ肩を叩かれはたと起きると何とドライバーが二人の警官に挟まれていてしょんぼりとしている。これまでとはうって変わって悄然と肩を落としていて、手元を見るとなんと手錠をかけられているではないか。一体何をやらかしたんだと聞いてみたが誰も英語が話せなかったのでよくわからない。片言のアラビア語を通じて何やらビザに問題があったらしいことはわかった。お縄になったドライバーはダマスカスに警官同行でとんぼ返りということで、代金を半額返してもらったあと我々は国境に置いてきぼり。席に空きがあるアンマン行きのタクシーをひろえばいいのだが、これがまたさっぱり来ない。やがて陽は落ちて冷えてくる。ヨルダン側に行かないと売店すらないので腹は減る。ノーマンズランドに放り出された難民の気持ちがほんの少しだけわかったような気分。寒さとひもじさに震えながら待つこと約2時間。ようやくタクシーを拾えてアンマンへ。結局国境を通過するのに5時間近くもかかってしまい、アンマンまで通常3時間程度のところ8時間もの長旅になってしまった。

IMGP3958アンマンダウンタウンではいつものファラホテルにチェックイン。時刻はもう夜9時を回っていた。ホテル近くのイラク人従業員がいる食堂、通称「イラクめし」で安くてうまいチキンを食って空腹を満たす。近所のネットカフェへ。そういえばファラではいつものスタッフがやけに少ないなあと思っていたら、なんとここに勢揃いしているではないか。遊びに来ているのかと思いきや聞くと皆ファラをやめてここで働いているそうだ。しかしこんな近所でスタッフ総異動とは。理由を聞くとばつが悪そうに微笑む。突っ込んでは聞かなかったがどうやらみな一斉に首になったらしい。昨年イラクからの帰りにアンマンに立ち寄ってから早半年。様々なことが変わり始めている。

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February 26, 2005

やっとこさアンマン到着

ダマスカスからアンマンへの移動中、なんと乗っていたタクシーのドライバーがシリア国境で逮捕されてしまって、4時間以上も待ちぼうけを食らうという散々な目にあいました。なんでもドライバーのビザに問題があったらしいのですが、詳しいことはよくわかりません。その後タクシーはつかまらず、予定を大幅に遅れてしまいましたがなんとかアンマンには到着しましたのでとり急ぎおしらせまで。

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日帰りベイルートの旅 4 (24日)

IMGP3943せっかくだからと海岸沿いを奇岩「鳩の岩」まで散歩した。はじめてみる地中海は美しく、目に焼きついて離れない先程の爆殺現場とのコントラストに心が慣れるまでしばし時間がかかった。のんびりと釣り糸を垂れるおじさんたち、まだ海水は冷たいだろうに飛び込みに興じる若者たち、肩を寄せ合って愛を語らう恋人たち。シリアとはまた異なるが、潮風に乗って時間はここでもゆるやかに流れている。しかしふと見上げたビルには無数に開いた弾痕などあり、15年も続いた内戦の爪あとは所々風景を軋ませている。そう、忘れてはならない。ここはあの1982年のイスラエル軍による大侵攻の舞台ベイルート。一枚一枚上塗りを剥がしていけば、二千人以上の一般市民が殺されたともいうあのサブラ・シャティーラの虐殺の地獄絵図が浮かび上がってくるのだから。

IMGP3949途中疲れて立ち寄ったコーヒースタンドでも、ハリリ氏のポスターに迎えられる。店主らしきおばさんも「彼は本当にすばらしい人だったわ」と故人を偲んでいた。話が自分のイラクでの活動に及ぶと、なんと彼女はレバノン国籍をもっているが生まれはイラクで6歳の頃までバグダッドに住んでいたという。すると隣で駄弁っていたおばあちゃんのウム・ハッサンさんもモスル生まれのバグダッド育ちということが判明。しかもドーラ地区にいたということもあってローカルな話題に花が咲いた。今でもサダムのことが大好きだといってはばからないウム・ハッサンさん。家族の大半がバグダッドにいるので、戦前まではしょっちゅう帰っていたが、いまではやはり危なくなりすぎてまったく帰ることが出来なくなってしまったらしい。さすがにイラク人らしく底抜けに明るく振舞っていたが、聞くとやはり寂しいとのこと。昨年のファルージャの虐殺についても心を痛めていて、イラクの人々を気にかけてくれてありがとうと、コーヒーのおかわりをご馳走してくれた。ウム・ハッサンさんは膝を悪くしているらしいのだが、今度知人の日本人の招待で、日本で治療が受けられるかもしれないと、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして喜んでいた。

