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December 29, 2004

諸々紹介&サラマッドレポート続き

初雪。東北で生まれ育ったからか、毎年この刹那にはちびっ子時代の心のときめきを感じてしまう。気仙沼は太平洋側なので、そんなに雪が多いわけではないのだけれど。積もるかな。

さて、衝撃の宮崎も無事終了。詳しくはJVC真紀さんのブログに写真つきで紹介されていますのでご覧ください。終了後は高遠さんたちと忘年会。やはり笑劇の宮崎であった。

宮崎で今年最後のイベントを楽しんでいる間に、スマトラ沖地震による津波で大変なことがなっていた。さすがシバレイのブログでは早速緊急アクションに関する情報が転載されています。

友人がタイとマレーシアに旅行していたのだが、無事帰国の一報にひとまずは安心。しかし今日になって犠牲者5万人を超えたと聞いてまた絶句。この地球上、どこを見渡しても悲しみが絶えない。そんな中で、どうやって希望を紡ぎだしていくのか。私たち生きているものの課題である。


そして先日は時間がなくて紹介しきれなかったサラマッドからのレポートの続き。来年1月30日に予定されている国民議会選挙について、スンニ派はボイコットを呼びかけていたが、一時スンニ派のイラク・イスラム党が選挙人名簿を提出するなど、選挙に参加する動きも見せていた。その件で選挙管理委員会の責任者クラスのE氏は以下のように述べたという。

「スンニ派は参加するだろう。シーア派にボイコットを呼びかけても彼らは聞かないからだ。というのも、1920年英国占領下のイラクで、スンニ派がシーア派に投票に行くなと呼びかけたところ、その時はシーア派が呼びかけに応じたのだが、直前になってスンニ派が投票に行き、スンニ派の大統領が選ばれたのだ。その後、サダム・フセインまで大統領は全てスンニ派である。それでシーア派は今回もスンニ派が1920年のときと同じようなことをするのではと恐れているのだ。シーア派が投票に行くと言うことによって、スンニ派は彼ら(シーア)を止める方法がないと思っている。それでスンニ派は議席を失いたくないから投票に行くだろう。」(以上ほぼ直訳)

1920年の反英大暴動後即位したファイサルは大統領ではなく国王なので、何か当時の関連する背景を説明しているのだと思うが、興味深い見方だ。ちなみにE氏はシーア派である。

そしてイラク・イスラム宗教者委員会のクバイシ先生はこう語ったそうだ。

「スンニ派は参加しない。2日前、イラク・イスラム党に電話をして、なぜ選挙に行くと言ったのかと訊ね、またその理由を数日以内に答えるように言った。もし理由がなく選挙に行くのならば、我々イラク・イスラム宗教者委員会はイラク・イスラム党と共に働かないと人々に伝えるだろう。この選挙に参加するのはシスターニ師(イラクのシーア派最高権威)とクルド人の政党くらいで、サドル派など他はシーア派といえども参加しないだろうし、キリスト教徒も参加しないと聞いている。我々も参加しない理由として、アメリカが押し付けた選挙項目がある。それは、いかなる新政府が発足しても、例え米軍がイラクで人権侵害を犯そうがそれを変える権利はなく、新政府はその軍と治安と警察にかんする全ての権限をアメリカの支配下に置かなければならないと定めているのだ。」(以上サラマッドが聞いたのは23日)

27日、イスラム党がやはり参加を取りやめるとのニュースがあった。やはりクバイシ先生の影響は大きいのだろう。しかしこれで果たして本当に選挙などできるのであろうか。

ところでクバイシ先生は、「今日本人がイラク入りするのはおすすめ出来ない。例え民間人であっても、あなたの国が軍隊を派遣している以上身の安全は全く保障できない」とも言っていたそうだ。再びイラクの地を踏めるのはいつになるのだろう。


