« July 2004 | Main | September 2004 »

August 27, 2004

宝物

帰国早々PCがウイルスの被害にあってしまい、昨日は徹夜で格闘していた。ウイルス駆除ソフトを入れ替え何とか復活させたが、写真もテキストも帳簿もまだバックアップ前だったのと、明日から講演が続くとこともあり、せっかくバグダッドからの熱風を冷ます涼しい夜だというのに、ひとり冷や汗をかいてもがいていた。全く今ではパソコンがないと仕事にならない。思えば昔は大のアナログ派で、パソコンと聞くだけで拒絶反応を起こしていたものだが、やはり時代は変わるものである。しかしあまりにも依存していたなあと反省。

ngos_in_amman/IMGP3177
徹夜と言えば、イラクからなんとか出国できた22日、わずか一泊のアンマンでの夜もほぼ徹夜だった。JVC原さん、真紀さん、森元さんともずいぶん話したが、あと高遠さんとイラク人青年カスムと朝4時頃まで飲みながら話し込んだ(もちろんカスムは酒抜きで)。愛の熱病に冒されたサラマッドの影響か、話題は子ども達の文化交流案から、日本、イラクの男女の恋愛観の違いなどなどまで発展していった。カスムに言わせるとこれも大切な文化交流、全く同感だ。やはりこの星は愛で満ちている。イラクでも日本でも、お互い同じようなことで悩んだりしているんだなあと、妙に嬉しくもなった。やがて恋愛話から宗教へと話題は昇華していって、心地よい疲れが舞い降りた頃にはもう空港へ向かう時間になっていた。そして早朝にも関わらず、少しでも会いたいと言って薬剤師ハイサムさんは空港まで車で送ってくれて、とてもありがたかった。

帰国後しばらくネットにアクセスできていなかったので気が付かなかったが、先程ジャジーラのWebを確認したら、先日安田くんから解放に向けて何か出来ないかと相談されていたアメリカ人ジャーナリストのMicah Garen氏は解放されていたようである。本当に良かった。それにしてもこの全面包囲された状況で、解放を働きかけたムクタダ・サドル師もたいしたものだ。やはりただの血気盛んな若者では決してないと思うし、だからこそあれほどの支持があるのだろう。また、シバレイのブログでも書いてあったが、あの時K氏に相談したのは正解だったのかもしれない。もちろん彼の働きかけがどこまで奏功したかわからないが、そうした働きかけのひとつひとつが合わさって、ひとつの命をつなげていくんだと思う。

そういえばこのたびのイラクでの滞在では、イラクの友人達が私のことをとても心配してくれていた。外に出なくてもいいようにと、ハニさんはおいしい羊肉とオクラのスープを鍋にたっぷりと持ってきてくれたり、ジャラルさんにはすぐ近所だと言うのに、夜遊びに行って帰るとき、事務所の玄関まで送ってもらったり、皆しょっちゅう電話をくれて安否を確認してくれたりと、本当に、イラクの人々にしっかりと守られてきたからこそ、無事に帰国できたのかもしれない。その反面、いつもナジャフやサドルシティーでの惨状を耳にするたびに、同じイラクにいながら何も出来ないこと、そしていつものことながら、己の力のなさに歯がゆさも感じていた。しかしそれよりも、ここで生き続けなければならないという運命を受け入れた人々の強さと優しさに、いつも励まされ、何か名状しがたい大いなる力を与えられ、人間が生きるうえでかけがえのない大切なものをたくさんもらっているような気がする。これは昨年の戦争前、そしてあの戦争中からそうだったのだが、ここまで私を何度もイラクに向かわせる理由のひとつである。この命のつながりこそ、何物にもかえられない宝物なのだ。
japaniraq/IMGP2768

| | Comments (6) | TrackBack (0)

August 24, 2004

returned safely to Japan

おかげさまで本日無事帰国いたしました。とり急ぎご報告まで。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

August 22, 2004

飛べそうです

何とか今日こそ飛べそうです。
突然中止になる可能性もあるのでまだ安心は出来ませんが・・・。
これからスレイマンさんのところでランチをご馳走になってから、
空港に向かうというところです。

~以下19、20日の日記から~

doura_water/IMGP3117
19日は昨年の戦争中滞在していたドーラ浄水場を訪れた。アメリカナイズドされたちびっ子たちと警備のイラクポリスに前回撮った写真を配り、いつものように敷地内へ。戦時下では防空壕代わりにもなっていた貯水槽の傍らではナツメヤシの実がたわわになっていて、とても平和な空気を感じた。またしてもマネージャーには会えなかったが、当時屋上テラスに「HUMAN SHIELDS ARE HERE, DON’T BOMB!!!」とペイントしたときに手伝ってくれた若い職員と約一年半ぶりに会うことができた。われわれが寝泊りしていたコントロールルームに用意されていた仮設のベッドは全て脇に片付けられていて、爆風でガラスが割れるのを防ぐために貼っていたテープも全てはがされてきれいになっていた。昨年秋に訪れたときには、職員が皆今年の夏の水の供給状態を心配していたが、聞いてみると今はすこぶるいいと言う。なんでも現在イラクで一番の水のプロジェクトがここドーラ浄水場で実施されているとのことで、浄水用の設備が新しくなっている箇所が目立つ。給料もどんどん上がっているというのもあるのだろうが、皆以前と比べたらとてもいい状態だと口を揃える。

確かにここ首都バグダッドに関する限り、一般市民の生活レベルは戦前と比べてずいぶん良くなっていると思う。給料は月200から700ドル、家庭を持つ公務員では月1000ドルももらう人も出てきているらしい。戦前例えば教師で月10ドルにも満たない人が多かったことを考えると雲泥の差である。しかし電気の復旧状態などまったくと言っていいほど改善されていないし、その他インフラ整備もあまり進歩は感じられない。なにかとりあえず給料だけはしっかり与えておいて、不満のガス抜きをする政策にも思える。バグダッド以外では電気に関しては逆にいい状態だとも聞くが、その他一般市民の生活環境について今回は直接調査することが出来てない。その理由のひとつにもなっているのが、言わずもがな治安の悪化である。バグダッドの外に一般犯罪などは減っているとしても政治治安の悪化は甚だしい。近所での爆破事件も多く、正直この度の滞在では陥落後に滞在した中で最も危険を感じている。誘拐人質事件の多発により外国人にとって危険度が増しているのはもちろんだが、ナジャフでの戦闘が激化するに従って各地で戦闘による犠牲者が増えているし、イラク人にとっても十分危険なのは間違いない。暫定政権の治安への取り組みを評価していた人々の声は、連日の爆発音にかき消されてしまったようで、今ではあの声は評価というよりそうあってほしいという期待だったんだとしか思えない。


20日、安田純平君からメールが届いた。ナシリアで米国人ジャーリストMicah Garen氏が武装グループに拘束され、「ナジャフから48時間以内に米軍が引かないと、人質を殺す」という内容のビデオがアルジャジーラに持ち込まれたらしい。Garen氏の義理の兄が日本にいて、拘束経験のある安田くんに相談してきたようだ。おそらくサドル派とつながりのあるグループではということなので、パレスチナ人で通訳のK氏に電話で相談する。K氏は以前サドル派事務所にも行ったと先日会ったときに聞いていたので、何か糸口があるのではないかと思ったのだ。電話するとK氏は早速サドルシティーにある事務所を訪れて、現在拘束されている彼が米軍とは全く関係のない人物だということを説明してくれた。その結果、何とか解放に向けて働きかけてくれるということだった。やはり犯行サドル派と何らかの関係があるのだろうか。(21日アルジャジーラWebを確認したところ、彼は解放されるだろうというNewsが出ていた。http://english.aljazeera.net/NR/exeres/683B9F33-0CFB-41EA-9B5F-F7BBDEE3F7A9.htm K氏の働きかけが功を奏したのかどうかはわからないが、無事解放を願う)

午後はハニさん宅でアートプロジェクトの最終打合せ。イラクアートシーンの大家、ヌーリ・アルラーウィ氏、ムハンマド・ムハラディーン氏の作品もコレクションに加えることが出来た。今後の展開が期待できる。また、ハニさんにはかわいらしいPEACE ON IRAQ PROJECT のシンボルマークまで描いてもらった。アラビア語で「日本の人々とイラクの人々」とも書いてあるので、今後イラクでの活動の際にはこのシンボルマークのステッカーなどを使えばより日本との友情関係を伝えられると思う。
__peaceon3.jpg
(とり急ぎサラマッドがPEACE ON Iraq Projectと加工)

夕方ジャラルさんから彼が監督&主演、そして音楽まで担当している作品のビデオテープを受け取る。2002年のラマダンに放映された29回のテレビドラマの15、16回放映分だけであるが、参考までにと彼の出演しているところなどを簡単に説明してもらった。「The Case 238」というタイトルで、テーマはなんと湾岸戦争でアメリカ軍によって南部バスラを中心に大量にばら撒かれたウラン兵器による放射能汚染被害。ウラン兵器によって破壊された戦車などの廃材からなんと上水道のパイプを作っていたとんでもない企業があり、ガンなどの放射能被害がある特定のエリアで急速に拡がっていて、エンジニアとドクター役のジャラル・カーミル夫妻がその悪徳企業の実態と被害状況を調査し闘っていくというもの。悪徳企業、そしてその原因をばら撒いたアメリカを批判するだけでなく、もちろん当時はあからさまな批判は出来なかったとはいえ、争いばかりしていたサダム政権に対する批判も暗に散りばめたという。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