時に塗り重ねられた記憶はまた、皺に刻み込まれた記憶と共鳴し、ここベイルートでまた新たな和音となって響き渡る。午後の太陽は地中海の波に乱反射して、誰の上にも変わらぬ光が注がれていた。

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日帰りベイルートの旅 3 (24日)

IMGP3937続けてハリリ前首相が爆殺された現場にも足を運んでみた。バグダッドでは見慣れた風景なのだが、突如として地中海の背景に切り替わり思わず足がすくんだ。海岸沿いの通りの中心で爆発があったらしく、道路を挟んで二つのホテルがひどく損壊していて、どす黒い焦げあとが生々しい。とくにハリリ氏がいたというホテルは、上部が大きく崩れ落ち、遠くからでよく確認できなかったが鉄骨のようなものなど様々なものがひしゃげていて、爆発の凄まじさを物語っていた。

立入禁止の境界線付近で現場を眺めていた若者二人に声をかけてみると、実に気さくに応じてくれた。二人はベイルートアラブ大学に通う学生で、ムハンマド君19歳とウィサム君20歳。これから顕花に向かうところだと言う。爆発当時の状況を聞いていると、向こうから「誰がやったと思う?」と聞き返してくるので、先日のユスフさんの見解なども参考にしながら話すと、「もちろん。シリアが関与しているなんてあり得ないよ。ここベイルートでも傾向としてはイスラム教徒がシリア関与説を否定していて、その他の宗教の人々が怒りをシリアにぶつけているって感じ。こうしてレバノン内に対立を生み出して、一体誰が得をするかってことを考えれば、やはりアメリカかイスラエルが関与していると考える方が自然だよね。新たな紛争が起こればイスラエル軍がまたレバノンに簡単に入ってきやすくなるだろうし、アメリカがシリアを叩く理由にもなる。」

聞いていて、昨年バグダッド滞在中キリスト教の教会が立て続けに爆破されたときに何人かのイラク人から聞いた話を思い出した(関連情報)。元々平和に共存していた宗教や宗派、民族間の対立を煽り立てることにより軍事的介入の口実を拵えていくのは歴史上大国の常套手段ではあるが、今のイラクで、そしてここレバノンでも同じ手が使われようとしているのかもしれない。どうして人間はいつの時代も歴史から学ばないのだろうか。たしかヘーゲルあたりがいっていたような覚えがあるのだが、人間が歴史から学べることがあるとすれば、人間は歴史から何も学ばないということなのだろうか。しかし反シリア一色という印象だったベイルートで、さっそくこうした若者に出会えたのは嬉しかった。
IMGP3938


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日帰りベイルートの旅 2 (24日)

IMGP3928気になったのは、顕花会場の隣、建築中モスクを取り囲む塀に等間隔でハリリ氏のポスターが貼られているのだが、その隙間をくまなく埋めるように書き込まれた落書きだ。ほとんどはアラビア語で判読できないが、所々英語で書いてあって、そのほとんどが、「シリア出て行け」、「シリアが憎い」、「シリアはテロリスト」、「F××K シリア」などという罵詈雑言。先日のデモでも反シリア一色になったと報道があったが、実際自分の目でこうした憎悪の感情を目の当たりにすると本当にやるせない気持ちになってしまう。そういえばダウンタウンまでのタクシーの運転手もシリアは良くないと言っていた。