最後にもうひとつ。法学館憲法研究所の「今週の一言」で、私のインタビュー「イラク人と友だちになろう」が掲載されていますのでお知らせします。

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December 26, 2004

フランス帰りのサンタクロース

キリスト教徒ではないのだが、カトリックの幼稚園に通っていたせいか、クリスマスにはある種特別な感慨に浸ってしまう。大好きなフランスの画家、ジョルジュ・ルオーが描く黒く太い線に縁取られたキリストの聖顔から滲み出る光を見つめていると、それは毎朝幼稚園の教会で見上げていたステンドグラスから差し込む淡い陽光にも似ていて、聖母に抱かれ恍惚として眠りにつく幼い頃の記憶とも夢想ともつかぬ奇妙な既視感におそわれる。氷点下の悲しみが降り積もる夜が明ければ、一面の雪に地上の全ての音が吸い込まれてしまったような、静かな朝がきっとやってくるだろう。それまで、後どのくらいの夜を数えればいいのだろうか。

さて、イラク人現地スタッフサラマッドレポート。事務所近くの廃屋で生活している貧しい家族に、アマラと二人のフランス講演旅行でかき集めてきたお金でヒーター、レンジ、毛布などを届けてきた。夏は日中50度にもなるバグダッドだが、やはりこの季節は寒い。特に夜は底冷えするし、今年は電気事情が昨年と比べてもひどいので、毛布などはとびきりの贈り物だろう。とても暖かいクリスマスプレゼントになったと思う。そういえば昨年は高遠さんたちとストリートボーイズに毛布などを届けていたっけ。今年はフランス帰りのサンタならぬサラマッド・クロースかな。
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さすがに一ヶ月もイラクを留守にしていたので、彼も気になっていたらしく、私からの質問に対して実に丁寧に答えてくれた。なんと来年の国民議会選挙の運営責任者クラスの人物(E氏)と、イラクイスラム宗教者委員会のクバイシ先生にも会ってきて話を聞いてきたようだ。先生は現在大変忙しい上にカゼをひいていたらしく、ほとんどの訪問客を断っていたそうだが、モスクで偶然話しを聞ける機会ができたということでえらく喜んでいた。

自衛隊の派遣延長について聞いてみたところ、皆知ってはいるが関心はそれほどでもないという。一般市民からすれば、治安や電気など生活上の問題で手一杯で、それどころではないそうだ。E氏は、自衛隊は助けに来るといっているのに結局何も出来ていないということを前置きした上で、少なくともまだ誰一人傷つけていないということで、米軍よりはましだという評価である。クバイシ先生は、「我々はイラクにいる全ての軍隊に反対しているし、はじめから彼ら(自衛隊)を歓迎していない。その軍の名前がどうであれ、アメリカと働いている限り占領に手を貸しているということだ。イラクのどこであろうがいてほしくない」とさすがに手厳しい。

ファルージャについて、クバイシ先生は、「状況は最悪だ。全てが米軍に破壊されたが、米軍が掌握したのはファルージャの一部に過ぎず、抵抗戦士達が米軍からいくつかの土地を奪い返し、米軍は化学兵器と音響爆弾という国際法上禁止された兵器を使用して応戦している。ファルージャの住民は、電気も水道も出ないので戻ることが出来ない。ほとんどの住民はファルージャ周辺に逃れ、何人かはバグダッドにいる。戦闘はまだ続いていて、米軍はファルージャを開放するので住民に戻るように言うだろうが、実際には40%ほどしか開放しないし、とにかくファルージャの住民は化学兵器を恐れていて、誰も戻りたがらないのだ」と、米軍がファルージャにばら撒いた贈り物について嘆いていたという。

この他選挙についての興味深い見解も聞いたが、詳しくは後ほど。

イラクアート、「アジアの新生」銀座中和ギャラリーでの展示も今日で終了。ムハンマド・ムハラッディーン氏の作品もなかなかの評価を得たようだ。

明日は宮崎でイラクPEACEキャンペーンの最終イベントに参加して、私の今年の講演&イベントも終了となる。高遠さんやJVCの真紀さんともいっしょなのだが、一体どうなることやら・・・。衝撃(笑劇?)の宮崎にこうご期待!?