Still in Baghdad...

on_the_way_to_airport/IMGP3164
「今日のフライトは全て中止になったようだ。明日もきっとないだろうよ」
バグダッド国際空港へ向かう途中、検問による渋滞のためにおよそ2時間半も待たされた挙句、米兵にこう言われて唖然とした。理由はセキュリティ上の問題だろうということだが、よくわからない。すぐさま予約していた航空会社エアサーブのアンマン事務所に電話で問い合わせると、やはりその通りらしい。ナジャフを中心に戦闘が激化しているのが原因だろうか。エアサーブやNCCI(イラクを支援する各国NGOの協議体)からのメールでもここ最近の運行状況が非常に流動的だったのと、空港が閉鎖され軍事目的以外での飛行機の離着陸が禁止されているという情報も入っていたので、ひょっとしてとは思っていたのだが、懸念が現実になってしまったようだ。エアサーブによると、明日もおそらく飛ばないだろうが、もし飛べるようであれば予約は入れるということ。明後日23日朝のアンマン発の帰国便に乗るためには、明日中にはアンマンに着いていないといけない。こういうこともあろうかと、少し出国日を早め当初は20日にしていたのだが、結局出国期限の明日までイラクから出られないということになってしまい、一度別れを告げたはずのバグダッドの街に再び舞い戻ってきてしまった。

明日うまく飛べればいいのだが・・・

★写真はバグダッド国際空港に行く途中、検問前の大渋滞。左に見える銅像は約400年前?に人類史上初めて空を飛ぼうとしたイラク人、アッバース・ビン・フィルノアスの銅像

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 20, 2004

再びクバイシ先生(8/18)

mrkubaisi/IMGP3101
再びウム・アル・コラモスクへ。高遠さんの友人でラマディに住んでいるカスムという青年が書いた手紙をクバイシ先生に渡しにいくためだ。カスムはイラク再建のために立ち上がり、ラマディ、ファルージャの青年有志を集め新しいNGO、Rebuild Youth Organization ( RYO )を組織してファルージャの学校再建プロジェクトに着手していて、現在アンマンまで出向いて高遠さん達と打ち合わせ中だ。このプロジェクトには地元の若者の雇用の創出という側面もあり、また、彼等は外国人武装グループに取り込まれている地元の若者の説得なども行っており、すでに何人かは戦闘に加わるのをやめて再建プロジェクトに加わっているというから、何とも頼もしい話である。この度、高遠さんたちが日本で集めてきた義捐金を彼等のプロジェクトで効果的に使ってもらうために、ファルージャに強い影響力を持ち人質解放の際にも大変お世話になったイラク・イスラム法学者協会の協力を得ようと、カスムが尊敬するクバイシ先生に手紙を書いたのだ。彼が今月末にイラクに帰ったら改めて直接挨拶と説明に行くのだが、その前にイラクと日本の若者同士がイラク再建のための共同プロジェクトを進めているということを説明するために、メールで受け取った彼からの手紙を日本人である私が直接届けに行ったというわけだ。

多忙にも関わらず時間を作ってくれたクバイシ先生は、イラクと日本の若者同士の連帯によるこのプロジェクトを大変喜んで、全面的に協力すると言ってくれた。法学者協会はファルージャ地域住民から絶大な信頼を得ているし、地元企業にも強いコネクションを持っているので資材を安く仕入れることが出来るなど、様々な面での協力が期待できそうで大変心強い。動き始めたこのイラクと日本の若者の共同再建プロジェクトに、良い風が吹くことを私も切に願う。

また、クバイシ先生は日本での滞在の日々を振り返りながら、いろいろな話をしてくれた。イラク人の彼ですらあの湿度の高い日本の蒸し暑さには辟易したという。たしかに連日摂氏50度のイラクの夏の熱さもすごいが、私も正直にいうと日本の夏より過ごしやすいような気がしている。また、日本でも様々な宗教が混在しているにもかかわらず、市民と接している限り、それぞれが違いを乗り越えてひとつになっている印象を受けたという。様々な宗教とは言っても日本とイラクを同列に扱うことは難しいが、「日本でも」と強調されたところから、イラクでも同様に宗教の違い、宗派の違いにかかわらずひとつになっているのだということを伝えたかったのかもしれない。そして最後には、どこに行っても年配の方々が多く、子どもをあまり見かけなかったことについて心配されていた。少子高齢化問題について説明すると、それは早急に解決すべき問題だと思うと強い調子で言われた。
basaernews/IMGP3148
法学者協会が発行する新聞「AL-Basaer」から

そういえばイラクでは人口の半分以上を18歳未満の子どもが占めるという、いわば子どもの国である。たしかにイラクではどこに行ってもちびっ子だらけで、その爆発的ともいえる元気のよさと、戦時下でも笑顔を絶やさない逞しさに接するたびにいつも不思議な元気をもらっている。イラクに来るたびに救われるちびっ子たちの笑顔。それはどこでもいつの時代でも、人類の希望であると思う。しかしこのイラクで、昨年の戦争から連日伝えられる犠牲者、そして今日も殺され続けている人々の中には子ども達も多く、また、10年以上に及ぶ経済制裁が原因で亡くなった150万人とも言われる犠牲者の半分以上は子ども達であるという現実を、決して忘れてはならない。

| | Comments (8) | TrackBack (0)

August 18, 2004

Love is stronger than war (8/17)

sarmadamara_in_love/IMGP3090
ただでさえ8月のバグダッドの暑さは尋常ではないのだが、今日はさらに熱く感じる。サラマッドが最愛の妻アマラを連れて事務所に来たからだ。国民大会議の最中に陸路でイラク入りしたので本当に心配したが、道中イラクポリスは多かったものの、特に何事もなく順調にバグダッド街道を走ってきたという。アマラを迎えに行ったサラマッドは国境で彼女の到着を約12時間も待っていたそうだ。ほとんど寝ていないので二人とも疲れているとは言っていたが、幸せの絶頂にいる新婚二人の表情はもう緩みっぱなしで、見ているだけでこちらも幸せな気持ちになってくる。

振り返れば二人の馴れ初めは昨年のイラク戦争の最中。アマラはフランスから来たHUMAN SHIELDS(人間の盾)で、そのガイドをしていたサラマッドが彼女に恋に落ち、やはり盾として浄水場にいた私が彼のラブレターの代筆をしたのがことの始まりだった。

~以下「空襲下の人々」から~
 戦うことが人間の本能というならば、愛することもまた人間の本能です。われわれの面倒を見てくれていたイラク人ガイドが、「人間の盾」の外国人女性との恋に落ちたのです。ある日彼から英語は話せるがうまく書けないということでラブレターの代筆を頼まれました。「この戦争が終わったら、どこか外国で結婚しよう」といった内容の、書いていて赤面してしまうほど純粋で心のこもったラブレターでした。もちろんイラクでは外国人との結婚は容易ではありませんし、こうした手紙のやりとりが発覚すれば問題なのは言うまでもありません。それでも私を信用して頼んでくれたことが嬉しくて、空襲など意にも介さず深夜までかけて丁寧に手紙を仕上げました。その翌日彼は無事に手紙を彼女に手渡し、翌々日にはとてもいい返事がもらえたということで、私と二人で心から喜び合いました。その後、以前はなかなか許可されなかった夜間の外出等の無理なお願いをしても、「オーケー、マイフレンド」と快く許可してくれるようになったのです。独裁政権下とはいえ人の心までは管理できないし、トマホークミサイルを何発打ち込んでも人が恋をするのはとめられない。その彼は地上戦が激しくなってから浄水場には来られなくなり、結局さよならすら言えないまま別れてしまいました。バグダッド陥落直前にどこかへ避難したらしいとのことです。
~以上引用終わり~
ちなみに当時の絆からPEACE ONが立ち上がったわけである。

その後二人は何度もケンカを繰り返し、砂塵にまみれながらも、戦時下に芽生えた恋を大切に育んでいって、前回5月のファルージャ支援活動を終えた頃に結婚。ついに花を咲かせたのだ。馨しい香りと共に舞い込んできた喜ばしいこのしらせは、当時イラクを巡る殺伐とした事件に疲れ果てていた私の心をどれだけ癒したことだろうか。’Love is stronger than war’ 愛の力の大きさを改めて知った。

アートプロジェクトの打合せに来ていた画家のハニさんとお祝いの歌を歌う。Fog nakal fog、ナツメヤシの木のてっぺんに登った彼を見守る恋人の想いを歌った微笑ましいラブソングだ。見る見るうちに二人の顔は熟したナツメヤシの甘い実のようにとろけていく・・・。

そういえば今日は停電の時間が短くて助かった。二人があまりに熱いので、発電所も気を遣ってくれたのだろうか。

| | Comments (18) | TrackBack (0)

August 17, 2004

Mr.Jalal Kamil (8/15)