ハリリ前首相は生前実に多くの慈善事業に関わっていて、多くの人に愛されていたことは間違いない。その彼を喪失したことに対するやり場のない気持ちを、事件の犯人にぶつけるのは止むを得ないとしても、どうしてまだ犯人が決まったわけでもないのに一部の報道、とりわけ欧米メディアから流される米英の政府見解を鵜呑みにしてしまうのであろうか。こんな得のない選択をあえてシリア側がとるわけがないというのは、冷静に考えればわかると思うのだが。いち早く犯人を特定して安心したいという心理がそうさせるのか、とにかく不安な心理状態では往々にして常識的判断能力が失われるというのは、9・11直後のアメリカ全土の反応を思い出してしまう。

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February 25, 2005

日帰りベイルートの旅 1 (24日)

IMGP3932ハリリ前首相爆殺事件がどうしても気になっていたので、思い切って早起きして乗り合いのタクシーに乗りベイルートまで行ってみた。国境を越えた途端に、シリアでは見られないマクドナルドやマルボロの看板が目立ち、やがてハリリ氏の看板が現れてくる。やがて雪のレバノン山脈を越えるとそこは地中海からの潮風吹くレバノンの首都ベイルート。ダウンタウンを歩いて驚いたのが、あちらこちらにハリリ氏の遺影がはってある。お店の戸口にはほとんどと言っていいほどあの独特の顔が。例えは非常に悪くて申し訳ないが、戦前のイラクでどこに行ってもサダムに見つめられていたことを思い出してしまった。ダウンタウンの外れでは顕花の式典が行われていて、沈痛な面持ちで祈りを捧げる人々で溢れかえっていた。レバノン国旗とハリリ氏の遺影をあちらこちらに貼りまくったスクールバスから、やはりレバノン国旗とハリリ氏の遺影を掲げたちびっ子たちがぞろぞろと降りて顕花に向かう。まさに国中で喪に服している。(続く)~明日25日アンマンに行きます~

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シリア人アーティストALWANI氏(23日)

IMGP3899通りを歩いていてふと目に付いたポスターがあり、どうやら現代アートの展覧会のようなので行ってみた。ギャラリーは国会議事堂近くの路地にあるアパートメントの地下にひっそりと門を構えていて、中には30点ほどの作品が展示されていた。生命の原初的な躍動を感じさせる力強いフォルムと色彩に魅了される。シリア人アーティストのALWANI氏の個展のようで、作家本人もいたので少し話をすることが出来た。

イラク現代アートプロジェクトLAN TO IRAQのことを話すと、やはりイラク人作家のヌーリ・アル・ラーウィー氏のことは知っていて、有名なイラク人作家イスマエル・ファタ氏とは親友なのだそうだ。彼も今のイラクを憂い、作家と自由な交流が出来ないことをとても悲しんでいたが、それでもアートが人々の意識を変える力を持ち、それによって世界が変わっていく可能性について、瞳を潤ませながら情熱的に語ってくれた。また、日本をはじめ東洋の美術にも影響を受けたといって評価していた。

気に入った作品は売約済みだったが、今後もダマスカスで個展をやるそうなので楽しみだ。偶然とはいえ、このシリアアートとの出会いは嬉しかった。普段はベルギーに住んでいるらしく、パソコン等は人類が堕落する元凶だと言ってメールなどは一切やらないそうなので連絡を取り合うのがちょっと大変だが、今後につなげていければと思う。

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February 23, 2005

骨董品店オヤジ(22日)

IMGP3870夕方ごろウマイヤド・モスク近くのとある骨董品店にジャーナリスト村上和巳さんの友人ユスフさんを訪ねた。昨日村上さんからきいていたお店に行ったら彼はもういないと言われてしまっていたのだが、どうも独立して近所に店を構えたらしい。ユスフさんは2年前自身のコレクションを用いて日本大使館主催の障害者へのチャリティパーティーに参加していて、70年代にはレバノンで写真家の広河隆一さんのコーディネーターをしたこともあるというから、ただの骨董品店オヤジではない。イラク問題から今回のレバノン前首相爆殺事件まで、様々な話に花が咲いた。