●12月26日…IN宮崎 雨天決行
  「Be Good Cafe 宮崎」と「イラクpeaceキャンペーン」のジョイントパーティ!
  宮崎市内を流れる大淀川河川敷(市役所横)でイラク写真展を併設しながら、
  いろいろなこと~即席ライブも有り?~を計画中!お楽しみに!
時間/12:00~18:00
参加費/500円(学生300円)
出席予定/布施祐仁(日本平和委員会)、佐藤真紀(日本国際ボランティア
センター)、相澤恭行(PEACE ON)、大平直也(イラク救済基金)、高遠菜穂子
(イラク支援ボランティア)、等々イホネットメンバーも宮崎に大集合!

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December 20, 2004

サラマッド、フランスから無事帰国

サラマッドから無事にバグダッドに到着したとメールがあった。アンマンからはやはりいつも通り陸路だったそうだが、封鎖された道も多く、ガソリンも闇でしか手に入らず、通常バグダッドまで12時間のところ18時間ほどかかったらしい。盗賊は見たものの、思いのほか道中は安全だったようだ。電気事情が悪くメールで到着を伝えるのが遅れたようだが、無事到着と聞いてまずは一安心。

バグダッドの状況はやはりかなり悪いままのようだ。電気は6時間中2時間もくればいいほうで、全くこないときも多いという。以前は身を隠していたイスラム戦士達も、堂々と街を闊歩するようになっていて、飲酒など風紀の乱れを厳しく取り締まりはじめている。市内各地での戦闘も相変わらずで、先日もドーラ地区で米軍とイスラム戦士との激しい戦闘があり、なんとAろう学校で使用しているPEACE ONのマイクロバスが一台巻添えに被弾し、窓ガラスが2枚破損。幸い子ども達は乗っていなかったものの、たまたまそこに隠れた女性がひとり撃ち殺されてしまったということだ。バスはサラマッドの弟が修理に出してくれて、今はまた子ども達の送迎ができているとのこと。他のバスは問題なさそうだ。

以上とり急ぎ報告まで。フランスでは小学校から高校まで学校での講演以外にも、国営テレビ第3チャンネルにも出演。そして新聞等の取材も受けて、イラクの現状から我々の活動について話してきたようだ。

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学校で講演中のサラマッドとアマラ

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左はフランス人元Human Shieldのナディア。昨年のイラク戦争中は、ドーラ浄水場でバグダッド陥落まで共に過ごした戦友?である。当時サラマッドは我々のガイド役だった。現在ナディアはジャーナリスト専門学校で勉強していて、今回サラマッドを取材したそうだ。

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2003年4月11日バグダッド陥落直後のナディアと私。パレスチナホテル前の米軍戦車を囲み、ロウソクを持ってイラク戦争の犠牲者を追悼した。

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December 16, 2004

銀座中和ギャラリー「アジアの新生」でイラク現代アート

PEACE ONのHPでも宣伝していましたが、銀座の中和ギャラリーにて、LAN TO IRAQからもハニ・デラ・アリさんとムハンマド・ムハラッディーンさんの作品がそれぞれ一点ずつ展示されています。まだイラクアートを直接ご覧になっていない方は、12月25日まで展示しておりますので、この機会にぜひ足をお運びください。正面ドアからハニさん代表作の「混沌からの光」が眼に飛び込んできます。
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さて、フランスにて講演三昧だったサラマッドとアマラ、小学校での講演では、校長に政治的なこと、特にアメリカについて発言しないように言われたらしい。そういえば私も以前小学校で話す前に、政治的なことは言わないようにと、同じようなことを言われたことがある。それでも質疑応答では、小学生とはいえ「なぜアメリカはイラクに来たのか」など純粋な疑問をぶつけてくるので、かまわずいろいろ話してしまったそうだ。でも、あとである一人の先生に「ちゃんと言ってくれたことはいいことだと思う。なぜなら子ども達はプレイステーションゲーム(これは日本だと思うのだが・・・)や映画でしかアメリカをしらないから。実際は犯罪者だというのに。」と言われたようだ。

12月15日、予定通りだとすると、二人はそろそろアンマンに向け出発しただろうか。

最近のメールでも、
I miiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiss Iraq
なんて書いてあったから、相当なホームシックに罹っていたようだ。