延びに延びていた国民大会議が今日から始まった。一層の治安悪化が予想されるので、極力外出は控えた方がいいとサラマッドから言われていたが、なんとその当人は早朝からヨルダン国境に向けて出発してしまった。結婚関係の書類等手続きのためフランスに一時帰国していた愛しの新妻、アマラを迎えにいくためである。今回は空路で来いとサラマッドも勧めたらしいが、アマラがどうしても陸路がいいと言い張って譲らなかったらしい。確か6月前半にアマラがフランスに帰るときも、ファルージャ情勢が悪化する中陸路で送っていったので、当時バグダッドで取材を続けていたフリージャーナリストの志葉くんが心配していたのを思い出す。さすが妻は元人間の盾をやっていただけあってか、まるでいつも危険なタイミングを選んでいるかのようだ。全く何もこの時期に来なくてもいいのに。とにかく二人の愛の力を信じて無事を祈るしかない。(16日二人とも無事到着しましたのでご安心ください)

jalal/IMGP3057
日中はおとなしく事務所で作業を続けていたが、夕方から近所のイラク人俳優ジャラル・カーミルさんの自宅に招待される。同じカラダ地区にあるとは聞いていたが、何と事務所から歩いて5分ほどの距離にある9階建てのマンションの最上階であった。女優の奥さんサナさんと、とても人なつっこい二人の息子、ハッサン君とフセイン君の4人家族。サナさんの妹さんも遊びに来ていて、久しぶりに魚料理をご馳走になった。

ジャラルさんとは4月にヘワーギャラリーで偶然出会い、オウドをおしえてもらったがきっかけで仲良くなった。(イラクからの風参照。ただし当時名前の綴りを間違えて紹介しておりました)イラク人なら誰でも知っているほど有名な俳優で、これまで主演男優賞も二度ほどとっている。
jalal_magazine/IMGP3064
十代後半から映画に出演していて、主に悪役が多く、最近では監督も手がけ主演男優も兼ねることが多くなってきた。女優のサナさんと結婚したのは1997年だが、それ以前からよく共演はしていたようだ。
jalal__sana/IMGP3060
俳優の他に自作の歌も歌い何枚かアルバムも出しているし、劇団の監督まで務めるなど、実に多彩な才能を発揮している。

時に目をカッと大きく見開き、立ち上がり身振り手振りを加えながら情熱的に話す様子はまさに根っからの芸人である。そんなジャラルさんも、イラクの状況には心底疲れてきているという。サダム時代は自由がなく、全てがサダムのためでありそれはひどいものであった。そのサダムがいなくなっても、今ではいつどこで爆破事件があるかわからないので安心して街を歩けない。おまけに停電はひどいし、9階のため水道から水が出るのは早朝の一時間だけなので、いつも汲み置きしておかなければならないと、食事の後私が石鹸で手を洗うとき、盥に入れた水をやさしくかけてくれながら説明してくれた。「こんなことに神経を使うのはもううんざりだ。人間は通常、持っている能力の7%くらいしか使っていないというが、そのわずかな力すらこんな心配ですり減らすのは耐え切れない。俺は芸に集中したいんだ。もてる力の全てを注ぎ込みたいんだ。平和な環境が必要なんだ。わかるか?」迫真の演技と思いたいが、これは全くの本音であろう。

ジャラルさんは、もうこんなイラクから出て行ってしまいたいと何度も考えるが、それでもここまで自分を育ててくれた人々、そしてこのイラクの文化と歴史のことを思うたびに、やはりこの地を捨てることは出来ないというジレンマに陥ってしまうという。今日は日本の敗戦記念日だということを話すと、「日本はその後アメリカともうまくやって、実に素晴らしい国になった。俺達だってアメリカと友人としてうまくやっていきたいんだ。石油なんていくらでもくれてやるというのに、どうして連中は出て行かないんだ。世界最強の力を持った国に逆らったって勝てるわけがないが、やはりどうしても気に食わない奴はいるから、米軍がいる限りこのように戦闘は続く。本当にイラクのことを友人と考えてくれるのなら、サダムを倒すという仕事は終わったんだから、さっさと出ていくべきだ」と言う。そういえば彼の最新の歌でもそうした内容の歌詞があった。

戦後の日本をべた褒めするので、そんなにいいことばかりではなく、例えば自殺者数が年間3万人以上、一日あたり90人近いということを話すと「どういうことだ」と夫婦で仰天していた。やはり全く理解できないらしい。「イラクの抱える問題と別の問題をわれわれは抱えている。日本は経済大国になる道を選んだが、失ったものもまた大きいかしれない。たとえば戦争中でもここでは客人を大切にもてなし、街を歩けばみな笑顔で挨拶してくれる。私はイラクに来るたびに、何か忘れかけていた何か、人間として生きるということはどういうことなのかということを、いつもおしえてもらうような気がする」と話すと、ジャラルさんは「これまで外国に行って、イラクなんか出てここに住めといわれることは多かったが、どうしてもそれは出来なかった。この国にすむ人々の持つ自然さ、純朴さ、そしてそうした人々が作るゆるやかな時間の流れを、失いたくないのかもしれない」とのことだった。

ジャラルさんは今、新しいテレビドラマの収録中で、もうすぐ全て撮り終わるとのことだった。そしてこれから自分達の作品がもっと世界に紹介されることを切望している。私の滞在は残り少なくなってしまったが、うまくいけば出国前に彼の作品を観る機会を作ってもらえるかもしれない。
jalal_family/IMGP3071

| | Comments (5) | TrackBack (0)

August 16, 2004

労働省、盲学校、そしてサドルシティーについて(8/14) 

スクールバスをサポートしているアルヌーア盲学校と、障害者福祉施設を統括している労働省に挨拶に行く。労働省はこれまでにも障害者福祉施設での活動のための許可証を発行してもらったり、また昨年12月に市内でガソリンが極端に不足し給油制限された際には、通学バスには給油できるようにと特別な許可証を発行してもらったりと、私がいない間もサラマッドがひとりでよく足を運んでくれていた。

労働省には先週も顔を出していたが、障害者福祉施設の新任General Manager のNoria女史に依頼されていた活動の様子を写した写真を届け、また国内の各施設の状況などを伺う。やはりこの夏休み中に各施設にバスを2台ずつ届けたようだが、まだ施設によっては十分ではないので、引き続きバスのサポートは助かるとのことであった。少しずつ状況は改善されてきてはいるが、やはりまだまだ支援は必要だ。Noria女史はわれわれの文化交流活動に関心を示し、今後は先生同士の交流も進めてお互いの教育システムを学び合うことが出来るように協力したいと提案してくれた

noor/IMGP3025
アルヌーア盲学校ははじめてPEACE ONがスクールバスをサポートした施設であるが、これまでここにサポートしたバスはなぜか故障が多い。前回取り替えたのにもかかわらず、また故障続きでいろいろと迷惑をかけてしまっていた。取り替えたバスは修理に出してアルマナー身体障害者施設で使っていたのだが、特に問題はなかったのだから皮肉なものである。新学期用にと先日購入したバスはこれまでで最も状態が良さそうなので、今度こそはとアルヌーアで使ってもらうことにした。マネージャーはやはり今後は文化交流に力を入れていきたいとも言っていた。アルヌーアの周囲はシーア派住民が多いせいか、施設周囲の壁にはムクタダ・サドル師のポスターが貼られてあった。

サドル師と言えば、サラマッドの弟の職場に納品する業者に、サドルシティーに住んでいる人が数人いるというので状況を聞いてもらった。16時から朝8時まではサドルシティーに限らずシャーブなど周囲のエリアも米軍に完全に封鎖されて行き来できない状態で、連日ムクタダ・サドル師の民兵組織であるマハディ軍が米軍、ならびにイラク軍との戦闘を続けているらしい。マハディ軍はいきなり民家に押し入り攻撃の拠点にしようとするらしく、断れば何をされるかわからないので選択の余地はなく、使わせれば米軍に攻撃されるか物を取られてしまうかという散々な結果しか待ち受けていないので、一般市民にとっては本当に一日でも早く終わってほしいとのことである。

「ムクタダは若すぎる。気持ちはわかるが今戦っても犠牲が増えるだけだ。これまで一体何人のイラク人が無駄に命を落としていったことか。不当に占領されているわけだから、戦う権利と意味はあっても、今はその時ではない。戦うのならば時と方法を考えなくては」とサラマッド。報道によると30歳前後と伝えられているムクタダも、イラク人に聞くと20代前半、いっても25歳くらいだという。「それは若すぎる。アメリカといっしょだなあ」と言うと、「まったくだ。何でもかんでもすぐ武力に訴えるしか能がない」と手厳しい。

drugs_for_sadr_city/picture_086
*上の写真は、アンマンにいる高遠さんたちから送られてきた寄付金で購入した医薬品をスレイマンさんがサドルシティーに届けたときに撮ったもの。サドルシティーでは上記で説明したような状況なので、医薬品の不足も深刻だ。治安が悪すぎて自分で直接行けないのがもどかしいが、こうして支援を繋ぐことは出来ている。「Gift From The People of Japan(日本の人々からの贈り物)」というラベルをひとつひとつの箱に付けてくれている。