「ハリリ前首相のことはシリア人も皆悲しんでいる。彼は人々のために本当にすばらしいことをしてくれた。国籍も宗教も政治も関係なく、それだけの理由で彼は多くの人に愛されていた。だからこの度の事件は本当に悲しいし、こんなことをした犯人はやはり裁かれなければならないだろう。シリア軍が関与しているという噂があるが、それはありえない。どう考えてももっと賢いはずだ。きっとシリア軍がレバノンから撤退するよう圧力をかけたい連中の仕業に違いない。ちなみに先程ニュースでもやっていたが、おそらくシリア軍は撤退するだろう。別にかまわないさ。それでお互い平和に暮らせるのならね。ただ考えてほしいのは、同じようにこれまでどれだけ国連がイスラエル軍のパレスチナからの撤退を呼びかけてきたのかっていうこと。全くもってフェアじゃないよ。パレスチナ問題が解決すれば、今中東で起こっている全ての問題はきっと10分の1以下に減るっていうのに。」

パレスチナ人の血も受け継ぐユスフさんは、パレスチナに話が及ぶと徐々に熱く語っていったが、常に落ち着いた眼差しで温かい微笑みを絶やさなかった。報道によるとレバノンでは事件を受けて反シリアデモが激しくなっているようだが、このようにシリアでは冷静に受け止めている人が多いようだ。いつの時代も戦争とは一部のおっぱじめたい輩がお互いの憎悪を煽り立てていくところから始まっていくものだが、戦争前のイラクしかり、自らを正義の使者とのたまう国に悪の枢軸と名指しされるような国にすむ市民はこうした挑発には乗りにくいようだ。

話の後は商品をじっくり見せてもらい、絹製のスカーフ、ベドウィン民族衣装などをいくつか購入した。

ダマスカスに行ったらぜひどうぞ

Al Osta for Oriental
Youssef & Ali

Damascus-Souk Al hamidiah
Near Omayed Mosque
Wakalet Al-Acha No:252

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再び旧市街彷徨(22日)

IMGP3849
羊毛の手入れをする少年

昨夜は8時間近くは寝たのだが寝不足が続いていたせいかまだまだ眠い。午前中はボーと過ごし、朝飯にファラフェルのサンドイッチを食ってネットカフェへ。サラマッドからアンマン到着が少し遅れるとメールがあった。今日まではイスラム教シーア派の祭典アーシュラーのためイラク国境が封鎖されているので、早くても明日になるだろうとのことだったが、一応自らも所属している文化省で、のっぴきならぬ用事を済ませねばならないらしい。場合によってはもう今日にでもアンマンに行こうかとも思っていたが、いまひとつ疲れも取れていないので、今日はまた一日ダマスカスで過ごすことにする。

カフェから戻ってうとうとと少し昼寝。午後1時過ぎにのそのそと起きだして、昨日のスーク・ハミディーエと並行して走るスーク・ミドバド・パシャの喧騒を掻き分けてまた旧市街をひとり彷徨う。キリスト教徒地区の細い路地はまるで迷路のようで、連なる小さな骨董品店のショーウィンドウからは、陳列されたイコン(聖画)に稠密な日光が妖しく乱反射していて、疲れた意識はいともたやすく幻惑されてしまう。汗ばむ陽気の中、なんども道に迷いながら、聖パウロ教会などを訪れた。キリスト教迫害の急先鋒だったサウロが、いかにしてあの熱烈な宣教師パウロに生まれ変わったのだろうか。しかし彼の回心は決してこの類の夢幻ではないはずだなどという取り留めのない夢想に心をゆだねながら。

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February 22, 2005

ダマスカス到着

21日、深夜1:30ころダマスカス空港に到着。2年前、イラク戦争開戦前初めてイラクを訪れたときもまずこの空港に降り立ったのだが、そういえば同じ2月であった。当時は税関で係員がぴりぴりと顔を強張らせていたような記憶があったが、この度は「ウェルカム!」とやけに気さくにパスポートにスタンプを押してくれた。サダム時代に二つのビザ、その後4つものイラク入国スタンプを見つけて、問いかける言葉は案の定「おう、バグダッドにいくのか?」。「いやあ今回は・・・」と微笑み返したが、これまではありえなかった自らの返答によって、ここまできてイラクに入らないのだという現実にやっと気付かされたような思いだった。朝のバスの時刻まではまだ時間があるので、空港ロビーのソファーで爆睡。同じ飛行機だった日本人バックパッカー二人といっしょに朝7時のバスで市内へ向かった。