アンマンといえば、今日はヨルダンから帰国して間もないJVC原文次郎さんの報告会へ。藤屋リカさんのパレスチナ報告と一緒だったので、時間的に限られてしまうのはしょうがないが、さすがに30分というのはあまりにも短すぎた。原さんももっと話したかっただろうになあ・・・。いつもバグダッドやアンマンなど現地ではお世話になっている原さん、嬉しいことに先日のLAN TO IRAQらくだ報告会のときにも来てくれていたのだが、あまりゆっくりと話せていなかった。今回は一月終わり頃まで日本にいるようなので、また今度会うときにでもいろいろ情報交換しようと思う。

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December 10, 2004

サラマッド in France

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*左からアマラの妹の夫、アマラ、アマラの妹、サラマッド


フランス人アマラとの戦時下で芽生えた恋が、今年5月にめでたく結婚までたどり着いたイラク人現地スタッフのサラマッドは、国際結婚に関する手続きのため先月からフランスに滞在している。しばらく北部のネット環境もないようなところにいたらしく連絡が滞っていたが、ここ最近パリに戻ってきてまたメールが届き始めた。

当初長くても2週間ほどの滞在になるだろうと言っていたが、記者会見やら講演やらラジオ出演やら立て込んできて滞在の延長を決めたらしい。早く戻りたかったが、いま自分にしか伝えられないことがある。今のイラクの現状を、イラクに住んでいるイラク人の言葉で伝えること、そしてその中で我々がどういう活動をしてきたのかを伝えたいんだと言っていた。また、いかに多くの日本の市民がイラクの市民のことを気にかけて寄付をしてくれたか、アマラと一緒に説明したところ、何人かはムスリム、つまりイラク人の兄弟であるはずなのに、これまで1ユーロも寄付してこなかったことについて、恥ずかしく感じていたということだった。

フランスでは、病院に行っても、レストランに行っても、自分がイラク人であることがわかるとお金はいらないという人が多く驚いたそうな。また、たくさんの人がイラクのことを聞きたくて会いに来るが、誰一人としてイラク人のことを悪く言う人がいなく、皆とても親切に敬意を持って接してくれるので、とても嬉しかったと言っていた。

しかしそんなサラマッドも、ここ最近はホームシックのようだ。

「イラクが恋しくてしょうがない。今すぐ帰りたいよ。自分の部屋、生活、家族、全てが恋しい・・・」

いつかはイラクを離れて外国で暮らしたいとも言っていたサラマッドだが、治安が悪くなる一方のイラクでも戻りたいそうだ。私も早くイラクに戻って活動したい・・・。

と、ここまで書いていたらまたサラマッドからメール。これからリールでアマラと二人での講演だそうだ。アンマンには15日に出るとのこと。しかしバグダッドの父親に電話すると、状況が悪すぎるから今は帰ってこない方がいいと言われてしまったそうだ。電気は一日に一時間ほど。以前1ボトル500ID(イラクディナール 500IDだと約40円)だったガスが10,000ID(20倍)に。部屋を温める灯油はなく、弟のアムジェッドが父親の車のガソリンを入れるために朝5時に行っても、入れて帰ってくるのは夜10時。(以前正規価格は1ℓ約2円、闇でも10円ほどだった)ガソリンも1ℓで約1ドル(おそらく闇価格)。戦闘はいたるところで続いているなど・・・。(以下原文一部抜粋)

about the situation I called my father yesterday and he told me dont back now because it is too bad, electricity as he said 1 hour all the day, 1 bottle of gas by 10000 ID before was by 500 ID, there is no white oil to heat houses, my brother amgad go to get petrol to my father car since 5 oclock in the morning and he got petrol at 10 oclock in the night, and 1 litter of petrol in market around 1500 ID mean 1Doller, and still fighting every where, that what my father said to me, and when I back I will check every thing and tell you.
your friend

今日他から入った情報でも、電力不足のためかバグダッド市内の携帯電話が一斉にダウンしているようだと聞いていたので、まさにサラマッドの父親が伝えていることと一致する。