以下スレイマンさんから(訳は高遠さん)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++
サドルシティーではケガ人があふれています。もちろん病院に行けた人は病院が面倒を見てくれています。しかし、問題は多くのけが人は米兵や警察に尋問を受けたり捕まるのを恐れて病院に行けないでいることです。サドルシティーにはいくつかの家や建物が診療所となっていて、そこにドクターたちが出向いている状態です。私はそのうちのわりと大きい診療所を知っているので、そこに薬を届けました。サドルシティーの状況は最悪で、失業、電力や水も不足、そして治安悪化。サダム政権の時も彼らの日常はひどかったけど、今もまったく同じ状況です。

私は医薬品や包帯などの消耗品を購入してサドルシティーの診療所に届けました。私にとっても危険ではありましたが、なんとか無事に戻ってこれました。サドルシティーの人々は「日本人からの贈り物」を受け取って大変喜んでいました。このようなハードな状況にもかかわらず、もっとも必要な薬品などを届けてくれる日本人に感謝しますと言っていました。サドルシティーでは写真を撮らない方がいいと人々に言われましたので、私が届けた医薬品などの写真を添付します。明日には、バクーバとシャハラバンにも医薬品を届けられると思います。そうしたら、書類や写真などをまた送ります。

スレイマンより
+++++++++++++++++++++++++++++++++++

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 15, 2004

コントラスト(8/13)

ナツメヤシで作られた民芸品を買おうと、いつものスーク・アラウィへ。リーファというナツメヤシの繊維でつくられたボディタオルがないなあと思い聞いてみると、どうも仕入先の農場の周囲の治安が悪くなって流通にも影響が出ているようだ。よく見るといつもよりも品揃えが少ない。ここ数日ナジャフを中心にさらに治安が悪化しているので、ろくに仕入れも出来ないと店員がこぼしていた。
date/IMGP3000
イラクと言えばナツメヤシ。食用になる実だけではなく、幹、葉、繊維など全て民芸品として生活の中に深く溶け込んでいる。そうしたイラクの豊かな文化も紹介しようと、この夏の滞在ではディアラなどに行って民芸品を作る農家なども訪ねる予定でもあったのだが、とてもじゃないが今はやめてくれとサラマッドに止められている。

話していると突然停電。「東京では停電する?」と店員が聞いてくるので、ほとんどないねと答えると、「いいよなあ。戦闘もないだろうし。昨日も店のまん前で戦闘があって、危なくて閉めてしまったよ」と顔をしかめた。確かにこのアラウィというエリアもかなり治安が悪いと評判なので、いつもならここでアラブの布、クフィーアなども買っていくのだが、あきらめてカラダで買おうと言われてそそくさとスークを後にした。「この辺は警察のコントロールもきかない。今は危ないよ」とサラマッド。車から通りを見ると、何と露天で堂々とビールやウイスキーを売っている親父が何人かいて驚いた。カラダでもお酒を扱っている店はあるが、看板も出さずにひっそりとやっているのに。

ハニさんの家におじゃまする。結婚のお祝いにと、サラマッドとアマラの絵をハニさんが描いてくれていた。サラマッドの顔がふっくらしていてとても若く、アマラの笑顔はとても素敵だ。結婚してわずか一ヶ月で妻がフランスに一時帰国。それからもう一ヶ月以上経ち寂しさのピークをむかえている夫サラマッド。少しでも癒されたのではないだろうか。
sarmadamara_by_hani/IMGP3002
アートプロジェクトの打合せに来たのだが、いつもの通り子どもたちと遊び、また大好きな家庭料理ドルマをご馳走になる。様々な野菜をくり抜いた中に焼き飯を詰めてさらにいっしょに炒めた料理。先週の金曜もおじゃましたのだが、その時は大きいキュウリの中身をくり抜きライスを詰め込んでトマトスープで煮込んだシェフマハシという料理をご馳走になった。
shefmahashi/IMGP2863shefmahashi2/IMGP2864

いつも思うのだがイラクの家庭料理のうまさは感動的だ。子ども達は笑顔で駆け回り、相変わらずの人なつっこさで戯れてくる。イラクに来て特にここハニさんの家を訪れるたびに、家庭っていいなあとうらやましく思う。のどかな金曜の午後、まさに平和そのもののひと時を過ごし、心身共に満たされていった。

一方ではいまだ止まない戦闘があり、人間が殺され続け、平和とはかけ離れた世界が同じ国の中に存在しているという現実。そしてひとつひとつの家庭では、家族をとても大切にする温かで平和な営みがあり、自称先進国に住むわれわれが失いかけた様々なことを思い出させてくれるという現実。この対極にあるように思われる二つの現実が織り成すコントラストを前に、己の非力さと幸運を同時に感じて引き裂かれつつも、今日も生きているということをかみしめてみる。そんな金曜の午後であった。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

August 14, 2004

サッカーボール&ショートストーリー(8/12)

グリーンゾーンにいる友人を訪ねた帰り道、サラマッドの車が後ろからぶつけられる。一昨日もぶつけられて右側後部座席のドアが凹んだばかりだ。つい先日買い換えたばかりの新車だというのについていない。

日本からサッカーボールが届いたということで、Sさんの家に取りに行く。このサッカーボールはパキスタン製のフェアトレード商品で、グローブ大分というところからイラクに送ってほしいとJVCに託されたもので、そして高遠さんが中心となって出来たイラク・ホープ・ネットワークに寄付されたという形になっているようだ。バグダッド市内の小学校や孤児院にSさんとPEACE ONで手分けして配ることになった。

Sさんの家では、高遠さんたちが拘束されている間、彼がサラマッドたちと解放に向けて、彼女のこれまでの活動を、メディアを通じて犯行グループ、そしてイラクの市民に伝えようとどのような働きかけをしたか、またどのような気持ちでいたのかなどじっくりと聞くことが出来た。高遠さんのことを日本の娘と呼ぶSさんにとって、あの解放までの日々は本当に言葉では言い表せないほど大変な時間ではあったが、同時にこれほどまでに日本の市民との連帯を感じたこともなかったという。解放の一報が入ったときは、近所で祝いと歓喜の声がわき起こり大変な騒ぎだったとか。大新聞も一面で取り上げてくれたりして、おかげでイラクの市民もこのような日本人がイラクに来ているということを知ることができたし、そしてわれわれイラクを支援するNGOの間でも新しいネットワークが生まれるなど、とてもいい流れが出来つつあるので、今後はこの災いを最大限福に変えていこうじゃないかと意見が一致した。

ところでSさんはよく詩や物語などを作っているが、ここでひとつ彼のショートストーリーを紹介。

                 Short story
Noriaki : hi
Sameer : hi
Noriaki : where are you from
Sameer : I am from Iraq, and you
Noriaki : I am from Japan
Sameer : I know Japan, your flag is white with red circle in the meddle
Noriaki : How come that you know the flag of Japan? And you are only small kid.
Sameer : Because I love Japan, and my teacher learned me all flags of Iraqi’s friend countries.
Noriaki : But I also love Iraq
Sameer : So, please ask your teacher to teach you Iraqi flag, it is with four colors.
Noriaki : So deska
Sameer : what is so deska?
Noriaki : it means is that so, in my language
Sameer : I see, you have nice language
Noriaki : what the name of your language
Sameer : it is Arabic
Noriaki : Ah Arabu go…..I know it
Sameer : How you know it?
Noriaki : I know Ali baba, and Ala’a Al Deen
Sameer : yes you are write they Arabic stories
Noriaki : tell me how you say in your language GOOD DAY
Sameer : Nahar Jameel
Noriaki : Nahar Jameel
Sameer : exactly, just
Noriaki : OK, what do you say to your father, at night after he kiss you?
Sameer : what?
Noriaki : what do you say to your father, at night after he kiss you?
Sameer : But I don’t have father
Noriaki : why, is he in business trip?
Sameer : No he was killed
Noriaki : Killed? Honto, Doshtee….. why he was killed
Sameer : in the war
Noriaki : what is war?
Sameer : I don’t know, but I know the sky start raining bombs,
Noriaki : Waw, honto?
Sameer :what is honto
Noriaki :means is that right?
Sameer : yes honto
Noriaki : so you have no father?
Sameer : yes no father
Noriaki : Then who kiss you at night?
Sameer : My mother, but my friend has no mother also
Noriaki : so how take you to school?
Sameer : I am not going to school, my mother said “ school is bad”
Noriaki : why she say so
Sameer : I think because she has no money to buy me new clothes
Noriaki : I see
Sameer: yes
Noriaki : Where is your money?
Sameer: I don’t know, do you have money?
Noriaki : I think so, because my father often by chocolates for me
Sameer: what is chocolates
Noriaki : I can’t teach you so many things, I must go
Sameer: OK, you go, but please let your teacher teach you the Iraqi flag
Noriaki : Ok
Sameer: and please tell your father not to buy war, it is very bad
Noriaki : OK, I will tell him
Sameer: let him keep buying chocolates for you, and kiss you at night it is nice especially in your birth day.
Noriaki : Hi, Sayonara

以上とても簡単な英文なのでとり急ぎ訳はなしで紹介します。(本人の承諾を得て掲載しています。)

Sさんはこの物語を通じて、イラクと日本の日常の大きな違いと、イラク人がいかに日本人のことが好きで、日本人がいかにイラクのこと、戦争のことを知らないか、そしてもっともっとイラクの現実を知ってほしいという願いを表現したとおっしゃっています。

