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February 26, 2005

日帰りベイルートの旅 4 (24日)

IMGP3943せっかくだからと海岸沿いを奇岩「鳩の岩」まで散歩した。はじめてみる地中海は美しく、目に焼きついて離れない先程の爆殺現場とのコントラストに心が慣れるまでしばし時間がかかった。のんびりと釣り糸を垂れるおじさんたち、まだ海水は冷たいだろうに飛び込みに興じる若者たち、肩を寄せ合って愛を語らう恋人たち。シリアとはまた異なるが、潮風に乗って時間はここでもゆるやかに流れている。しかしふと見上げたビルには無数に開いた弾痕などあり、15年も続いた内戦の爪あとは所々風景を軋ませている。そう、忘れてはならない。ここはあの1982年のイスラエル軍による大侵攻の舞台ベイルート。一枚一枚上塗りを剥がしていけば、二千人以上の一般市民が殺されたともいうあのサブラ・シャティーラの虐殺の地獄絵図が浮かび上がってくるのだから。

IMGP3949途中疲れて立ち寄ったコーヒースタンドでも、ハリリ氏のポスターに迎えられる。店主らしきおばさんも「彼は本当にすばらしい人だったわ」と故人を偲んでいた。話が自分のイラクでの活動に及ぶと、なんと彼女はレバノン国籍をもっているが生まれはイラクで6歳の頃までバグダッドに住んでいたという。すると隣で駄弁っていたおばあちゃんのウム・ハッサンさんもモスル生まれのバグダッド育ちということが判明。しかもドーラ地区にいたということもあってローカルな話題に花が咲いた。今でもサダムのことが大好きだといってはばからないウム・ハッサンさん。家族の大半がバグダッドにいるので、戦前まではしょっちゅう帰っていたが、いまではやはり危なくなりすぎてまったく帰ることが出来なくなってしまったらしい。さすがにイラク人らしく底抜けに明るく振舞っていたが、聞くとやはり寂しいとのこと。昨年のファルージャの虐殺についても心を痛めていて、イラクの人々を気にかけてくれてありがとうと、コーヒーのおかわりをご馳走してくれた。ウム・ハッサンさんは膝を悪くしているらしいのだが、今度知人の日本人の招待で、日本で治療が受けられるかもしれないと、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして喜んでいた。

時に塗り重ねられた記憶はまた、皺に刻み込まれた記憶と共鳴し、ここベイルートでまた新たな和音となって響き渡る。午後の太陽は地中海の波に乱反射して、誰の上にも変わらぬ光が注がれていた。

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