多くの報道機関が撤退したためこのような情報はますます少なくなっているが、バグダッド市内の状況はますます悪くなっているようだ。またファルージャでは、一時米軍が市内をほぼ制圧と発表してから極端に報道がなくなってしまったが、不気味な静けさを感じる。もし制圧したのならその様子を伝える報道がなぜ出てこないのか。つまり米軍とイラク暫定政権側が報道陣や人道支援団体などを現地に入れていないということだろうが、入られて状況を知られると困ることがあるからに違いない。一部アラブ系メディアによるとやはりまだ戦闘は続いており、米軍側も苦戦し相当の犠牲を出し、何と化学兵器を使ったのではないかという報道すら出ているほどだ。そういえば今年4月のファルージャ侵攻の際も、5月には停戦合意が結ばれたというものの、実際のところ米軍側は相当の犠牲を出し、事実上の撤退であったとも聞いている。5月にファルージャを訪れたとき、破壊された自宅を案内してくれたおやじさんが、「ムジャヒディンがここで米兵を30人は殺した。我々が米軍を追い出したんだ」と意気揚々としていたことを思い出す。

そんな中、政府は自衛隊イラク派兵の一年間の延長を閣議決定。イラクの風景に、またひとつ我々の罪業が塗り重ねられていく。


そういえば、ロシア南部カフカスのイングーシ共和国でロシアの秘密警察に拘束されていて、結局国外退去処分になって先日帰国したばかりのジャーナリスト、常岡さんから昨日(8日)電話があった。元気そうでなにより。日本ではほとんど報道されていなかったが、ロシアではTVも新聞も大々的に取り上げていたようで、解放後、現地ではちょっとした有名人になってしまったそうだ。他にもいろいろ面白いことを聞いたが、これから次々と暴露記事が出ることがとてもたのしみだ。ロシア秘密警察もまたとんでもない日本人を捕まえてしまったものだと思う。

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December 08, 2004

LAN TO IRAQ~らくだ報告~

12月5日の朝、山形を出発。季節外れの汗ばむ陽気のなか、「らくだ」でのLAN TO IRAQ in OKINAWA報告会に駆け込む。

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前半は、今年2月に「私をイラクに連れてって」と画家増山麗奈さんにナンパ?され、LAN TO IRAQが立ち上がるまでに、僕がなぜ、どのようにイラクとつながるようになったのかを話した。9・11からの心の変容、そして戦前の初のイラク入り、そこで目の当たりにした目も眩むほどの生と死のコントラスト、戦時下「人間の盾」として、爆弾を落とされる側から見た戦争と、そこに生きる人々との触れ合いから生まれた友情と愛、首都陥落後の遺体回収と米兵との対話で感じた絶望と希望、そしてPEACE ONが生まれるまで。

増山麗奈さんは今というこの時代に画家という表現者として生きるその覚悟と想い、各国のアーティストとつながる共同制作LAN TO FACEの紹介、そしてなぜ今イラクのアート、LAN TO IRAQなのかを話した。LANとは、国と国でなく、人と人がつながるLOCAL AREA NETWORKであり、愛とアートで世界をつないでいくLOVE&ART NETWORKでもある。身体性が極度に失われ、生命すら漂白されかけたこの国の現状にたいする強烈な違和感から、自らの性を手がかりにして失われた世界を取り戻し、アートでこの世界を変えていくという可能性を、まさに全身で表現してくれた。

そして後半部ではいよいよLAN TO IRAQ出展作家ひとりひとりの素顔に迫る。若手のホープ、ハニ・デラ・アリ、異端児ウィサム・ラディ、アンマン在住のハジム・アル・ブスターニ、巨匠のムハンマド・ムハラッディーン、ヌーリ・アル・ラーウィー、そして女性アニメ作家のインテレック・アリまで、いかにして彼らと出会い、そして芸術という友情と愛を深めていったのか、麗奈さんと二人で当時を振り返りながら語った。今振り返れば、イラク人スタッフのサラマッドの運転する車で、友人のフリージャーナリスト志葉くんも同席し、まさに珍道中を楽しんだものだ。あれから一年も経たないうちに、イラク現地がここまで変わってしまうとは。今やサラマッドにすら止められて、自分の現地入りすら困難な状況である。本当に麗奈さんは、いい時期に行ってきたと思う。おかげでこのような素敵なイラクアートを日本に紹介することができているわけだから。