事務所に戻り、サラマッドが帰ってしばらくすると、突如耳を劈かんばかりの銃声が響き渡る。近い。ババババババババババババと再び玄関付近からもカラシニコフの連続射撃音が。まさにこの事務所が包囲され、今にも武装集団がドアを蹴破って侵入してくるのではないか、ついにこの事務所も外国人が出入りしているということで狙われてしまったのではないかという恐怖に駆られる。戦時下の浄水場で地上戦が数百メートル先に近づいてきたときもかなり緊張したが、当時は周囲にイラク人職員や人間の盾メンバー、その中には軍事ジャーナリストまでいたのでかなり安心感があった。しかしこれほどの至近距離での銃声をたった一人で体験する恐ろしさはまた別格である。冷静にならなければと、必死で心を落ち着かせてサラマッドに電話をかけるが、ダイヤルする指は震えていた。「大変なことになった。事務所の周囲で銃撃戦が・・・」と囁くように話すと、なにやら可笑しくてしょうがないといった口調で、「こっちもだよ」。「What?」「サッカーでイラクがポルトガルに勝ったんだよ。祝砲、祝砲」とのことである。なるほど、これまでもサダムの息子のウダイ、クサイが殺されたときや、サダムが捕まったとき、その他なにかめでたいことが起こったときなど、一斉に祝砲をあげるとは聞いてはいたが、まさかこれほどまでに凄まじいものだったとは。緊張、恐怖感は一気に脱力感に変わり、気の抜けたような笑い声となって乾いた銃声とけだるく共鳴した。ふと窓から夜空を見上げると、時々打ち上げられていく弾道の軌跡が光として確認できて、あまりやる気があるとは思えなかったイラク軍による地対空砲火を思い出させる。しかし祝砲といってもこれほどたくさんぶっ放すわけだから、その全てがやがて地上に落ちてくると思うとゾッとする。実際それで怪我をしたり死亡したりするケースも多いと聞いていたので、もちろん安心したからといって外に出て様子を眺めるなどの行為は控え、おとなしく事務所で祝砲鑑賞?に浸る。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 12, 2004

ムサーナ・アル・ダリ氏、クバイシ先生と会ってきました(8/10)

先日イラク・イスラム法学者協会のムサーナ・アル・ダリ氏が米軍に拘束されたとき、人質解放の際氏にお世話になった郡山総一郎さんが、解放を訴える記者会見を8月6日に広島で開こうとしていた。前日の5日に解放されたので記者会見は取りやめになったが、無事解放のお祝いと人質解放時の感謝の手紙を書いてもらっていたので、サラマッド、ハニさんといっしょに法学者協会事務所があるウム・アル・コラモスクに届けに行った。残念ながら日本のメディアはほとんどこの事件を取り上げなかったが、日本の市民、とりわけ郡山さんら当時お世話になった方々はとても心配して、ムサーナ氏の解放に向けて動いていたことを伝えるべきだと思ったからだ。

0810umalqora/IMGP2981
ウム・アル・コラモスクは閑静なバグダッド郊外にある。中央の礼拝堂を囲み、青藍色と石灰色の簡素な色の組み合わせが美しい数基の光塔が屹立していて、紺碧の空に溶けていくような透き通った印象を受けた。門をくぐると、礼拝堂の周囲の堀に湛えられたエメラルド色の水が微かにたゆたい、天穹の碧さと戯れている。上空から俯瞰するとアラブ世界の地図になっているらしい。

応接間に案内されると、ムサーナ氏といっしょに、先日日本から帰国したばかりのクバイシ先生も同席されていた。ムサーナ氏はアルジャジーラHPの写真でしか見たことがなかったが、思いのほか小柄で物腰はとても柔らかく、眼差しは知的であるがやさしそうな瞳で笑顔が素敵な方だった。クバイシ先生も同じくとても温かい方だったが、テレビでみた印象より大きく見えた。お二人ともとても高名な方なのに、全くそうしたそぶりを見せずに我々を客人として温かく迎えてくれた。先日この件では門前払いになった某国大使館とのあまりの対応の違いに驚いた。
kubaisi/IMGP2976
クバイシ先生は、日本では高遠さんと今井君に再会できてとても嬉しかったこと、多くのメディアから実は裏でお金が動いていたのではないかと質問されたが、解放に際しては純粋に人道的見地から働きかけたということ、また日本政府からの接触はなく市民の連帯が彼らを助けたのだということを強調されていた。そして実際に日本に行ってみて、日本人が優れた技術をアメリカのように物質文明一辺倒に使用するのではなく、精神的な文化の歴史に基づいて人道的に使用することの出来る人々だと確信した。これからもそうした姿勢でイラクと関わってほしいとおっしゃってくれた。昨今の政治家の発言を聞いていると正直言って心もとないが、少なくともクバイシ先生からみた日本の市民の印象ということでありがたく受け止めた。

ハニさんと先日のヒロシマ原爆忌のイベントやLAN TO IRAQなどについて説明し、このようにイラクの豊かな文化を世界に伝えようと活動していることを話すと、同席されていたナジーブさんという方から「イラクと言えば戦争、そしてイスラムと言えばテロリストといったアメリカの宣伝に飲み込まれてしまったのか、これまであれほど多くの日本企業がイラクにきていたにも関わらず、これほどまで真のイラクの姿が伝わっていないのはどうしてなのか。これまで誰もイラクのことを伝えてくれなかったのか。イラクの豊かな文化、そしてイスラムの真の姿を伝えてほしい」と言われる。70~80年代に多くの日本企業がイラクのインフラ整備等に関わってきたことはよくイラク人との話に出るし、当時の日本人の仕事に対するまじめな態度や振る舞いなどが現在の親日感情を育んできたのは間違いないのだが、こうしたことはイラクに来てこそよく聞くものの、逆に日本でそうしたイラクとのつながりを聞くことは極めて少なかったことに気付かされた。

ムサーナ氏に郡山さんからの手紙を渡すと、実に柔和な笑顔で謝辞を述べられて、イスラム教理解のための小冊子をいただいた。米軍に拘束された理由についてはいまだにさっぱりわからないという。それでも決して怒りを表すわけではなく、拘束中は割と丁重に扱われていて、内部で解放に向けて働きかけてくれた方がいたらしく、その方のお陰だと感謝されていた。そして、「まさに拘束されていたその時に、このように郡山さんをはじめ日本の方々が私のことを心配していてくれてとても嬉しく思いますし、このメッセージは私にとってとても意味が大きく、価値のあるものです。どうかよろしくお伝えください。そして、ここ最近イラクで日本人に起こった事件がイラクと日本の友好関係を損なうことは決してないでしょうし、こうした問題はまもなく終わると信じています。文化、教育、政治、あらゆる面で、今後も日本との連帯を望みます」とのメッセージをいただいた。
muthana/IMGP2977

短い滞在であったが、静謐なモスクの雰囲気と、ムサーナ氏、クバイシ先生たちの温かさに触れ、馨しい薫陶を受けたような気がした。文明の成熟度をそこに住む人間の精神面での完成度で測るのならば、イラクは古から文明国であり続けていると思う。履き違えた文明の利器を振りかざし野蛮に対する戦争と称して罪のない人間を巻き込んだ殺戮を正当化させていく自称文明国など足元にも及ばないのではないか。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 11, 2004

Palestinian in Iraq (8/9)

いつも安田純平君などがお世話になっている通訳のA氏の新居におじゃまする。52 streetの近く、パレスチナ人A氏の新居のアパートには、他にもたくさんのパレスチナ人が移り住んできていた。政府からの支援が昨年4月の陥落後に途絶えてしまったため、住む家を追われテント生活を余儀なくされていたパレスチナ人が多かったが、少しずつではあるがUNHCR経由の支援でアパートに移り住むことが出来ている。3月にハイファクラブにあるキャンプを訪れたときには60家族ほどがテント生活をしていたが、いまでは10数家族まで減っているらしい。保証されている支援は1年で、それ以降はまだ何もわからないらしいが、それでも皆このアパートに移り住むことが出来て助かった、そしてA氏も以前住んでいたアパートと比べたら格段にいいと、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。

A氏の家族と大皿に山盛りになった炊き込みご飯にチキンを載せたベルヤーニという料理を囲み四方山な話をした。新しいアパートに移れたのはいいが、あの人質事件以降日本人がめっきり少なくなってしまい、今はあまり仕事がないようだ。暫定政権なんてしょせんアメリカそのものなので、パレスチナ人にとっては就職の難しさなど問題は山ほどかかえているが、それでも生活のレベル全体としては給料も上がっているし、このように国際社会からの援助も届くようになってきたので、結果的に以前よりよくなってきていると思うとも言っていた。

電気事情はPEACE ON事務所のあるカラダ地区より悪いようだ。2時間電気がきて4時間停電もしょっちゅうで、部屋が3階にあるので停電になると水道から水が出ない。台所やトイレには汲み置きの水が用意されていた。事務所は1階にあるためそんな心配は要らない。また、発電機はもちろんどの家庭も持っているわけではなく、例えば4階の部屋にはA氏の娘さん一家が住んでいるのだが、発電機がないためA氏の部屋から電気を引っ張ってきている。せめてまだ2ヶ月のあかちゃん、ワファちゃんに涼しい風を送るファンをまわすためだ。よく見るとアパートの吹抜けの通路をつたって、部屋から部屋へと無秩序にコードが張り巡らされている。こうして皆少ない電気を分かち合って生活しているのだ。事務所で生活して発電機の使い方をおぼえた程度でイラクの人々の生活の一端をうかがい知れたなんて言ってはいけないなあと思った。