IMGP3800ダマスカス中心部のマルジェスクウェアの近くの安宿に荷物を降ろし、朝飯ついで三人で市内を逍遥。色とりどりの商品が並ぶ巨大なアーケード市場、スーク・ハミディーエを抜けて世界最古のモスク、ウマイヤド・モスクへ。中庭から空を仰げば雲ひとつない快晴で、透きとおった日光がミナレット(尖塔)からやさしく降り注ぐ。旧市街まで足を運び、入り組んだ隘路をずんずん進んで気が付くと建物の雰囲気が変わっている。なるほどキリスト教徒地区に入ったようだ。太陽は頭上にかかり、再びモスクに戻ってきた頃には大勢の人で賑わっていた。IMGP3831学校帰りのちびっ子達がはしゃぎながらあちこちの路地から出没し、骨董品やの親父と何やら問答をしている。どこで覚えたのか「マジデヤスイヨ」と客引きをする絨毯屋の旦那などを軽くあしらいながら、2年ぶりのダマスカスをまったりと味わう。警官も笑顔で挨拶を返してくれるし、イラクほどではないかもしれないが、やはりシリアの人々はとても陽気だなあと感心する。先日のレバノン前首相爆殺事件によって、一気にシリア国内に緊張がはしっているのではとも思っていたが、開戦前のイラクを訪れたとき同様、そのような緊張は今のところは全く感じられない。この「悪の枢軸」候補の国では、実にゆったりとして平和な時間が流れている。

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モスクワからシリアへ(2月20日)

IMGP3798徹夜明けの寝不足でうつらうつらとしていたが、着陸の振動で目が覚めた。窓の外は雪のモスクワ、シェレメチェボ空港。「パチパチパチパチ」というまばらな拍手が、寝起きでやや朦朧とした意識に心地よく反響する。アエロフロートの飛行機は無事に着陸すると乗客が拍手する。昔この話を聞いたときは本当かよと思ったものだ。それほどしょっちゅう堕ちているわけでもないだろうに。それともパイロットや乗務員を労っての拍手なのだろうか。空港内ではいつものアイリッシュパブへ。大好きなギネスビールを飲もうとしたのだが、何と「ない」と突き放される。ギネスのないアイリッシュパブなどありえないと聞き返したが、カウンターの金髪女性は「ないものはないのよ」とあからさまに不快な表情で取り付く島もない。この空港内はたいていどこもこうした対応である。はじめは商売する気あるんだろうかと呆れたものだ。仕方なしにキルケニーを注文。パソコンを開いてメールの整理。

さて今回モスクワからまずはシリアのダマスカスへと向かう。アンマン行きは乗継が悪く、なんと約22時間も空港で待たねばならない。ホテルは高いのでいつも空港内で雑魚寝していたのだが、固い床の上ではさすがに体中が痛くなる。ダマスカス行きなら待ち時間5時間もなく、ダマスカス、アンマン間も陸路タクシーで3時間半ほどなので、今回はこのルートを使うことにした。

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February 20, 2005

アンマンに行ってきます

19日夜出国前説明会を終え、やっとこさ荷造りのめどがついた。毎度のことではあるが出国前夜はほぼ徹夜になってしまうなあ・・・。

さて、PEACE ONのイラク支援&文化交流活動継続のため、これからヨルダンのアンマンに行ってきます。今回は一度シリアのダマスカスから入り、陸路ヨルダンへ。アンマンではイラク人現地スタッフのサラマッドと活動の打ち合わせ&調整等を行う予定です。

イラク現地治安は依然厳しい状況が続いていて、ドクターストップならぬサラマッドストップがかかってしまったので、残念ながら今回のイラク現地入りは見合わせます。昨年の8月以降現地に入ることが出来ずにいますが、その間も現地スタッフが様々な形で支援ならびに文化交流を継続しており、イラクの市民と日本の市民との絆をつなぎとめてくれています。(現地スタッフレポート参照