pict08121.jpg*写真提供:横関さん
最後に、これまで新宿、ソウル、沖縄と続いてきたLAN TO IRAQ展覧会の旅を紹介。加藤さん、伊神さん、芦澤さんと、本当に、出会いはまた新たな出会いを呼び、様々な人たちを巻き込んで、イラクアートはここまできた。特に沖縄で開催できたことは大きかったと思う。現在イラクで人々が置かれている状況に、日本で最も共感できるのは沖縄の人々に違いない。いろいろな意味で、沖縄はイラクにもっと近い日本である。
http://peaceonyatch.way-nifty.com/peace_on_iraq/2004/10/post_3.html 
http://peaceonyatch.way-nifty.com/peace_on_iraq/2004/10/post_4.html

沖縄で見た様々な風景が、破壊の限りを尽くされたファルージャでみた風景をはじめ、占領下イラクの風景と重なっていく。その連なりのひとつひとつを凝視すれば、「思いやり予算」の名の下に分かちがたく結ばれた我々日本国民の、欲に塗れた血と汗が淡く滲んだ点描画が、しかもそれは灰色で覆われた生気のない鬱屈たる風景画が、忽然と現れるではないか。気が付くと我々は誰もがイラクと日本の間にこのような風景を描くことに参加していたのだ。イラクのアーティスト達が投げかける混沌からの光が、この寂寞とした無明の風景を照らす命の黎明となることを願ってやまない。

当日来てくださった皆さん、「らくだ」のみなさん、そしてこれまでLAN TO IRAQを共に作り上げてきたみなさんには、本当に感謝しています。そういえばらくだのみなさんが、サラーム・オマール氏の作品Full Moonと、ムハンマド・ムハラッディーン氏のコラージュを買ってくれました。感謝!これでこれからはいつ「らくだ」に行ってもイラクアートが見られます。とくにFull Moonはまさにここ「らくだ」に飾られるために描かれたかのように、お店に溶け込んでいます。
rakuda6.jpg*写真提供:芦澤さん

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December 07, 2004

イベント報告諸々(ナスィール・シャンマ公演)

昨日(5日)「らくだ」で行われたLAN TO IRAQ in OKINAWA報告会に来てくださったみなさん、本当にどうもありがとうございました!府中での展覧会ではじけまくっている増山さんとの話が盛り上がりすぎて、かなり時間押してしまった等反省点は多々ありますが、とても素敵な会になったと思っています。とり急ぎこの場を借りてお礼まで。写真は近日中にUPしたいと思います。

さて、昨日(5日)までは連日イベントが続いた。

3日は国際交流基金主催のナスィール・シャンマ公演へ。公演前の、アラブ音楽理解のためのセミナーから参加したが、やはりこのウード奏者はただものではない。今年3月バグダッドでウードを購入した際、サラマッドにいいCDはないかと尋ねたとき、紹介してくれたのがこのイラク出身のナスィール・シャンマのソロCDだった。画家のハニさんも大絶賛していて、彼の絵の宣伝用CDのBGMにも使っていたくらいだ。

イラクが誇る世界のウード奏者ナスィール・シャンマ氏は、現在はカイロ在住。アラブ・ウード・ハウスのディレクターとして多くの弟子を持ち、次代のウード奏者の指導にもあたられているという。セミナーでは古典音楽から現代にいたるまで、多様性にあふれたアラブ音楽の歴史についても語ってくれた。この度は自らが団長を務めるナスィール・シャンマ・グループを率いての初来日公演。サラマッドも、彼の演奏が聴けるなんて何てラッキーなんだと羨ましがっていた。