A氏宅には奥さんのお姉さんが遊びに来ていて、パレスチナ人居住区であるアルバラディヤード地区の自宅に電話したところ、なんと今周辺で戦闘が始まってしまったということであった。本当はもう少しゆっくりしていくつもりだったが家が心配なのですぐ帰るというのだが、そんな戦闘の最中に帰って大丈夫かと心配になってしまう。A氏がちゃんと送るから心配ないとはいうものの、のどかな午後のひと時にこうした会話が普通に出てくるのがイラクの現実である。

IMGP2937.JPG
帰ろうとするとあちこちのドアからちびっ子達が元気いっぱいに飛び出してくる。3月にはキャンプでテント暮らしをしていた子ども達だ。私のことを覚えていてくれて、相変わらず「スーラ、スーラ(写真)」とせがまれて、あっという間に取り囲まれた。ちびっ子達のとびっきりの笑顔の背景には戦闘が続くイラクの日常という風景がある。今なお死が恒常化している中で、なぜかようにも生は美しく輝けるのか。この配色の謎を前に、心象のキャンバスに何ひとつ描けずに立ち尽くしてしまうことがいまだに続いている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

August 10, 2004

Hiroshima-Nagasaki to Iraq by Hani

先日のイベント用に描いてくれたハニさんの絵をもう少し大きく見たいという声にお答えします。外で撮ったので、一枚は日光がかかってしまっています。後日撮りなおしたら改めてUPしたいと思います。

ヒロシマ・ナガサキ
IMGP2849.JPG

イラク
IMGP2848.JPG


| | Comments (3) | TrackBack (0)

August 08, 2004

ヒロシマ・ナガサキそしてイラク アートでつなぐ歴史の記憶

20040807.JPG
昨日8月6日は59年目の広島原爆忌。昨年の2月開戦前のイラクを初めて訪れたとき、行く先々でヒロシマ・ナガサキについて口にするイラク人が多かったのには驚いた。また、戦争中は滞在していた浄水場の近所でお茶をご馳走になりながら、「なんで日本はヒロシマ・ナガサキを経験していながらいつまでもアメリカについていき、この戦争の支持までするのか」などと問い詰められたものである。サダム時代の反米教育の一環でもあったとはいえ、59年前に人類史上初めて核兵器が使用され、それがヒロシマ・ナガサキに落とされたことについて、イラク人の大半は知っているどころか、イラクで大量に使用されたウラン兵器の放射能汚染によると思われる白血病などガンの被害と重ね合わせ、むしろ同じ痛み、苦しみを共有しているという意識が強いようだ。

日本平和委員会の布施さんがこの度原爆の被害を伝える白黒写真のパネル十数点を持ってきていて、8月6日にバグダッド大学で簡単な展示をやろうと思っていたようなのだが、今は夏休みで誰もいない。私もこの広島原爆忌に今年はここイラクの地で何か出来ないかと思っていたので、サラマッドなどに相談してみたところ、画家のハニさんが大いに乗り気になってくれて、なんとバグダッド市内のアーティストの社交の場にもなっているヘワーギャラリーにて、アーティスト達のライブペインティングを兼ねた写真展を開催することがあっという間に決まってしまった。6日は金曜でお休みだし人も集まらないということで7日になったものの、こんな突然のアイディアを喜んで受け入れてくれるイラク人の懐の深さには毎度のことながら驚かされる。

IMGP2883.JPG
5日にハニさんに話をした際に見せた原爆のパネルからインスピレーションを得て、ハニさんは早速2枚の作品をわずか2日で仕上げてくれていた。原爆のきのこ雲を背景にしたヒロシマ・ナガサキの絵と、空襲を受ける街を背景にしたイラクの絵との組み合わせである。2枚ともに苦痛に歪んだ人々の表情が描かれていて、59年前のヒロシマ・ナガサキから現代のイラクへと続く同じ痛み、苦しみの共有が、ハニさん特有の厚いマティエールによる繊細な色彩の調和と光の演出によって美しく表現されていた。

ギャラリーの庭、正面入り口から右の一角にスペースをとってその2枚の絵を展示し、画家でギャラリーのオーナーでもあるカッシムさんが用意してくれた大きなブラックボードの中央にキャンバス固定し、その周囲に原爆のパネル、そしてサラマッドが昨夜から朝5時までかけて印刷してくれたイラクの戦争被害の写真を貼り付けて、中央のキャンバスにアーティストがそれぞれのメッセージを自由なスタイルで描いていく。アーティストは皆ハニさんが呼びかけてくれていて、LAN TO IRAQに出展しているサラーム・オマールさんも来てくれた。ファルージャから来てくれた政治地理学を研究している学者で詩人のアハメッドさんは詩を書いてくれて、また学校で音楽を教えているマジッドさんがかけつけてオウド演奏を披露してくれるなど、実に多彩なアートの共演が実現した。
imgp28851.jpgIMGP2879.JPGIMGP2895.JPGIMGP2887.JPG

自由を奪われた独裁政権下、画材すら入手困難であった経済制裁、多くの友を失った度重なる戦争、屈辱的な占領下を乗りこえて、そしていまだ混沌とするこのイラクで表現を続けてきたアーティスト達によって、物悲しげなオウドの旋律をバックにキャンバスは色とりどりの思いが塗り重ねられていく。

昨日広島の被爆者から送られてきたメッセージを英訳し、サラマッドにアラビア語に訳してもらったものをコピーして参加者に配った。「あなたたちと私たち被爆者の心は同じです。あなたたちの苦しみは私たちの苦しみです。あなたたちがいろんな困難を乗り越えて、戦争と暴力のない新しいイラクと、新しい21世紀への歩みを続けてくださるよう願っています」といった内容である。

イラク人アーティストからは、「イラクは第二のヒロシマになっている」「いつの時代も歴史のない国が歴史を持つ国を滅ぼしていく。このようなことが同じ地球上で同じ人間によって行われているということを、神は決して許さないだろう」「人類はとてつもない技術を手に入れたが、どうしていつもこのような間違った使い方をしてしまうのか。芸術とは常にそうした力に対して闘っていくものだ」などの意見が寄せられたが、「われわれがヒロシマ・ナガサキに伝えるべきメッセージは全てこの作品に込めた。あとはこの貴重な第一歩を大切につなげていって、伝え続けていくことだ」というハニさんの言葉からアーティストとしての魂を強く感じ、また大いなる勇気をもらった。
imgp29091.jpg

ハニさんが呼びかけてくれてイラク国内のメディアもテレビ、新聞等数社来てくれたが、取材を受けたのはなぜかクルド系のメディアだった。インタビューの最後に、「ヒロシマ・ナガサキからイラクへと続くこの問題は2国間だけではなく世界の問題です。どうかもっと世界中に伝え続けてください」とお願いされた。時間がなくて国外メディアをあまり呼べなかったことが悔やまれる。カッシムさんもアルアラビーヤなどに呼びかけてくれたのだが来てくれなかったようだ。日本からは共同通信の記者が一人。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040808-00000049-kyodo-int 欧米系メディアも少しは来ていたようだがどこだったのかまだ確認がとれていない。

この作品を日本に持ち帰り展示して、今度は日本のアーティスト達に描いてもらってイラクに届ける。こうした芸術の持つ力によって、歴史の痛み、苦しみを共に分かちあい、また継承していくというこの貴重な第一歩を大切に育んでいき、少しずつでも大きなものにしていこうと思う。

夜、事務所で明日出国するという布施さんと通訳のS氏と今日のイベントのことを話し合い、また、バカ話で盛り上がっていると、突然ゴウンという音が鳴りはたと会話が止まる。ジェネレーターの調子が悪かったのでてっきりその音かと思い、一度スイッチを止めて様子を見てみたが、数十秒後に再びゴウンと鳴り響いた。迫撃砲だろうか。遠いのでちょっとわからないが、一分おきくらいで断続的にやってくるので空爆のようにも感じ、戦時下での緊張感が再び甦る。おそらくサドルシティーだろう。昼、ギャラリーでも、ナジャフでの戦闘でサドル派のマハディ軍中心に300人ほど殺されたとか、きな臭くなってきた情勢についてアーティスト達が話し合っていたのを思い出した。サマワ出身の通訳S氏がサマワの新聞社に電話で確認すると、サマワでも戦闘があったということだ。また、親にも連絡をとっていたようだったが、「心配させるといけないから、いまのこの衝撃音のことは言えない」と口をつぐんだ。

ヒロシマ・ナガサキから続くお互いの苦しみを共にわかちあったばかりだというのに、この衝撃音の下で、イラクでは今もまた新しい苦しみが生み出されていく。

| | Comments (6) | TrackBack (0)

August 06, 2004

祝 ムサーナ・アル・ダリ氏解放!