帰国は3月8日の予定です。

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イラク支援・寄付金のお願い

特定非営利活動法人PEACE ONでは、イラク支援寄付金のご協力をお願いしております。

・振込先 郵便振替 00160-2-647637
      口座名 PEACE ON
・備考欄に「イラク支援」とお書きください。
・ご協力いただいた皆様の氏名などは基本的に公開させていただいていますが、
匿名を希望される場合は備考欄に「匿名希望」とお書きください。
http://npopeaceon.org/donation/index.html

イラク問題に対する世間の関心が薄れるにしたがい、寄付金額も減少しています。
引き続きイラク支援を継続していくために、より多くの方のご賛同、ご協力をお願いします。


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February 13, 2005

剣呑だがほっとけない

先月末に行われたといわれるイラク国民議会選挙では、記者が現地にいないのにもかかわらず、あたかも見てきたかのように各メディアこぞって成功成功と囃したてたあと、まるでこれでもうイラク人が皆自分達の選んだ政治家によって自分達の国を作っていけるでしょう、めでたしめでたし、といわんばかりに報道の数はまた極端に少なくなってきているが、イラク人現地スタッフからの情報によると、バグダッドでは相変わらず剣呑な毎日が続いているようだ。

先月拘束されたブラジル人エンジニアの続報もすっかり途絶えてしまい心配なのだが、2月4日にバグダッド市内で拘束されたイタリア人ジャーナリスト、ジュリアーナ・スグレーナさんに関しても、解放かいや殺害か?と錯綜した情報が飛び交ったあと続報がない。そんな中、スタッフから送られてきたメールによると・・・、

「誘拐されたイタリア人ジャーナリスト知っているか。彼女は僕と妻がファルージャ(避難民)キャンプ(ジャドリア地区)にたどり着くほんの30分前にそこにいたんだ。それを聞いたとき、僕らの心臓がどんなに高鳴ったか想像できるかい?そして僕らが帰るとき、キャンプの責任者は銃を手にしたガードを二人乗せた車を付けてくれたんだけど、本当に恐ろしい状況だよ。僕らのために祈っていてくれ。」

Do you know the Italian journalist which kidnapped, she was in falluja camp before my wife and me arrive to that camp only half hour, so can you imagine our hearts how they were run when we hear that from falluja camp and also leader of that camp send with us when we left their camp car with 2 guards with their guns, it really scary situation, pray for us.

このように、当時の恐怖が綴られていた。残念ながら我々日本人が直接現地入りして支援できる状態にはほど遠いどころか、イラク人現地スタッフにとっても、活動はまさに命がけになってきている。それでも彼に尋ねると、

「うん、相当に危なかった。かなり気をつけて活動しているけど、まだ怖すぎるよ。でも、この時期に僕が活動を続けるのは、人々が助けを必要としていることがわかるから、それが全てだよ。」

yes it was too dangerous, we work too much careful but I still scared too much, but all what keep me work in this moment is how I see people need help.

dsc002121 dsc002111そして当日はキャンプにポテト70kg、チキン90kg(総額120ドルほど)を届けてきたそうだ。昨年8月に私が現地事務所に預けてきた予備費は全て使い果たしたので、最近は彼が支援金を立て替えてくれている。

戦時下での彼との友情からNGOを立ち上げ、「友達になっちゃったらやっぱりほっとけないよね」という単純な理由で始まったPEACE ONイラク支援&交流プロジェクト。このように厳しい状況になるとは夢にも思っていなかったが、こんな中でも継続できるのは、本当に彼のおかげである。

近々隣国のヨルダンにて彼と会い、支援ならびに文化交流活動の継続のための打合せをする予定ですが、引き続きイラク支援のための寄付金のご協力をお願いいたします。

・振込先 郵便振替 00160-2-647637
      口座名 PEACE ON
・備考欄に「イラク支援」とお書きください。
・ご協力いただいた皆様の氏名などは基本的に公開させていただいていますが、匿名希望の場合は備考欄に「匿名希望」とお書きください。