アラブの楽器、カーヌーン、ナイをはじめ、バイオリンやコントラバスなどの楽器も合わせて9人編成の楽団が奏でる曲は、全てナスィール氏のオリジナル。これまではCDでソロしか聴いたことがなかったが、アンサンブルはさらに夢幻の世界に誘ってくれた。深い精神性に溢れた音の調和は、ゆるやかに心に染み入り、美しい旋律と自己の心象風景が交歓を繰り返し、数多の瞬間の中に永遠を織り込んだ妙なるアラベスクが描き出される。音楽の創造を通じて深く自己を追求し、魂の変容と神との合一を希求するかのような演奏に、しばし時を忘れて言いしれぬ幸福感に満たされていった。

彼は時々左手だけで演奏するのだが、これはイランイラク戦争で右腕を失ったウード奏者の友のために編み出した奏法なのだそうだ。その他、「広島の苦痛」、(12歳の若さで、原爆症で死亡したという)「禎子に捧げる曲」、そして湾岸戦争中米軍の爆撃で800人ほどの市民が死んだバグダッドのシェルターについての曲、「アル・アミリーヤで起きたこと」など、日本とイラクが歴史上共有している痛みを表現した曲が多い。常に弱いもの、そして虐げられていくものに対する共感から作品を創造していく姿勢を感じる。終演後に話したあるイラク人から聞いた話によると、何と「ファルージャ」という新曲もあったそうだが、本人は演奏したかったのにもかかわらず、今回は演奏することができなかったそうである。このたびのファルージャ攻撃を支持してしまった政府との兼ね合いの問題だろうか。なぜできなかったのか、詳しい事情はわからなかったが、とても残念なことだ。「ファルージャ」、聞きたかった。そのイラク人曰く名曲だそうだ。

shamma/naseer_shamma
終了後、ナスィール氏に話しかけるととても紳士的に応じてくれた。自分がイラクでやってきた活動などを話し、イラク人画家ヌーリ・アル・ラーウィー氏のことに話が及ぶと、「おお、ヌーリーさんをしっているのか!ぜひよろしく言っておいてくれ!」と目を輝かせていた。さすが巨匠のヌーリー氏は顔が広い。

10月はイラクから劇団アル・ムルワッス、そして今回はウード奏者のナスィール氏と、少しずつでもこのように日本でイラクの文化を直接触れる機会が増えていくことは、とてもすばらしいことだ。LAN TO IRAQでイラク現代アート作品も日本で見ることが出来るが、来年こそは、なんとかイラク人画家ハニさんを日本に呼びたい。


4日は初の山形での講演。宮城県出身ということもあって、東北方面から講演に呼ばれることは多いのだが、なんと山形は初めてだった。かなり寒いだろうと思い、防寒対策には気合を入れて重装備で向かったのだが、暖かくてちょっと拍子抜け。医労連の新組合員集会ということで、参加者には若い看護婦さんが多かった。講演中はわりとみなさんおとなしく聞いていたが、終了後、食事中や食後質問攻めにされて、それなりに関心はあるんだなあとわかり嬉しかった。


フランスのサラマッドのことなど、もう少し書きたいのだが続きは後ほど。

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December 02, 2004

週刊SPA! ご覧ください

もうシバレイのブログ等でご存知の方も多いかと思いますが、先日30日発売の週刊SPA!にて、昨年イラク戦争の最中浄水場で同じ飯を食った戦友フリージャーナリスト、志葉玲君が担当したファルージャ特集が掲載されています。私とPEACE ONイラク人現地スタッフのサラマッドも協力しておりますので、よろしかったらご覧になってみてください。さすがに志葉君デートの間を惜しんで?書いただけあって実によくまとまった記事になっていると思います。

そしてそのシバレイからのお願いですが、今回の特集を読んで、「面白かった」と思った方は、ぜひ「SPA!特集WEBアンケート」の「面白かった記事」のところで、「"誤報"だらけのイラク報道」に投票していただけると嬉しいとのことです。そうした声が多ければ多いほど、また企画を通すことが出来るそうなので。

(プレゼントコーナーで各プレゼントの「応募」をクリックすると記入フォームに飛び、そこで面白かった記事の投票ができるそうです)
*SPA!プレゼントコーナー

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