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August 11, 2004

Palestinian in Iraq (8/9)

いつも安田純平君などがお世話になっている通訳のA氏の新居におじゃまする。52 streetの近く、パレスチナ人A氏の新居のアパートには、他にもたくさんのパレスチナ人が移り住んできていた。政府からの支援が昨年4月の陥落後に途絶えてしまったため、住む家を追われテント生活を余儀なくされていたパレスチナ人が多かったが、少しずつではあるがUNHCR経由の支援でアパートに移り住むことが出来ている。3月にハイファクラブにあるキャンプを訪れたときには60家族ほどがテント生活をしていたが、いまでは10数家族まで減っているらしい。保証されている支援は1年で、それ以降はまだ何もわからないらしいが、それでも皆このアパートに移り住むことが出来て助かった、そしてA氏も以前住んでいたアパートと比べたら格段にいいと、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。

A氏の家族と大皿に山盛りになった炊き込みご飯にチキンを載せたベルヤーニという料理を囲み四方山な話をした。新しいアパートに移れたのはいいが、あの人質事件以降日本人がめっきり少なくなってしまい、今はあまり仕事がないようだ。暫定政権なんてしょせんアメリカそのものなので、パレスチナ人にとっては就職の難しさなど問題は山ほどかかえているが、それでも生活のレベル全体としては給料も上がっているし、このように国際社会からの援助も届くようになってきたので、結果的に以前よりよくなってきていると思うとも言っていた。

電気事情はPEACE ON事務所のあるカラダ地区より悪いようだ。2時間電気がきて4時間停電もしょっちゅうで、部屋が3階にあるので停電になると水道から水が出ない。台所やトイレには汲み置きの水が用意されていた。事務所は1階にあるためそんな心配は要らない。また、発電機はもちろんどの家庭も持っているわけではなく、例えば4階の部屋にはA氏の娘さん一家が住んでいるのだが、発電機がないためA氏の部屋から電気を引っ張ってきている。せめてまだ2ヶ月のあかちゃん、ワファちゃんに涼しい風を送るファンをまわすためだ。よく見るとアパートの吹抜けの通路をつたって、部屋から部屋へと無秩序にコードが張り巡らされている。こうして皆少ない電気を分かち合って生活しているのだ。事務所で生活して発電機の使い方をおぼえた程度でイラクの人々の生活の一端をうかがい知れたなんて言ってはいけないなあと思った。

A氏宅には奥さんのお姉さんが遊びに来ていて、パレスチナ人居住区であるアルバラディヤード地区の自宅に電話したところ、なんと今周辺で戦闘が始まってしまったということであった。本当はもう少しゆっくりしていくつもりだったが家が心配なのですぐ帰るというのだが、そんな戦闘の最中に帰って大丈夫かと心配になってしまう。A氏がちゃんと送るから心配ないとはいうものの、のどかな午後のひと時にこうした会話が普通に出てくるのがイラクの現実である。

IMGP2937.JPG
帰ろうとするとあちこちのドアからちびっ子達が元気いっぱいに飛び出してくる。3月にはキャンプでテント暮らしをしていた子ども達だ。私のことを覚えていてくれて、相変わらず「スーラ、スーラ(写真)」とせがまれて、あっという間に取り囲まれた。ちびっ子達のとびっきりの笑顔の背景には戦闘が続くイラクの日常という風景がある。今なお死が恒常化している中で、なぜかようにも生は美しく輝けるのか。この配色の謎を前に、心象のキャンバスに何ひとつ描けずに立ち尽くしてしまうことがいまだに続いている。

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