ムサーナ・アル・ダリ氏解放されたようです!
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/C8C031B4-0AA3-4E60-811D-5CFD3EC79658.htm

昨日は一応日本大使館へ行ってみたが、あの邦人人質解放に尽力した人だと説明してもあまり関心をもってはもらえず、結局中にすら入れてもらえなかった。サラマッドやハニさんなど親しいイラク人数人に聞いた限りでは、この拘束はどう考えても不当であり、彼はイスラム教徒に多大なる影響力を持っている人物でありいつもメディアでは米軍批判を繰り返しているので、ある種の見せしめのような形で拘束したのではないかということだった。ちなみに彼は先日のキリスト教教会の連続爆破事件に対しても、われわれの友人であるキリスト教徒に対するこのような犯罪は許せないという声明を出したばかりだったという。

また、昨夜高遠さんたち救出に尽力したイラク人の一人に相談したところ、ムサーナ氏は解放されるだろう、あんな素晴らしい人といっしょにいられるのならいっしょに捕まりたいくらいだとも言っていた。そして日本人に出来ることというか、誠意を見せるとしたら、せめてメディアがこの事件を取り上げてくれることではないかというアドバイスをもらっていた。

今日午前中バグダッドにいる通信社の記者と電話で相談したところ、事件当日に記事は配信したそうだが、日本で記事になったかはわからないということらしい。そして午後一時頃に電話がかかってきて、アルジャジーラで解放の速報が入ったと連絡を受け、午後の打合せを終えてから今アルジャジーラのWebを確認したところです。

| | Comments (7) | TrackBack (0)

August 05, 2004

アンダルスパレスホテル近くの教会(8/3)

IMGP2822.JPG
事務所に戻る道すがら、一昨日のもうひとつの爆破現場、アンダルスパレスホテル近くの教会を訪れる。爆風のせいかホテルのロビーの窓ガラスがほとんど割れていて中が丸見えになっていた。今では外国人を泊めないようにしているらしいが、以前ここは日本人フリージャーナリスト、NGO関係者のたまり場のようになっていて、時々バックパッカーすら泊まっていたものだ。昨日見た現場と同じように、教会脇の道路に大破して黒焦げになった車が放置されていた。やはり道路に面した民家に大きな被害が及んでいて、破壊された窓から黒く煤けた部屋の中が見える。住人2人が重症だということだ。他にここでは合計21人が怪我をして、4人の命が失われてしまったとのことである。爆弾が仕掛けられていた場所は大きなクレーターのようにすり鉢状の穴が開いていて、教会を取り囲む壁が崩れていた。教会自体は窓ガラスが全て割れていたが、建物の損壊は極めて少ない。じりじりと焼け付く真昼の太陽の下、破壊されてぐにゃぐにゃになった電線の修理が早速始まっていた。教会の壁に刻まれたレリーフのひとつ、正面入り口の割れたガラスの上の聖母は凍りついたように沈黙していた。

| | Comments (74) | TrackBack (0)

アルアマルろう学校 アルマナー身体障害者施設(8/3)

8月3日 Tue
通学バスをサポートしているアルアマルろう学校に挨拶に行く。前回3月に訪れたときは 改築工事中で、隣のろう者の授産施設の2階を間借りして授業が行われていたのだが、工事はほぼ終わったようだ。夏休み中なので子ども達はいないが、毎週火曜と日曜は職員が来ている。日本のろう者のフリースクール、龍の子学園との交流の様子 などを話すととても喜んでくれて、9月中旬からの新学期が始まったら、今度は日本のろうの子ども達にまたプレゼントを用意すると言ってくれた。3月の時点ではまだ何も労働省から送られてきていなかったが、ようやくコンピューター、ソファー、その他備品が届き始め、ついに通学用のバスも2台届いたということだ。驚いたことには、日本大使館の方が来てマイクロバスを2台寄付してきたらしい。見るとPEACE ONが届けたもの と同じ韓国製の中古ワンボックスカーであった。大使館の方にわれわれのことを話すとえらく驚いていたそうな。改築工事はアメリカのARDというNGOからの支援だそうだが、しばらく外国からの支援といえば日本くらいで、市民からも政府からも助けてもらって日本にはとても感謝しているとのことだった。これでPEACE ONバスを含めて通学用のバスは計5台。新学期からはこれで十分賄えるとのこと。こんなに早く状況が改善されるとは思っていなかったが、これで子ども達皆が通える。そしてこれまでバスがなくて厳しい時期に支えることが出来て本当に嬉しい。アルアマルろう学校に関しては、これからは文化交流に力を入れて行きましょうと先生方と話し合った。

続いてアルマナー身体障害者施設へ。やはりここにも労働省からバスが2台届いていた。しかし新学期からさらに通う子ども達が増えるようなので、PEACE ONバスのサポートは引き続きお願いしたいとのこと。ただここで使っているのは初代PEACE ONバス。初めアルヌーア盲学校で使っていたが、どうも故障が多いので修理に出してからここで使うようになったものだ。 前よりはましだがやはり時々動かなくなってしまうとのこと。他の学校と同じようにワンボックスタイプがいいとのことだったので、買い替えを検討中。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

August 04, 2004

ムサーナ・アル・ダリ氏米軍に拘束

日本ではニュースにすらなっていないそうですが、クベイシ師の上役にあたるイラク・イスラム法学者協会の代表ハリツ・アル・ダリ師のご子息、ムサーナ・アル・ダリ氏が米軍に拘束されてしまいました。
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/25B2BED2-620D-4C37-ADD1BF36D5654C6A.htm

彼は高遠さんや安田くんたちの解放に向けて、父親のハリツ師と共に多大な尽力をされた方で、サラマッドやアートプロジェクトでお世話になっている画家の方々も直接会っていて、当時いろいろと解放に向けてとても協力してくれたと言っています。

今日も画家のハニ・デラ・アリさんが事務所に来て、
「日本からも何とか解放に向けて働きかけてくれないだろうか。」
と相談してきました。

私はこちらバグダッドで出来ることを考えてみます。

| | Comments (4) | TrackBack (0)

教会脇の爆破現場(8/2)

IMGP2805.JPG
昨日の連続爆破事件はキリスト教の教会を狙ったものらしい。そのうちのひとつ、一回目の爆発現場に行ってみたが、教会脇の道路で普通乗用車3台がまっ黒焦げになってひしゃげていた。教会そのものは爆風でガラスが割れてはいたものの、特に破壊されてはいなく、むしろ隣のアパートの損壊がひどい。アンダルスホテル近くの教会でも、教会は破壊されていなかったと聞く。教会そのものを狙ったわけではないのだろうか。昨日は日曜だったので、キリスト教徒の集まる休日を狙ったのではないかという声もあるようだが、以前よくシーア派モスクが狙われたように、宗教、宗派を分断させ、イラクを混乱させようとする勢力の仕業であろう。「メディアがスンニとシーアの対立を煽るがその手は食わない。われわれはひとつだ」と多くのイラク人が言っていたように、「世界中のキリスト教徒も惑わされないことを信じている。われわれムスリムはもともとキリスト教徒とうまくやっていたのだから」とサラマッド。

わらわらと集まってきた近所のちびっ子たちが昨日の状況を説明してくれた。数人けが人が出たがここでは誰も死んでいないという。爆発時は数十メートル先の自宅にいたらしいが、それはそれは大きな爆音で驚いたというが、こうした爆破事件はもう慣れっこになってしまったので別に怖くはないと笑顔で答えてくれた。しかしこんなことはないほうがいいだろうというと、「もちろん」とやはり屈託のない笑顔で返し、車で現場を後にするわれわれが見えなくなるまで手を振ってくれた。

| | Comments (66) | TrackBack (0)

バグダッド中央教育子ども病院(8/2)

IMGP2787.JPG
抗がん剤をバグダッド中央教育子ども病院に届けに行く

J医師に聞くと、特に抗がん剤はまだまだ不足している状態なのでわずかの寄付でもとても助かるとのことだった。保健省からは以前と比べたら医薬品が届くようになってきてはいるものの、組織化がまだまだ十分ではないことから、期限切れ寸前の医薬品が大量に送られてきてしまいほとんどが無駄になってしまうこともあると嘆いていた。中には一瓶30万円もする抗がん剤もあるというから大変である。また、医療器具や病院内のメンテナンスなどには全く予算が下りてこない状態で、やはり世界の助けが必要だとのこと。特に医師の医療技術に関しては、元々世界でもイラクのレベルは高かったものの、1970年代後半から止まったままなので、世界の最新の医療技術を学べる環境を整えたいのだが、この治安ではなかなか難しいと言っていた。ここ最近世界中のNGOの働きかけで、イラクの医師が国外で研修したり他国の医師と会議を持つ機会がふえてきたりしていることは、そうしたイラクの医師達の声が反映されているのだと思う。

日本は被爆国なので、イラクでアメリカ軍が使用したウラン兵器による放射能の影響が強く疑われている白血病をはじめとするガンの子ども達のことを気にかけてくれる人が多いと伝えると、これまでどの国よりも日本の援助がありがたいと思っているし、それはこの病院の皆が感じていることだと言ってくれた。これから日本に期待することは、新しいガンセンターの建設と、医師が世界に出ることに協力してほしいとのこと。日本政府がイラクに3つの病院を建設するらしいと先日ラジオで聞いたとのことで、本当ならばとてもありがたいと喜んでくれた。確かに一日隊員一人の危険手当だけで2万4千円、そして先日亡くなった橋田さん曰く一日1億円かけて2百万円分の水しか作らないという実に費用対効果の悪い戦闘部隊を人道支援の美名の下に送り込むよりも、同じ被爆国としてイラクの医師にもう少し耳を傾けた支援が出来ないものか、まだまだ働きかけていかねばならないと反省した。