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February 08, 2005

Fuu Fuu

IMGP3759新潟市での夜は2泊とも杉本さんが経営する民宿「B&B 風々(ふうふう)」で。朝まで地酒「北雪」などを酌み交わす。安田純平くんのブログにも詳しく書かれているのでご参照を。パソコンを持たないアナログ店主だが、検索したら「風々」のHPがあるではないか。友人が作ってくれたものがあるといっていたのはきっとこのHPだろう。また、ギャルに囲まれてご満悦の宴会のページも見つけた。

写真を見る限り楽しそうだが、経営は世間一般のイラクへの関心の薄れと共に、かなり厳しくなっているらしい。イラクのお話を聞きながら朝食を食べられるB&Bはまさに全国初?PEACE ON元盾救済プロジェクトが始動する前に、新潟市にお立ち寄りの際にはぜひご利用を。

IMGP3774余談だが、生まれて初めて日本海を見た。これまで日本海側に行ったときは全て山沿いだったからだ。自分の生まれは漁港で有名な気仙沼市なので、それこそちびっ子の頃は海を見ない日などなかったほど海は見慣れているのだが、寂寥感というかなんというか、やはり太平洋とは印象がまるで違うものだなあと感心した。車から飛び出し、霞む佐渡を遠くに見つめながら、身を切る寒さの風に逆らい砂浜に駆け出して、波打ち際で海水と戯れた。

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元盾団鼎談@新潟市

IMGP37354日から6日まで講演で新潟市に行っていた。新潟市在住の元イラク人間の盾でフリーカメラマンの杉本祐一さんが主催。私とフリージャーナリストの安田純平君という元人間の盾ドーラ浄水場組を迎えて、なぜ3人が立場の違いを超えて戦場に向かったのか、盾がどんな活動をしていたのか、そしてあの活動が現在の自分達の活動にどうつながっているのかなどなどディスカッションした。チラシに「全国初!」などと銘打って気合を入れていたわりには参加者が少なく、前半は意気消沈した体の杉本さんであったが、途中自らが撮影したバグダッド陥落直後にわれわれが地上戦の犠牲になったイラク人の遺体の回収をした様子のビデオを紹介した時には、身を乗り出して当時の状況を説明していた。(「空襲下の人々」参照)

g19ガスではちきれんばかりに膨張した身体、ちぎれて飛び散った肢、臓腑。何度見てもあの全細胞が拒絶する強烈な死臭の記憶がよみがえる。もしも戦争映画に臭いがあったらきっと誰も見に行かなくなるであろう。そして頭を抱えてうずくまり泣き叫ぶ家族らの声が、風景に溶けてゆく麗かなる春の日差しに小躍りする小鳥たちの囀りを掻き毟るように、記憶の皮膜を突き破ってこの刹那と共鳴する。死傷者何名という死のデータとしての無味乾燥な数字の下に隠されていた、五感で知った死の現実。そしてあの光景は、現在もファルージャを中心にイラクで繰り広げられているものなのだ。

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February 04, 2005

アートレジスタンス

050131_21月31日、小淵沢フィリア美術館でのLAN TO IRAQアートトークイベントには、告知期間が極端に少なかったというのにかかわらず50名ほどのお客さんが来てくださった。画家でアートレジスタンス実行委員会の松井さん、フィリア美術館の中山さんの尽力のおかげだ。また、松本から来てくださった川田龍平さんも宣伝してくださったようで実にありがたい。窓越しに時折吹雪く山々を背景に、画家の増山麗奈さんと昨年2月バグダッドでのイラクアートとの出会い、そして彼らが表現し続ける混沌からの光、生命のアートレジスタンスについて語った。(麗奈さんの新ブログより

050127_6そういえば1月23日は府中市美術館でもアートトーク。館長の本江邦夫氏も加わり、美術専門家としてのコメントが奥行きを増す。(増山さんが出展している府中ビエンナーレはまだ続いているのでぜひどうぞ)それにしても昨年「私をイラクに連れてって」とナンパ?されてからというもの、ほぼ毎月のように麗奈さんといっしょに話しているような気がするなあ。イラク、韓国、沖縄と、ずいぶんとまあ旅を重ねてきたものだ。そういえば、どうも昔から画家には奇妙な縁がある。やはりこれも絵描き(父:相澤一夫)の息子に生まれてきたからだろうか。

イラストの仕事に追い込まれているということで、麗奈さんは近くの温泉につかった後東京に蜻蛉返り。先日美術館トークの際にもカミングアウトしていたが、母子家庭となってしまったのでこれまで以上に稼がねばならず大変だろうなあと思う。

夜は今回の企画に繋げてくださったLAN TO IRAQ関係者、そしてこのアートレジスタンス展につなげてくださった伊神さんの紹介で、電気もガスもない山小屋バンバレーに泊まる。なんと山小屋生活6年というTさんと、案内してくださったD夫妻と、スタッフのKとで薪ストーブを囲んで深夜まで四方山話。ランプの光を頼りに、谷崎潤一郎ではないが陰翳礼讃。やはり夜はあの位暗いほうがいいいなあ。闇を排除しすぎた社会では本当の光も見えなくなってしまう。改めて文明に漂白されかけた自分を省みる。

翌日2月1日は念願だった清春白樺美術館へ。大好きな画家、ジョルジュ・ルオーの作品群に囲まれ法悦に浸る。ルオー礼拝堂に入るとバッハのオルガン曲に迎えられるが、スピーカーからだったのでやや悄然としてしまう。せっかくパイプオルガンがあるというのにあまり使用されてはいないようだ。しかし、ルオーがお祈りに使っていたという十字架と、彼が手がけたステンドグラスを拝むことができた。輪郭が黒く太く、見事な配色から生み出される光の表現が、悲しいほどに美しい彼の作品。以前はステンドグラス職人だったというのがよくわかる。

さて、イラクでは国民議会選挙後の奇妙な沈黙が続いている。大方のマスコミ報道では成功裏に終わったことを強調しているが、なにせ非常事態宣言という事実上の戒厳令下、国際監視団はいなく海外メディアも極端に少ない中で強行したこの歴史的茶番劇を、民主的選挙だったと評価することはどうしてもできない。しかしかれらはもう疲れ果てている。とにかく一日も早く、少しでも良くなってほしいと祈る気持ちは募る一方だ。

おまけ:「BBCニュースでこんなのがあった」とおしえてもらった。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4229377.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_pictures/4230505.stm
これもイラク市民によるアートレジスタンスであろう。

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February 02, 2005

投票日

昨夜、山梨・小淵沢フィリア美術館でのイラクアートの展覧会&トークから戻ると、イラク人現地スタッフから投票日についてメールが届いていた。今時間がないのでとり急ぎ以下訳のみ紹介します。


「投票日当日(1月30日)、見たこと聞いたことを綴ってみるよ。本当に通りは車がなく空っぽ(車両制限のため)。少しは攻撃もあったけど、いくつかの武装グループが言っているほどではない。警察とアメリカ&イラク兵がうまくコントロールしているようだった。

バグダッド市内でも、サドルシティーやマンスール地区、そしてカズミア地区など(シーア派が多い地域)では皆とても喜んでいて、通りでパーティーをしているくらいだったよ。一方、ドーラ、サイディア、カラダなどでは、何人かは投票したけど、他は行ってない。パーティーもなく静かで通常通り。

内務大臣は、「現在治安状況はコントロールできている。18ヵ月後には治安維持に関してイラク警察が実権を握る準備が整うので、米軍の撤退を要求するだろう。なぜならもう必要なくなるから」と言う。

スンニ派の人々は、来年の新内閣にスンニ派の人物が入らないだろうということを嘆いている。パチャチ元外相とヤワル大統領くらいだろう。だから多くの人々がスンニとシーア間で内戦が起こるのではないかと恐れている。そして本当にそうなるかもしれない。

シーア派では、投票に行けというファトワ(宗教令)があり、スンニではボイコットせよというファトワがあったんだ。

バグダッドは今、静けさに包まれている。」

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