説明を受けた後、いつものようにガン病棟の子ども達を見舞う。各部屋6ベッドで6部屋あるのだが全て満室であった。一年間に240人ほどの新患の60%はバグダッドの外から来るという。バグダッドの二つの病院の他、あとはバスラくらいしかガンを見てくれる病院がないからだ。ガンによる子どもの生存率は20%以下と戦前とほとんど変わっていないし、J医師は、原因は聞かないでくれと言うが、相変わらず発症率は増え続けているという。昨年の戦争ではバグダッドで大量のウラン兵器がばら撒かれてしまったので、これから数年後、現在バスラで起こっているような悲劇が繰り返されるのかもしれない。こうした見えない脅威に、どのように対処していけばいいのだろう。原因は何であれ、このようにガンの子ども達が増えているのは間違いないのだから、戦争の加害者として日本が果たすべき責任はあまりにも大きい。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

August 03, 2004

ハニさんとの再会 カラダでの爆発(8/1)

日本平和委員会の布施さんがバグダッドに来るというので、バグダッド国際空港までサラマッドと迎えに行く。発電機の音で聞こえなかったが、朝どこかで爆発があったらしくずいぶんと道が混んでいた。空港にたどり着くまでは、さらにチェックポイントのせいで大渋滞。灼熱の太陽の下、エアコンのない車で立ち往生はさすがに苦しかった。米軍関係車両はすいすいと別車線を走り抜けるのを見て、昨年秋にパレスチナのナブルスに行く途中、チェックポイントでユダヤ人入植者の車がすいすいと通り抜けていく姿を思い出した。

ようやくたどり着いたチェックポイントではネパール人が警備にあたっていた。到着時刻から一時間以上大幅に遅れてしまっていたため、きっともう空港にはいないだろうと思っていたが、ちょうどそのチェックポイントで布施さんに会うことが出来た。

LAN TO IRAQ でお世話になっているイラク人アーティスト、ハニ・デラ・アリさん の招待でナショナルシアターへ。ハニさんは先月シリア、ダマスカスで行われたカルチャーウィークにイラクの劇団の一員として参加してきたそうだ。ステージ上、劇のバックで大きな絵を描くライブペインティングで、表情のない米兵の影に挟まれて血の涙を流すイラク人の母親の顔を描いたという。劇の内容は、35年間の兵役に疲れ果てて、ようやく母親の元に戻り軍服を脱いだイラク人兵士が、今度はイラクの外に出ようとする。初めてたどり着いた国境では、壁ばかりでどこの国も受け入れてはくれない。仕方なしに母親の元に戻ると、今度は占領下の混乱でまた軍服を着て戦わなければならないという現実が待っていたという悲劇だそうだ。今月再びシリアで公演があり、その後レバノン、エジプトと周るらしい。イラクとの文化交流のために企画されたカルチャーウィークでは、劇のほかに現代美術の展覧会、民族音楽の演奏などがあるという。是非とも観てみたいと思ったが、残念ながらイラク国内での公演は予定されていないようだ。

週二回ほど打合せも兼ねて劇団のメンバーなどがこのシアターに集まるらしく、他にも様々なアーティスト、音楽家、俳優などが一堂に会しさながらサロンのような雰囲気。4月にヘワーギャラリーで会った俳優のジャラルさんも来ていた。
IMGP2761.JPG
(左からサラマッド、ジャラルさん、ハニさん、筆者)
ハニさんと布施さんを事務所に招待して談笑、並びに今後のLAN TO IRAQの展覧会について打合せ。戦争などで破損したイラクの美術品を修復するために、ハニさんは10月から半年ほどポーランドで古美術修復の技術を学んでくるというから、その向上心の高さには頭が下がる。レストランに移動して食事をとりながらイラクの現状について話を聞いた。アーティストとしては、もっとイラクアートを世界に知ってもらいたいのだが、アーティスト達だけの力ではどうにもならないので世界の助けが必要だと言う。また、暫定政権に対してもかなり批判的で、暮らしぶりも治安もなにも変わっていないと顔をしかめた。これまで街で聞いた感じでは、割と評価している人が多かったので、やはり様々な見方があるなあと思った途端、ドウンという凄まじい衝撃音と共に店内に大きな振動が走った。てっきりこのレストランの上部に何か打ち込まれたのではないかと思うほどで、皆驚いて外に飛び出した。サドゥン通りとカラダ通りの間、レストランから約数百メートルほどしか離れていないところから、灼熱の空を焦がすようにどす黒い煙が猛然とした勢いで舞い上がっていた。
IMGP2771.JPG
かけていく野次馬をよそ目に、「行こう」とため息交じりに席を立ち車に乗り込んだハニさん。彼のあんな苦渋に満ちた表情は初めて見た。「お願いだから今日は外に出ないでくれ」という彼の願いを聞いて、サラマッドと事務所での作業を続けようとすると、再びボンという衝撃音。どうやら先程の爆発地点からそう離れていないところらしい。そして2箇所とも事務所から歩いて5分ほどの距離である。サラマッドと顔を見合わせると、戦時下に浄水場で共に過ごした日々の記憶が甦る。彼も同じことを考えていたようだ。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

It's hard time for foreigners(7/31)

遅れていた国民大会議が今日から3日間開催される予定であったが、予想通りまた延期。会議中は道路も混雑するだろうし危険なので事務所でおとなしくしていたほうがいいと言われていた。延期ということで今日から早速活動しようと思いきや、パスポート取得の為の手続きに行かなければならないということで、サラマッドはお休み。午前中は事務所で過ごしていたが、停電が4時間以上続いたり電気が1時間半ほどしか来なかったりと、サイクルが不定期に。いつも3 by 3とはいかないようだ。

行きつけのレストランに行くと、「ナカム~ラ」「スズ~キ」という声がテレビから流れてくる。ちょうどヨルダンと日本代表のサッカー中継をやっているところだった。テレビの真ん前に席をとり日本が外すたびに歓声をあげているヨルダン人二人と、唯一の日本人の私の反応を、まわりのイラク人が皆興味深げに見つめている。延長戦も引き分けのままPK戦になり、なんとしょっぱなから中村とアレックスが外してしまったのでヨルダン人二人組みは大喜び。さすがにもう勝ち目はないだろうと思っていたら、後半はヨルダンチームが外しまくって結局日本が勝った。

夜、LAN TO IRAQのメンバー伊神さんから紹介されていた韓国人のカンさんに会いに行く。彼女は「民族21マガジン」という雑誌の記者をやっているそうだ。韓国のNGO、Korea-Iraq Peace Teamのリーさんとハンさんが借りているアパートに行ったのだが、同じカラダ地区で事務所からすぐ近くであった。ポリオで松葉杖をついているイラク人のサラームさんという方が同席していて、コンピューターエンジニアという彼からリナックスの話、また携帯電話会社IRAQNAの利益の75%がマイクロソフトに行くことや、元人間の盾のイラン系アメリカ人女性ニーナがCPAに尋問されたときの話などを聞いた。なんと英兵が米軍相手に道に爆弾を仕掛け、イラクポリスがその英兵を捕まえて米軍に引き渡したのだが、米軍はその英兵を解放し、その後米軍に英兵を引き渡したイラクポリスはなぞの事故死を遂げたと報道されたということだ。その記事をニーナは書いたのだが、その後爆発物の火薬が衣服についているという理由で米軍に尋問を受けたということらしい。本当だとしたらぜひともその英兵に会って話を聞いてみたいと思った。その他障害者施設の先生方にコンピュータープログラムを教えるというプロジェクトをいっしょにやらないかなど言われ、結局あまり韓国人とは話せずに彼とばかり話してしまった。

ハンさんはもうイラク入りは7回目で、これから一年のスパンで滞在してイラク人に平和教育を推進するという。イラク人アーティスト等との交流もあり、展覧会なども考えているというので、今後LAN TO IRAQとも何らかの形で繋がっていけるかもしれない。人質となって殺害されてしまったキムソンイルさんの話に及ぶと、当時派兵賛成派の一部が感情的になって、さらに兵を送ってテロリスト共に復讐すべきだなどいう過激な論も出たものの、今では大分落ち着いてきて、犯行グループはきっとイラク人ではないという見方が増えてきたという。サラームさんが行った調査でも、犯行グループがビデオで話しているアラビア語のアクセントがイラク人訛りではないという意見が90%以上だそうだ。キムソンイルさんのケースに限らず、人質を殺害するのは絶対にイラク人ではない、4月の日本人のケースはイラク人だったので、結果的にとてもラッキーだったのだとサラマッドも言う。ハンさんもリーさんも、今は外国人にとってとても厳しい時期ですと口を揃える。そういえば道で会った少年が「僕の名前はザルカウィ」と冗談を言ってきたり、すれ違いざまに僕を見て首を切るジェスチャーをしたりと、外国人の誘拐そして殺害は、イラク人の間にも大きな影を落としている。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

« July 2004 | Main | September 2004 »